1 二つの扉
一九八八年七月二三日の深夜、オーストリアのザンクト・ペルテンで屋外展示されていたジョン・ホワイトマンの仮設建築作品「二分割可能(Divisible by 2)」が何者かによって爆破された★一。この作品は首都の誕生」展開催に合わせてシカゴから移設されたものであった。ザンクト・ペルテンは一九八六年にウィーンに代わってニーダーエースタライヒ州の州都となっており、「首都の誕生」展はこれに伴う都市改造計画をテーマとしていた。
残された資料によれば、「二分割可能」の敷地は正方形で、全体の形状はほぼシンメトリカルである。外部から見ると、各側面では木の壁板五枚と表面がアルミの二つの扉、そして金属パイプのフレームが、隙間を開けてずらされた状態で、ファサードの中心軸に対して左右対称に配置されている[図1]。壁板間および建物の四隅には隙間があり、屋根と壁や壁板と床も密着することなく、わずかな隙間を残している。
対をなすアルミ扉は各ファサードの中央に位置し[図2]、左の扉には「DAMEN(婦人)」、右の扉には「HERREN(紳士)」と書かれたプレートが取り付けられている[図3]。二つの扉はファサードの中心軸に対して左右対称に外側に開く[図4]。鏡像関係にあることを除けば、扉の輪郭および大きさはほぼ同一である。それぞれの表面にはさらに、小さな長方形のアルミ板が接合されており、扉が閉ざされるとそれらが一体化し、あたかも二つの扉を横断してひとつのアルミ板が重なっているように見える。二つの板が合体してできるこの図形は中心軸に対してすべて左右非対称に配置されている。
訪問者が二つの扉のいずれかを開けて建物のなかに入ろうとすると、内壁の一部をなすアルミ板にまず進行を妨げられる[図5]。その板を回り込んで入った内部には、扉の記号が予想させる分割は存在せず、何枚ものアルミ板が重なり合って構成された壁に囲まれた、何もないひとつの空間が拡がっているばかりである[図6]。隙間や屋根から入ってくる日光をアルミの表面は曇った鏡のように反射するため、この空間はその光の鈍い輝きに包まれている。内壁では、入り口の扉と類似した大きさ、形態をもつアルミ板が反復して使用されており、リズミカルな回転運動の感覚を与えている。床は透明で光沢のある合成樹脂からなり、その層のなかには口紅や剃刀、煙草や金銭などが埋め込まれていたという。
ホワイトマンはこの作品について、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』に似た体裁のテクストを著している★二。そこで彼は、扉に記された記号は《言葉》に対する《建築》の依存関係を表わしており、このような記号が用いられるのは、建築自体が指標としての作用を十分果たしていないとき、つまり建築が機能性において失敗し破綻している場合にほかならないと述べている。通常は、こうした状態にある建築空間を所定の機能に強制的に従わせるために言葉が援用される。この作品で公衆トイレのイメージを借りたことに触れてホワイトマンは、公衆トイレの扉は建築空間の機能に関わる指示作用が明確な、きわめて通俗的なものであるからこそ、この通俗性を逆用して、日常生活における機能主義がもつ政治性を批判したのだと書いている★三。
1──ジョン・ホワイトマン「二分割可能」全体写真
2──同、アルミ扉
3──同、扉のプレート
4──ジョン・ホワイトマン「二分割可能」
扉を開けたところ
5──ジョン・ホワイトマン「二分割可能」
扉を開けたところ
6──同、内部
ジャック・ラカンの「無意識における文字の審級またはフロイト以来の理性」にもこれに似た二つの扉が登場する。そして、ホワイトマン自身も着想の源がラカンのこの論文にあったことを認めている。ラカンはそこで、ソシュールが記号の概念を示すために用いた「ARBRE(樹木)」という単語と木の絵を対応させた図から、この両者を囲い込む楕円とその両脇の矢印を取り去ったシェーマ[図7]によって、シニフィアンとシニフィエがそれぞれ別々の独立した次元にあることを強調している。このシェーマに続けて持ち出されるのが問題の扉であり、そこではまったく同じ形の扉二つと「HOMMES(男性)」「DAMES(女性)」という語を、シニフィアンとシニフィエの切断を表わす横棒によって隔てた図が掲げられている[図8]。ラカンはこの図がもたらす予期しない意味の出現について、二つのシニフィアンと並置されることにより、扉は突然、公共の場において西欧の男性は排尿に関する差別の掟に従わざるをえないという命令を象徴することになる、と語っている★四。「二分割可能」の扉に「DAMEN」「HERREN」という二つのシニフィアンが書き込まれるとき、そこは性差に応じて排尿の場所と方法を規定する制度への入り口となる。この建物が帯びることになるのはこうした社会的意味であり、それがこの建物に公衆トイレにも似た印象を与えている。
