1966年生まれ。東京工科大学デザイン学部准教授/美術批評、文化批評。東京工科大学デザイン学部。
(最終更新:2010年4月1日)
[集中連載 1]
...、展示総括を行なったことも数え上げられる。暮沢剛巳によれば、彼は一八六七年の万博では、「網羅... ...家」とは明確に一線を画している。 ★二〇──暮沢剛巳「万国博覧会の美術館」(「変容するミュージ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.169-179
[論考]
Q──次回の横浜トリエンナーレ(浜トリ)の開催が近づいてきたね。 A──うん。二〇〇八年九月一三日開幕だからもう一年もない。今回は二〇〇一年、二〇〇五年に続く三度目の開催で、総合ディレクターに水沢勉を迎えて、「タイムクレヴァス」(時の裂け目)というテーマを掲げているそうだ。参加アーティストの選考にはハンス=ウルヒッリ・...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.128-129
[論考]
Q──最近、六本木アート・トライアングルってよく聞くけど、あれって何のことなの? A──ここ数年、六本木には立て続けに大きな美術館が開館したじゃない? そのなかでも、六本木ヒルズの森美術館、乃木坂の国立新美術館、それに東京ミッドタウンのサントリー美術館の三館を結んだネットワークのことだよ。それぞれ運営母胎が違うので、今...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.132-133
[ブック・レヴュー]
自分の乏しい海外体験を暴露するような話だが、今にいたるまで、私はロサンゼルスを訪れたことがない。この都市について知っているすべての情報は、メディアや伝聞を通じて間接的に仕入れたものにすぎないし、『ブレードランナー』の中に実現されたサイファーパンク・シティや、「ヘルタースケルター」展に象徴されるキッチュでグロテスクなアー...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.30-31
[論考]
一九五七年、シチュアショニスト・インターナショナル創設の前夜、ギー・ドゥボールは二つの異色なパリの地図を制作した。彼の友人でもあったデンマーク人画家のアスガー・ヨルンの助力を得て作られた『恋愛の情熱についてのディスクール』は独特の折り畳み地図であり[図1]、一方の『ネイキッド・シティ』[図2]はヨルンの一九五八年のパン...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.85-92
[論考]
ポストモダニズムと後期モダニズムは過ぎ去ってしまった。第二のモダニズム、デコンストラクティヴィズム、ニュー・シンプリシティといったなかで、何にもまして生き長らえているのはヴァーチュアリティにほかならない! ロバート・ヴェンチューリの小屋の装飾★一は、たとえその形態が変容を蒙っているのだとしても、情報建築として終末論的な...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.160-166
[制度─都市]
...建築社)。 ・OMA, S, M, L, XL, 010 Publishers, 1995. ・暮沢剛巳「変容するミュージアム──21世美術館研究」10...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.144-147
[建築の還元 1]
1 〈交通問題〉としての近代、および建築 ひとつの表現をなすことの、恐らくはきわめて現在的で共同了解的な認識であるに違いないのだが、長い間、私は自らを建築につい...できない。 註 ここでの思考は、瀧本雅志氏、暮沢剛巳氏、五十嵐光二氏との、連夜にわたるトークセ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.2-12
[建築を拓くメディア]
本稿が活字になる頃にはすでに開幕しているはずなのだが、「愛・地球博」(以下愛知万博)が一向に盛り上がる気配を見せない。スタジオジブリが「トトロ」の民家を再現するといった散発的なニュースこそ聞かれるものの、景気のいい話はほぼ皆無、会期が近づいていると実感するのは、時折NHKでイメージキャラクターのモリゾーとキッコロを起用...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.144-145
[論考]
公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政治思想がすべて自明の公理としていた区別である。 ハンナ・アレント「公的領域と私的領域」 単なる建築の域にとどまらない超建築的、アート的な都市プロジェクト...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141