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環境デザインは進化しているか | 小玉祐一郎
Is Environmental Design Evolving? | Yuichiro Kodama
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.180-189

省エネルギーの多様化

建築においても、「持続可能性(サステイナビリティ)」が重要な概念となってきましたが、サステイナブルという言葉の定義が必ずしも明確なわけではありません。ワールドウオッチ研究所の所長をしていたレスター・ブラウンが一九八一年に『持続可能な社会の構築』という本を著し、「われわれの住んでいる環境は先祖からの遺産なのではなく、未来の子どもたちからの借り物である」という言葉を残しています。未来の子どもたちが現在のわれわれと同じ条件で生活できるような環境を保全し、維持しなければならないと言っているわけですが、持続可能性の意味を的確に言い表わしていると思います。持続可能性は世代や歴史を越えて考えていかなければいけない課題だということですが、これは容易なことではありません。さらに、持続可能性は国境や地域を越えて考えなければならない問題であることも大きな特徴です。衛星から夜の地球を撮影した写真を見ると、照明の明るさや暗さによって、どこでエネルギーを多く使っているかがわかる。エネルギー消費には大きな地域差があることがわかります。発展途上国と言われている国はこれからエネルギーを使わなければいけないわけですけど、先進国はすでに大量に消費し、現在も消費しています。こうした地域の格差をどう考えるかも、サステイナビリティを考えるうえでの大きな課題です。つまり、時間を超えて、あるいは空間を超えて解かなければならないのが、持続可能性の問題だということです。

現在のわれわれはエネルギーを使って問題を解決するという習慣が身についているので、建築の省エネルギーを考える際にも、まずはエネルギーをいかに効率的に使うかと発想しがちです。しかし、そうではない発想──エネルギーを用いることを前提としないで解決する方法もあるのではないか。仮に前者をアクティブ志向、後者をパッシブ志向と呼ぶことにすると、それぞれに対照的な方法が対応していることがわかります。室内気候形成に関していえばアクティブなほうは、空調や照明といった技術に代表されるものです[図1]。一方のパッシブとは、そのような技術への依存をできるだけ減らすことを目標に建築のデザインを進める方法で、地域の気候にあったデザインや環境の良さを享受できるようなシステムを目指します。われわれは双方のそれぞれの良さを知っているけれども、その使い分けを上手く認識していないところもある。それらのバランスをどうとっていくかがこれからの大きな課題だと思っています。
二〇世紀というのはエネルギーを大量に使って文字通り力任せに物事を解決するという発想がベースになった時代でした。パワフルなエネルギーの使い方は建築をも大きく変えた。とくに超高層ビルをはじめとするこの時代のアメリカの建築は、エネルギーを大量に使うことによってそれまでのヨーロッパの建築を凌駕しようとしたのだと言っても過言ではないでしょう。「アメリカの建築は配管工がつくった」というアドルフ・ロースの言葉は象徴的です。その技術の恩恵は多大なものでした。過酷な環境であってもエネルギーさえあればなんとかなる。寒さや暑さを克服する技術の普及によって、居住空間は一挙に拡大されたわけです。典型的な例は宇宙船かもしれません。しかしながら皮肉な見方をすれば、人間にとって一番過酷な環境であるのは大都市だったかもしれません。劣悪な都市環境でもエネルギーさえあればなんとかなると、われわれが誤解した時代でもあったと言ってもいいと思います。