しかし、そのいずれの扉を開けた者も自分が予期した何かをそこに見ることはない。扉の向こうには乱反射する金属面に囲まれたがらんどうの空虚しかない。対をなす「DAMEN」「HERREN」、二つのシニフィアンのうちのひとつを選ぶことは、二分割された領域の一方に所属することの選択を意味するように思われるから、訪問者はこの建物の内部は扉同様に二分されているはずだと予想する。しかし、それは予期された分割をもたらさない。予想は裏切られ、訪問者たちは女性/男性に二分されずに混じり合ったまま、同じ空間を占めることになる。
一見したところ、この作品は、扉のプレートが示している性的差異とは所詮、社会的、制度的に構成されたもの(いわゆるジェンダー)にすぎないことを露わにする啓蒙的な仕掛けに見える。例えばある批評家は、この作品が外観で見せている性差の古典的表象は内部では解体され、性的分割そのものがそこでは無限に分割され破綻している、と論じている★五。このような見方によれば、左右対称の二つの扉はいわば、すべての主体を女性/男性という分離された二つのカテゴリーに強制的に振り分ける
だが、果たしてそうだろうか。それは性差のシニフィアンに対する批判的な距離を与える啓蒙的な装置なのだろうか。「DAMEN」「HERREN」、いずれかの扉を開けたとき、訪問者はラカンが知人の幼児時代の記憶として伝えているのと同じ、こんな状況に置かれるのではないだろうか。──駅に到着する列車の窓際の席に幼い姉弟が向かい合って坐っている。プラットホーム沿いの建物が彼らの目の前を通り過ぎていく。男の子が「見て、僕らがいるのは婦人(駅)だよ」と言ったのに対して、女の子は「馬鹿ね、紳士(駅)にいるのがわからないの」と言う★六。──ちょうどそんな子どもたちのように、「二分割可能」のどちらかの扉を選んで開けた彼女/彼は、同一の空間でありながら、別の扉をくぐり抜けた場合とは異なる空間に入り込む。そこが同じひとつの空間であることをとらえて、「性的分割が破綻している」というのは正確ではない。また、建築空間の同一性がシニフィアンの差異を遡行的に無効にすることもない。この建物が外部では性的差異によって二分割され、内部ではその差異を破砕することによって解消しているかのように見えるのは、内部と外部を切り離して比較した場合に限られる。現実には誰もがどちらかのドアを選び、そこを通過することを強いられるのである。この選択が空間の経験を変える。この選択によって彼女/彼はシニフィアンの領域に入る。そしてラカンがいうように★七、単に動物的で忘却にゆだねられた性的対立を、限度を超えたイデオロギー闘争に変えてしまうものこそは、シニフィアンにほかならない。
この作品のシンメトリー的調和を最も乱しているものは、アルミ扉にネジで留められた「DAMEN」「HERREN」のプレートである。物質的には些細な要素であるものの、このプレートの存在が「二分割可能」という作品に、西欧の社会制度によって規定された特殊な意味を与え、さらに内部空間の経験を特異なものとしている。建物の左右対称性が物理的空間の二分割可能性をもたらしているのに対して、「DAMEN」「HERREN」という文字は同一の空間を、シニフィアンの空間と現実の物理空間とに分裂させる。内部空間が二つの扉に対応して異なる空間に分割されていたとするならば、このような二重化は感知されえない。異なる扉を開けても同一の空間にいたるからこそ、扉に登録されたシニフィアンの効果が際だつのである。
すべてがシンメトリカルに構成されており、内部空間はひとつしかない以上、どちらの扉を開けて入ることも同一の経験をもたらすように見える。ホワイトマンの自己分析的な記述でも、異なる扉を開けて内部に入ることによる差異は問題にされていない。内部空間の知覚主体は中性的な《人》と見なされているのである。しかし、「HERREN」の扉を開けた男性がアルミ板によって囲まれた空間で男性のみならず女性たちと出会うとき、あるいは「DAMEN」の扉を開けた女性が内部で男性たちと出会うとき、あるいは「HERREN」の扉を女性が開け、「DAMEN」の扉を男性が開けた場合とでは、それぞれそこで経験される出来事の性格は異なるのではないだろうか。生物学的な差異としてのみならず、社会的な実定的差異として男女の性差が存在しているかぎり、扉の選択はその規定に従うか、あるいはそれにあらがう、反省的な行為とならざるをえない。
この場合、扉の選択とは訪問者が自らを代理表象するシニフィアンを強制的に選ぶ行為にほかならない。そして、シニフィアンを選ぶことは、シニフィアンによる分割を受け入れるということである。これに対して、建物内部の現実空間には分割が存在していない。扉の選択によってわれわれはシニフィアンの領域に入るのだが、内部空間そのものはシニフィアンによる分割を無視している。そこに生じるのは、シニフィアンの秩序に基づく空間と現実空間とのずれである。このずれはきわめて不快なものではないだろうか。それが与えるのはある種の不安である。なにゆえの不安か。それはこの内部空間が外部から予想されるよりもはるかに広く、ときにはそこに存在するはずのない要素を含んでいるためである。シニフィアンの次元における現実と知覚された物理的現実とのこの差ゆえに、内部空間はとらえがたい剰余を抱えているように感じられる。この剰余は定義上、シニフィアンの秩序には収まりえない他者的な何かである。それが不安を喚起する。
