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都市計画──潜在性について | 後藤武
Urban Planning: On the Virtual | Goto Takeshi
掲載『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000, 2000年03月発行) pp.156-164

都市を計画することの不可能性が繰り返し指摘されてきた。かつて磯崎新は早い時期に都市からの撤退を宣言し、都市を計画するという行為の代わりに見えない都市という概念を彫琢していったことはよく知られているわけだし、レム・コールハースはもはや存在しない職能の代理=表象者として都市について語るという倒錯した立場を表明していたのだった。だがしかし、いずれにしても都市は作られ続けている。建築家や計画家という主体をはるかに凌駕する複数の決定機構を通して、都市は生み出され続けている。そのような状況のなかでなおも都市を問おうとしたとき、どのような戦略がありえたのか。ここでは一九九〇年代に見出されることになったいくつかの都市計画の戦略的方法について考察してみることにする。

人工と自然

よく知られているように東京湾岸は一九八〇年代から巨大資本による大規模な開発が行なわれる。東京湾岸地域の埋立地は、従来主に工業用地や流通産業用地として使われ、いわゆるテクノ・スケープを形成していた。高度経済成長期に工業機能用地が大幅に減少し、住宅地開発がさかんに行なわれるようになる。しかしその後単一機能だけではなく、住宅や商業、業務など複数の都市機能を集積、複合させた都市が湾岸に形成される。もちろん「幕張新都心」、「みなとみらい21」、「東京臨海副都心」と呼ばれる新都市がそれである。一九八九年に構想がまとめられることになる「臨海副都心」計画は、東京湾岸埋め立て地四四八ヘクタールに、高度情報通信ビル「テレコムセンター」や国際展示場、住宅、清掃工場などを整備する新都市だった。
東京湾岸は極度に人為的・計画的な都市である。終戦後五〇年間で東京の面積は四四〇〇ヘクタール広がったといわれるが、そのほとんどが湾岸の埋め立てによるものである。埋め立てとは新たな土地の創出であり、計画がその上に依拠すべき「地」としての土地そのものから新たに生み出そうとするものである。湾岸地域がしばしばタブラ・ラサとして記述され、コンテクストの不在を強調されるのも、計画という「図」を支えるはずの「地」自体もまた計画であるというパラドクスに起因する。そこで新たなコンテクストが発明されることになる。つまり計画の根拠、計画というゲームを繰り拡げるためのゲーム盤を定めるというわけである。
しかしどのような場合にせよ、根拠は最終的には不在である。というよりは根拠を問うという身振り自体が、根拠という存在を自明なものとして定位したときに現われてくるものなのだと言うべきなのかもしれない。根拠は外部的な観察者の視点に立つときにはじめて問われるものである。都市計画は多くの場合こうした外部的な観察者の視点からなされ、全体像が描き出されてきた。河本英夫が指摘しているように★一、それは構造主義の視点とパラレルである。河本によれば構造主義は、システムの作動という事態を前にして、規則構成的に作動の根拠を明らかにしようとし、その根拠を「構造」として取り出してくる。構造に基づいてシステムが作動していると考えるわけである。そこでは構造が存在することが前提にされている。それに対してオートポイエーシスの機構はシステムの作動を内的に捉えようとすると河本は言う。構造はア・プリオリに存在するのではなくてシステムの作動を通じて反復的に構成され維持される。
南泰裕は東京湾岸という場所が自然/人為という安定した認識の構図を足元から崩す可能性を孕んでいることを論証している★二。計画概念の徹底化の果てにそれが内破し、〈極域〉となっているという。そこは最も中心的でありながら、最も周縁的でもあるような場所である。湾岸という場所の可能性の中心はおそらくそこにあるはずだ。湾岸という場所が孕むそのような特性の一方で、現実に東京湾岸に計画され建設されつつある都市は、可能性としての湾岸と微妙に交差しつつもかけ離れた存在になりつつあるようにも見える。「臨海副都心」計画建築群の巨大なスケールは、湾岸という人為的自然の巨大なスケールに拮抗することを余儀なくされたかのようであり、自然と人工とが荒々しく衝突しているような印象を受けもする。しかしそこには決定的に出来事が欠けている。
湾岸の新都市計画は、複合機能都市として計画されたがゆえに住居、オフィス機能、商業施設、コンヴェンション機能、水族館、美術館、人工スキー場やら何やらが隣り合わせに並存する多様な都市として成立しはじめている。東京都が事業コンペにあたり機会均等をうたって一事業主が一街区のみ応募できるという規定を設け、街区ごとにばらばらに計画がすすんでいったという事情などもあって、街区が都市という有機的な全体を想定することなく成立していく状況が起きている。これはかつてのニューヨークのグリッド・システムがもたらした事態といささか似ていなくもない。ただし東京湾岸は多様なようでいてその実きわめて平板な、一元的な多様性のオプティミズムに貫かれている。
都市と自然との関係においても同様のことが言える。近代的な計画概念は、実際はエコロジカルな自然観と背反しつつも背中合わせに共犯関係を結び続けてきた。よく知られているようにル・コルビュジエは自らの都市計画を巧妙に田園都市の中に散種させようとした。自然を外部として措定しつつ内在化させること。人工と自然がほとんどその境界を見失わせるほど複層化した湾岸という場所において計画され続けているのは、依然として平板な都市と自然の関係でしかない。