日本では、六〇年代あたりから、エネルギーへの依存が急激に増えています。「技術は突破する」という標語があったほどテクノロジーへの期待が膨らんだ時代ですが、それを支えていたのは安価で大量に供給されはじめたエネルギーでした。住宅の契約電力量をみると、5Aからはじまって10A、20Aとどんどん増えていった時代でしたし、コタツに代わって小型の石油ストーブが普及しはじめ、「採暖」から「暖房」へと人々の意識が変わった時代でもありました。二〇世紀のはじめにアメリカで開発された冷房も次第に普及しはじめる。その一方で、公害が顕在化してきたのも、巨大化する技術へのカウンター・カルチャーがでてきたのもこの時期でした。『Whole Earth Catalog』が愛読され、ヒューマンスケールのAT(=Appropriate Technology/適正技術)やE・F・シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル──人間中心の経済学』が注目された時期でもあります。
七〇年代になるといわゆるエネルギー危機が生じましたが、この時期に懸念されたのはもっぱら将来の資源の枯渇でした。メドウズ夫妻の『成長の限界』はその代表的なものでした。ちなみに現代の地球環境問題は、資源の枯渇よりも消費後の後始末の問題なのです。
このような時の一九七六年、第一回全米ソーラー・ハウス会議が開催され、パッシブ・ソーラーという言葉が生まれました。従来のソーラー・ハウスといえば、暖房や給湯のエネルギー源を太陽エネルギーで代替するという発想だったわけですが、パッシブ・ソーラーというのはそうではなくて、建築のデザインそのもので太陽熱を利用していこうという発想でした。建物の断熱性能や集熱性能を上げ、熱移動には、ポンプやファンなどは使わないで自然の熱移動を考えるという定義が設けられ、従来のものと区別してパッシブ・ソーラーが生まれたというわけです[図2]。
一九六三年に出版された『Design with Climate』という本がありますが、当時のアメリカではパッシブの原典、バイブルとして扱われていました。大学院の学生だったとき、清家清先生の蔵書にあったこの本を読んでいたこともあって、とても共感したことを記憶しています。著者のヴィクター・オルゲイは、アメリカに渡ったハンガリー人で、環境工学とデザインの橋渡しに貢献した人ですが、ここで強調しているのは多様な地域の気候に適応したデザインです。偏狭な地域主義ではなくてむしろインターナショナルな考え方が特徴的です。つまり、地域を超えて共通に存在するデザイン原理の普遍性が追及されているということです。
過酷な周辺の環境を緩和して快適な室内気候をつくろうとする際には、まず建築的手法を試み、不十分であれば、機械的な手法で補うのが原則であり[図3]、建築的手法は地域の気候特性に応じて多様にあるということです。まさに建築計画原論そのものです。

1──エネルギー指向と環境指向の比較 筆者作成

1──エネルギー指向と環境指向の比較
筆者作成

2──パッシブ・ソーラー・ハウスの誕生  筆者作成

2──パッシブ・ソーラー・ハウスの誕生
 筆者作成


3──快適温度を目指す環境計画の考え方 筆者作成

3──快適温度を目指す環境計画の考え方
筆者作成

ソーラー・ハウスの誕生

温室栽培はローマ時代からあったといわれますが、ガラスボックスを使った太陽熱利用の実験は一九一二年に行なわれています[図4]。サン・ハウスと呼ばれました。太陽熱利用の可能性を本格的に追求しはじめた例です。それまで、太陽熱がいつどのくらい得られるのか、日射に対する知識がなかったのは意外なほどです。集合住宅をつくるにしても、南向きがいいのか東向きがいいのかという議論がヨーロッパで行なわれるのはさらにあとのことです。
ソーラー・ハウスという言葉が生まれたのは一九三五年だと言われています。アメリカで二重ガラスが開発された時期で、その格好の用途と考えられたようです。しかし、太陽に関する知識はなお不十分で、方位を間違えたために、二重ガラスを使っても熱損失のほうが熱取得よりも多かったというような失敗もあったようです。シカゴ万博もソーラー・ハウスが展示されています[図5]。第二次世界大戦中は、資源大国アメリカといえどもエネルギー不足に悩まされ、ソーラーに対する興味が深まった時期でもありました。アリゾナの日射量の多いあたりで面白い住宅が造られています[図6]。室内に専用の蓄熱壁が設けられています。同じ時期にフランク・ロイド・ライトも同じアリゾナ州のフェニックスのあたりでこのような住宅をつくっています。戦後、MIT(マサチューセッツ工科大学)などで開発されたソーラー・ハウスはいまで言うアクティブ・ソーラーです。熱源の代替として太陽熱を利用しようという発想で、いくつかの著名な実験住宅がつくられています[図7]。早稲田大学の木村建一先生もこの時期、MITで開発に携わっています。
こうしてみてみますと、室内気候を制御するために本格的にエネルギーを使いはじめたのは、二〇世紀になってからで、それまでの長い建築の歴史のほとんどにおいて、室内の空気制御は基本的にはヴァナキュラーな工夫の延長にあったことがわかります。