「二分割可能」という作品を爆破した者が破壊したかったのはこの他者的な剰余であったのかもしれない。しかし、もしそうであったとするならば、彼はアルミ扉の上のプレート板を外せば十分だったのである。なぜならこの剰余はシニフィアンの秩序と建築空間との不一致、そのずれの狭間に生じていたのだから。壁のパネルをずらして配置することをはじめとする、この建物における構造上の操作は、実は何ら惑乱的なものではない。「二分割可能」が不安を喚ぶ場所となるのは、シニフィアンが現実との間にずれを生じて、その指示作用が空転してしまうときである。この空転の効果として仮想的な剰余がそこにもたらされる。この剰余は現実空間としては無であり、同時に対応するシニフィアンももたないのだから、二重の意味で空虚である。
この空虚は偶然そこに付け加えられたのではなく、シニフィアンの秩序が内在的に抱え込んでいた何かが不意に出現してしまったのだというべきだろう。ジジェクはラカンの「シニフィアンとは他のシニフィアンに代わって主体を代理表象するものである」という命題を注釈して、シニフィアンの示差的性格が示すのは、シニフィアンの二項一組のうち、一方の項の現前の反対はただちに他の項なのではなく、この最初の項の不在なのであり、他の対立する項の現前が最初の項のこの不在を満たすという関係性にほかならないことを指摘している★八。「DAMEN」/「HERREN」というシニフィアンの対立は、それらに共通の類を背景として同一水準に現われてひとつの総体を形成する相補的な二項ではなく、互いが互いの不在を満たし、おのれの反対物の不在によって生じた空虚な場所を代理表象するという関係にある。二つのシニフィアンはこのように、それらの不在=空虚な場という第三の項を介することによってはじめて示差的関係に入るのである。シニフィアンの示差的秩序に内在するこの空隙こそ、ラカンが《主体》と呼ぶ、代理表象の秩序そのものの亀裂にほかならない。「二分割可能」は男性と女性のシニフィアンによる分割が社会的強制力として働く場面を演出し、その強いられた分割が対応する空間構造をもたずに裏切られてしまうすれ違いを通して、シニフィアンの秩序がはらむ空虚な剰余を露呈させる。その空虚こそが主体であり、訪問者が異なる扉を開けて入り込むことによって、内部空間はいわば異なる形で主体化されるのである。
この作品では《言葉》が《建築》に付加されることにより、建築空間の意味作用そのものが根底から変わってしまっている。異性愛主義への批判といった視点を含めて、そこに認められるジェンダー論的な批評性もまた、「DAMEN」「HERREN」のプレートがあってはじめて可能になるものである。二つのシニフィアンの並置によって生まれる言説空間と建築空間との齟齬が、「二分割可能」を不安定な、不安を喚ぶ場所と化している。通常は《建築》を機能に従属させるために用いられる《言葉》が、ここでは建築物を逆に機能とは無縁な、異様な場所に変容させている。
建築という営みが現実に関与するのはほとんどつねに、社会的な敵対関係を調整し宥和させるプロジェクトばかりである。建築や都市計画とは社会に内在する解消困難な敵対関係に対する空想的解決の物質化なのだ。「首都の誕生(Geburt einer Hauptstadt)」展もまた、有機的統一体である共同体のひとつの《頭(Haupt)》となるべき都市を構想するプロジェクトにほかならなかった。そのような都市にとって「二分割可能」は場違いな、破壊されるべきおぞましい異物であったにちがいない。なぜならそれは、完璧な統一体であるかのように見える空間のただなかに主体という不可視の亀裂が刻み込まれていること、そしてこの空虚な剰余を通して空間には、有機的統一を阻害する分割が生じることを告げていたからである。
7──ジャック・ラカン『エクリ』より
8──ジャック・ラカン『エクリ』より
2ジェンダー建築論のフェティシズム
「二分割可能」が示しているのは、《言葉》と《建築》との結びつきはきわめて危うく脆いものであって、シニフィアンが空転しはじめるとき、建築物の意味作用は《言葉》と《建築》のずれとともにまったく変容してしまうという事態である。その脆さが気づかれないとしたら、それはこの結びつきが事後的に自然で必然的なものと見えてしまっているからであり、《言葉》が《建築》に内在し、《建築》が《言葉》を内部から産出するかのような錯覚がそこに生じているからにほかならない。
言説と建築との不一致が最も顕在化する場であると同時に、その不一致が最も安易に、あらかじめ隠蔽されてしまう場であるのもまた、性差をめぐる議論、いわゆるジェンダー批評の領域である。建築批評における身体/ジェンダー論を中軸とした本誌一四号の特集に収められた論文にもまた、この隠蔽と暴露のメカニズムが症候的に顕われているように思われる。