計画と複雑性

東京湾岸に可能性として見出された自然/人為の二項対立を揺るがすもの、それを八〇年代の末から九〇年代の初頭にかけて計画されたいくつかの都市計画のなかに垣間見ることができる。例えばヘルツォーク&ド・ムーロンは一九八九年に行なわれた「バルセロナ・ディアゴナル・コンペティション案」[図1─3]において、公園として利用できると同時にバイオ浄水施設としても機能する人工池システムを提案している★三。コンペティションで求められていたのは住宅地開発だったのだが、ヘルツォーク&ド・ムーロンが実際に行なったのは、セルダ地区全体に拡がる特徴的な低地であるアヴェニダ・ディアゴナルのリデザインだった。まず最初に住宅地を開発するというプロセスを踏むのではなく、この地域の将来的なあり方そのものを問うことからはじめるべきだというわけである。彼らによればバルセロナは、都市部が周辺の地理学的条件とは無関係に存在しており閉じた系を形成している。したがって山地と海域との関係において都市を開いていく方向性を彼らは探求しはじめる。いかにしたら都市と海域との関係を切開することができるか。それもただ形態学的に開いているように見えるというだけでなく、いわばシステムとして両者の系列を接合することはできないか。
敷地には既存の浄水プラントが存在している。それはいかにも行政が義務的に運営しているといった感じの施設であり、「まるで監獄でもあるかのように」エッジへと追いやられている。同じような施設は東京湾岸でも無数に目撃することができる。その巨大なアウト・スケールと無機的なデザインが湾岸のイメージを徴づけているとも言えるわけだが、人為的な計画と自然との二項対立的な衝突を表象しているようにも見える。ともあれヘルツォーク&ド・ムーロンは、既存の浄水プラントの代わりに浄水池を中心にしたシステムを提案している。浄水システム自体は、従来の機械的、化学的浄水と自然浄水とを併用したものである。かつての鉄道の敷設地に、その線路の有機的なサイン・カーブをそのままに掘削して浄水池とする。浄水池にはいぐさ、葦、藻類などが植生を考慮して植えられ、並行して歩道が通っている。これらがスパイラル状に縒糸となっている。
浄化された水は、バルセロナの既存街区とほぼ同じスケールのグリッドに分割された庭園を通過し、庭園を潅漑することになる。ちょうどイスラム庭園のように、サンクン・ガーデンの高低差を利用して、ポンプなどの機械装置を用いることなくセルダ地区へと送られる。それは、「構築された都市の砂漠の中にオアシスをもたらす」という。バルセロナを「リズムと色面なきモンドリアン」と形容する彼らは、均質なバルセロナの街区ブロックの中に同じスケールの緑のブロックを挿入させ、ブロックの組み合わせゲームを行なっているかのように見える。配置図上で黒く塗られた線状の浄水池の錯綜体はモンドリアンのジップだとでもいわんばかりである。
ここでおそらく重要なのは、公園や庭園といった自然を人為的な都市の中に挿入するというだけにとどまらず、浄水システムという人為的な装置を通して(人為的といっても構築される要素は従来の浄水場の巨大な産業構築物に比べればミニマムであり、ランドスケープを掘削する程度でしかないのだが)、自然というシステムと都市というシステムを同時に操作しようとする視点だろう。自然を超越的な外部として措定するのでもなく、また一方で計画に自然を取り込みつつほどよく内在化させることで相補的な共犯関係を生み出すのでもなく、二つのシステムを同一平面において作動させること。
ヘルツォークは、自らの計画はすべて観察と記述によってできていると語っている★四。計画論的な全体性を措定することなく、観念的な先入観を注意深く蒸発させていきながら、観察と記述によって計画対象の特性を複層的に捉えていく態度は彼らに特徴的である★五。「自然の中に潜む幾何学」というテクストのなかでは、彼らは花崗岩でできた山と石灰岩でできた山との差異について言及している。それによれば、目で見ることのできない結晶学的構造が異なるために、花崗岩でできた山と石灰岩でできた山とは異なる形態を持つことになるという。ここには対象の倍率を変化させていく視点がある。倍率を変えることによって可視のレヴェルが変わる。山を全体として見る視点からは、この二つの山の形態の差異を説明することはできない。形態のヴァリエーションをタイポロジー化することができるくらいであろう。逆に結晶のレヴェルに着目し、その結晶の単位と隣接性を扱うとき、花崗岩にせよ石灰岩にせよ結晶のレヴェルでは、山全体の形態をけっして想定する必要もなく、さまざまな形態が差異として析出される姿をシミュレートすることができるはずである。そこでは全体を想定することなく部分と部分の関係だけがすべてである。おそらく彼らにとっての計画はこうした結晶の単位と隣接性の規則を探求することになっているのではないだろうか。