4──太陽熱利用を実験する「サン・ハウス」 引用出典=Ken Butti & John Perlin 『ゴールデンスレッド─ソーラーエネルギー2500年の歴史と実証』 (片岡佑介訳、技報堂出版、1985)

4──太陽熱利用を実験する「サン・ハウス」
引用出典=Ken Butti & John Perlin
『ゴールデンスレッド─ソーラーエネルギー2500年の歴史と実証』
(片岡佑介訳、技報堂出版、1985)

5──シカゴ万博の「ソーラー・ハウス」 引用出典=Ken Butti & John Perlin 『ゴールデンスレッド──ソーラーエネルギー2500年の歴史と実証』 (片岡佑介訳、技報堂出版、1985)

5──シカゴ万博の「ソーラー・ハウス」
引用出典=Ken Butti & John Perlin
『ゴールデンスレッド──ソーラーエネルギー2500年の歴史と実証』
(片岡佑介訳、技報堂出版、1985)


6──室内に蓄熱機を備えたアリゾナの住宅 引用出典=Butti & Perlin 『ゴールデンスレッド』

6──室内に蓄熱機を備えたアリゾナの住宅
引用出典=Butti & Perlin
『ゴールデンスレッド』

7──MITの「ソーラー・ハウス」 引用出典=Butti & Perlin 『ゴールデンスレッド』

7──MITの「ソーラー・ハウス」
引用出典=Butti & Perlin
『ゴールデンスレッド』

日本の住環境への応用

アメリカの建築評論家のJ・M・フィッチは、ヴァナキュラーな建築には二種類のパターンがあると言っています。ひとつは、比較的温暖な気候のもとでのパターン。適宜、太陽や風を入れる開放的なかたちで、「選択型」と名付けられています[図8]。そしてもうひとつは、寒冷地や砂漠などの厳しい気候のもとでのパターンで、内外の遮断をもっぱらにする「閉鎖型」です[図9]。全然違った室内気候制御のアプローチがされる。
この分類に従えば、日本の伝統的な民家は「選択型」にあたるし、北欧の民家は「閉鎖型」にあたる。近年の高気密高断熱住宅のルーツは「閉鎖型」にあるのですが、日本は北海道の住宅が独自にスウェーデンやカナダの技術を導入して開発されてきた。北海道は北欧並みに寒いところですから、日本の伝統的な方法の限界を見極めて方向転換したのです。当然といえば当然ですが、しかしそれがだんだん南下してくると温暖地の伝統的な手法と矛盾を起こし、いろんな軋轢が生じてきています。
温暖地では、「選択型」をさらに進化させるべきなのか、それとも「閉鎖型」にして効率的な空調を行なうべきなのか。どちらであれ、エネルギー消費量が等しいのであれば、省エネの観点からは変わりはない。しかし、どちらをとるかによって建築のかたちは違い、また得られる快適さの質も異なってくる。これはさきほどのアクティブ系とパッシブ系の二つに対応すると考えていいでしょう。
明らかなように、還元主義的なアプローチをして定量的な分析がしやすいのは「閉鎖型」です。寒い国で近代科学が進歩したのは偶然でしょうが、そのこともあってか、「閉鎖型」の研究や技術開発は近代とともに速やかに進歩してきました。現代の空調技術や高気密高断熱住宅もその延長上にあるといってよいでしょう。一方、「選択型」では、定量的な分析がとても難しい。時々刻々変化する外界の状況に合わせて建物の性能を考えるためには、非定常な熱の現象を分析しなければならず、厄介な計算が必要です。そういうこともあって、技術的な進歩はすごく遅れます。選択型の民家の良さは断片的に語られて、応用も試みられますが、技術的にもあるいは理論的にもなかなか体系化されませんでした。結局のところ、体系化はコンピュータ解析が普及する時期まで、つまりはパッシブ・ソーラーが誕生する一九七〇年代まで待たなければならなかったのです。

