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ファッションと建築の近さについて | 成実弘至
On Fashion and Architecture | Hiroshi Narumi
掲載『10+1』 No.34 (街路, 2004年03月発行) pp.37-39

現代日本の建築とファッションは元来西洋から輸入されたものである。
それぞれ経緯は異なるにせよ、長い間かかって人々が生活や歴史の蓄積のなかで醸成した文化を駆逐する形で、近代以降に性急に根づかせてきたという事情はだいたい同じだろう。もちろんそのなかでさまざまな折衷や異種混交が試みられてきたし、そのような雑婚からしか文化というものは育たないということも事実だ。
しかし「もの」は使用する人々の日常生活の身体性、さらにその場所の気候、風土、文化、政治、産業などの社会的背景と不可分に結びつきながら、均衡のとれた有機的な世界を構成する。それをひとつの合理性によって強引に切断するのがモダンデザインの思想だとするならば、近代日本の日常生活はこの思想をそっくり実現した場所に成立してきた。それはある意味で不自然な場所である。
たとえば一般に着物は自由に動けないし着こなしが難しいので、活動的なライフスタイルには向いていないと考えられている。対して洋服は機能的・実用的なので受け入れられたのだ、と。しかし本当にそうだろうか。明治以前の日本人が活発に運動しなかったかというと、そんなことはあるまい。むしろ現代人以上にからだを動かしていたはずだ。
かつては着物を用途に合わせて自由に着こなす技法があり、それをよしとする社会規範があった。動きにくければ諸肌を脱いだり尻からげをすればよく、だれもそれを非難しなかったのだ。女性だってすこしくらい肌が見えてもOKだった。そもそも床座が基本の日本家屋では着物は洋服よりも身のさばきがよいものである。住居が洋風化し、椅子式の生活が普及するにつれて、着物もまた本来の実用性を失っていく。逆に洋服の普及が西洋的な空間を人々の身になじませていったのではなかったか。
 

建築はなぜファッションを嫌うのか

このように考えると、ファッションと建築の間に共通する部分があるのはもっともなことだ。むしろその共通点はより本質的な問題なのかもしれない。
両者はその形態からして似ているという主張がある。かつて服飾史家ジェイムズ・レーバーは『Style in Costume(衣服の様式)』というユニークな本のなかで、ある時代の服飾と建築の様式を並べてその形の類似を証明しようとした。たとえばゴシック建築の尖塔と一五世紀の女性たちのヘッドドレス「エナン」は両方とも鋭い円錐形をしているし、一九世紀ロンドンのパクストンが設計した《水晶宮》と、当時流行していたクリノリン・ドレスは、鉄骨フレームによって空間を構成するという発想において共通するといった具合である[図1・2]。レーバーによると、衣服や建築の形はたまたまそうなったものではなく、ひとつの時代精神の異なる現われなのである。
今井和也はこの考えをさらに拡張して、古代から現代にいたる建築とファッションの形の類似性を検証している。なんと今井は古代エジプトのピラミッドの三角形と人々の巻いている腰布やエプロンの三角が相同形であると指摘する。ここまでくるとややこじつけめいているが、確かにそう見えなくもない。
もし建築とファッションが世界を構成する同じ力の一部であるとすると、身体を収容するために布を使うか、木や石を使うかの違いということになる。しかし洋服も西洋建築もからだを通して生きる経験の乏しかった日本人には、その有機的なつながりは見えにくいものであった。
もっとも欧米の建築家もファッションを蔑視してきたことを忘れるべきではない。
近代建築家がもっとも攻撃したものは一九世紀の装飾様式である。マーク・ウィグリーによると、ル・コルビュジエが発表したマニフェスト『建築へ』は旧弊な様式を峻拒するのに、その具体例として流行の女性ドレスを挙げているという。すなわち近代建築は装飾的で女性的なファッションを「他者」として対置しながら、無装飾で男性的な自己アイデンティティを構築したことになる。サイードの『オリエンタリズム』を例にとるまでもなく、これは典型的な西洋の思考法である。逆説的に言うと、ファッションは建築にとって近親憎悪的な、何か鏡像のようなものなのだろう。
「装飾は罪である」というのはアドルフ・ロースの有名なテーゼである。ロースの同名論文はまさに近代建築の出発点のひとつだが、ここでも装飾的な身体──タトゥーをした水夫やドレスをまとう女性──が、理性=文明に対する野蛮=未開として措定されている。理性の人たるジェントルマンが無装飾なスーツを着るように、建築もまた無装飾でなければならないのである。
ロース自身がロンドンまで出かけて高級な注文服を作らせるようなダンディだったという話を聞いて、なんとなく腑に落ちたことがあった。歴史的に見て、スーツはからだの運動性を確保しつつ、プロポーションをある定型へと構築しようとする衣服である。その形態は単に実用性を重視するのではなく、身体のもっとも美しいバランスを追求してきた結果なのだ。ダンディズムの美学とは、無装飾でありながら完璧に仕立てた服を一分の隙なく着こなすことにある。もしかするとロースが言いたかったのは「装飾をするな」ということ以上に、プロポーションの美学だったのかもしれない。
建築家がファッションに敏感だったことは、たとえばヨーゼフ・ホフマンが《ストックレー邸》を建てたとき、その内で着るための衣服もデザインしたことからも明らかだろう。ル・コルビュジエも流行の黒人ダンサー、ジョセフィン・ベーカーに深く魅惑されたというではないか。

