1946年生まれ。建築史、建築家。工学院大学教授、東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。
(最終更新:2011年3月30日)
[フィールドワーク]
閣下はまず、人間が如何に知る所の少ないかを御考えになるべきでしょう。 たとえば、閣下の使用せられる刑事の中にさえ、 閣下の夢にも御存知にならない伝染病を持ってい...出版会、一九七八)参照。 ★三──丹下健三+藤森照信『丹下健三』新建築社、二〇〇二、参照。 ★四...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.169-186
[論考]
...だ★一。 正直に言おう。ファンである。 私は藤森照信の良き読者とはいいがたいが、愛読者であるこ... ...やや分かりにくいことかもしれない。そこで、藤森照信という〈思考する身体〉を〈民俗学〉から解剖...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.126-133
[論考]
...照射する。 そして、一九八六年に赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、荒俣宏、林丈二らによって結成され... ...1号・四谷の純粋階段 引用出典=赤瀬川原平+藤森照信+南伸坊編 『路上観察学入門』(ちくま文庫、19...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.108-119
[論考]
...た★一。これは、村松貞次郎退官記念として、藤森照信の主催で行なわれた同名の国際シンポジウムに... ...いうのも、ここで展開する近代アジア調査が、藤森照信という個人的身体には、回収しきれないと考え...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.134-141
[インタヴュー]
...レーシング・ザ・藤森照信」について若干説明しておきます。私たち三人も藤森照信さんと同じ建築史... ...います。 第二部の「原始・たてもの・宇宙──藤森照信の現在」は、第一部の建築史的な追跡(トレー...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[論考]
...ら三〇年あまり前、「看板建築」は建築史家・藤森照信によって命名された。一九七五年一〇月の日本... ...者は……藤森照信! 本人いわく「なお看板建築という命名と概念は、昭和五〇年に藤森照信により発...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.100-107
[論考]
...されているが、こうした例をあまり知らない。 藤森照信先生、筆者にとってはダイオンシ、大きな学恩... ...テーマとしている。「建築技術の歴史から見た藤森照信」試(私)論を、以下において展開してみたい...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.78-83
[論考]
...も藤森照信と、建築論における彼の貢献について考察するべきだろうか。 わたしの美意識に藤森照信が... ...。 大学教授として、および建築学者としての藤森照信が、建築史と都市計画史における主要研究テーマ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.158-160
[批評]
...てそのことは、ほかの路上観察的行為一般──藤森照信の西洋建築探偵、一木努の「建築の忘れがたみ... ...つものように──あっけなく克服してしまう。藤森照信との対談で、赤瀬川はごく短くこのように語っ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.164-170
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
...ら「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行っ... ...に問う。 1──藤森照信+内田祥士《神長官守矢史料館》(1991) 筆者撮影2──藤森照信「神長官守矢...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[論考]
...ことであった。用件はこの原稿の執筆依頼。「藤森照信」特集と聞いて、正直、「なんでわたしが?」... ...その後、六月になって、編集部から研究室に『藤森照信野蛮ギャルド建築』(TOTO出版、一九九八)と『...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.84-89
[東アジア建築世界の二〇〇年 1]
...長としてアジア建築を理解するという手法は、藤森照信さんたち日本近代建築史研究者によるもので、... ...で空虚さに打ちひしがれてもいた。 この時期、藤森照信さんは、それまでの研究の成果を『日本の近代...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.189-200
[論考]
...圧縮し、再構成したものである。石田頼房氏、藤森照信氏らによる既往研究では丹下研の国土や都市に... ...建築学専攻(主査=伊藤毅、副査=鈴木博之+藤森照信+内藤廣+西村幸夫[順不同、敬称略])に提...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[東アジア建築世界の二〇〇年]
...くってしまうことはできないだろう。反対に、藤森照信はその著『日本の近代建築』で、これらを一括... ...越野武、前掲書、一二一─一三八頁。 ★七──藤森照信『日本の近代建築(上)』(岩波新書、一九九...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.201-213
[鼎談]
...するウイリアム・モリス的な思想もあります。藤森照信さんのような手法ですね。流通とか大量生産に... ...をダイレクトに感じることができる。ほかにも藤森照信さんにしても、非常に楽しそうに設計活動をし...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[東アジア建築世界の二〇〇年]
