後藤武
、2008年9月、55ページ
ISBN=9784902930207
[インタヴュー]
「様式の併立」をめぐって 日埜直彦──これまで伺ってきたお話を振り返ってみると、大きくは桂離宮を巡り端的に現われた日本の近代建築と伝統建築の問題ということになるかと思います。そしてそのことをもうすこし視野を広げて見れば、近代建築が日本において成立し、それ相応の具体化を遂げる過程で建築家がいかに考えてきたかということにな...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[都市の表象分析 16]
ヴェネツィアにほど近いパドヴァの街の中心に、転倒した船の船底のような屋根をもつパラッツォ・デッラ・ラジォーネは建つ。「サローネ(大広間)」と呼ばれる巨大なホールを二階に有するこのパラッツォは、一二一八年から翌年にかけて建造され、幾度もの焼失と破壊をくぐり抜けてきた。サローネのほの暗い空間を囲む壁面は四方びっしりと、占星...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.2-11
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...になっていたのだと思うわけです。ところが、アドルフ・ロースは建築とは何よりも身体の「被覆」だ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[批評]
ポール・ド・マンはあるときアメリカ近代語協会から「文学の理論、その目的と方法」という主題の文章を求められたが、彼はそこでひとつの理論の目的と方法を要約し概括する...は空間を疑った者はいなかったのか。もちろんアドルフ・ロースがいる。ロースのいわゆるラウムプラ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.82-83
[論考]
だからともかくも、私にとってそう見えるのかもしれないが、ミースを通して、ミースの多くを拒絶することを通して、しかしそれでもミースを通して、《イームズ自邸》は生ま...。邦訳=『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジェ』(松畑強訳、鹿...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181
[日本]
1951年北海道生まれ。83年、コロンビア大学修士課程修了。83−89年、アイゼンマン・アーキテクツに勤務。91年、丸山アトリエ設立。芝浦工業大学、東京家政学院大学非常勤講師。共訳書に、デニス・シャープ『合理主義の建築家たち——モダニズムの理論とデザイン』(彰国社、1985)、A・ツォニス+R・ルフェーブル『古典主義建...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.170-171
[批評]
《バルセロナ・パヴィリオン》[図1]や《チューゲントハット邸》において用いられた、四本のアングルを組んでクロームメッキのプレートで包まれた十字柱は、ミース・ファン・デル・ローエの署名とでもいえるものだ。ミースのディテール思考が集約されたようにも見えるこの十字柱は、しばしば荷重を支える柱の物質感をカルテジアン・グリッド上...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.110-112
[批評]
建築は社会的な芸術の最たるものであり、社会の変化に対応しなければならない。ある社会の文化と洗練の度合いは、しばしばその社会の器である建物によって判断される。情報革命の今日でもそれは変わらない。サイバースペースは、メディアの想像力を虜にし、コンピュータはテクノロジーの進展と経済の成長とともにハイパー化に対応してきた。しか...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.70-75
[論考]
都市を計画することの不可能性が繰り返し指摘されてきた。かつて磯崎新は早い時期に都市からの撤退を宣言し、都市を計画するという行為の代わりに見えない都市という概念を彫琢していったことはよく知られているわけだし、レム・コールハースはもはや存在しない職能の代理=表象者として都市について語るという倒錯した立場を表明していたのだっ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.156-164
[建築の還元 2]
1 社会的歪像としての建築 建築が、例えば社会といった言葉で代称されるようなシステム(あるいはシステム化された活動の集合形態)をその背後で認識するとき、ほぼ例外...》はヴィトゲンシュタインの姉が施主となり、アドルフ・ロースの弟子であった建築家パウル・エンゲ...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.2-12
[建築の還元 1]
...に共振するかのように、オーストリアの建築家アドルフ・ロースは近代文化における装飾を犯罪である... ...」(『ヴァレリー全集5』 同★二)。 ★八──アドルフ・ロース『装飾と罪悪──建築・文化論集』(...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.2-12
[CONCEPTUAL 日本建築 3]
13 一堂一室 Plan was the plot: 'ARCHITECTURE' was brought within proselytism 布教を鍵に文明はもたらされる 面積で世界最大といわれる仁徳陵は、おそらく五世紀はじめにできた。九州政権にすぎなかった天孫族勢力(倭(わ))が瀬戸内海を渡って難波(なに...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.194-207
[新・都市の下層民 4]
0 カフカの小説の始まりは、いつも唐突である。「変身』の冒頭は、グレゴールが悪夢から目覚めるシーンによって始められる。しかし、奇妙なことにその悪夢の内容については一切触れられていないのである。また『審判』においては、逮捕に来た者達によってヨーゼフ・Kが起こされるシーンから始まってる。この時のKは、向こう側に住んでいる老...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.31-32
