1971年生まれ。建築家。日埜建築設計事務所主宰。
http://hino.nu/
(最終更新:2009年3月31日)
[インタヴュー]
...輪郭執筆──六〇年代アートシーンの坩堝から 日埜直彦──今回は『建築の解体』についてうかがいた... ...るだけ離れていようとしていたといえますね。 日埜直彦氏磯崎新氏アンドレ・ブロック、クロード・パ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[インタヴュー]
...都市をイヴェントとしてとらえる視点 日埜直彦──前回はおおよそ五〇年代を視野として、当時のモダ... ...、前西欧的なエジプトなんかが関心事でした。 日埜直彦氏磯崎新氏両義性とシュルレアリスムの方法 日...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[インタヴュー]
...「様式の併立」をめぐって 日埜直彦──これまで伺ってきたお話を振り返ってみると、大きくは桂離宮... ...に茶室の研究におもむいたわけです。 磯崎新氏日埜直彦氏オリジナルとコピー 日埜──ただ一般に誰か...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[インタヴュー]
...戦後の日本建築界 日埜直彦──今回は一九五〇年代を視野としてお話を伺いたいと思っております。当... ...超えて現実のほうが乱暴に動いていたのです。 日埜直彦氏『現代建築愚作論』における都市論 日埜──...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[インタヴュー]
1──「構造設計への道」、「都市デザイン」、「日本の都市空間」 日埜──『日本の都市空間』は都市デザインやアーバン・プランニングが注目を浴びた六〇年代から七〇年...ンギュラリティを取り出すことになりました。 日埜直彦氏6──「間」は「虚」につながる 日埜──そ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.187-199
[現代建築思潮]
...その実践の系譜 ソフィア・ヴィゾヴィティ 日埜直彦|訳 Sophia Vizoviti, “Folding Architecture, Concise Genealo... ...アーキテクチャーの背景と展開、その可能性 日埜直彦 日埜──フォールディングについては、すでに...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[インタヴュー]
...)はミースを受容し、ほかを拒否しています。 日埜直彦──なるほど。前川國男さんのようにル・コル... ...新潮社、二〇〇三)を見てください。 磯崎新氏日埜直彦氏建築思想の断絶と連続 日埜──前川さんの場...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[現代建築思潮]
...山の手/下町/サード・ドメイン | 日埜直彦 クーベルタン男爵のコスモポリタニズムに始まったオリ... ...正しいのである。 西沢立衛《森山邸》 撮影=日埜直彦ミッテルとしての土 褐色の土は白い箱と強烈な...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.48-56
[インタヴュ―]
...はじめに 日埜直彦──このインタヴューも残念ながら最後ですから、これまで伺ってきた五〇年代終わ... ...」は実感としてわかるような感じがしました。 日埜直彦氏磯崎新氏「間」への関心、あるいは中間にあ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[現代建築思潮]
...があります。 赤羽団地 撮影=日埜直彦高島平団地 撮影=日埜直彦都市機能と公団というシステム ア...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.37-44
[インタヴュー]
...切断という決定論 日埜直彦──これまで数回にわたり都市を中心とした磯崎さんの六〇年代の関心につ... ...く違う様相をみせてくれることになりました。 日埜直彦氏磯崎新氏身体性を介した時間・空間論 日埜─...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.193-205
[現代建築思潮]
...テーク》コンペ案討議 今井公太郎×今村創平×日埜直彦×吉村靖孝 法規を使いこなす 日埜──『Code』... ...がなくなってしまう。 今井公太郎氏吉村靖孝氏日埜直彦氏今村創平氏都市デザインは可能か? 今村──...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.47-54
[現代建築思潮]
...トの博物館》2002討議 今村創平×今井公太郎×日埜直彦×吉村靖孝 建築のジャーナリズム化? 吉村──... ...ランダに興味を持つわけですし。 [二〇〇三年八月七日] 日埜直彦、今村創平今井公太郎、吉村靖孝...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[インタヴュー]
...Electa社版『KATSURA』の成立と構成 日埜直彦──前回は岸田日出刀を中心として日本におけるモダニズム受... ...み立てていると読んだほうがよいと思います。 日埜直彦氏実証主義というイデオロギー 日埜──ここ数...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[現代建築思潮]