建築論においてジェンダーなり、性的差異について何ごとかを語ろうとするとき、手がかりとされるのはまず第一に建築空間を使用する者の性差である。その結果としてジェンダー建築論は、少なからず機能特化した空間を主題とする傾向にある。例えばリー・エードルマンの「メンズ・ルーム」は、公衆用男子トイレの空間における排尿の法を検討することにより、男子トイレが「欲望の文化的規制に身体が従うよう定める=演じるための主要な舞台」★九であり、男性主体が自己自身を構成する場であると指摘している。それはあたかも、ラカンのいう、西欧の男性が公共の場で強制される排尿の掟の具体的な分析であり、この論文で展開される、「小便器は、盲目性を強要することではなくて、視野そのものの中に盲目性を誘発することを目指している」★一〇などという「小便器の論理」は、マルセル・デュシャンの「泉」を連想させたりもする。だが、いずれにせよ、これは建築批評というよりもあくまで小便器研究であって、機能が明確に限定されたこのオブジェの使用方法に関わる分析に終始している。
その分析がどこかしら同語反復的なものに見えてしまうのは、結局のところ、それが「男性は男子トイレの小便器との関係において男性としての自己を構成する」と述べるばかりで、何がこの主語としての男性を他ならない男性として規定しているのか、という点に分析の射程を及ぼそうとはせず、《ペニスをもつ者》が男性であることを自明な前提としているからである。ジェンダーをめぐる議論を暴力的に無視するように、エードルマンは註のなかで「ファルスは『婦人』と『殿方』の間での分割の安定性を示しているし、また『眼に見える知覚』の点から性的差異の概念を分節する」★一一と述べている。このような断定が可能になるのは、彼が公衆トイレという特殊な空間を対象としているからにほかならない。この論文は、男子トイレと小便器という機能特化した主題を選ぶことによって、性差それ自体の規定を単純化している。戦略的に整えられたこのような舞台装置のうえではじめて、他の性を排除した男性同士の間で他者および自分のペニスに対して注がれるまなざしの力学を、男性主体の構成過程として語る言説が実現するのである。イヴ・セジウィックの言葉を借りれば、「メンズ・ルーム」は結果的に、男子トイレを男性だけからなる閉鎖的、同質的で「ホモソーシャルな連続体」★一二として描き出しているといえるだろう。エードルマンは論文冒頭で、男子トイレには窓が欠けているが、その代わりとなる鏡の存在によって自己反省的な空間を画定している、と述べている。そして、彼の分析それ自体がこの主題の構造をなぞるように外部を欠いて閉塞的、自己言及的なものとなっている。それは時として、小便器というフェティッシュをめぐって言説を肥大化させた、フーコー的分析のパロディにも見えてしまう。
同じく機能特化した空間を取り上げながら、ヘンリー・アーバックの「クローゼット、衣服、暴露」は、《クローゼット》という単語がもつ、家屋の収納空間をさす意味と、ゲイとしてのアイデンティティの隠蔽および暴露に関わる意味との両義性を手がかりに、ゲイ研究と建築論を結びつけている。両者の間には「ビルトイン・クローゼットはアイデンティティのクローゼットを具体化し、アイデンティティのクローゼットは建築的なそれを文学化する」★一三という相互作用があり、アーバックの論文自体がこの相互作用に依拠して議論を展開している。クローゼット空間の構造を歴史的にたどりながら、同時にゲイ・アイデンティティの隠蔽・暴露のプロセスをそこに重ね合わせていく分析は確かに巧妙であり、建築空間の隠喩的な意味作用とゲイの主体化過程における空間表象との対応関係を巧みに浮き彫りにしている。
なるほどその方法は説得的だが、しかし、そこにはこの分析そのものが比喩に侵食されることによって犯す短絡の危険がある。「物を部屋のエッジに置き、自身の内部を隠蔽すると同時に露呈することで、クローゼットは
この論文の後半でアーバックは、少年時代に母の衣裳を身にまとってみた経験の回想から、自己と他者性が混じり合う空間を建築のなかに見いだし、そこを《反=クローゼット》と名づけている。少年アーバックにとってそれは「クローゼットのドアの内側からクローゼットの正面にかけて、現われては消え、消えては現われることを繰り返す、裂け目の空間」★一六であり、彼はこの空間をドゥルーズのいう
《襞》の形象と重ね合わせている。そしてアーバックは末尾で、「われわれが望めば、われわれが必要とすれば、われわれがクローゼットと部屋とのあいだに到来させさえすれば」★一七、さまざまな種類の反=クローゼットがそこに存在するだろうと語ることになる。
《反=クローゼット》の発見はアーバック少年の身体によって経験された具体的な出来事であったはずなのに、いつの間にかそれは任意に実現可能な場所となってしまう。比喩に比喩を重ねた分析の帰結として、ここではもはや現実の建築空間も、あるいは、セジウィックが論文「クローゼットの認識論」で分析しているような、ゲイを取り巻くはるかに錯綜した意味作用の空間もまったく捨象されてしまい、抽象的な《われわれ》の、抽象的な解放だけが主題になってはいないだろうか。クローゼットの意味作用を反転させる空間は現実の都市や建築のなかにその都度、具体的な身体実践を通じて発見されるべきものであって、《反=クローゼット》という名、つまり《言葉》を 《建築》に任意に与えて実現できるものではあるまい。