[連載 3]
8 機械の独裁──テーラー主義 第一次大戦後のフランスは、フランス的な特質を保ちながらもドイツに(そしてすでに世界一の強国であることを誇示したアメリカに)遅れを取らない産業─社会の近代化を成し遂げなければならなかったわけだが、この課題を果たすには、まず効率的な大量生産を可能とする技術革新の導入の必要があった★一。前回に...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.291-305
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間4]
円形競技場はきっちりとした形態を備え、その機能を明確に体現した形となっている。それはもともと、無造作な容れ物として考えられたものではなかったのであって、それどころか綿密に考え尽くされた構造、建築表現、形態を備えていたはずである。しかしそれを取り巻く外的状況変化は、それは人類の歴史上最もドラマチックな瞬間の一つであったの...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.12-23
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく、その三週間後に神戸の街を歩く機会を得た。大阪を過ぎ神戸に近づくにつれて、雨漏りを防ぐ青いビニールシートをかけた屋根が増えるのが見え、電車の窓からも被害の様子が...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[建築の解體新書 8]
不快な様式……岡崎乾二郎今回は前回の足りなかった部分を補い、中谷氏に対する問題提起という形式をとらせていただきます。 ★ よく知られていることですが、明治二七年、伊東忠太はarchitectureの訳として、すでに定着しつつあった造家という語に対して、次のような異議を唱えています。 「アーキテクチュール」の本義は決し...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.14-28
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
一九四五年、二〇世紀前半のテクノロジーを最大限につぎ込み、全人類の抹殺可能性さえも示すことになる第二次世界大戦が終結した。 同年、歴史上初めて光線兵器(原爆)が使用されたことにより、人類は「個としての死」から「種としての死」(A・ケストラー)を予感するようになった。 当時まだ一〇代の少年だったポール・ヴィリリオは、この...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[境界線上のアメリカ 2]
「『いやよ!』私は叫んだ。『アルフレッド・スティーグリッツに会うなんて絶対にいや! そんなことおもったこともないわ! あの人、きっとサディストかスヴェンガリよ。でなきゃ、たぶんイカサマ師だわ。あんたたち、きっと彼の魔法にかけられておかしくなってるのよ。あたし、彼のことをあんたたちみたいに偉大な写真家だなんて、絶対に、ぜ...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.176-183
[非都市の存在論 1]
1 都市から非都市へ すでに百年以上にわたって、〈社会〉に関する学は〈都市〉に憑かれてきた。いやむしろ、それは都市の分析を通じてこそ、おのれの固有の問題領域であ...であるかのように見える。 墓とは何か。それをアドルフ・ロースは建築が芸術でありうる数少ない例外...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.16-27
[フィールドワーク]
ドイツの建築家ブルーノ・タウトと言えば、なにしろ桂離宮に魅せられ、その美しさを日本人に解り易く示し自国の文化に自信を持たせてくれた、しかも、それを世界へ向けて紹介してくれた人物として知られる。だが、そうした「日本文化礼賛者」としての側面に光が当てられてきた一方で、タウトが同時代の「東京」をどのように見ていたか、について...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.179-186
[論考]
都市は健在か 戦前から戦災復興期にかけて、わが国の都市計画界における最大のイデオローグであった石川栄耀(ひであき)は、漠然とした不安を抱いていた。 都市と云う一つの親和本能に対し、人類が大した興味を抱かないようになる時代も来ないとは断言できぬことを思うなら、そして人類は決してその「望まぬ」ものを存続していこうとしない...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.78-86
[インタヴュー]
理論/歴史、実践 松畑強(以下MT)──コロミーナさん、『アッサンブラージュ』誌の三〇号を拝読いたしました。あなたはそこで、いくつか面白い問題を提起されていたと...ットフリート・ゼムパーの「被覆の原理」からアドルフ・ロースの「被服の法則」へ、さらにはル・コ...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.41-46
[論考]
目次 はじめに 1-1 共同の署名「ル・コルビュジエ・ソニエ」:オザンファンの証言 1-2 「ル・コルビュジエ・ソニエ」を独占しようとしたジャンヌレ:オザンファンへの献辞の登場 1-3 ソニエの削除とその後も続いた共同署名「オザンファンとジャンヌレ」 2 『建築をめざして』書の諸版本 2-1...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.199-220
[論考]
...ては、これは大変に奇異なことである。かつてアドルフ・ロースが「教養のある人は窓から外を見ない... ...NTTドコモタワー」 撮影=増田圭吾註 ★一──アドルフ・ロースのセリフは、ル・コルビュジエ『ユルバ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.120-125