...てくる。 「東京オリンピック」以降の東京 | 日埜直彦 例えばここに一枚の写真がある。撮影者は桑原... ...2006年 筆者撮影討議 | 今井公太郎×今村創平×日埜直彦×吉村靖孝×村井一×梅岡恒治×岩元真明×金子祐...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.26-32
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りま.../isozaki/isozaki012.html討議 今村創平×今井公太郎×日埜直彦×吉村靖孝 日埜──フランプトンの弟子のケン...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[現代建築思潮]
報告 I─吉村靖孝 吉村──今回の研究会はビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋、二〇〇三)を取り上げたいと思います。以前僕の担当した... 吉村靖孝×田村順子×今井公太郎×今村創平×日埜直彦 吉村──僕のプレゼンテーションではビョルン...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.48-56
[現代建築思潮]
梅岡+岩元+今浦──今回、「現代思潮研究会」においてオリンピックによる都市改造をテーマに研究がなされることになりました。そのなかで、都市がどのように成長・発展を...作成:梅岡恒治討議 | 今井公太郎×今村創平×日埜直彦×吉村靖孝×梅岡恒治×村井一 オリンピックと都...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72
[現代建築思潮]
セシル・バルモンドの『informal』を読む 今井──前回、オランダ建築の話をするなかで離散型に関する話題が出てきました。そして連続ではなく不連続、コンクリー...ます。 吉村靖孝氏、今井公太郎氏今村創平氏、日埜直彦氏《富弘美術館》の設計プロセス 《富弘美術...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.45-52
[現代建築思潮]
東京都は二〇一六年のオリンピック開催招致に名乗りをあげている。現在東京都が進めようとしている計画は、晴海地区を主たる敷地としている。ここで提案する計画は、それに...分譲集合住宅)討議 | 今井公太郎×今村創平×日埜直彦×吉村靖孝+金子祐介+新井崇俊+上杉昌史 都...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.41-56
[現代建築思潮]
議論の新しいスタイル? 10+1──「現代建築思潮研究会」はこれから三年目に入りますが、月例で研究会を行なってきたこの二年間を振り返ってどんなことを考えますか。...題があるようです。 今井公太郎氏 吉村靖孝氏日埜直彦氏 今村創平氏建築家が解くべき課題? 今井─...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28
[現代建築思潮]
...てと今を対象化することはできるでしょうね。 日埜直彦氏今村創平氏アメリカ/ヨーロッパの建築状況 ... ...〇二年、長谷川逸子・建築計画工房を退社。 日埜直彦 まだインターネットが個人で使えなかった頃、...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[対談]
1 『ポスト・モダニズムの建築言語』の時代背景 日埜──今回の特集のテーマは「八〇年代建築を読み直す」としています。ポストモダンの建築に対する評価、あるいは距離...けたんです。そこから八〇年代にはいります。 日埜直彦氏4 ポルトゲージ おそらく展示イヴェント...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[インタヴュー]
一九二〇年代の建築状況 日埜直彦──今回は磯崎さんの建築家としてのキャリアの最初期について伺いたいと思っています。 すでに『建物が残った』で当時のことについて多...一九二〇年代の建築状況 日埜直彦──今回は磯崎さんの建築家としてのキャリアの最初期について伺い...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[インタヴュー]
世界の都市、建築をめぐる旅 日埜──数回にわたり、六〇年代の都市に関する磯崎さんの取り組みについてお聞きしてきました。この時期は磯崎さんが都市デザイナーという職...を与えたというぐらいに見えました。 磯崎新氏日埜直彦氏迷路と秩序の対立/ル・コルビュジエの回心 ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[現代建築思潮]
報告 今井公太郎 今井──前回、バシュラールの「形式的想像力」と「物質的想像力」について話をしました。建物でいうと「形式的想像力」というのはフォルムやプランとい...『SD』1999年05月号討議 今井公太郎×今村創平×日埜直彦×吉村靖孝 今村──今日の話で二つのことを感...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.37-44
[リアリティについて 2]
古典と現在に向かう二つの指向に分裂しながら、それを結びつけることで文学の歴史は展開してきた。文学はきわめてゆっくりと変化するジャンルであって、新しい作家、作品は次々と現われるが本当に画期的な仕事というのはそうはない。まして一ジャンルが確立され、内容と手法があるまとまりをもって見えてくるのにはずいぶん時間がかかるものだ。...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.22-23