また、自然が都市の人為性の補完物として機能させられていることに対する批判的な作業の例として、West8による一連の計画、例えば「アムステルダム・テレポート・パーク計画」[図4・5]と名付けられた計画がある★六。アムステルダム中央駅からスキポール空港へとつながる高架の鉄道が敷設されることになった。これは東京でももちろんそうなのだが、首都高速や鉄道の高架下は、ほとんどが有効に利用されることなく、多くが排気ガスによって汚れた空地となっているか、利用されても駐車場、時に公園となっている場所もある。日照が得られず暗く、ときに危険な場所になる。アムステルダム市当局は、そこが荒廃してその荒廃ぶりがその地区全体のイメージとして流通してしまうことを危惧して、高架下の空地を公園とすることで、そこを明るいイメージの場所に転化しようとする。緑あふれる公園は、都市の中に豊かな明るさをもたらすことは事実だろう。しかしそこは、都市計画によって全く人工的に生み出されてしまった残余の土地、都市計画の矛盾が集約されてしまった場所としてのヴォイドだ。West8は、そこを公園にすることによって、都市計画の矛盾を見えなくすることを求められたわけである。だがそこは典型的な郊外のぺリフェリーであり、オフィスが集約する単機能の地域であり、居住者のほとんどいない地域である。高架下という悪条件に加えて公園としての機能的なポテンシャルをほとんど望めない場所に公園をつくったとしても、そのうち時間の進行とともに荒廃していくことは目に見えているだろう。そこで彼らが選び取った戦略は、いささか倒錯したものである。公園の廃墟そのものを新たにデザインしようとしたわけである。この計画の具体的なデザイン要素もまた、人工と自然との関係を転倒させるようなシュルレアリスム的とでもいうべきシニカルな策略であふれている。コンクリートによって作られた模造の木や切り株。
オランダの湾岸で展開されつつある「ランドスタッド」という環状都市計画がある。この計画には、湾岸というクリティカル・ポイントをめぐって、人工と自然との関係性を問い直そうとする姿勢を感じ取ることができる。オランダでは住宅地建設が緊急課題となっており、埋め立てによって新たに土地そのものを生み出して住宅地を形成していこうとしている。しかし経済価値を生み出す敷地を自動的に生み出していくよりも前に、これ以上都市を拡大する前に、まずランドスケープを形作り、その後に都市を作っていこうとしているように見える。West8による「ロッテルダム・砂丘都市計画」は★七[図6]、二〇ヘクタールの規模の埋め立て計画である。これは正確に言うと埋め立てではない。海に堤防を築き、海水をポンプで汲み出すことで土地を露にするからだ。こうして「ポルダー」と言われる干拓地ができあがる。沖の島側から埋め立てを始めて徐々に海岸線の方に向かっていき、海岸線に辿り着く手前で埋め立てをやめる。するとそこには海岸線はそのままで淡水の湖ができることになる。この作業は三年という時間がかかる。掘り出された砂は高さ八〇メートルにまで積もり、人工の砂丘ができあがる。冬期にはこの砂丘は風によって西方へと飛ばされていく。通常考えればこれは、計画に対する自然の予期せぬ作用として災害としてとらえられる事態である。しかしWest8はこの自然の作用自体を計画のなかに組み込んでいってしまう。そしてその次に雑草の種子を飛行機によって散種する。これはアドリアン・ヒューゼによれば空き地の創出だという。これによってこの地区から火災による延焼の危険を排除することができる。ここでは進化の過程がミクロなレヴェルですすんでいく。初期条件だけを与えることによって自然の進化の過程を引き起こし、それを内在的に観測すること。こうして多様な生態系や植生をもったランドスケープが生み出されることになる。
このような計画プロセスにおいて、あらかじめ全体性を想定することはとうてい不可能である。浚渫という行為によって生じた砂丘とその砂を飛ばしていく風という隣接的な関係によって、ランドスケープの形態とその後の展開が決まっていくからだ。
あるいは「ライプティヒ・エスペンハイン・テラス計画」★八[図7]。石炭の採掘によって人為的に掘り返され、荒廃してしまった土地を新たに再生させるプロジェクトにおいて、West8はある意味で特殊な態度を示す。新たに埴栽をほどこしてそこに豊かな自然を再生させてそこの荒廃を消去しようとするのではなく、その土地をひとまず肯定しようとするのである。ありうべき豊かな自然という理想はWest8には存在しない。豊かな生態系が回復されたり、緑あふれる土地へと変貌させることがランドスケープのあるべき姿だとは考えていないのだ。人為的にせよ荒廃してしまった土地は、ある意味でそれもまたひとつの自然な姿なのであり、発掘されて大地に襞状に刻印された人為的なランドスケープはそのままで肯定されるべきである。段状に掘削されたテラスを拡げて表面積を増やし、谷に地下水が湧き上がって水位が上昇するのを待ち、そのうえでテラスの上に宅地などを構築していこうとするのである。

