1951年北海道生まれ。83年、コロンビア大学修士課程修了。83−89年、アイゼンマン・アーキテクツに勤務。91年、丸山アトリエ設立。芝浦工業大学、東京家政学院大学非常勤講師。共訳書に、デニス・シャープ『合理主義の建築家たち——モダニズムの理論とデザイン』(彰国社、1985)、A・ツォニス+R・ルフェーブル『古典主義建築——オーダーの詩学』(SDライブラリー、1997)。共著書に『ジュゼッペ・テラーニ』(INAX出版、1998)などがある
その回帰
ヴァン・ゴッホはその画業において、晩年に至ってもなおミレーをはじめとした先行する数人の画家の作品を模写し続け、その構図にのっとって自らの作品を構築していったことが知られている。それは創造というよりは翻訳の作業に近いものだったのかもしれない。ミレーの構図に依拠しながら印象主義以後の独自な色彩理論を画布に刻印していったゴッホは、あたかも小さな穴を掘り続けていって開けた場所に到達するようなその作業の果てに、ミレーという通路を通って西欧絵画史を相対化するような別の場所に到達することになったように見える。ゴッホのこの作業は、差異が反復を前提にするということ、新しさが反復を条件とすることを示してはいないだろうか。
もちろんここで、建築家丸山洋志をゴッホになぞらえるつもりがあるわけではないのだが、丸山洋志の仕事は、つねにコーリン・ロウとピーター・アイゼンマンの仕事を読むことから始まり、彼らの仕事を参照し、そこに回帰する。どこか外部の別の場所に新しいことが潜んでいるのではないかという幻想をしりぞけ、ひたすらロウとアイゼンマンのテクストの内部に留まりながら、丸山洋志はまるで細工師のような緻密な手つきでそれらを読み換えていく。そもそもロウによる論文「理想的ヴィラの数学」(一九四七)★一は、歴史における同一性と差異のねじれた関係を主題としていたのだった。つまりロウはパラディオとル・コルビュジエの平面に同一の幾何学的形式を見出し反復性を指摘しながら、その反復の内部で決定的な差異が生じていることを論証してしまっているからだ。丸山洋志は「『透明性』の内部」★二において、パラディオにおける平面図の役割が意味と実体の自然的連続性を体現することにあったとすれば、ル・コルビュジエの《ヴィラ・ガルシュ》では悟性と知覚の齟齬を媒介する役割を果たすものとして幾何学パターンが使われていると指摘し、パラディオからル・コルビュジエへ至るあいだの本質的な転位をロウが論証していたことを跡づけている。アメリカにおける一九八○年代から九○年代にかけての建築・都市理論の試みは、いかにロウから脱出するかという主題のもとにあったが、結果としていかにロウの外部に出ることが困難であるかを彼は指摘している。その中で彼は、ロウとアイゼンマンのテクストの内部に留まりながら、あたかも誰にも気づかれないようにして差異を産出しようとしている。
その言説
丸山洋志は、自らの作品について語ったことが一度もない。正確に言えば自らの作品を記述したことがない。自らの作品を語る言葉は、時に別の作者に対する批判的な言及に横滑りし、そしてつねにカント、コーリン・ロウ、ピーター・アイゼンマンへと回帰し、反復、冗長さ、飛躍を伴いながら決して作品に到達することがない。滑稽でパフォーマティヴ、哄笑に満ちた彼の言説、ほとんど冗談と言ってもいいはずの彼の言説は、客観的現実というイデオロギーのもとに建物を記述することを避け、実体と現象との一致関係にあると思われがちな建物の物理的存在を撹乱させる効果をもつ。建物と言説、異なる系列に属するこの二つの要素は、互いに相容れることなく無関係に、それでも一方が他方の背景ないしは環境となって奇妙に併存している。しかしそれは、理論的な建築家による必要以上に難解さの意匠をまとったディレッタンティズムとは明らかに一線を画している。なぜならそれは決して一般的な意味で理論的ではないからだ。建物の根拠を構成する理屈を構築することが理論だとするならば、丸山洋志の試みは、建物と言説が支え合い根拠付けあう構図を転倒することを指向しているのだから。奇妙なこの齟齬、共約不可能性の中に丸山洋志の試みの中心がある。その態度は、多くの現代日本の建築家、例えば塚本由晴のようにデザイン・プロセスから立ち上がった建物の建ち方に至るまで記述しようとする意志をもつ場合と対照的のように見える。
その建築
丸山洋志の建築に空間を読み込もうとする視線はとたんに行き場を失ってしまう。ここには空間を問題化する余地はほとんどない。丸山洋志自身も語るように、空間を問題化することが可能になったのは、記号と対象、身体像と実身体との内在的な齟齬、運動を見ないことによってである。空間とは観念論の産物であり、唯物論的フォーマリズムの戦略においてはむしろ解体されるべき対象である。記号と対象、身体像と実身体とのそのような齟齬、運動を積極的に露呈させようとする試みにあっては、空間の潜在性を汲み尽くすことだけが問題となっているのだ。空間が特定の像を結ぶ直前で立ち止まり、次の運動へと引き継がれてしまい、像形成が延期される。それはとりわけ写真によって丸山洋志の建築を追体験するという経験において強く生じる現象だ。丸山洋志の建築は、写真のもつ再現機能を機能不全に陥れる。例えば《Slant glance/house/Slope ground》(一九九九)は、建築面積五○平方メートルほどの比較的小規模の住宅だが、そのスケールを写真から正確に推し測ることは難しい★三[図1・2]。田中純は、丸山洋志の《noW o men House》(一九九七)[図3・4]をめぐって書かれた「人間以前の風景としての建築」において、写真では上下の認識が不可能になることを指摘している★四。重力による——上下の区別が確固としてある——身体感覚を欠くがゆえに、写真は錯誤を生じさせるというわけである。建築は上下の位置関係や空間感覚の統制をはずされてばらばらに存在している。それらの断片をかろうじてつなぎとめているのが光と重力である。空間の内部に光と重力があるのではない。空間は事後的に構成されるのであり、光と重力が満たされた中に空間が派生するのだ。
丸山洋志はある意味できわめて即物的な建築家である。概念を物質に翻訳したり投影したりすることを禁欲的に抑制する建築家は、建築が感覚存在として即自的に存在するという事実を知り尽くしている。ジル・ドゥルーズにならっていえば、物質は知覚される以前に運動するイメージとして存在している。ちょうど映画においてそこに動いている対象が何なのか認識されなくても、それ以前に当初からイメージとしてそこに存在しているように。対象を同定することなく、確固として存在する物質=イメージ。建築家とは、概念とそっくりうりふたつの実在を制作する者のことである。
註
★一——コーリン・ロウ『マニエリスムと近代建築』(伊東豊雄+松永安光訳、彰国社、一九八一)所収。
★二——丸山洋志「『透明性』の内部」(『モダニズムのハードコア——現代美術の地平』批評空間臨時増刊号、太田出版、一九九五、二九八—二九九頁)。
★三——『住宅特集』一九九九年一二月号(新建築社)。
★四——田中純「人間以前の風景としての建築」(『住宅特集』一九九八年一月、一一三頁)。
1──《Slant glance/house/Slope ground》
撮影=平井広行
2──同、外観
撮影=平井広行
3──《noW o men House》
撮影=平井広行
4──同、外観
撮影=平井広行