もちろん、それまでにも「選択型」の研究がなかったわけではありません。一九二八年に藤井厚二が『日本の住宅』という本を著しています。竹中工務店で仕事をし、外遊から帰って京大で教鞭をとり、日本の建築環境工学の基礎を築いたひとりとされますが、日本では日本の気候にあった独自の設計論が必要であるとの確信がこの本の背景にあります。先程述べたように、その頃の解析技術はまだ十分ではない。そこで藤井は、五つの実験住宅を建設して検証を試みます。その五番目の自身の住居が《聴竹居》です[図10]。藤井厚二は建築史では数寄屋づくりの名手とされていますが、建築計画原論、建築環境工学のパイオニアでもあったことも強調しておきたいと思います。
「選択型」の技術の研究は、藤井以後も続けられ、戦争の時期にも、日本の植民地住居における通風の研究がされています。しかし残念ながら終戦とともに中断してしまいます。戦後の混乱期を経て、ようやく戦後が終わったとされる時期は、安価なエネルギーが大量に供給されはじめていました。エネルギーを使用するパワフルな建築設備技術が台頭した時代でした。このような新しい技術の研究のほうがずっと面白いということがあったのかもしれません。通風の研究をしたいと申し出て、空調技術があるのになぜ通風の研究なのかと問いつめられた個人的な経験も、いま思えばなつかしいですね。そのような時期を経て、一九七〇年代のパッシブ・ソーラー、さらには暖房も冷房も含むパッシブ・デザインの研究へとつながっていくのです。
現代は、再び通風の研究が盛んです。自然エネルギー活用のニーズの高まりに加え、CFD(Computational Fluid Dynamics)という流体力学のコンピュータ・シミュレーションが大きな助けになっています。このようなデザイン・ツールの進歩によって、ようやくわれわれは地域特性を活かす住宅の設計を本格的に考えることができるようになりました。

これは二三年前につくった筑波の実験住宅です[図11]。日射の取得、蓄熱、断熱保温というパッシブ・ソーラーの基本的な要素をこの地の気候特性にあわせて組み合わせ、三位一体となったものができるかどうかを実験した住宅です。そのころ開発したばかりのコンピュータ・プログラムを駆使して検討しましたが、パソコンで一回計算するのに一晩かかるという時代でした。いまは瞬時にできるのですから、パソコンの進歩には驚きます。ともあれ、熱的な性能は結構よくて、厳冬期に暖房しなくとも明け方の温度が一四度以下にはならないとか、実測と体験で学んだことがじつにたくさんあって、楽しみました。もうひとつ面白いことは夏の性能です。夏は夜間の温度が下がるわけですから、夜間換気を十分にして冷気を室内に取り込んでおくと、躯体が冷えて翌日は冷房が不要な快適さを得られることです。理屈ではわかっていても体感しないと納得できないことですね。もちろん、日射遮蔽が前提ですが、大きな集熱窓の全面に植えたノウゼンカヅラというツタ植物が、一〇年も経つと屋上まで達するほど伸びて、季節に応じて葉を落とし、天然の自動カーテンのようなものになりました。花を楽しむ面白さも体験できます[図12]。日本は温暖地と言っても暑い夏と寒い冬の双方の配慮が必要なところですから、パッシブ・ヒーティングとパッシブ・クーリングを統合したパッシブ・デザインの考え方が重要です。夏の暖房負荷と冬の冷房負荷を減らすことはもちろんですが、それに執着するよりも暖房も冷房も要らない中間期の心地よい期間をいかに伸ばすかということを設計のテーマにしたほうがよいと、最近は感じています。

