ポール・ド・マンはあるときアメリカ近代語協会から「文学の理論、その目的と方法」という主題の文章を求められたが、彼はそこでひとつの理論の目的と方法を要約し概括する文章の代わりに、理論を定義する際に理論そのものが生み出してしまう抵抗をめぐる文章を書いてしまう。この文章は結局掲載を拒否され、のちに「理論への抵抗」と題されて別の場所で発表されることになる。「理論への抵抗」という語には複数の意味が畳み込まれている。一般的に文学において理論に対する抵抗には根強いものがあるが、それは多くの場合理論が文学作品に対してメタレベルに位置することから引き起こされる抵抗なのだろう。しかしそうした抵抗にもまして、ド・マンの文章において中心的な主題となっていたのは、理論的な営為そのものが文学を理解しようとする模索の果てに覆い隠してしまうもののことだった。その文章は理論的営為そのものが、読みのもつ根源性に対して盲目になってしまうのはなぜなのかを突きとめ、この盲目性/死角の原理(抵抗)を抽出しようとした試みだった。理論は読みを回避してしまう。理論が取り逃がしてしまうのは修辞的な読みのもつポリフォニックな性格であり、修辞的な読みとは、ド・マンにとって理論の不可能性を指し示す理論である。ここには危機的かつ臨界的な、もはや理論とは名付け得ない批評の可能性がある。
建築における理論もまたそのような盲目性とけっして無縁ではありえない。例えばかつてベルナール・チュミは、『建築と断絶』に収録されている一連の論考を書き連ねながら、建築における理論と実践の位相を明確に浮かび上がらせた。チュミによれば、空間を問うことと空間を経験し、また空間を生み出すことは相いれない矛盾した行為であり、建築家はこの二つに引き裂かれた存在であって、ここに建築家の困難があるのだという。理論と実践に引き裂かれつつその矛盾を生きる悲劇的な存在としての建築家。チュミのこの指摘は基本的に正しいし、このアポリアを直視しないことには何も始まりはしないはずではあるのだが、それにしても何かがここでは隠蔽されてしまっているように思う。それはこの問いの形式そのものが引き起こす盲目性ではないだろうか。チュミは空間とは何かと問う。この問いの形式は形而上学的であり存在論的である。空間とは何かという問いにおいて、主語である空間そのものは疑いようがなく措定され、それが属詞によって限定を受け、規定される。
他の例で考えてみてもよい。例えば「犬が走る」という言表がなされるとき、その言表の周囲で何が起こっているか。私たちは慣習的に「犬」という存在をある単一なイメージとして実体化してとらえるにちがいない。だが犬とはそのような単一化されたイメージに還元しえない「吠え」や「涎たらし」等々といった無数の属性が、全体を想定しえぬほどに寄り集まった束だと考えることもできる。たまたまその束が犬という語で指し示されたにすぎないというわけである。しかし犬とは何かという問いを経由する限り犬は実体として措定されざるをえない。逆に言えばこの問いは、無数の属詞の束として犬を見る視線を抑圧する形式として作用するわけである。
空間という語は、西欧の建築業界においてけっして長い歴史をもつものではない。二〇世紀初頭まで建築家は空間という語を用いて建築思考を展開することがほとんどなかったという。感情移入の理論とともに空間という語が構成という概念と結びついて登場し、建築は可塑的な三次元の連続体としてはじめて認識されるようになる。また言うまでもなくギーディオンらによって建築史が空間概念の歴史として整備されていくのも二〇世紀初頭である。建築における空間という概念はある意味で二〇世紀の歴史的な産物である。だから乱暴な言い方をすれば、それまで建築において空間は存在しなかったということもできなくもない。
誰しも認めることだろうが、かつて空間という語はまったく便利な記号だった。ある時は建築の魅力と神秘性を語るために不可欠な語彙として用いられ、この語を使えば建築から受けた感動の大きさが可能な限り伝達されると信じられていたし、ある時は形態分析のための基礎概念として、分析を支える役割が付与されてきた。いずれにしても空間という語によって指示される内容を実体化することで、その基礎の上に建築思考という構築が築かれる。その基礎が疑いようのないほど堅固なものであればあるほど構築はより大規模になるというわけである。では空間を疑った者はいなかったのか。もちろんアドルフ・ロースがいる。ロースのいわゆるラウムプランは、あらかじめ観念として設計図が存在し、それを物理的に実現するのではない。設計図が完成する前に空間を建ち上げ、それを見ながら空間に干渉し、空間を三次元のチェスゲームのように操作し、空間を変容させていくのだ。ロースにとって空間は表象ではなく関係である。空間が観念として先在することはありえない。したがってラウムプランとはけっして方法論にはなりえない。方法論とはつねに観念的なものであり、ロースは建築に先在する観念性に徹底して抵抗したのである。
もちろんル・コルビュジエもまた空間が実体化することに徹底して抵抗した建築家だった。ル・コルビュジエが取りあげる建築の構成要素の中には空間という要素は抜け落ちてしまう。ル・コルビュジエにとって構成要素が「集合」している状態こそが建築である。集合しているということは、つまり全体が先在して各要素がそれを構成しているのではなく、離散的な要素が同時共存しているということであろう。そしてそれはいわば「匂い」として「発現する」ものなのだ。建築とはル・コルビュジエにとって、物質的な要素の集合によって生成させることのできるフェノメナルなものだということである。ル・コルビュジエは『建築をめざして』の中でヴォリュームの組み合わせゲームとして建築を定義していたのだった。さまざまに変化するヴォリュームの組み合わせ、複数の要素がある決められた配置に従って集合をなすこと。ル・コルビュジエにとって建築とはそれらの要素間の関係である。ル・コルビュジエのロジカル・タイプが崩れた錯乱的な〈プラン〉の概念は、異なるクラスに属する構成要素を並存させるための平面として要請されたものだった。
まとめよう。ともあれ、あらゆる建築は多かれ少なかれ理論的である。言い換えれば、建築とは何かという問いと答えのワンセットを、意識するとせざるとに関わらず前提にしている。(何でもよいが、例えば、建築は透明性だ、建築は人にやさしいものだ等々)理論的ではないように見える建物は、意識されないほど薄められた理論に無自覚的に依拠しているだけだ。言葉を拒絶し、自然との調和やものそのものを志向する建築であっても観念的で退屈な自然主義という理論に基礎を置くことではじめて建物を建設することが可能になっている。理論はあとづけのいわゆるコンセプトであるとかクライアント向けのキャッチフレーズであるよりも前に、そして建設をめぐる物理的な条件よりも前に、建物の建設を基礎づけてしまっている。建築はつねにすでに理論に侵犯されてしまっている。これがすべての建築に課された条件である。したがって残された持ち札は、徹底的に明晰に理論への抵抗を組織することである。私たちの建築思考は、「建築」「建物」「空間」などといった列挙していけばきりがないほどの既成の実体化された概念によって枠取られ、規定されてしまっている。建築を設計することも、批評をすることも、ともにこれらの概念をひっくり返し、加工し、作り直す作業である。空間という語を切開すること。主語を切開すること。批評とは理論の不可能性を指し示し続ける観念論批判であるほかないと思うのだが、どうだろうか。