1──ヘルツォーク&ド・ムーロン「バルセロナ・ディアゴナル・コンペティション案」 HERZOG & DE MEURON 1989-1991, Birkhäuser-Verlag für Architektur, 1996

1──ヘルツォーク&ド・ムーロン「バルセロナ・ディアゴナル・コンペティション案」
HERZOG & DE MEURON 1989-1991, Birkhäuser-Verlag für Architektur, 1996

2──ヘルツォーク&ド・ムーロン「バルセロナ・ディアゴナル・コンペティション案」 HERZOG & DE MEURON 1989-1991, Birkhäuser-Verlag für Architektur, 1996

2──ヘルツォーク&ド・ムーロン「バルセロナ・ディアゴナル・コンペティション案」
HERZOG & DE MEURON 1989-1991, Birkhäuser-Verlag für Architektur, 1996


3──ヘルツォーク&ド・ムーロン「バルセロナ・ディアゴナル・コンペティション案」 HERZOG & DE MEURON 1989-1991

3──ヘルツォーク&ド・ムーロン「バルセロナ・ディアゴナル・コンペティション案」
HERZOG & DE MEURON 1989-1991

4──West8「アムステルダム・テレポート・パーク計画」 Adriaan Geuze West8, Landschapsarchitectuur/Landscape Architecture, Uitgeverij 010 Publishers, Rotterdam, 1995

4──West8「アムステルダム・テレポート・パーク計画」
Adriaan Geuze West8, Landschapsarchitectuur/Landscape Architecture, Uitgeverij 010 Publishers, Rotterdam, 1995

5──West8「アムステルダム・テレポート・パーク計画」 Adriaan Geuze West8, Landschapsarchitectuur/Landscape Architecture, Uitgeverij 010 Publishers, Rotterdam, 1995

5──West8「アムステルダム・テレポート・パーク計画」
Adriaan Geuze West8, Landschapsarchitectuur/Landscape Architecture, Uitgeverij 010 Publishers, Rotterdam, 1995

6──West8「ロッテルダム・砂丘都市計画」 Adriaan Geuze West8, Landschapsarchitectuur/Landscape Architecture

6──West8「ロッテルダム・砂丘都市計画」
Adriaan Geuze West8, Landschapsarchitectuur/Landscape Architecture

7──West8「ライプティヒ・エスペンハイン・テラス計画」 Adriaan Geuze West8, Landschapsarchitectuur/ Landscape Architecture

7──West8「ライプティヒ・エスペンハイン・テラス計画」
Adriaan Geuze West8, Landschapsarchitectuur/
Landscape Architecture

コードと行為

もちろんここで都市計画にとって自然を扱うことにおいて発生している問題そのものは、自然に対してだけあてはまるものではない。計画とそこで繰り拡げられるはずのアクティヴィティ、コードと行為といった問題系に転位可能なはずである。オートポイエーシスのコードについてマトゥラーナとヴァレラは次のような例を挙げて説明している。

まず私たちが二つの家をつくりたいと思っているとしよう。この目的のためにそれぞれ一三人の職人から成る二つのグループを雇い入れる。一方のグループでは、一人の職人をリーダーに指名し、彼に、壁、水道、電線配置、窓のレイアウトを示した設計図と、完成時からみて必要な注意が記された資料を手渡しておく。職人たちは設計図を頭に入れ、リーダーの指導に従って家をつくり、設計図と資料という第二次記述によって記された最終状態にしだいに近づいていく。もう一方のグループではリーダーを指名せず、出発点に職人を配置し、それぞれの職人にごく身近かな指令だけをふくんだ同じ本を手渡す。この指令には、家、管、窓のような単語はふくまれておらず、つくられる予定の家の見取図や設計図もふくまれてはいない。そこにふくまれるのは、職人がさまざまな位置や関係が変化するなかで、なにをなすべきかについての指示だけである。
これらの本がすべてまったく同じであっても、職人はさまざまな指示を読み取り応用する。というのも彼らは異なる位置から出発し、異なった変化の道筋をとるからである。両方の場合とも、最終結果は同じであり家ができる。しかし一方のグループの職人は、最初から最終結果を知っていて組み立てるのに対し、もう一方の職人は彼らがなにをつくっているのかを知らないし、それが完成されたときでさえ、それをつくろうと思っていたわけではないのである★九。


