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そう単純ではありませんが、建築は、時において、「機械」であったり、「工業化」であったり、「商品」であったり、「政治」であったり、歴史的「記憶」であったり、「生活」であったり、はては「サブカルチャー」であったり、さまざまな他ジャンルを依り代として生き長らえてきました。ですからもちろん「建築」は、 archi-tectureとは異なっているのでしょう。むしろそれは定義に失敗した名詞、あるいはつねに書き換えられ、改訂される辞書のようなもの。このような「建築」の遍在を可能にするのは、確かにarchitectureにおけるそれとは正反対の、その不純さ、茫漠さに求められるようです。しかしさまざまな論点がほぼ収束された現在、なぜか「美術」としての建築のみが、とっくの昔に葬り去られたように見えたにもかかわらず、依然として謎めいた位置を保っている。建築は「美術」なのか、あるいは「技術」なのか。作品なのか、産物なのか。自律しているのか、何かに還元可能なのか。この美術をめぐる古色蒼然たる問いかけは、死んでいるどころか、いままた息を吹き返させられているように私には思えます。またこの問いかけはこれら二項によって存在しているのではなく、ただただ「茫漠たる生産技術」のネットワークから逸脱してしまうところの「美術」と名づけられた状態それのみによって引き起こされていることに注意しなければなりません。一般にいう他律的概念としての「技術」からは、そもそもこのような問いかけは発生しえないからです。この問いがせり出してくるのだとしたら、それは美術という状態を隠ぺいしうるだけの実効的な技術概念が不在になっているからなのです。
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1955年生
近畿大学国際人文科学研究所教授、副所長。造形作家、批評家。
1965年生
早稲田大学創造理工学部准教授、編集出版組織体アセテート主宰。歴史工学家。
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