[映像のトポス 2]
つまり、新たに始めること、わずかばかりのもので遣り繰りすること、そのわずかばかりのものから拵えあげること、そしてその際に、右や左をきょろきょろ見ないこと。 (ヴァルター・ベンヤミン「経験と貧困」)★一 遊歩者からサンドイッチマンへ 一九世紀後半以降、都市が高速高密度の交通空間として編成されてゆくにつれて遊歩は不可能と...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.22-29
[景観の視学/史学/詩学 5]
「まちづくり」に際して、ことさらコンテクスチュアリズムを標榜せずとも、界隈を表現するために使われてきた言葉を確認するのは必須の作業だ。とはいえ街のイメージは往々...宅は、ウィーンの論争家(ポレミスト)建築家アドルフ・ロースが、傾斜地を巧みに利用しつつラウム...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.28-30
[連載 7]
16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、...計革命の中心人物のひとりであったベルギーのアドルフ・ケトレ(一七九六─一八七四)であった。 公...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[非都市の存在論 11]
1 二つの扉 一九八八年七月二三日の深夜、オーストリアのザンクト・ペルテンで屋外展示されていたジョン・ホワイトマンの仮設建築作品「二分割可能(Divisible...〇五頁。 ★一九──本誌一四号にはこのほか、アドルフ・ロースの装飾論を主題としたジョージ・ハー...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.15-26
[大島哲蔵追悼]
...冊子『ヘテロ』(京都大竜堂、一九八六)でのアドルフ・ロース特集制作であった。これには氏がオー... ...議論を交わしたうえ、精一杯の皮肉をこめて「アドルフ・ロース断章」と題する小文を寄稿した。『ヘ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.168-171
[連載 8]
17 機能主義という抽象モデル ル・コルビュジエの一連の都市計画のモデルは機能主義的ともいわれるわけだが、もはや自明なものとしてその思想史的な意味を問われることはむしろ少ない。もちろん、機能主義モデルは彼の専売でもオリジナルでもなく、彼は普遍化できるモデルとして構想している。その意味で彼が東方旅行で見出したさまざまの日...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[現代建築思潮]
ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ム...000 chairs, Taschen, 2000.CASE06. 形相→質料+形相──アドルフ・ロース/ピーター・ズントー 「建築において...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
43 JAPONISME──「近代」に向かってめくられた最後の頁 Last pages towards the MODERN, which western society had to discover 高階秀爾の若き日の著作に『世紀末芸術』(紀伊國屋新書、一九六三)がある。 あたかも東京オリンピックの前年、破竹の勢い...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[連載 6]
15 分類すること(名付けること)と配置すること 15-3 バベルの塔としてのCIAM 近代都市計画の原点ないし聖典のようにいわれてきた『アテネ憲章』が会議から一〇年を経て出版されたものであることは前回に述べたが、それは本当にアテネ会議あるいはそれ以前のCIAMの議論を要約し、合意された憲章であったかのような印象を事...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.198-211
[連載 9]
17─4 アパルトヘイト都市? 近代都市計画の最も基本的な構成要素を、面と線、つまりゾーニングの画定とそれらをつなぐ近代的インフラの整備とすれば、それが最も体系的に実践されたのは、ヨーロッパにおいてよりは植民地においてであったのではないか? 少なくともフランスにおいては(あるいは日本においても)これは該当している。近...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199
[連載 10]
19 植民地都市の政治学 19-1 他者たち(3)──カスバの魅惑 一九六〇年の東京世界デザイン会議はメタボリズム・グループの旗揚げとなったことでも知られているが、このキックオフのためにメタボリスト大高正人と槇文彦がデザインした新宿の群造形のプロジェクトが発表された時、そこには他の集落とともにカスバの空中写真が掲載さ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[神戸]
プログラム・デザイン・プロジェクト(pdp)は、神戸芸術工科大学大学院のプログラム★一。学科間を横断してインターディシプリナリーなテーマに対して、モノやプログラムを作成するプロジェクトとするもの。現在「変形地図(talking maps)」をテーマに研究活動を進めている★二。プロジェクトにはゲストリサーチャーとして内外...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.172-183
[図版構成3]
この二〇〇年来、グローバルな規模で急速に都市化が進んでいます。一八〇〇年頃は全世界の一〇億人の人口のうち二パーセントが都市に暮らしていましたが、二〇〇〇年には約六五億人にのぼる全人口のうち五〇パーセント近い数字になりました。さらに二〇五〇年には、全人口約八五億人のうち約七五パーセントが都市に暮らしているだろうとされてい...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.164-167