1──パクストンによる水晶宮はモダン建築の源泉のひとつ 出典=James Laver, Style in Costume, Oxford Univ. Press, 1949.

1──パクストンによる水晶宮はモダン建築の源泉のひとつ
出典=James Laver, Style in Costume, Oxford Univ. Press, 1949.

2──鉄を使用したクリノリンの構造は、水晶宮と同じ発想である 出典=James Laver, Style in Costume, Oxford Univ. Press, 1949.

2──鉄を使用したクリノリンの構造は、水晶宮と同じ発想である
出典=James Laver, Style in Costume, Oxford Univ. Press, 1949.

ユニット派、マルジェラ、チャラヤン

モダニズムの影響が弱まり、ファッションと建築が日常生活のなかで生きられるようになったせいか、近年の両者には共通するところが多くなってきたように思える。
たとえば若手の建築家たちにはゆるやかな組織を作り理念よりも日常性を志向する、いわゆる「ユニット派」といわれる流れがあるようだが、ファッションの世界でも「ユニット派」の活躍が目立つ。たとえば海外ではヴィクトール&ロルフ、クレメンツ・リベイロやエリー・キシモトらの若手ユニットが注目されているが、日本でも20471120やYAB-YAMのようなユニット化がこの数年目立ってきた。さらに若手デザイナーのなかにはトレンドやデザインの斬新さや作家的な主張から離れて、よりプライヴェートなメディアとして衣服に取り組むものが増えてきた。からだにまとうファッションは建築よりもはるかに日常性を重視するものだが、具体的な個人に向けて(といってもオーダーメイドではなく作り手のプライヴェートな感情を反映した)服を作るスーザン・チャンチオロ、古着を再構成して個人的な記憶を表現するジェシカ・オグデンのような、より日常性に根ざしたファッションのあり方を志向するデザイナーが注目されている。
ファッションにおける「ユニット派」の流れを決定づけたのはマルタン・マルジェラだろう。アントワープ出身の前衛派デザイナーであるマルジェラはコレクションというサイクルに合わせて最新モードを発表することに反発し、過去に作った服を再度発表したり、衣服に粘菌を植えつけて朽ちていくイメージをアピールしたりして話題を集めてきた。マルジェラがグループワークにこだわっていることは、本人がメディアに登場することを拒否し、メゾン・マルタン・マルジェラへのFAXを通してのみインタヴューに応じることからも明らかである。その回答にはすべて「私たち」という複数人称が記入されている。マルジェラは衣服の文法を問い直す手法をとっていたので「脱構築的」と形容された時期もあったが、衣服の構造を再考したそのデザインはシンプルかつモノトーンで、ファッション・デザインが日常性や身体性へと回帰する流れを象徴するものだった。
よりダイレクトに衣服と建築を融合する方向を目指すデザイナーもいる。キプロス出身で英国を拠点にするフセイン・チャラヤンは建築を学んだ経験があり、身体と空間との関係を再考し日常性を異化するコレクションで注目を集めた。たとえば九九年「ジオトロフィクス」では人体を椅子に見立てて背もたれや肘掛けのついた構造物をドレスとして提示し、同年のコレクション「エコー・フォーム」では身体を飛行機へと見立てたグラスファイバー製コスチュームを発表している。さらに一年後、「アフター・ワーズ」では身体と家具を融合させるというコンセプトを提示した。