8──備瀬の住宅(沖縄) 「選択型」室内制御の例 筆者撮影

8──備瀬の住宅(沖縄)
「選択型」室内制御の例
筆者撮影

9──リレハンメルの住宅(ノルウェイ) 「閉鎖型」室内制御の例 筆者撮影

9──リレハンメルの住宅(ノルウェイ)
「閉鎖型」室内制御の例
筆者撮影

10-1──藤井厚二《聴竹居》  外観 筆者撮影

10-1──藤井厚二《聴竹居》  外観
筆者撮影

10-2──藤井厚二《聴竹居》  内観 筆者撮影

10-2──藤井厚二《聴竹居》  内観
筆者撮影


11-1──筑波の実験住宅  外観 筆者撮影

11-1──筑波の実験住宅  外観
筆者撮影

11-2──筑波の実験住宅  内観 筆者撮影

11-2──筑波の実験住宅  内観
筆者撮影


12-1──筑波の実験住宅 集熱窓  夏 筆者撮影

12-1──筑波の実験住宅
集熱窓  夏
筆者撮影

12-2──筑波の実験住宅 集熱窓  冬 筆者撮影

12-2──筑波の実験住宅
集熱窓  冬
筆者撮影

PLEA──世界ネットワーク

パッシブ・デザインの分野では、PLEA(Passive and Low Energy Architecture)という国際ネットワークがあって、一九八二年に第一回大会を開いて以来、毎年開催されています★一。日本では、これまで奈良と釧路で開催しています。その活動はPLEA憲章に示されていますが[図13]、パッシブ・デザインの普及に大きな貢献をしてきました。研究者、技術者、設計者などが参加する分野横断的、学際的なところが特徴です。最近は熱帯地域でのパッシブ・デザインの研究も盛んで、inTA(International Tropical Architecture)という国際会議も開かれています。
もうひとつ建築家に大きなインパクトを与えたものに、一九九三年にリチャード・ロジャースレンゾ・ピアノノーマン・フォスター、トーマス・ヘルツォークらが開いたREAD(Renewable Energy for Architecture & Design)という会議があります。その後のエコ・デザインの大きな流れをつくるきっかけになりました。彼らの作品はたくさんありますけれど、超高層から住宅まで、多様なハイテク・パッシブ・デザインの開発事例が見られます。
フォスターはバックミンスター・フラーの弟子ですから、いろいろと面白いことを考える方ですけれど、《コメルツバンク》は環境技術の面で画期的な試みがされた建物でした[図14]。建物の芯になる部分を吹き抜けにし、それを囲んで回転するように螺旋形にオフイス空間が配されています。四階ごとにテラスを設けてそこから光と外気が入るシステムを考えている[図15]。それぞれのオフィス空間にも外気を入れるファサードの仕組みがあります。このような工夫によって、必ずどこかから日射や外気が入ることを実現しています。
これはフォスターの《ロンドン市庁舎》です[図16]。こんな形をしているのは別に奇を狙っているわけではなくて、南側は陽が当たるからちょっと日よけができるようにオーバーハングさせ、北側では大きな吹き抜けのスペースから自然光を取り込むというシンプルなジオメトリーです。
もうひとつの例はピアノの《ニューカレドニア市庁舎》です[図17]。これは温暖地にありますからもっぱら風の分析をしてつくられている。ウィンドキャッチャーの発想とか風よけの発想とかは、この地域の伝統的なヴァナキュラーなアイディアだと言われてますが、風の変化に対する対応の仕方にいろいろ面白い仕掛けが入っていて、それが全体の形をつくっているのです。
このような建物に共通しているのは、外界に対して室内空間を開こうとしていることです。外界を遮断するのではなく、その変化を積極的に活用しようというところです。このようなデザインを環境に応答するデザイン=レスポンシブ・デザインと呼ぶこともあります。

13──PLEA憲章 引用出典=日本建築学会編『シリーズ地球環境建築・ 専門編2 資源・エネルギーと 建築』(彰国社、2004)

13──PLEA憲章
引用出典=日本建築学会編『シリーズ地球環境建築・
専門編2 資源・エネルギーと
建築』(彰国社、2004)


14──N・フォスター 《コメルツバンク》 著者撮影

14──N・フォスター
《コメルツバンク》
著者撮影

15──N・フォスター 《コメルツバンク》 平面図(上)、断面図(下) 引用出典=『シリーズ地球環境建築・ 専門編2 資源・エネルギーと建築』 (彰国社、2004)

15──N・フォスター
《コメルツバンク》
平面図(上)、断面図(下)
引用出典=『シリーズ地球環境建築・
専門編2 資源・エネルギーと建築』
(彰国社、2004)