直接ジェンダーを論じたものではないが関連する論考として、ナディール・ラーイジとD・S・フリードマンによる「シンクにて──アブジェクシオンの建築」は、サヴォワ邸のエントランス・ホールにある実用性を欠いた奇妙なシンクの記述から始められている。この論文はシンクというオブジェを鍵となる形象としつつ、ル・コルビュジエをはじめとする近代建築における超自我的な衛生のまなざしを、それが排除しようとした《
垂直/水平という二項対立をアブジェクシオンやバタイユの思想と関係づける手口が、アメリカ美術批評におけるクリシェであることはこの際措く。だが、シンクの両義的な意味作用を手がかりとしながら、ル・コルビュジエのテクストにおいて抑圧されているものを暴き出していく手つきは鮮やかではあるものの、二項対立に依拠したことによる図式性は否定しがたい。「
近代建築の言説が衛生を優位化する二項対立に依拠し、腐敗の抑圧のうえに成り立っていたことはなるほどその通りだろうが、これは近代建築のイデオロギーがあらかじめ内部に組み込んでいた構造であり、二項対立において《おぞましいもの》とされてきた項の存在をことさらに強調したところで、この構造そのものは揺るがない。むしろ明らかにすべきなのは、それがなぜこの二項対立に依拠したのか、ひいては、二項対立そのものをなぜ必要としたのか、という点であろう。この点を分析するためには、単に建築をめぐる言説内部の二項対立を析出すれば足りるものではなく、その言説がコンテクストとした歴史的、社会的文脈との関係において、当該の二項対立の機能を検討することが必要だろう。
さらに、こうした建築のイデオロギー分析は、建築をめぐる言説それ自体の重層的分析とともに、その言説と建築との関係の分析を含むべきではないか。サヴォワ邸のシンクから始まったこの論文は、ル・コルビュジエのテクストの言説分析をへて、もう一度このシンクに戻ってこなければならなかったのだ。シンクを単に二項対立関係を反復するための蝶番にするのではなく、まさにその蝶番的な両義性のなか、奇妙なオブジェとしての性格のなかに、言説と建築とのずれ、すなわちイデオロギー的テクストの二項対立図式を逃れ出る何かを認めることも可能だったのではないだろうか。文中で通りすがりに触れられているデュシャンのレディ・メイド「泉」が、《言葉》と《もの》とのすれ違いのなかに《芸術》を生成させていたように。こうした意味でこの論文もまた、《言葉》と《建築》との不一致とずれが、シンクというオブジェのフェティッシュ的な現前によって覆い隠されてしまっており、そのフェティッシュ性そのものの分析にいたることはないのである★一九。
3「女性の空間」?
ジェンダーないし性的差異に関わる建築論は、男性/女性というシニフィアンの二項対立と建築物との対応関係について、方法論のうえで十分意識的でなければならないだろう。ジェンダー建築論の陥穽は、建築物が作者のみならず、使用者(居住者)という特権的な受容者をもつことにある。そのためにややもすれば、男性ないし女性のみによって使用される建築空間について論じることが直ちに、建築における性差を論じたことになってしまいがちなのだ。そのような議論が無意味なわけではないにせよ、「メンズ・ルーム」について指摘したように、それらは多くの場合、同語反復的な主張を繰り返すだけであるか、既存のジェンダー論の言説に無批判に依拠したものになりかねない。
建築を《男性の空間》、《女性の空間》とするものが、その使用者ないし所有者の性であるかどうかがまず疑われるべき前提である。例えば美術史の分野では、美術作品の作者が女性であることだけに着目して、伝統的な美術史の言説そのものを相対化することなく、年譜に女性芸術家の名前を追加することで満足してきた従来のフェミニスト美術史のあり方が、グリゼルダ・ポロックなどに批判されており、女性画家を排除してきた美術史学の方法論とその諸前提それ自体が疑問に付されている。当然ながら、建築史においても同様の反省はなされるべきであろうし、その場合、建築空間の使用者・所有者の性のみから《女性の空間》を唱えて、それを従来通りの建築史に組み込むような所作はもはや受け入れがたいものとなるだろう。
今やほとんど自明とも思われるこのような認識をここで繰り返すのは、土居義岳の論文「テルプシコラの神殿、あるいは『女性の空間』──一八世紀末パリにおけるデルヴィユ嬢の場合」が文字通りにこのような所作を演じているからだ。この論文の冒頭で土居は次のように述べている。「建築空間をいまはやりのジェンダー論で読みといてゆくのはさほど困難ではなく、いままで蓄積された研究を再活用し、その重心をすこしずらせばよいだけであって、建築の分野でこの種の論考が少ないとすれば、それはひたすら研究者の動機づけの問題であろう」★二〇。「いまはやりのジェンダー論」で土居が何を想定しているのかは不明だが、『言葉と建築』の著者であるならば、ジェンダーないし性的差異の問題を建築と関係づける道筋について、もっと方法論的な考察があってしかるべきところだろう。