この実験はきわめて示唆的である。前者の職人のグループには設計図が与えられており、あらかじめ存在する全体像に向けて目的論的に作動する。それに対して後者の職人グループにあっては、構成要素の産出プロセスの関係だけが決まっている。コードの内容はシステムの作動に先行して決まっておらず、構成要素(ここでは職人)の行為を通じてコードが決まっている。マトゥラーナとヴァレラを解説しつつ河本英夫は、オートポイエーシスのコードはこの後者であるという。基本的に都市や建築の設計は前者のように設計図を利用して目的論的に作業を行なうことになっているが、実際突き詰めて考えてみれば、結果を先取りして前提にするという転倒を引き起こしている。都市や建築が物理的に存在する実体そのものだけではなく、「生起する出来事の集積、変化する過程、断片シークエンスの重なり」★一〇<span class="__mozilla-findbar-search" style="padding: <span class="__mozilla-findbar-search" style="padding: 0pt; background-color: yellow; color: black; display: inline; font-size: inherit;">0</span>pt; background-color: yellow; color: black; display: inline; font-size: inherit;">〇</span>を本質とするのであれば、それらをもあらかじめ結果として先取りして前提にすることは正確には不可能であろう。もちろんそうした出来事は事前に全体像を把握することができないはずである。都市はリジッドな構築物を作り終えた時点で完了するものではもちろんない。それが使用されるという条件で都市はつくられる。だとすれば計画はその使用をも含みこんでしまうわけであり、使用の様態を完全に把握することなどできはしない。
例えばかつてのメタボリズムと総称される運動は、そのことに十分自覚的ではあった。計画自体を終わることのない開放系としようとしたからである。しかしそれは河本の分類に従えば依然として構造主義的なものだった。メタボリズムは新陳代謝する都市の変化に対応しようとした。さまざまに現われてくる都市の現象に応じて都市組織そのものを更新していく可能性の探究である。それは「多様な現象の発現に応じて一つ一つ構造を仮構していく」★一一のであり、「現実に発現した現象に対応させて、その限りで可能的構造を仮構」★一二している。それは一元的な多様性に対応してはいても、潜在的な複数性とは無縁である。
だから、後者の方法に可能性を見出していく必要があるのだろう。目的論的にあらかじめ設定された観念としての見取り図へと向けて進んでいく方法に立てば、行為や自然といった不確定な要素、予期せぬ出来事は排除されるか、仮定的に確定的な要素に置換されて計画に組み込まれていく。機能主義といわれるものが、人間の行為と空間とを一対一対応させたように。都市は構造をつくることではない。構造はたえずその根拠を問われる。根拠はつねに不確かで相対的なものでしかないにもかかわらず、根拠を求めて遡行することで構造が措定されるという循環。もちろん建築物の構造という意味では都市に構造は不可欠だが、そうではなくて計画全体を根拠付ける構造をア・プリオリに措定することは、内在的な立場を取る限りできないのではないだろうか。その都度その都度の環境や隣接条件にしたがって決定されていくような計画は本当に可能なのだろうか。