...築について、ぼくも参加した調査の報告書で、藤森照信は、日本近代建築史の叙述の仕方と同様に、建... ...訳、みすず書房、一九九三、九八)。 ★五──藤森照信+汪坦監修『全調査・東アジア近代の都市と建...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.196-204
[『日本の民家』再訪 1]
...考究する考現学は、今さら説明するまでもなく藤森照信らの路上観察学をはじめとしてさまざまなかた... ...先行研究においても多く指摘されている。特に藤森照信による『日本の民家』文庫版の解説は、そのニ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.14-24
[現代住宅論 1]
...のである。 建築家+建築史家である藤森照信は、『ザ・藤森照信』(『HOME』特別編集No.7、二〇〇六)... ...が、建築家のただ一つの能なのである(『ザ・藤森照信』一九頁)。 この主張に僕も基本的に賛成であ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.200-209
[論考]
...利用にもまた関係しているのである。 実際に、藤森照信の作品は、西洋とはまったく反対のコンテクス... ...=http://www.europaconcorsi.com/db/pub/scheda.php?id=8016──藤森照信《熊本県立農業大学校学生寮》 撮影=加藤陽生...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.154-157
[非都市の存在論 3]
...ールドワークである〈建築探偵団〉を開始した藤森照信たちも、考現学に関心を寄せ、影響を受けてい... ...こそが建築作品の〈意味〉なのだ。 この書物に藤森照信は「東京は、現代建築の世界一の花園だ」とい...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.16-27
[ゼロ年代の建築・都市 3]
...)が挙げられるだろう。異形の家型としては、藤森照信の《神長官守矢資料館》(一九九一)、《タン... ...ではなく、異世界への扉として機能している。藤森照信の《高過庵》(二〇〇四)も、小さい家型ゆえ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34
[論考]
...つの生産システムとしてとらえ、推進した」と藤森照信は書いている★二。これらの仕事と並行して、... ...SD選書、一九六九)にも収められる。 ★二──藤森照信『丹下健三』(新建築社、二〇〇二)二三五頁...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.96-103
[会議4日目「国土改造」]
清水──本日のレヴューでは、まずそれぞれのチームのデザイン手法について議論し、その後、最も大きいスケールの問題提起である四日目の会議「国土改造」で提案した「Fu...み合わせも見つけることもできそうでしょう。 藤森照信氏岡崎乾二郎氏権力闘争が先行形態を決定する ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.146-161
[対談]
実験住宅と社会的大儀 中谷──「実験住宅」という特集の企画趣旨を聞いたときに、「実験」なんて誰でもしているじゃないかと思ったんですね。町場の大工のみならず日曜大...られているさまざまな実験を教えてください。 藤森照信氏《高過庵》の実験 藤森──自慢をしろという...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.38-51
[論考]
建築は時間を遅らせる機械である★一 ロラン・ボードゥワン 最近わたしは学部学生のグループがアメリカのある儀式を見学するように...とに、東京大学教授であり著名な設計者である藤森照信はこのような不安を一切見せず、建物を建てる...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.142-145
[論考]
...に分があるという顛末になったという★一〇。藤森照信は、内藤はアメリカ留学では効果的な手法が見... ...学発達史』丸善、一九七二)所収。あるいは、藤森照信『日本の近代建築』(岩波書店、一九九三)。 ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.99-106
[東京ディズニーランドの神話学 1]
...時間を要した。このあたりの経緯に関しては、藤森照信が『明治の東京計画』で明晰に論じている★五... ...研究』(NHKブックス、一九七九年)。 ★五──藤森照信『明治の東京計画』(岩波書店、一九八二年)...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.207-218
[論考]
...のタイトルを(おそらく意識的に)同名にした藤森照信は「さぼった部分が見えてくるにはやはり五〇... ...動内容は、今後の検討課題としたい。 ★九──藤森照信『日本の近代建築』上・下(岩波新書、一九九...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[批評]
...明治14年1月立案) 同年中に実施完了 図4、5とも藤森照信『明治の東京計画』(岩波書店、1990)より6─... ...─一九二三』(東京大学出版会、一九九一)。 藤森照信『明治の東京計画』(岩波書店、一九八二)。 ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.144-155
[ルポルタージュ]
...藤森照信《高過庵》 多くの人たちと同じく、僕も《高過庵》をはじめて知ったのは建築雑誌によってで... ...あったが、こうした少し突飛な建物を実現する藤森照信という人に対して、またまたやられたという感...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.52-63
[論考]