[リアリティについて 3]
つまり、今日のように高速の、しかもきわめて広範囲に伝達可能なその他のメディアが力を得て、一切のコミュニケーションを画一的で同質の外見のもとに平板なものに見せてしまう恐れのある時代においては、文学の機能は書記言語の固有の使命に従って、異なるもの同士の、まさにその差異を薄めたりすることのない、それどころか差異を強調し、差異...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.24-25
[ポストモダニズムと建築 8]
あるときジェームズ・スターリングは次のように語っている。 建物のカタチは、住む人の使い方や生活様式を表したり、おそらく示したりするべきであると信じる。したがってその外観は豊かで多様で、その表現はシンプルではあり得ない。普通の人々が日々の生活の中で連想を抱いたり、親しみをもっている、そしてアイデンティファイできるような...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.41-43
[リアリティについて 4]
カルヴィーノは講義の第三回を「正確さ」に当てている。 今日さまざまなメディアから垂れ流され、一瞬にして忘れ去られていく言葉が、本来の姿を現わす約束の地としての文学、その倫理として正確さを彼は掲げる。言葉がなし崩しにされている状況に対する抵抗の砦としての文学というわけだ。 正確な言葉によって明確に縁どられたイメージや、微...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.61-63
[リアリティについて 1]
ロラン・バルトのもはや古典と言うべき写真論、『明るい部屋』に次のようなくだりがある。 「写真」は、本来的にある性癖を持ち、事物の意味に関しては嘘をつくこともあるが、事物の存在に関しては嘘をつかない★一。 写真に写っている情景があるときカメラの前に実在したことを、その写真は保証する。写真は過去の事物の”存在証明書“と...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.30-30
[リアリティについて 6]
「諸体系の体系」、つまりそのなかでは、それぞれが他のすべての体系を条件づけ、同時にまた他のすべての体系から条件づけられているという、そういう一つの体系★一 これまでカルヴィーノの講義が扱ってきたのは、多かれ少なかれ文体に還元可能な文学の質だと言ってもよいだろう。例えば軽やかな文体、俊敏な文体、正確な文体、視覚的な文体...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.46-48
[リアリティについて 8]
おそらく建築と文学は人類の技芸として最も古い伝統をもつ分野だろう。長い時間をかけて系統だった建築的思考が形成された。それがいかなるものかつねに明示的であるわけではないにしても、多かれ少なかれわれわれはそれを暗黙の了解としている。例えばなんらかの幾何学により空間に秩序をもたらすこと。工学的知によってそれに必要な性能を与え...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.45-47
[リアリティについて 7]
形があるものならなんであれ建築に格納することができる。形のある物体であれ、形のあるプログラムであれ、同じことだ。ある形を見定めることができれば、それを収容する建築の具体的な形を定めることが可能だし、装飾や様式のオーダーのようなディティールはともかく、建築のヴォリュームを決定する内的な根拠はそれ以外ほとんど存在しない。 ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.41-43
[ポストモダニズムと建築 5]
建築が計画されるプロセスにおいて「そこで何が起きるか」という想像が止むことはない。どのような建築計画もいささか頼りないこの予測的想像力に基礎付けられている。建築であるかぎり、そのプロセスは最終的に物質という建築の基底材の定義へと帰着するのだが、その物質にはつねにこの想像がまとわりつく。建築が遂に純粋な即物でありえないの...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.43-44
[現代建築思潮]
ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ムーロンの『Herzog & De Meuron: Natural History』(Lars M殕ler, 2002.)という著作と本年度から〈10+1web〉...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[ポストモダニズムと建築 6]
真に現代的と言いうる建築家にアレンジメントへの強い関心が見られるようになってきているのではないだろうか。ダイアグラムは九〇年代から建築を構想するうえで重要なツールとなってきたが、これと相前後して、抽象的な模型がプレゼンテーションの主役を担うようになっている。こうした模型が提示している建築の三次元的な構成をここで特にアレ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.44-45
[ポストモダニズムと建築 7]
ローマ帝国の崩壊とともに失われた古典建築の伝統、その廃墟を横目に見ながら建築をゼロから始めたロマネスク期の建築、そんなコントラストが近代建築と現代建築の間にもあるのではないか。いかにも大げさなこの仮説がこの連載の端緒であった。このような問題設定は唐突でほとんど時代錯誤的に聞こえるかもしれない。だがある意味では現代を問う...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.30-31