16──N・フォスター 《ロンドン市庁舎》 筆者撮影

16──N・フォスター
《ロンドン市庁舎》
筆者撮影

17──R・ピアノ 《ニューカレドニア市庁舎》 提供=ARUP JAPAN

17──R・ピアノ
《ニューカレドニア市庁舎》
提供=ARUP JAPAN

都市への応用

エコ・シティやコンパクト・シティ、サステイナブル・シティなど、都市に関係した環境のテーマも最近は目白押しです。
コンパクト・シティという概念が知られるようになったのは、私の知る限りでは一九七三年にG・B・ダンツィクとT・L・サーティが出した『Compact City』が初めてではないかと思います。都心部に集中して住むために、巨大な人工地盤の積層体をつくるという提案がされていますが、これはきわめてシステムエンジニア的な発想で、面白いところです。人工地盤をつくって、太陽や風の到達しないところは効率的な人工照明と換気設備、冷暖房設備でまかなうというこれはこれで合理的な発想です[図18]。その結果、効率的に人工気候は達成され、巧みな人工空による照明や全体の換気システムが配置されていますが、素朴な疑問が残ります。効率的ではあるかもしれないけれど、住む環境としてこれで良いのかどうか。自然とのもっと直接的な関係を築く必要があるのではないかと感じます。バックミンスター・フラーがニューヨークのマンハッタンで考えたことも同じことでしょう。大きなシェルターで覆い、その中で効率のいい空調をするという考えです[図19]。しかし、それらの限界も見えてきた時代に来ていると私は思っています。
シカゴの《ジョン・ハンコック・センター》です[図20]。一〇〇階建てのビルですが、四〇階まではオフィスで、中間階にコミュニティ施設があって四二階から一〇〇階までは住居という構成です。建物がひとつの都市であるという意味で、コンパクト・シティと言ってもよいでしょう。しかし、実際にここに住んでいるのはリタイアした裕福な老夫婦かDINKS(Double Income No Kids)のリッチなカップルといった感じですし、コミュニティとしての多様性に欠ける印象は否めません。
香港は、その高密度居住システムから、これからのアジア型サステイナブル・シティのモデルとされることもあります。実際にひとりあたりの地球環境負荷は少ないという報告もあります。超高層アパートが林立する景観はエキサイティングで、夜などはSFの世界にいるのではないかと錯覚しそうです[図21]。シンガポールにも同様の都市住宅政策があります。これらが日本のモデルになるかどうか、基本的なパラダイムが問われています。
竹中工務店の「スカイシティ1000」というプロジェクトです[図22]。超高層を前提とすれば、このような居住形式も未来の選択のひとつとしてあるのかもしれません。近年はエアコンが急速に普及していて、それぞれの住戸はエアコンによって辛うじて支えられている宇宙船のような状況を呈しているものもあります。高密度居住であっても、より低層で、ポーラスで、外界との応答可能なレスポンシブ・デザインはないものか。個人的にはこの方向での可能性に賭けてみたいと思っています。
フリッツ・ラングの『メトロポリス』という有名な映画がありますが、そうした都市像に異議を申し立て、ヒューマンスケールの都市を提案したものに、「エコポリス」があります。一九八五年にT・ルーツらのドイツの建築家グループのこの提案は、中世の街の復活ではないかという印象です。中央の道路の左側がメトロポリスのモダンで機能的な都市のイメージ、右側が彼らの考えるエコポリスのイメージです[図23]。ロマンティシズムと一蹴する前に、どちらが住み易いかと考えてみれば、このような選択もあるだろうと思わせる提案です。

18──コンパクト・シティの平面図および側面図 引用出典=G・B・ダンツィク+T・L・サアティ 『コンパクト・シティ── 豊かな生活空間  四次元都市の青写真』 (森口繁一訳、日科技連出版社、1974)

18──コンパクト・シティの平面図および側面図
引用出典=G・B・ダンツィク+T・L・サアティ
『コンパクト・シティ──
豊かな生活空間  四次元都市の青写真』
(森口繁一訳、日科技連出版社、1974)


19──B・フラー「マンハッタン計画」 引用出典=R. Buckminster fuller, Your Private Sky, Lars Müller, 1999.

19──B・フラー「マンハッタン計画」
引用出典=R. Buckminster fuller, Your Private Sky, Lars Müller, 1999.

20──《ジョン・ハンコック・センター》 筆者撮影

20──《ジョン・ハンコック・センター》
筆者撮影


21──香港の超高層アパート 筆者撮影

21──香港の超高層アパート
筆者撮影


22──竹中工務店「スカイシティ1000」 引用出典=グループV1000編 『縦型都市構想──自然との共存をめざす 近未来立体都市』(海文堂出版、1989)

22──竹中工務店「スカイシティ1000」
引用出典=グループV1000編
『縦型都市構想──自然との共存をめざす
近未来立体都市』(海文堂出版、1989)

23──「エコポリス」ドローイング 引用出典=R. Lutz, Oekopolis−Stadt der Zukunfut, DEU-BAU, 1987.