...住宅地 丹下健三との共著というかたちをとった藤森照信の『丹下健三』(新建築社、二〇〇二)に、丹... ...館と墓地 引用出典=丹下健三撮影、丹下健三+藤森照信著『丹下健三』新建築社、20022──旧京城護国...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.90-99
[「悪い場所」にて 10]
このところ、六〇年代末から七〇年代初頭にかけての美術の見直しが進んでいる。先頃も、鎌倉山に所在する鎌倉画廊で、六〇年代に静岡を拠点に活動した前衛芸術グループ「幻...庫、1998)無用門 引用図版=『路上觀察學入門』 (赤瀬川原平+藤森照信+南伸坊編、筑摩書房、1986)...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.13-15
[「悪い場所」にて 2]
家を建てるというのはいろいろ起こるものだ。 入手した土地は北西の角地で、見つけた時点ではまだ前の持ち主の古屋が建っていた。土地は公道に面していて、そこからいい感...本 二笑亭綺譚』(ちくま文庫)に載っている藤森照信氏の論文を読んでいたら意外な発見があった。...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.22-23
[現代住宅研究 11-2]
新しくない要素 すべての日本の近代以降の建築家にとって、深い庇、あるいは軒というのは、建築の文化資本として自分たちの内側に蓄えられている既知の要素であったと思わ...二)[図3]の玄関前のテラスにもある。すでに藤森照信によって、レーモンドの夏の家の床下との関連...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.16-19
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、...れるようになります。 丹下健三の表象 次に、藤森照信さんがまとめられた『丹下健三』(新建築社、...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[建築の解體新書 5]
躾と添削……岡崎乾二郎1 わが国の学者は日本語で中華の書を読み、和訓と称している。訓詁(くんこ)という意味から出た言葉であろうが、実際は訳である。しかし人々は、...、長期にわたって存続するというのは建築史家藤森照信氏の至言ですが、つまり柱の太さや面といった...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.13-28
[鼎談]
リバタリアニズムと不可視のマンハッタン・グリッド 柄沢祐輔──まず始めに討議の前提を少し話してから本題にスライドさせていきたいと思いますが、二〇〇一年以降、東京...トマソン」の活動を行ない、さらに八六年には藤森照信さんたちと「路上観察学会」を結成するという...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.62-75
[インタヴュー]
セシル・バルモンドとのコラボレーション 柄沢祐輔──伊東さんはロンドンの《サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン》などのセシル・バルモンドさんとのコラボレーシ...沢──アルゴリズムやルールによって、例えば藤森照信さんの場合ですと、ある種の素材感だったり物...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.82-93
[グローバリズム 3]
1 ロンドン 一九九一 浅田彰は西欧での現代日本文化の見方に関しては二つのオリエンタリズムの危険があるという。一つは安藤忠雄の建築に日本を見出すという古いタイプ...ている。この様式による建物は他にもあって、藤森照信は台湾こそ辰野式の赤煉瓦──文字通りの紅楼...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.225-236
[建築の解體新書 8]
不快な様式……岡崎乾二郎今回は前回の足りなかった部分を補い、中谷氏に対する問題提起という形式をとらせていただきます。 ★ よく知られていることですが、明治二七年...〇二号(一九二〇)。 ★六──抄録版を使用。藤森照信編『都市 建築 日本近代思想体系』(岩波書...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.14-28
[東アジア建築世界の二〇〇年]
一─一 モデル都市シンガポール ラッフルズのユートピア トーマス・スタンフォード・ラッフルズ(一七八一─一八二六)がシンガポールに足を踏み入れ、海岸沿いの地にユ...三─二四四頁。 ★三七──泉田英雄「香港」(藤森照信・汪坦編『アジア近代の都市と建築』、筑摩書...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.181-194
[東アジア建築世界の二〇〇年]
四─一 異域の建築的統合 「開化」のかたち 西郷隆盛と勝海舟との協議により、江戸城無血開城が行なわれたのは、慶応四(一八六八)年四月一一日のことであった。最後...─例えば、佐藤滋、前掲書、二一六頁の註三、藤森照信『日本の近代建築(上)』(岩波新書、一九九...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.162-175
[インタヴュー]
ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受容過程が日本の現代建築の始まりとしていま注目されているように見えま...いけない。 丹下さんの「ミケランジェロ頌」を藤森照信さんが、丹下さんはあの文章でバウハウスを落...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[『日本の民家』再訪 7]
島に居ること 伊豆大島を含む伊豆諸島は、フィリピン海プレートと本州との衝突によってうまれた褶曲の峰のひとつである。海面より露出したその島々の姿の直下に、ヒトの想...のひとつである。もうひとつは最近建てられた藤森照信のツバキ城(二〇〇〇)である。後者はまだ健...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.12-27