[技術と歴史 12]
山名善之──ジャン・プルーヴェは、家具デザイナー、エンジニア、プレファブの始祖という言い方がされてきています。もちろん、彼のデザインは個人の卓越した才能によって生み出されたものであります。しかし、プルーヴェに対する私の興味はそこだけに留まらず、彼の制作態度が二〇世紀という時代においていかに実験的であったかというところま...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.252-262
[技術と歴史 11]
省エネルギーの多様化 建築においても、「持続可能性(サステイナビリティ)」が重要な概念となってきましたが、サステイナブルという言葉の定義が必ずしも明確なわけでは...「アメリカの建築は配管工がつくった」というアドルフ・ロースの言葉は象徴的です。その技術の恩恵...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.180-189
[技術と歴史 3]
一九世紀的建築観の転倒 今日は「技術と装飾」がテーマですが、私にとっての装飾と技術との問題は、近代の問題と関わっています。装飾は近代とは二律背反のものであり、さ...がなされるわけです。一九〇八年にウィーンのアドルフ・ロースが有名な「装飾と罪悪」というエッセ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.177-187
[連載 4]
11 建築か革命か 「建築か革命か」、いうまでもなく、『建築をめざして』の最後の文章である。この真ん中の「か」は、フランス語の「ou」つまり英語の「or」であり、そこだけだと「すなわち」という意味にもなりえる。「建築すなわち革命」、ロシア・アヴァンギャルドの文章であったら、そう訳さねばならないが、ル・コルビュジエはそれ...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.159-176
[現代建築思潮]
「批評」は必要なのか? 今村──今度始めようとしている「現代建築思潮研究会」には、「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフがまずあります。そして、そこにはとりわけわれわれの世代は上の世代と比べて言葉が弱いのではないかという前提があります。したがって、『10+1』誌の他のページとの違いは、この研究会の主体は、周...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[論考]
...テリアルの被覆の原則を追求した、「装飾家」アドルフ・ロースのラウムプランにおける室内空間の分... ...ロミーナ『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』(松畑強訳、鹿...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.184-191
[都市表象分析 19]
1 雪岱の東京 ゆきて還らぬなつかしい面影──。 鏑木清方が『小村雪岱画集』に寄せた言葉である。 雪岱は泉鏡花作品の装幀挿絵で知られている。独特に様式化されたその美人画から「最後の浮世絵師」と呼ばれる一方、邦枝完二の『おせん』、『お伝地獄』といった新聞小説のために描いた単色挿絵には、オーブリー・ビアズレーに通じる感覚も...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.2-12
[集中連載 1]
なかんづく、近代ヨーロッパ人は、この遊星をとはいえないにせよ、少なくともこの遊星の各地帯を、一様化しようとする仕事にしたがう疲れを知らぬ職人である。 ポ...ーン・トラスト」のメンバーであった経済学者アドルフ・バーリ(『近代株式会社と私有財産』原著一...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.169-179
[蒐集(コレクション)の曖昧な対象 3]
...当にそんなに単純な話なのだろうか? なるほどアドルフ・ロースは、虚飾と偽善に満ちた表層を批判し... ...る哀悼劇を辿ることができるだろう。 ★四──アドルフ・ロース「被膜の原則について」(『装飾と罪...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.28-30
[都市とモードのフィールドノート 3]
現代日本の建築とファッションは元来西洋から輸入されたものである。 それぞれ経緯は異なるにせよ、長い間かかって人々が生活や歴史の蓄積のなかで醸成した文化を駆逐する...のなのだろう。 「装飾は罪である」というのはアドルフ・ロースの有名なテーゼである。ロースの同名...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.37-39
[CONCEPTUAL 日本建築 4]
19 土台 Sill(DODA'I = foot lyer wood): Civilization stage of wooden building 木造建物の「文明」段階 青森の市街南陵に三内丸山遺跡が発掘されたのは一九九四年のことだ。直径一㍍余におよぶ巨大木柱六本の痕跡などもみつかり、C₁₄測定によって縄文...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.220-233
[集中連載 2]
4 人文地理学的空間 前回にル・コルビュジエが「フランスの植民地事業への支持を隠さなかった」というコーエンのことばを引いたが、フランスの地理学も植民地事業と切り...ば、ウィーンのアンファン・テリブルであったアドルフ・ロース(やはり人種的な進化論を論じた)に...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.194-207
[連載 5]