23──「エコポリス」ドローイング
引用出典=R. Lutz, Oekopolis−Stadt der Zukunfut,
DEU-BAU, 1987.

パッシブ・デザインの意義と役割

環境に関するさまざまなアプローチのデザイン、テクノロジーの話をしてきました。規模も住宅のような小さなものから大きなスケールの建築までパッシブ的な考え方が多様に展開されてきているのです。ローテクの原理なのに、じつはハイテクな材料や技術が不可欠な要素として組み込まれている場合も少なくありません。ただし、魅力的なデザインの結果が本当に省エネになっているのか、疑問だという意見もないわけではありません。他方、アクティブな技術の進歩にも瞠目すべき成果があります。しかし、ここでもエネルギー効率の高い技術の追求の結果が、外部の自然との応答を欠いた無味乾燥な居住空間をもたらしている。それは、本末転倒ではないかという疑問があります。パッシブにしろ、アクティブにしろ、環境デザインは本当に進化しているのか問い続けていく必要がありそうです。
いずれにせよ、これからのすべての建築には地球環境負荷が少ないことが求められます。省エネルギーであることも含め、低環境負荷は近未来の持続可能な社会における建築の必要条件になることは間違いありません。そのうえで、持続可能な社会における建築や都市の十分条件が問われはじめています。そのことは、どのような都市に住みたいのか、どのような住居に住みたいのかが問われることにほかなりません。「われわれは明日どこに住むか」。一九六〇年代にM・ラゴンはこのように問いかけましたが、地球環境問題に直面する私たちは、別の意味で改めて問いかけられているように思うのです。そのときにこそ、パッシブ・デザインの意義・役割があると考えています。