[会議4日目「国土改造」]
先行デザイン会議 第4日目 国土改造 都市基盤整備、都市建築の耐火・耐震・永続化、ニュータウン構想。繰り返し提示されてきた国土への計画の意志であるが、それら...かのみや 古市古墳群首都移転計画 ・ 討議 藤森照信+岡崎乾二郎× 中谷礼仁+宮本佳明+清水重...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.131-131
[万博論]
一 二つの系列 前から気になっていたことがある。 ひとつは、一九四〇年の実施が決定していた「幻の万博」が、あの高揚の時代の国家的プロジェクトであったにもかかわら...「神域」を設計してみせる時代になっていた。藤森照信はさすがに丹下の「大東亜」の建築と、護国神...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.171-186
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
「建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である」。 これはコンピュータの時代の建築を構想する伊東豊雄や渡辺誠の言葉ではない。一九六〇年代に黒川紀章が『...を曲げたり、細胞単位化して丸くしたという(藤森照信『丹下健三』[新建築社、二〇〇二])。する...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[都市観測者の手帖 9]
最近宇都宮近辺で事件が多い。原稿を書いている二〇〇二年一一月初頭にも里親による三歳の里子の虐待死事件があった。九月にはジャズミュージシャン渡辺貞夫の兄が殺害され...ではただのディレッタンティズムでしかない。藤森照信らの路上観察は今や町おこしイヴェントの一環...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.34-35
[都市表象分析 26]
1コンゲンカードの寓意 中谷礼仁を中心とする都市連鎖研究体は、古今東西の都市の上空写真、町並みの写真、集住形態、そして建築家による都市・建築作品などのサンプリン...言」(『10+1』No.37、七〇頁)参照。 ★五──藤森照信ほか「ディスカッション 先行デザイン宣言を...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.2-12
[論考]
0 前口上 既存の環境に学ぶことは革命的である ロバート・ヴェンチューリ 『10+1』のように「シリアス」な雑誌の読者からすれば下らない設問に見えるかもし...はデザインにありリサーチにはなかったという藤森照信氏の総括には賛成できない。それでは研究室で...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76
[都市表象分析 25]
1 写真という仮説形成の場 写真家森山大道が新宿を彷徨いながら行なう撮影行為は、さながら狩りに似ていた★一。荒野のような、あるいはアジールとしての森に似た都市空...路上観察学への進化史的論述」(赤瀬川原平+藤森照信+南伸坊編『路上観察学入門』筑摩書房、一九...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.2-13
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りま...僕も最近までそうだと理解していたのですが、藤森照信さんは、日本は世界に先駆けて戦前にモダニズ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[論考]
I「住むこと」のメディア 人間にとって住居とは何か。そして、現在の私たちにとって、住居とは何なのか。 人間の住居の起源あるいは本質は、雨風をしのぎ、外敵から身を...れらの点については、岩波文庫版の同書所収の藤森照信の解説も参照。 ★一一──同上、二九─三○頁...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.56-66
[対談]
1 八束──今回の特集では、作家や作品というよりも広義の意味での言説を中心に明治以降の近代建築史を概観するという趣旨で、ここでは「建築史」という言説タイプを取り...ールドワークが蓄積された一九九〇年代に再び藤森照信さんの『日本の近代建築』(一九九三)が、冒...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.62-76
[論考]
焦土の幾何学 「あーきれいだ、絵画的だなー」★一。 疎開先の山梨から東京に戻り、強い夕日を受けた褐色の焼跡を見て、甚だけしからないことだと思いつつ、東京帝国大学...四〇──★三一に同じ。 ★四一──石元泰博+藤森照信+石崎順一「戦後モダニズムの軌跡」(『新建...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129
[論考]
「それらには何か或るものが共有されていなくてはならない。さもないと、それらは「ゲーム」と呼ばれないから」などと言ってはならない。──そうではなく、それら全てに何...展開されるようになった。nLDKの起源については藤森照信『昭和住宅物語』(新建築社、一九九〇)等に...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.111-120
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...─ 以前、土居さんには建築への愛がないという藤森照信先生の批判があったけれども、今のお話は、土...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[資料]
●関連図書 宮脇昭『植物と人間──生物社会のバランス』NHKブックス、1970 貝塚爽平『東京の自然史』紀伊國屋書店、1976 ロラン・バルト『エッフェル塔』(...』ちくま学芸文庫、1992 赤瀬川原平+南伸坊+藤森照信『路上観察学入門』ちくま文庫、1993 イーフー・...