知の宮殿「ムンダネウム」14 14-4 クライアントと建築家:奇妙なチャートあるいは機能主義 ムンダネウム─世界都市のプロジェクトの敷地は、国際連盟本部の敷地にほぼ隣接している。もともとオトレの構想は国際連盟のそれと連動していたし、彼はその方面にも有力な関わりがあったから、敷地の選択がこうであったのは偶然ではない★一...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.158-174
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 5]
大極殿の発見 奈良の平城京、とくに天皇による政(マツリゴト)の中心施設であった大極殿(ダイゴクデン)の位置同定には、もはや伝説とも言うべき逸話が存在する。 平城...はやとりかえしのつかない)状態をロッシは、アドルフ・ロースの言葉によって表現している。それは...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.13-25
[都市とモードのフィールドノート 4]
建築とファッションの境界が揺れ動いている状況を見てきた。 表参道や六本木には有名建築家の手になるブランドの旗艦店が林立し、そこは高価な商品とともに現代建築をも消...かしそれはサイズの問題でしかない。たとえばアドルフ・ロースは「被覆の原理」というエッセイで、...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.34-36
[論考]
1 身体・イメージ空間の襞 一九六〇年代にマーシャル・マクルーハンが『メディアの理解』で電気メディアを身体外部への中枢神経系の拡張であると述べるのに先だち、二〇...ァサードによって外部へは何も語ろうとしないアドルフ・ロースの建築は、過剰刺激に対する防衛機制...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.70-79
[千年王国論(三)]
千年王国と公共領域 「ポストヒストリー」、即ち歴史に停止命令が出されたことによって、あるいはそう装うことによって千年王国が現出した。ポストモダン建築は多く復古的...世紀末のウィーンで活躍したウィーンの建築家アドルフ・ロースに「ポチョムキン都市」という有名な...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.169-175
[図版構成]
それぞれの時代に構想された無数の都市(ユートピア)のプロジェクト。実現し得なかったそれらの「未完の都市」の壮大な実験場は、それぞれの時代の都市の現実を逆照射しながら、都市への欲望をストレートに表明している。ルネッサンス期に描かれた「理想都市」のみならず、そうした未来の都市へのパースペクティヴには、時としてレトロスペクテ...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.152-168
[論考]
世界軸1──一八七五年 宗教的人間にとって 空間は均質ではない。 ──M・エリア─デ★一 その日、あらかじめ屋敷は入念に掃除されていたのだが、教祖(おやさま)がまず先に庭の中を歩いたところ、ある一点において足がぴたりと地面にくっついて動かなくなる。教祖がその地点にしるしを付け、続いて、信者たちは目隠しをしながら歩...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.90-109
[批評]
ウィリアム・ギブスンが、そのディストピア(反ユートピア)的なSF小説『ニューロマンサー』(一九八四)の中で、サイバースペースと呼ばれる新しい情報ネットワーク、あるいはコンピュータ・マトリクスが上空五◯◯◯フィートから見たロサンゼルスのように見える、と言った時以来★一、コンピュータ・ネットワークのヴァーチュアル・スペース...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.92-108
[論考]
...「シトロアン住宅」第2案 5 連続体の表現 アドルフ・ロースの《ミュラー邸》(一九三〇)[図13]... ...く素地がロースの住宅には見てとれる。 13──アドルフ・ロース《ミュラー邸》 夫人の部屋の床上げ...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.111-120
[批評]
1:「初めての」絵画 発端となる絵画[図1]では、画面を水平に二分するような明暗の中にいくつかの物が配されている。表面の艶やかな水平面に置かれた一つの白いキュー...形原理として論じられ始める。ドイツの美学者アドルフ・ツァイジングは、『美学研究』(一八五五)...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.77-94
[批評]
ル・コルビュジエが白い服をたえず褒めたたえたのはもちろん、色彩の過剰を攻撃していたからである。『今日の装飾芸術』で彼は白く塗りつぶすことを実に熱心に宣伝し始めた...ルシテクシュール・ヴィヴァン』のある号で(アドルフ・ロースの白い住宅とともに)発表されたので...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[批評]
F・ド・ピエールフウは「五分間に一人の割合で、フランス人は結核のために死亡している」と一九四二年に出版された『人間の家』で報告している。共同執筆者であるル・コルビュジエは、この本の挿絵として、小学生──彼らはおそらく「貧民窟」と名付けられ『輝く都市』に掲載された、絶望的で空虚な視線をカメラに向けている写真の中の子どもの...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.181-190
[批評]
1:図の力 建築に使用される図は二つの側面を持っている。第一の側面は、建築家によって構想された三次元空間のイメージを二次元の図に翻訳し、図の読み手に伝達すること。この場合、読み手の解釈は作家の伝達内容を正確に理解することにある。第二の側面は、その形態イメージを読み手に伝えるだけでなく新たなイメージを提起することである。...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.171-180
[批評]