消去のプログラム

一九九一年OMAがハンス・コルホフ、フリッツ・ノイマイヤー、ジャック・ルカンと共同で行なった「ラ・デファンス地区拡張計画」コンペを振り返ってみることにしよう★一三[図8]。ラ・デファンスは、パリの中心部から西へ約六キロメートルのセーヌ川対岸にある総面積約七六〇ヘクタールの区域であり、デファンスという地名は普仏戦争時の攻防の場となったことに由来する。デファンス地区はピュトー市とクールブヴォワ市にまたがる一三〇ヘクタールのビジネスゾーン、ナンテール市の緑地に事務所、住居、公共施設を張り付けたグリーンゾーンの二つからなる。ビジネスゾーンには、巨大な人工地盤上に、一〇五メートル四方の立面を持つグラン・アルシュをはじめとするオフィス・ビル群が立ち並ぶ。ルーヴルから凱旋門を通るパリの軸線はグラン・アルシュで終結しており、その先には空白地帯が拡がる。ここがこの計画の敷地になる。コールハースはデファンス地区の長所を二つ挙げている。ひとつはここがまさにデファンス(防御)として機能している点、つまりここのメガスケールの建物がパリの中心部が郊外へ流出していくことを妨げてきたという点である。そしてもうひとつはここがある種のいかがわしさをともなった都市の賑わいを呈しはじめている点である。このコンペにおいては、パリの中心的な軸線を維持し延長することがほぼ暗黙の了解として存在していたという。強固な歴史的なコンテクスチュアリズム。一本の不可視の線に意味付けすることに疑義を呈するコールハースは、軸線という歴史的な存在を前提とせずにこの地区を観察することからはじめている。
東京湾岸と近似した佇まいで林立するデファンスの建築群が、その機能の衰退とともに徐々に消えていくことがもしありえたなら、どういうことが起きるだろうか。築後二五年で建物の生命の終わりを宣告することができるとしたら、そこには潜在的な可能性を再び見出すことができるのではないか。つまりこれは、二五年の役目を終えた建物を消去していくプログラムである。現在私たちは建物を永続するものと考えにくい状況に置かれている。物理的な実体としての建物が仮に不変だとしても、そこで行なわれる行為は絶えず変化していき、その変化に対応していくことができない。そして実際には物理的な劣化という変化を建物は辿っていく。あたりまえのことだが建物にも生命と同じように寿命がある。建物を生命と対立する永遠なる基盤と考えるのではなく、それ自体死すべきプログラムを内包したものと考える姿勢だと言えないだろうか。確かにこれはある意味では野蛮なプログラムである。最終的に都市を一掃してしまおうとしているのだから。しかしここでは、創造することが消去することでもあるというパラドックスが問題となっていると考えるべきだろう。消去のプログラムは、建物を支える土地そのものが一回限り使用可能で既存の建物に一対一対応するのではなく、書き換え可能なプログラムであるときはじめて土地としての可能性を獲得するという事実を浮き彫りにする。画家フランシス・ベーコンは、タブラ・ラサに見えるキャンヴァスは実はすでに無数の先在=潜在するイメージによって侵犯されてしまっているのだと語っている。