しかしあるいは、土居の「動機」は「いまはやりの」議論を擬態して、ジェンダー建築論を書くところだけにあったのかもしれない。そのための伏線がフェルナン・ブローデルやノルベルト・エリアスなどに依拠して語られている。それによれば、西欧における近代住居の成立史とは家族が閉鎖的な空間に引きこもっていく過程であり、女性はそこで公共空間から排除され、良き妻、良き母であることを強制されて、この家族=住宅のなかに囲い込まれていくのであるという。論文の第一章「デルヴィユ嬢の館を読み解くためのいくつかの文脈」で提示されるこうした枠組みに対して、主題であるデルヴィユ嬢の《ブドワール》は、一八世紀サロン文化が生んだ数少ない例外的な《女性の空間》であると位置づけられ、続く本論ではその例外的空間がこの時代に登場したことの意味が問われることになる。
この本論部分は、デルヴィユ嬢というダンサーとそのパトロンたち、そしてデルヴィユ嬢の館をめぐる紹介にそのほとんどが費やされている。ブドワールという空間についてはそこで、一八世紀から現代にいたる各種の建築辞典などの記述に基づき、「一八世紀にできた、女性の固有の、女性が『孤立した身体』になるための空間であった」と「書誌学的に」確認されている。この確認には直ちに、「しかしそれは公共空間においてそうなるのではなく、あくまで世間から隠れた場所においてそうなるのである」という補足が続く★二一。デルヴィユ嬢の場合、この空間は強烈な官能性を帯びていた。結論として土居は次のようにいう。「それでは、このデルヴィユ邸とはなんであったのだろうか。舞踏家の邸宅であり、やがて寝室とブドワールが快適性と官能性のために付加され、そうした意味でそこが女性の空間であるとはいえ、それはあくまで男性に見られ、愛され、空想される女性の空間であった」★二二。そして、土居によれば、女性がこのような「自分のテリトリー」を獲得できたのは、フランス一八世紀特有のパトロネージ形式があったからこそであるという。
ブドワールはデルヴィユ嬢にとって「自分のテリトリー」ではあるが、しかし、その所有権は男性のパトロンの援助によって支えられていた。さらにその快適性や官能性、一種の劇場性は主にこのパトロンとの関係なしにはありえないものだった。とすれば、ブドワールの真の所有者はこのパトロンであって、デルヴィユ嬢はいわば部屋の付属物にすぎなかったともいえるのだ。もしそうであったとするならば、そこは《女性の空間》であるどころか、《男性の空間》と呼ばれるにふさわしい場所であることになろう。なるほど男性身体はその空間には多くの場合不在である。しかし、ブドワールは(その付属品としてのデルヴィユ嬢を含めて)この男性の身体あるいはそのまなざしに奉仕するために作られ、整えられていた。不在であるにもかかわらず、男性身体がこの空間を支配していたのである。
論文タイトルとは裏腹に、土居の論文から帰結するのは、例外的であるはずの《女性の空間》が実は徹底した《男性の空間》であったという実態である。「結局は男の欲望が女を経由することで、変形され昇華されたものでしかないとも考えられよう」★二三と述べる土居もこのことには気づいている。だが、そこを《女性の空間》と呼ぼうと、《男性の空間》と呼ぼうと、そのいずれもが短絡的な関係を性差と空間の間に設定している限りでは、同様に不正確だというべきだろう。ここで指摘しておきたいのは、使用者の性差のみに基づいて、ブドワールを《女性の空間》と称することには危険があり、この名称があまりに具体性を欠いたものであるだけに、混乱を招くということだ。このような概念は階級的、人種的、民族的な差異をまったく無視させてしまいかねない。
デルヴィユ嬢や彼女の目標であった踊り子ギマール嬢はフランス革命の最中ないしその直後に結婚している。土居はその理由を、彼女たちの《自由》を保証していたパトロネージ形式をはじめとする社会的かつ文化的システムが革命によって崩壊した点に見ている。そして論文の末尾で土居は次のように書く。「一九世紀の市民社会は、男性的身体による公共空間を生み出し、女性は妻として母として、住宅のなかに囲い込まれるのであり、上野千鶴子が『ナショナリズムとジェンダー』において指摘したような、女性の《二流の国民》化が進んでゆく。デルヴィユ嬢らの結婚は、それとあまりにみごとに符合していて、ただただ驚くばかりである」★二四。
冒頭で提示された伏線がまったくそのまま同語反復され、議論が循環して、主題であるはずの《女性の空間》が跡形もなく消し去られてしまったことに、われわれもまた、ただただ唖然とせざるをえない。あとに残されたのは図式的な歴史観だけである。近代の建築、都市が女性を、「母性というフィクションのもとに」、良き母、良き妻として家庭という私的空間に幽閉してきた、あるいは《二流の国民》化してきたという、通俗的フェミニズムの紋切り型を根拠も示さず復唱することが、土居のいう「いまはやりのジェンダー論」の語り口なのだろうか。土居が議論の前提としている「一九、二〇世紀において女性の空間はほとんど、あるいは例外的にしか存在しなかった」という命題それ自体が、繰り返しになるが、《女性の空間》という不正確な概念に基づく、疑われるべき主張である。