...ギーディオン的な「永遠の現在」でもなければアドルフ・ロース的な「現在のユートピア」などでもな... ...頁。 ★二○──この点で、ル・コルビュジエがアドルフ・ロースの「文明人は窓から外を見ない。彼の...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.154-170
[批評]
アリストテレスもマルクスも、建築術について異口同音に述べている──「建築家は、まず、心のなかに建てる」。 しかし、このような「心のなかの建築」は、けっしてアプリオリの所与ではない。建築の観念もそれを実現する主体も、歴史的に形成されるものである。ル・コルビュジエの制作世界も、西欧の歴史に深く投錨されていた。科学技術の時代...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.113-122
[批評]
...スはそのシンボルともいえる存在だったのだ。 アドルフ・ロースやヨーゼフ・フランクといった建築家... ...オーストリア代表として出席している。 13──アドルフ・ロース《ホイベルクの集合住宅》 Modern Architect...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.174-184
[批評]
I. 社会構造が大きな変換を遂げようとする渦中において今世紀が総括され、社会と芸術間の新たな美学的課題が模索されつつある今、特にヨーロッパにおいて今世紀の創造的ジェネレーターとしてバウハウスの存在が掲げられることが多い。今世紀前半、二つの大戦間のワイマール共和国においてワイマール、デッサウ、ベルリンと転移を重ねながら存...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.166-173
[批評]
今回の特集において、ル・コルビュジエの階段にどのような位置づけが期待されているのかは不明だが、特集のコンセプトに「リアルヘの回帰の九〇年代におけるミニマリズム」...う。 ビアトリス・コロミーナが指摘するようにアドルフ・ロースは、大都市のショック体験から私的な...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.112-114
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物...の書いた『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュジェ』(松畑強訳、鹿...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[論考]
...郎+野伏武彦《神武寺の家》2000 撮影=大野繁アドルフ・ロースの被覆 建築家に課せられた課題とは、... ...覆をめぐるロースの第一の戦略である。 3──アドルフ・ロース《シュタイナー邸》1910 出典=『建築20...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.100-109
[論考]
ローマでの体験 1999年の12月から2000年の1月にかけて、私は仕事の関係でイタリアにおける建築物の保存・修復について調べるためにICCROM(文化財保存修復国際研究センター:ローマにあるユネスコの機関)に行っていたのだが、私はそこで二度、90年代のアーバニズムに特有な状況を体験した。最初は、新東京国際空港から旅客...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105
[批評]
...家──そこには動的な視覚を重視した彫刻家のアドルフ・フォン・ヒルデブラントや、シュマルゾーが... ...学的なものへと傾いていったことについては、アドルフ・ハインリッヒ・ボルバインが彼の哲学的考察...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154
[批評]
「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」★一。吉本ばななの『キッチン』の冒頭で、主人公はこう言っていた。おそらくこれは物理的、心理的に家族と向き合う家庭...トやヘンリー・テッセナウに学び、卒業後は、アドルフ・ロースのもとウィーン市営住宅の設計に関わ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.180-187
[論考]
日本を訪れた者は、現代の日本の都市はカオスであり、中には実にすばらしい建築があるにもかかわらず、全体的に美しくデザインされていないと感じるはずだ。 これは最近の意見ではなく、早くも一九三六年にブルーノ・タウトが述べたものである★一。日本の都市空間を理解せずに西洋の理論を押し付け、日本の都市環境を「改善」しようと試み...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.143-148
[論考]
焦土の幾何学 「あーきれいだ、絵画的だなー」★一。 疎開先の山梨から東京に戻り、強い夕日を受けた褐色の焼跡を見て、甚だけしからないことだと思いつつ、東京帝国大学教授の岸田日出刀はこうした感想を抱いた。彼にしてみれば、戦前の「街の姿のあまりの醜さを毎日みせつけられてウンザリしていた」し、防空の観点から木造都市の危うさをさ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129
[批評]
...判し、近代建築のフランク・ロイド・ライト、アドルフ・ロースに始まりグロピウス、ミース・ファン... ...ルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、アドルフ・ロース、ルートヴィヒ・ヒルベルザイマーに...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[批評]
