1968年生まれ。建築家。神戸大学准教授。
(最終更新:2009年9月29日)
[インタビュー]
...〈もの〉ではなく、その効果 槻橋修──今回のインタビューにあたり、伊東さんの作品を言説を含め改... ...身によってではなく、われわれが彼の作品の中から掘り起こさなければならないのだろう。(槻橋修)...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.70-79
[批評]
...消し、交通開放系の裸体を想像せよ』(南泰裕+槻橋修+五十嵐太郎+石崎順一+奈尾信英)である[... ...放系の裸体を想像せよ』展ポスター(デザイン:槻橋修)199622──1:10000から1:1000の都市(南泰裕)1996 1:...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.154-167
[1990年代以降の建築・都市 7]
...寄せる。『エディフィカーレ』の展覧会において槻橋修の手がけたオブジェも組み込まれ、御神体のよ... ...ンス》は再び注目されるべきなのだ。ちなみに、槻橋修は、小田の依頼に応え、鋭角的な旗のデザイン...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[批評]
1 風景の使用法 ランドスケープとは「風景」を示すが、そこには習慣的に「自然環境」あるいは単に「自然」との観念的な結びつきが前提とされている。「自然」への耽美的な感情からなのか、公園や庭園をデザインする行為としてランドスケープ・デザインは、「人々の眼を楽しませる贅沢なしつらえ」という以外にその社会的な役割や意味が問わ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.100-111
[日本]
「どうして?」の問い 建築に対し「どうしてこうなっているのか」と発せられる問い。それが建築と建築家のあいだにある唯一の結線である。この問いが「建築とは何か」という問いに対して常に先立っていることが、建築家の基底をなすのではないかと考える。 自作やポリシー、職能といった事柄が、すべて建築家と社会との境界づけに深くかかわっ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180
[論考]
離れ、散らばること 一九九七年五月発行の『10+1』No.9において、私の初めての論考「観測者のランドスケープ──離散性、あるいは不連続性と『形式』の問題」を寄稿してから一〇年が過ぎた。若くして他界したロックスターのごときランドスケープ・アーキテクト、イヴ・ブリュニエ。ポストモダン以降、乖離していた建築と都市との関係を...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.134-135
[日本]
1962年生まれ。建築家。1986─92年、伊東豊雄建設設計事務所勤務。1993年、佐藤光彦建築設計事務所設立。日本大学、湘北短期大学非常勤講師。96年度東京建築士会住宅建築賞。 作品=《梅ヶ丘の住宅》《保土ヶ谷の住宅》《仙川の住宅》《大島の住宅》《上馬の住宅》など ミニマックスな平面 佐藤光彦がこれまでに実現してき...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.160-161
[図版構成]
身体劇場──形式と空間 演劇やダンス、パフォーマンスを総合して〈舞台芸術〉、あるいは〈パフォーミング・アーツ〉と呼ぶとき、それらの共通項として主題化されるのは、『身体と空間」であると言えるだろう。逆に言えば「身体と空間」について思考しようとするとき、くパフォーミング・アーツ〉は建築と並ぶ重要な領域を占めており、かつ「身...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.143-154
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
一九四五年、二〇世紀前半のテクノロジーを最大限につぎ込み、全人類の抹殺可能性さえも示すことになる第二次世界大戦が終結した。 同年、歴史上初めて光線兵器(原爆)が...ディフィカーレ』六号、一九九四)や、同号にて槻橋修と石崎順一の提唱した概念「ルミネッセント・...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[都市/メディア]
ここ数年、いわゆる建築雑誌以外のメディアにおいて建築が取り上げられる機会が多くなってきた。NHKの『ETVカルチャースペシャル』で「建築家バトル」が行なわれたの...終メンバーは五十嵐太郎、石崎順一、大川信行、槻橋修、奈尾信英、南泰裕、山中新太郎の7人。 6 『造...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.116-119
[生産─技術]
銀座と青山のファッション・ストリートを中心に、世界的な建築家によって、個性的な建築が出現している。おかげでストリートは華やかで活気があるものへと変貌しつつある。...〇〇一年八月号(新建築社)六八─八七頁。 ・槻橋修「ルミネセント・ボディとしての建築」(『二〇...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.120-123
[イントロダクション]
「これがあれを滅ぼすだろう」 これは、ヴィクトル・ユゴーが『ノートル=ダム・ド・パリ』のなかで、一五世紀の司教補佐に語らせた言葉である。「これ」とは美しく印刷さ...則行、山藤靖宏、岩佐明彦、本江正茂、仲隆介、槻橋修、野島耕平、後藤雄亮、西尾信彦、馬場正尊 ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.62-64
[ラディカリズム以降の建築 1960s-1990s 7]
情報端末としての建築 電飾、看板、ファーストフード、カラオケ、ゲームセンター、カフェ、居酒屋、ドラッグストア、電化製品の量販店、百貨店、金融ビル、JR線の高架、...Tのスクリーン 2000年へのカウントダウン 撮影=槻橋修2──QFRONTの夜景 設計は株式会社アール・アイ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.221-231