デルヴィユ嬢たちの《自由》は、パトロネージ形式によって与えられていた限定された自由でしかなかった。ブドワールに引きこもり、《孤立した身体》を得た女性たちは、そこに閉じ込められ、孤立させられていたのである。《女性の空間》という呼び名は、この空間と女性との所有・支配関係を暗示することによって、こうした事実を粉飾してしまう。そして同時に、彼女たちは孤立化させられ、閉じ込められたこの室内で、一八世紀における市民的公共性の形成に関わってもいたのである。他人から離れて引きこもったこの空間において彼女たちは手紙というメディアによって、空間的には離れた個室と個室とを結びつけるコミュニケーションの回路を開いていたのだ。ポーの「盗まれた手紙」を思い起こそう。この小説で王妃がS公爵からの秘密の手紙を受け取るのは、ほかならないブドワールにおいて、ひとりきりでいたときなのである★二五。
一方、革命によって男性に与えられたという《孤立した身体》は、政体を表象していた王の身体のような有機的統一体ではなく、多数決に代表される民主主義システムの計算法則に即して要求された、可算的単位としての個体である。公共空間とは男性が十全な個人として立ち現われる場であるどころか、個性を抹消して数と量に還元する統計図表にも似た平面だった。だからこそ、一九世紀パリのブルジョアたちは室内のファンタスマゴリーに耽溺したのである★二六。こうした点からも、公的/私的空間の分割と性差との関係性はより正確に画定されるべきであろう。
個々の論点をあげていけば際限がない。個別の歴史認識にまして問題なのはむしろ、土居の論文における方法論上の前提だ。土居はまず「いままで蓄積された研究」のアーカイヴを想定し、そこから任意の分析を引き出してきて「重心をすこしずらせば」ジェンダー論ができあがるという。このような認識が仮定しているのは、アーカイヴに収蔵されたテクストの中性的な客観性であり、そのテクストを書いた者、そしていままた重心をずらして書き直そうとしている者とテクスト本体との距離である。しかし、例えば美術史の言説をめぐって批判されているのはまさにこうした中性的客観性や、テクストと論者との距離の観念にほかならない。中性的な知が立とうとするのはテクストに対するメタ・レベルだが、そのようなメタ・レベルは存在しない★二七。
なるほど逆に、アーカイヴに収蔵されたテクストを任意に改訂しうるメタ・レベルを想定してしまえば、もはやイデオロギー化している通俗フェミニズムの雑駁な歴史図式を前後に配して、自らの生産する言説のジェンダーには無関心な、一篇の《ジェンダー建築論》が書けてしまうことにもなろう。このようなメタ・レベルがありうるのであれば、《言葉》と《建築》の関係は任意に設定可能なものとなって、
《女性の空間》などという、内容を実質的に欠いた概念を使用することにも抵抗を感じずにすむだろう。土居は「建築の分野でこの種の論考が少ないとすれば、それはひたすら研究者の動機づけの問題であろう」という。しかし、研究者の関心をあらかじめ規定している建築史のテクストやそのアーカイヴの制度性とともに問われるべきなのは、まさしくこの「動機づけ」という研究者の《欲望》の由来ではないのだろうか。──明敏な土居にはこのような指摘は予定済みかもしれないが、もしそうであるとして、あえて「いまはやりのジェンダー論」を擬態してみせたのであれば、それは虚構的イデオロギーを虚構と知りつつ演じてみせる悪しきシニシズムである。
建築を論じるに際してジェンダーないし性的差異を問題にすることは、「DAMEN」「HERREN」、いずれかの扉を自分で意識的に開けることにほかならない。たどり着く場所はいつも同じひとつの空間なのだから、言説は予期しない空虚な過剰を抱え主体化されて、そこには不安がつきまとう。言説と建築のずれを通じて遭遇するこの不安のなかではじめて、われわれ自身が自らの性的差異という根源的な分割を露呈することになるのかもしれない。もしそうだとすれば、 《言葉》と《建築》の狭間に位置するこの空虚な剰余を介して、男性/女性の分割は、建築をめぐる言説のなかに書き記されることをやめないだろう。
註
★一──ホワイトマン自身は爆破の日時を「一九八八年七月二八日、日曜日の夜」と書いているが、二八日は木曜日であるから、これは誤りであろう。John Whiteman: Divisible by 2. The MIT Press, Cambridge, Mass. and London, 1990, p.7. 次にあげる論文に図版として転載された当時の新聞記事によると、この建物が爆破されたのは七月二三日の土曜日から翌日にかけての深夜である。Ann Bergren: Baubo and Helen. Gender in the Irrep-arable Wound. In: Andrea Kahn (ed.): Drawing/ Building/Text. Essays in Architectural Theory. Princeton Architectural Press, New York 1991, p.123, Fig.22.