都市社会学者ヴァルター・プリッゲは、ヴァーチュアル・シティが約束する新たな都市性を探究している。ラディカルな変化の可能性は、今やヴァーチュアルな空間に開示され、最早、公共のための文化ではなく、公共による新たな文化が約束されている。しかしこのような未来の可能性は、いまだに古い構造の中に捕われている。果たして、デジタル・ア...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.81-89
[批評]
コーリン・ロウは、『アーキテクチュラル・レビュー』誌一九四七年三月号で、ル・コルビュジエの「スタイン─ド・モンジー邸」(一九二六─二七)の平面とパラディオのヴィラ・マルコンテンタのそれを比較し、世界中の注目を集めた。そのことに刺激され、このル・コルビュジエのヴィラは数多くの研究者の研究対象となったのである★一。しかし、...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.191-197
[批評]
ここで取りあげるのは、シャルロット・ペリアンがル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレと共にデザインをした家具と、二人のインテリア全般のアプローチに与えた彼女の影響である。彼女は第二次世界大戦の初めにコルビュジエのアトリエを離れたが、そのままアトリエと緊密な関係を続けていた。その家具は今日再び生産されているが、現代の工業...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.227-234
[批評]
もっと本物の光をつくれ──ここは教会じゃないぞ、地下鉄の駅なんだ! ──ラザール・M・カガノーヴィチ☆一 『美学』第三巻でヘーゲルは「独立自存の象徴的建築」について記している。このカテゴリーの建物を建てるために、ある特定の時代には一民族すべての力を要した。この建造物は最高のものそれ自体(まだ精神にはなっていない、神、...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.150-163
[批評]
クロス「何を相手にしてるかわかってるつもりらしいが、きみはな、わかってないぞ」 ギテス「チャイナタウンで地方検事も俺にそう言ったもんですよ」 ──『チャイナタウン』一九七四 ポストモダン都市の状況を理論化するにあたり、数人の男性論客がフィルム・ノワールの探偵のペルソナを採用していることについて、少なくともひとりのフェ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.195-207
[批評]
1 軸線と権力 一九八〇年から続けられているダニ・カラヴァンのプロジェクト「大都市軸」[図1]は、パリの西北に位置する町セルジ・ポントワーズに設置された一二の滞留地点からなる、大地への全長三キロに及ぶ直線の書き込みである。夜間にはこの滞留地点の端と端がレーザー光線で結ばれ、パリに向けて延びる軸の存在を可視化する。このよ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.92-103
[対談]
〈線〉の思考あるいは「郵便空間」への接続 田中──本号の特集テーマには、面積をもたず、かつ点ではない、つまり運動の軌跡であり、明確な領域性をもたない非場所的な対...そこから装飾をフェティッシュとして攻撃するアドルフ・ロースの装飾否定論も出てくる。しかし、こ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91
[批評]
...ろう。例えば、少し時代は下るが一八七五年にアドルフ・ブラウンが撮影したパリ・オペラ座の写真に... ...主要な被写体のひとつでありつづけた。 3──アドルフ・ブラウン《パリ・オペラ座》18754──同上(拡...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.230-241
[図版構成]
1499年、ヴェネツィアで出版された作者不詳(フランチェスコ・コロンナ修道士?、1433─1527)の物語『ポリフィリア(Poliphilo)の夢』は瞬く間にヨーロッパ中を席巻し、その後のさまざまな建築像の源泉のひとつとなった。というのも、主人公ポリフィリアによるヒロインを求める道程を描いたこの物語が、その途上で出会う...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.214-225
[White Page]
インフラストラクチャーといえば、電気、ガス、電話、水道、道路、鉄道……などが頭に浮かぶ。モノとしてひとつながりで、私達の生活の細部にまで行き渡っており、日々の生活を支えているもの。私達はこうしたものをインフラストラクチャー(インフラ)と呼んでいる。ここでモノとしてひとつながりであることは、インフラを成立させるための十分...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.120-123
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わ...とセクシュアリティをめぐる論考がある(特にアドルフ・ロースやル・コルビュジエ)★25。また、クロ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[対談]
神経系都市論の問題設定 田中──今回の特集は「神経系都市論」という耳慣れないタイトルをつけていますが、どういう発想で考えたかについて話したいと思います。キーワー...をめぐる近代建築の考え方が現われる直前に、アドルフ・ロースは建築を完全に内と外に分け、内部は...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.54-69
[論考]
建築における、その理論と実践(現実)の乖離——このような傾向が露になってきたのは一九世紀半ばからの建築を含めた美学に起因するであろう——を嘆く者。いや、理論が現...シティ』註 ★一——ピーター・アイゼンマン『アドルフ・ロース、ベルトルト・ブレヒトに』(『a+u...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.158-168
[対談]