だから画家の作業はそれらのイメージを消去しながら新たな形象をそこに実現させていかなければならないという。ベーコンは消具を絵筆と同等のものとして扱いながら、消去することで描いていこうとしている。そのとき消去する作業によって露出したのは、「地」としての白い無地のキャンヴァスではない。それは「地」としてのキャンヴァスと同じものでありながら、描かれた「図」と対等の資格で画面に参画している。ちょうど一箇所空白(ケース・ヴィッド)があることによってすべての要素が移動可能になっていく数字の組み合わせゲームのように、消された部分が全体を流動化させていく。モダニズム以後の画家が直面するそうした状況は、計画家にとっても無縁ではありえない。
コールハースは、消去されていくデファンスのヴォイドにマンハッタン・グリッドを導入している。『錯乱のニューヨーク』の読者ならばおなじみのあのグリッドである。グリッドによって個々のブロックの個別性が守られ、全体と個というハイアラキカルな関係が崩れ去る可能性を生み出すことになるのだった。

8──OMAほか「ラ・デファンス地区拡張計画」 O.M.A./ Rem Koolhaas and Bruce Mau, S,M,L,XL, 010 Publishers, 1995

8──OMAほか「ラ・デファンス地区拡張計画」
O.M.A./ Rem Koolhaas and Bruce Mau, S,M,L,XL, 010 Publishers, 1995

ヴォイドと潜在性

消去のプログラムはヴォイドを生み出す。一九八七年のOMA「ムラン・セナール新都市計画」[図9]がヴォイドを建設し、ヴォイドの保護を主題としていたことはもはや旧知の事柄だろう。昔の風景や歴史的建造物などを保護するヴォイドやTGVの線路に沿って走り、鉄道騒音を隔離させるヴォイド、都市のポテンシャルを集中化したり拡散したりするコミュニケーションのヴォイドが帯状に交叉する計画である。パリ郊外のムラン・セナールはニュータウンであるにもかかわらず。そこをタブラ・ラサのキャンヴァスと見立てることはできない。なぜなら更地は現実態としては何もないにせよ、都市計画法などを背景にしてその上に不可視の三次元的なヴォリュームをつねにすでにともなっているからである。更地はそれらのヴォリュームをあらかじめ従えているがゆえに意味を担うことができる。意味を担うことができるからこそ、同時に開発の可能性に晒される。だからそれらのヴォリュームを現実態とすることなく、消去してしまうこと。ヴォイドとは、いまだ何ものにも占拠されず、使用されていない潜在的な可能性を孕んだ場所である。
湾岸という自然と計画とが隣接する場所に、土地そのものを新たに創出しながら開発がなされる場合と、西欧の歴史的な都市の郊外のすでに大規模開発が進行している地区の再開発とでは状況はまったく異なっていて、対極的な条件のもとに置かれていると言っていいだろう。だがどちらの場合にも言えるのは、土地の潜在的な可能態をいかに開くかという主題が問題になっているという点である。都市計画は、計画するという行為を通して、潜在的な可能性をいかに多く残すことができるかという問いへと転位させることができないだろうか。