★二──事実そこではウィトゲンシュタインのテクストが何度も引用されている。ウィトゲンシュタイン自身が姉の邸宅という作品を残した《建築家》であったことはよく知られている。彼はそこで扉や窓の設計に最も熱心に取り組んでおり、この点においても「二分割可能」はウィトゲンシュタインの関心と重なり合う要素をもっている。ウィトゲンシュタインの建築については、次の拙論で分析した。「ウィトゲンシュタインの扉」、拙著『残像のなかの建築──モダニズムの〈終わり〉に』(未來社、一九九五)六七─九三頁。
★三──Whiteman, op.cit., p.9, p.12, p.15.
★四──Jacques Lacan, L’instance de la lettre dans l’inconscient ou la raison depuis Freud, In Écrits. Éditions du Seuil, Paris 1966, p.499-500.
★五──Bergren, op.cit., pp.121-122.
★六──Lacan, op.cit., p.500.
★七──Ibid.
★八──スラヴォイ・ジジェク『為すところを知らざればなり』(鈴木一策訳、みすず書房、一九九六)三五─三六頁。
★九──リー・エードルマン「メンズ・ルーム」、『10+1』No.14(瀧本雅志訳、INAX出版、一九九八)一三一頁。
★一〇──同、一四〇頁。
★一一──同、一四二頁、★一。
★一二──イヴ・コゾフスキー・セジウィック「クローゼットの認識論」、『批評空間』第II期八号(外岡尚美訳、太田出版、一九九六)八一頁。
★一三──ヘンリー・アーバック「クローゼット、衣服、暴露」、『10+1』No.14(篠儀直子訳)一二〇頁。
★一四──同、一二三頁。
★一五──同、一二〇頁。
★一六──同、一二六頁。
★一七──同、一二八頁。
★一八──ナディール・ラーイジ+D・S・フリードマン「シンクにて──アブジェクシオンの建築」、『10+1』No.14(五十嵐光二訳)一〇五頁。
★一九──本誌一四号にはこのほか、アドルフ・ロースの装飾論を主題としたジョージ・ハーシーの論文(「なぜ建物ではなく女が装飾されねばならないのか」)も掲載されている。この論文はロースの思想に対する、チェザーレ・ロンブローゾの犯罪人類学やマックス・ノルダウの退化論からの影響を指摘したものだが、退化や頽廃を告発するこれらの言説の論理にまで分析が届いているとはいいがたい。ビアトリス・コロミーナの研究なども含めて、建築の身体/ジェンダー論の文脈でなされているロース再評価は、彼の(反)装飾論が《装飾》というフェティッシュをめぐる、建築における性的差異の分析にほかならなかったことの表われであるように思われる。同時代人オットー・ヴァイニンガーの『性と性格』に通じる、ロースにおける性差の論理については、次の拙論を参照。「性差の建築──ダンディ、モード、モダン」、『イマーゴ』一九九六年五月号、一〇〇─一一五頁。
★二〇──土居義岳「テルプシコラの神殿、あるいは『女性の空間』──一八世紀末パリにおけるデルヴィユ嬢の場合」、『10+1』No.14、一六一頁。
★二一──同、一六八頁。
★二二──同、一六九─一七〇頁。
★二三──同、一六二頁。
★二四──同、一七〇頁。
★二五──《啓蒙の世紀》一八世紀における郵便空間を通じた市民的公共性の成立とその変容については次の拙論を参照。「ポスト郵便都市──手紙の来歴、手紙の行方」、『10+1』No.10(INAX出版、一九九七)一八─二九頁。
★二六──こうした点については次の拙論を参照。「逆説都市──室内の幻像からノワールの宇宙へ」、『10+1』No.9(INAX出版、一九九七)一四─二五頁
★二七──メタ・レベルがありえないために、発話には行為遂行的な次元が伴う。中性的で客観的な知という偽装のもとに語られる《大学の言説》(ラカン)の主体は、今まで語られえなかったことを語り、問題化されていなかった領域を可視化するような発話ができない。なぜなら《大学の言説》は行為遂行的な次元を否認することによって成り立っているからだ。行為遂行的な発話をおこなう《主人》は中性的な知の下に隠れている。つまり、《大学の言説》は表面上は中性的な知を語りながら、権力関係をその装いのもとに隠蔽するのである。《大学の言説》の主体の欲望はこの隠された権力関係のなかにある。