...り図が生まれたといえるでしょう。ホラインはアドルフ・ロースを意識したアイロニカルな列柱、ボッ... ...うという有様になっちまったんですね。かつてアドルフ・ロースが「ポチョムキンの都市」でハリボテ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[図版構成+論考]
黒の製法 1──黒顔料の製造機械 一五二一年チェザリアーノによるウィトルウィウス解説図 「まず、黒色顔料について述べよう。(…中略…)小さい炉がつくられ、(…...ョンもあり、鮮やかに白黒が反転する 1112──アドルフ・ロース 《ジョセフィン・ベーカー邸》(一九...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229
[対談]
...み手の内面に還元しちゃったんだと、ちょうどアドルフ・ロースの役割に匹敵すると思えるんですね。 ... ...ると思うのですが。 岡崎──しかし朝倉文夫はアドルフ・ロースが攻撃したヨゼフ・ホフマン、いやオ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.197-210
[鼎談]
均質空間の崩壊 鈴木了二──「美術」と「建築」というテーマが設定されているようですが、建築には実は、どこからどこまでが建築っていうような枠組みはないんじゃないか...まる建築家が出てくるんじゃないでしょうか。アドルフ・ロースなんかはそのひとりだよね。ほかのと...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.54-72
[論考]
ポストモダニズムと後期モダニズムは過ぎ去ってしまった。第二のモダニズム、デコンストラクティヴィズム、ニュー・シンプリシティといったなかで、何にもまして生き長らえ...。さらに、装飾は──メソポタミアの古代からアドルフ・ロース(彼の同時代人はすでに装飾の不在を...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.160-166
[論考]
建築は基礎(基壇)でしっかり地面にインプラントされて身動きできない存在だから、何らかの手だてで代理的イメージを制作して流通させないことには、より広い世界を獲得す...むなしく効力が相殺されて同質化する。かつてアドルフ・ロースは自身の作品の写真うつりが悪いこと...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.105-116
[インタビュー]
「任意の数の中心から成る星雲における」都市の爆発を確認しながら、ジャン・ヌーヴェルはこの現状を受け入れ、建築を世界の修正と延長として定義する。彼は、他の概念的なアプローチに、古典的な構成の原則の代わりをさせる。そうしたアプローチでは、光、ずれの概念、映画的なシークエンスのような基準が介在する。それらは、プラハやベルリン...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.56-59
[批評]
われわれは自宅でさまざまな形でエネルギーを享受しているが、それに支配されていると考えたことなどない。同じように、将来さらに速く変化し変容するこうしたエネルギーを享受し、それらを知覚し統合するわれわれの感覚器官が、それらからわれわれが知りうるすべてを成し遂げることも当然のことのように考えている。果たしてこれまで哲学者たち...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.78-87
[批評]
...四、邦訳『マスメディアとしての近代建築──アドルフ・ロースとル・コルビュ ジエ』、松畑強訳、鹿... ...す見る機械であったことをル・コルビュジエ とアドルフ・ロースの建築にのっとって、論証する。その...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.84-85
[批評]
美術館は巨大な鏡である。その中で人は、最後にはあらゆる面から自らを見つめ直し、自分自身が文字通り賞賛に値すると知り、そしてあらゆる芸術雑誌に表現された恍惚感に自らを委ねる。 ──ジョルジュ・バタイユ「美術館(ミュゼ)」 ジェームス・スターリングの建築に関する最近の論文で、コーリン・ロウは、シュトゥットガルトの新しい《...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.180-190
[批評]
...」を発表したウィーンの建築家にして理論家、アドルフ・ロースであった。モダニズム建築の反装飾的... ...論1──アドルフ・ロース 低所得者住宅のためのプロジェクトウィーン、1920年代頃2──アドルフ・ロー...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.155-160
[図版構成]
身体劇場──形式と空間 演劇やダンス、パフォーマンスを総合して〈舞台芸術〉、あるいは〈パフォーミング・アーツ〉と呼ぶとき、それらの共通項として主題化されるのは、『身体と空間」であると言えるだろう。逆に言えば「身体と空間」について思考しようとするとき、くパフォーミング・アーツ〉は建築と並ぶ重要な領域を占めており、かつ「身...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.143-154
[批評]
...ける衛生の預言者として、いまひとりの存在、アドルフ・ロースが努めて示そうとしているのも、二〇... ...・グリーナウェイ『建築家の腹』19875678910──アドルフ・ロース《ルーファー邸》1922玄関ホール11──マ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.100-119
[翻訳]
一九世紀末にヨーロッパの大都市が急成長し、伝統的な都市は 大 都 市 (グロース・シュタット)あるいはメトロポリスとして知られる都市形態に変わった。この変容によって、モダニズムと前衛というきわめて重要な文化が生み出されただけでなく、社会学、心理学、政治地理学、精神分析といった新しい学問分野に基づいた、新しい都市...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.80-99