9──OMA「ムラン・セナール新都市計画」 O.M.A./ Rem Koolhaas and Bruce Mau, S,M,L,XL

9──OMA「ムラン・セナール新都市計画」
O.M.A./ Rem Koolhaas and Bruce Mau, S,M,L,XL


★一──河本英夫『オートポイエーシス──第三世代システム』(青土社、一九九五)一九四頁。
★二──南泰裕「極限都市論──東京湾岸、あるいは未在の空間水準」(『10+1』No.7、INAX出版、一九九六)七三頁。
★三──HERZOG&DE MEURON 1989-1991, Birkhäuser-Verlag für Architektur, 1996, pp.51-55.
★四──ジャック・ヘルツォーク「ポイエーシス─プロダクション」(鈴木英明訳、『Anyway──方法の諸問題』、磯崎新+浅田彰監修、NTT出版、一九九五)。
★五──ヘルツォーク&ド・ムーロンのこうした特性については、主に彼らの建築計画を扱いながらすでに論じたことがある。拙論「表層と知覚──ヘルツォーク&ド・ムーロン論」(『建築文化』一九九八年六月号、彰国社、一四二─一四六頁)。
★六──Adriaan Geuze West8, Landschapsarchitectuur/Landscape Architecture, Uitgeverij 010 Publishers, Rotterdam, 1995, pp.54-57. また拙論「シュルレアリスムとランドスケープ──West8論」(『建築文化』一九九九年二月号、彰国社、一一九─一二三頁)を参照。
★七──八束はじめほか『再発見される都市──ランドスケープが都市をひらく』(TN Probe、一九九八)二二八─二三一頁。
★八──Adrian Geuze West8: Landscape Architecture, pp.64-67.
★九──H・R・マトゥラーナ+F・J・ヴァレラ『オートポイエーシス──生命システムとはなにか』(河本英夫訳、国文社、一九九一)二三五─二三六頁。
★一〇──渡辺誠「複雑系としての都市を解く──『誘導都市プロジェクト』」(『10+1』No.INAX出版、一九九六)一二五頁。
★一一──河本英夫、前掲書、一九四頁。
★一二──同。
★一三──O.M.A./Rem Koolhaas and Bruce Mau, S,M,L,XL, The Monacelli Press, 1995, pp.1101-1135. また拙論「反転する崇高──レム・コールハース論(1)─(3)」(『建築文化』一九九七年八月号、彰国社、一五七─一六一頁、同一〇月号、一四三─一四七頁、同一二月号、一一二─一二一頁)を参照。

>後藤武(ゴトウ・タケシ)

1965年生
後藤武建築設計事務所主宰。建築家。

>『10+1』 No.19

特集=都市/建築クロニクル 1990-2000

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>アーキグラム

イギリスの建築家集団。

>オートポイエーシス

自己自身の要素を自ら生み出し、自己を再生産する自己組織化型のシステム。神経生物学...

>南泰裕(ミナミ・ヤスヒロ)

1967年 -
建築家。アトリエ・アンプレックス主宰、国士舘大学理工学部准教授。

>アーキグラム

イギリスの建築家集団。

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>錯乱のニューヨーク

1995年10月1日

>アトリエ・ワン

1991年 -
建築設計事務所。

>八束はじめ(ヤツカ・ハジメ)

1948年 -
建築家。芝浦工業大学建築工学科教授、UPM主宰。

>ヴァルター・グロピウス

1883年 - 1969年
建築家。バウハウス校長。