1959年生まれ。建築家。アーキテクトン主宰。京都工芸繊維大学准教授。
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(最終更新:2009年4月3日)
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 1]
...ジェクト」──に携わった建築家が入江経一氏、米田明氏そして私であった。デザイン的な方向での共... ...構造──片持ち梁なり吊り構造──を求めたのは米田明氏と私である。空間ディスクールの拡張と近代...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.24-26
[座談会]
思考を可視化するサイバースペース 浜田——サイバースペースという言葉が、新聞・雑誌などで頻繁に使われるようになっています。サイバースペース、コンピュータ・ネット...覚代行ということなんです。 浜田邦裕森田秀之米田明松岡新一郎知覚の問題 浜田——入れ子構造といえ...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.54-69
[対談]
ル・コルビュジエというテーマ 米田──今日は、ル・コルビュジエを建築そのものというよりも建築を成り立たせている状況から広く捉えることによって、「近代建築=ル・コ...て完全に占有されていることは確かでしょう。 米田明氏ル・コルビュジエと建築のリアリティ 米田──...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.64-76
[建築の還元 4]
... ★一〇──岡崎乾二郎×野々村文宏×丸山洋志×米田明「建築と美術のハード・コアをめぐって」(『建... ...』二〇〇〇年一〇月号、彰国社)。 ★一一──米田明「ポストミニマリズムが現代建築に示唆するもの...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.210-220
[批評]
現在の建築批評のモード、なかでもアメリカから発信されて趨勢を得ているものは、八〇年代のアメリカ美術界において「ニュー・アース・ヒストリー」が遭遇する「ポスト構造主義」理論と「フェミニズム」理論に多くの源泉をもっている。アメリカの文学批評においてはすでに七〇年代後半、デリダの弟子筋にあたるイェール学派の脱構築(ディコンス...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.84-85
[論考]
近年都市の再生(リストラクチャリング)が、国家政策の観点から重要な項目へと浮上している。しかしそれを巡っては必ずしも従来型の官主導の公共投資を中心とした都市開発ではなく、日本道路公団の民営化に象徴されるような都市の民営化(プライヴァタイゼーション)といった視点から、新たな都市編成が模索されている。その背後には、明らかに...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.153-157
[論考]
駅を下りると視覚によるスケールの把握に先だち、パノラミックに広がった空気があらゆる方向からダイレクトに皮膚に迫りくるような、空虚でありながら妙に高揚した感覚をもたらす、新都市のヴァーストネス(Vastnes)に出会う。そしてそのさらに向こうに、林立するタワークレーンのシルエットが見えた。 1 幕張新都心住宅地区 「...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.173-179
[批評]
今回の特集において、ル・コルビュジエの階段にどのような位置づけが期待されているのかは不明だが、特集のコンセプトに「リアルヘの回帰の九〇年代におけるミニマリズム」とあるからには、まずはハル・フォスターの著作『The Return of the Real』に所収されている論文「TheCrux of Minimalism(ミ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.112-114
[会議4日目「国土改造」]
清水──本日のレヴューでは、まずそれぞれのチームのデザイン手法について議論し、その後、最も大きいスケールの問題提起である四日目の会議「国土改造」で提案した「Fu...えるなぁと。 中谷──実は、アーキテクトンの米田明さんが似たような住宅(《HP》)をつくっている...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.146-161
[批評]
一九二六年一二月四日に催されたデッサウのバウハウス新校舎の落成式には、一五〇〇人以上の来賓が出席した。彼らは、主要な政治家、経済人、官僚たちに加え、内外から招かれた著名な建築家、芸術家、学者らであった[図1]。ハンネス・マイヤーは、そのなかのひとりとして初めてバウハウスを訪れる。かつての「ABC」グループでの同志であっ...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.174-184
[批評]
1:「初めての」絵画 発端となる絵画[図1]では、画面を水平に二分するような明暗の中にいくつかの物が配されている。表面の艶やかな水平面に置かれた一つの白いキューブ、それに寄り添うような二枚の板のようなもの、左下にも何か白っぽいモチーフ。たとえその題名が「暖炉」と告げられようとも、依然中央の白いキューブだけは一体何である...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.77-94