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもしれないが、基本的には「修正主義」ないし「見直し論」を意味する。例えば八〇年代後半から九〇年代初頭にかけて、日本を普通の近代国家と見る認識を「見直し」、日本の社会...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[建築を拓くメディア]
「磯崎新を軸に日本建築史を読みなおす」。これがこの小論に課せられたテーマである。磯崎新の近年の日本を主題とした著作、『空間の行間』(福田和也との共著、筑摩書房、二〇〇四)、『漢字と建築』(岡崎乾二郎との共同監修、INAX出版、二〇〇三)、『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)あたりがおおよその視野となるだ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.118-121
[論考]
メディアがユニット派を注目する 今年の後半、飯島洋一による「ユニット派批判」の論文が話題になった★一。ユニット派とは何か。アトリエ派の建築家が強いカリスマ的な指...が月評でこれだけに言及した。ネット上でも、日埜直彦の運営するサイトの「A.BBS」で熱い議論が闘わさ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[論考]
なぜ建築を扱うのに言葉が必要なのかは、これまでにも繰り返し問われてきた。そして、このところ建築と言葉の仲は、うまくいっていないのではないかという問いは続けて発せ...INAX)に詳しい。また『Oppositions』については、日埜直彦「建築批評誌『オポジションズ』」(岸和郎+...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.152-153
[論考]
その問いに取りかかる前に、次の問いについて考えてみて欲しい。「バブル建築」の横行した二〇年前と現在とでは、はたしてどちらがマトモな建築の時代といえるだろうか? この問いに、もちろん現在のほうがマトモだ、と自信を持って答えられるだろうか。バブル期の建築にずいぶんひどい建築があることは皆知っている。だが今ウケている建築を冷...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.150-151
[リアリティについて 1]
リアリティ、と言うのは簡単だが、それが何なのかというとなかなか難しい。とりあえず具体的に建築を設計する際のリアリティに限ってみても、どういう現実に対面しているのかはっきりしているなら設計なんて半分終わったも同然で、要するにどうしようもなく目の前にある現実を把握することが設計自体と平行して進むのがむしろ普通ではないだろう...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.25-26
[ポストモダニズムと建築 2]
すくなくとも近代の成熟期にいたるまで、近代主義には一定の規範が存在し、機能していた。しかしあらためて考えてみると、そうした近代主義の規範はおよそ信じがたいほどに古典的である。「六八年」に崩壊したものとは、最も広義に言えばこの古典性ではないだろうか。それは比喩でもなんでもなく、文字通り古典的なのである。 例えば近代主義...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.40-42
[ポストモダニズムと建築 1]
建築を建築として見るようになった頃から、どうもロマネスクの建築というのが気になってしようがない。御多分に洩れず学生の頃ヨーロッパに行き近代建築など忙しく見て回ったが、そういう見方とは少し違う欲望に促されてロマネスクの修道院を巡り、各地の田舎をうろついた。そもそも出かける前の下調べをしている時点では、何の気なしに一つ二つ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.18-19
[ポストモダニズムと建築 4]
過去半世紀に現われた「建築的統辞法」の揺らぎを検討するため、それ以前の文脈を振り返ってきた。比喩的に言うならば、嵐の波間から嵐の全貌を見ることができないならば、せめてかつての海を思い返してみよう、という格好だろうか。嵐を鋭敏に感知し、流れに棹さしつつ、意図においてなにごとかをなすこと、それが問題である。ただ波にもがくだ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.39-41
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、国家、資本、大衆によってどのように建築家の有名性が欲望されてきたのか、あるいはされてこなかったのかということを明らかにできればと思います。その取っ掛かりとして、...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[ポストモダニズムと建築 3]
前回は近代建築がその理念として掲げた「機能主義」や「幾何学性」が、その起源を遠くギリシャに遡りうる、それ自体としては古典的な理想であったことを見たが、今回は近代初期における建築のイメージと古典性の抜き差しならぬ関係を端的に見せてくれるひとつのテクストを参照しながら、近代主義において古典性が占める位置をより接近して見てみ...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.42-44