★一──http://www.plea-arch.net/plea/home.aspx

質疑応答

難波和彦──今日出席したみなさんはサステイナブル・デザインやエコロジカルなデザインの歴史と現代における課題、テーマ、実例を大雑把に把握できたと思います。僕もほとんど意見がないくらい体系的に話していただけたと思います。結局エネルギーや物質循環のことをやってきても、最後はライフスタイルの問題になるというようなことを最後のところでおっしゃっていて、問題がパッと広がっていきました。それがいわゆるサステイナブル・デザインを相対化するというか社会に位置づけるような発想になっていて、僕はたいへん面白く拝聴しました。
鈴木成文──たまたま東大に来ましたら、興味深いことをやっていたので顔を出して聞いていました。
今日のお話にあったアクティブ/パッシブについて言うと、このところ、住宅は高気密高断熱にしてエネルギーをなるべく使わないほうがいいという意見がある一方で、シックハウス対策のために三六五日二四時間換気しろなんて言っていて、まったくおかしなことですよね。私の家はずいぶん古くて隙間だらけですが、縁側で日向ぼっこすると、冬でもものすごく快適ですよ。
人間にはそれぞれ快適感というものがありますが、住宅の変化が段々と人間の感性を変えていってしまうのではないかという心配があるんです。エネルギー効率のことも重要でしょうが、人間がどのように変えられてしまっているのかをまずは考えていかなければいけないと思っています。
快適感は、年齢や世代によって違うかもしれませんが、その一番の元は「体験」にあると思うんです。人間の感性がどれだけ変えられてしまっているのかわかりませんが、体験を取り戻すことはできないわけだけど、人間は変わるものだということをもっとよく考えないといけないと思いながら聞いていました。
小玉──パッシブな空間の面白さというのは、若い人ほどわかってもらえないところがあるのではないかと危惧しています。暖房や冷房に慣れている人たちというのは、少しでも快適な状態からはずれると不快に感じることがあるようで、それではいけないんだと言うためにパッシブをやってる人もいます。パッシブの良いところは、子どもたちに自然の変化を教えられることだと思っているのですが、たぶんいまおっしゃっていただいたこととすごく近い感じかなと思います。
そういう素敵な空間をつくるのは、われわれの自己満足のためではなくて、次の世代に対してそういう良さを受け継ぐということなんだと思います。
太田浩史──いつも小玉先生にはそれぞれの話を独立したかたちで伺っていたのですが、すごく洗練されたプレゼンテーションで、歴史と実践の流れのなかでとてもよく理解できました。
実例をいろいろと見ていくなかで、ひとつ今日は出ていない技術があるなと思いました。それはBEMS(Building Environmental Management System)とかモニタリングの技術です。自動調光ブラインドを付けたりとかエネルギーを効率的に管理する技術で、オフィスビルなどで導入されていて成果をあげていてるわけですが、九〇年代に非常に重要になってきた技術です。
そうした効率性を求める技術は、じつはさきほど先生がおっしゃっていたセレクティヴ(選択的)な環境にとても影響を受けています。フィッチのところでお話があったセレクティヴというのは、伝統的な住宅で人間が戸や窓を開け閉めするというイメージだと思うんです。僕はそういう閉じないで開けておける技術と効率的なマネジメント技術はどこかで交差するはずで、そこがとてもおもしろい。その前兆はいろんなビルで出はじめているし、そういう技術が交差するところにアジアのポーラスな建物の将来像がある気がします。そのあたりについてご意見を伺いたいのですがいかがでしょうか。
小玉──オートマティックにシステムを制御する技術はたいへん面白い。その制御の基準をどのように設定するか、悩むところですね。ひとりの場合には問題にならないことですが、多数の人が使用するパブリックな場所では最大公約数的なものが基準になりますよね。それが本当に有効なのかどうか。オフィスビルのマネジメントでも、そういう基準をどうやってつくるかというのは大きな悩みでもあります。おっしゃるように空間を閉じれば制御は一挙に簡単になるのですが、開けたままでどのように制御するか、ポーラスな建物の面白い課題です。いずれにしても、BEMSはますます重要になる。省エネ性はBEMSの結果をフィードバックする重要な指標ですが、それ以外の快適さの質に関するような指標もいずれ組み込まれるのかもしれません。
それから、人間の感覚はちょっと薬なんかを飲んでしまうとがらっと変わります。快適さの制御は、バイオテクノロジーの力を借りたそういう受容器官の制御の仕方も将来はあるかもしれない。怖い話ですね。
会場──今日お話しいただいたこうした試みは、個別の要素技術の集積が非常に多く、改善的なものになりがちな気がします。それから、非常に真面目な提案が積み重ねられているところがあると思っています。そのことで逆に大きなムーヴメントになりえていないような気がします。オルタナティヴで個別な提案というものを超えたメインストリームになっていくための可能性はどのあたりに見出していらっしゃるのでしょうか。産業としても文化としてもある程度のひとつの大きな流れとなるようなきっかけはあるのでしょうか。
小玉──結論から言ってしまいますと、やっぱりちゃんとしたデザインの統合手法をつくっていかないとだめだと思います。導入した環境配慮型要素技術の数の多さで建物を評価するようなる例がありますが、わかりやすいとはいえ、このようなアプローチではちっとも面白いデザインにならない。デザインというのはインテグレーションの問題ですから、単純な足し算ではない化学反応のようなものでしょう。そのようなものだとしても、環境と応答する仕組みには、新しい建築をつくる大きなポテンシャルがあると思っています。
[二〇〇五年三月一七日]

>小玉祐一郎(コダマユウイチロウ)

1946年生
神戸芸術工科大学教授。建築家。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>サステイナブル

現在の環境を維持すると同時に、人や環境に対する負荷を押さえ、将来の環境や次世代の...

>清家清(セイケ・キヨシ)

1918年 - 2005年
建築家。東京工業大学名誉教授、東京芸術大学名誉教授。

>フランク・ロイド・ライト

1867年 - 1959年
建築家。

>リチャード・ロジャース

1933年 -
建築家。リチャード・ロジャース・パートーナーシップ主宰。

>レンゾ・ピアノ

1937年 -
建築家。レンゾ・ピアノ・ビルディング・ワークショップ主宰。

>ノーマン・フォスター

1935年 -
建築家。フォスター+パートナーズ代表。

>バックミンスター・フラー

1895年 - 1983年
思想家、発明家。

>難波和彦(ナンバ・カズヒコ)

1947年 -
建築家。東京大学名誉教授。(株)難波和彦・界工作舍主宰。

>太田浩史(オオタ・ヒロシ)

1968年 -
建築家。東京大学生産技術研究所講師、デザイン・ヌーブ共同主宰。