このコレクションでは舞台の上にリビングルームが再現され、椅子のカバーがドレスになり、その椅子の足をしまって平たいスーツケースにするというパフォーマンスが演じられた[図3]。さらに円形のコーヒーテーブルの真ん中を引っぱると、マホガニー製の輪からなるロングスカートに展開される[図4]。リビングルームそのものを衣服として着用することによって、生活環境が持ち運び可能なものへと変化するのだ。これは気軽に室内を持ち出すというピクニック気分から考案されたものではない。そこでは戦争が始まって一〇分以内に家から退去しなければならないという緊迫したシチュエーションが想定されているのである。これは国境を行き来してきた経歴をもつチャラヤンにとって、ボスニア、湾岸戦争から九・一一に至る騒乱に満ちた空気のなかで、現代という時代のまがまがしさを表出するものなのである。
衣服というものがパブリックな空間において持ちうる保護機能をシェルターの形で提示したアーティストに津村耕佑やルーシー・オルタがいるが、チャラヤンもまた身体を取り巻く空間のメタファーとしてファッション=建築を構想する。
ちなみにマルジェラが東京恵比寿にオープンした路面店は、既存の建物を真っ白に塗り込めるリノベーションによって、「ユニット派」らしい空間表現をしている。それは莫大な資本を投下したコールハースやヘルツォーク&ド・ムーロンによるプラダ・ショップとは良くも悪くも好対照をなしている。建築とファッションの感性はやはりかぎりなく近い。

3──椅子を解体するとドレスと スーツケースになるチャラヤンの作品 出典=Andrew Bolton,  The Supermodern Wardrobe,  V&A Publications, 2002.

3──椅子を解体するとドレスと
スーツケースになるチャラヤンの作品
出典=Andrew Bolton,
The Supermodern Wardrobe,
V&A Publications, 2002.

4──机がスカートに早変わりする 出典=Andrew Bolton,  The Supermodern Wardrobe,  V&A Publications, 2002.

4──机がスカートに早変わりする
出典=Andrew Bolton,
The Supermodern Wardrobe,
V&A Publications, 2002.

参考文献
今井和也『カタチの歴史──建築とファッションのただならぬ関係』(新曜社、二〇〇三)。
田中純『残像のなかの建築──モダニズムの「終わり」に』(未來社、一九九五)。
Andrew Bolton, The Supermodern Ward-robe, London: V&Abooks, 2002.
James Laver, Style in Costume, London: Oxford University Press, 1949.

>成実弘至(ナルミ・ヒロシ)

1964年生
京都造形芸術大学助教授。社会学、文化研究。

>『10+1』 No.34

特集=街路

>マーク・ウィグリー

建築学。プリンストン大学で教鞭を執る。

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>ユニット派

建築批評家・飯島洋一が、世界に対する理念や「作家性」のなさ、日常世界に拘泥する若...

>脱構築

Deconstruction(ディコンストラクション/デコンストラクション)。フ...

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年 -
表象文化論、思想史。東京大学大学院総合文化研究科教授。