[建築家的読書術]
研究室の学生を建築現場で教えて大学に戻ったところだ。建築現場と言っても貸アパートと個人住宅の複合小建築。施主が住宅部分の内装と屋上部をセルフビルドする建築の現場...私の交友関係にも色濃く反映しており、鈴木や藤森照信は頭の上がらぬ友人となっている。鈴木博之の...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97
[都市史/歴史]
都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登...編『北京』などがある。東南アジア地域では、藤森照信+汪坦監修『全調査東アジア近代の都市と建築...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[オーストリア]
クリストフ・ランマァフーバー Christoph Lammerhuber:1966年リンツ生まれ、ウィーン工科大学で学ぶ。 アクセル・リネマイル Axel Li...するデザインで有機的な方向を目指しており、藤森照信の《タンポポハウス》を思い起こさせる。また...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.102-103
[鼎談]
建築と書物の親和性 永江朗──「建築家はどのように書物と関わるのか」というのがこの鼎談のテーマです。最初に素朴な感想をもうしますと、芸術家のなかで建築家ほど書物...ンの結果だと。 隈──アカデミズムのなかでも藤森照信さんは、そういうものを歴史学のなかから自主...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70
[建築家的読書術]
想像の余白|加茂紀和子 子どもが毎日、家で音読をする。学校の宿題なのだが、教科書でも新聞記事でもなんでもいいから毎日読むということを続けている。最初は読み方が...さか、本人は意識していないかもしれないが、藤森照信の建築も現代の社会への批評という点で同じ方...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.89-91
[批評]
建築批評の不在と二元論の反復 批評の不在がいわれ、新しい建築評論のあり方がもとめられているという。しかしこうした「建築評論のあり方」「批評の不在」そのものをテー...ュー、戦後建築雑誌年表などを掲載。 ★六──藤森照信+三宅理一+八束はじめ「日本の建築批評一〇...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.95-97
[論考]
読み替えというリサイクル 東京という名称が生まれ、一三〇年近くが経過した。しかし、当初の明治政府はすぐに壮大な都市計画を実行したわけではない。鈴木博之が指摘する...市へ』(中央公論新社、一九九九)。 ★二──藤森照信『明治の東京計画』(岩波書店、一九八二)。 ...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.161-168
[論考]
建築の保存には理論など不要である。ただ実践あるのみ。折に触れて、藤森照信はこう語っている。確かに、藤森が正面から保存について語った論考を目にすることはほとんどな...不要である。ただ実践あるのみ。折に触れて、藤森照信はこう語っている。確かに、藤森が正面から保...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.120-125
[論考]
時は二〇〇四年四月。早くも日本滞在五年を迎えていた。間もなく台湾に帰る。帰国前、何か締め括りになることがないだろうかと思ったとき、藤森先生が実家の茶室の建築を手...女作のはずだが、残念ながら『ユリイカ』の「藤森照信全建築作品解説」には取り上げられていない。 ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.146-153
[インタヴュー]
一九二〇年代の建築状況 日埜直彦──今回は磯崎さんの建築家としてのキャリアの最初期について伺いたいと思っています。 すでに『建物が残った』で当時のことについて多...設計を担当していたとさえ言えますね。 これは藤森照信さんが『丹下健三』のなかに書いていたことで...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[インタヴュー]
表参道の景観の場合 今村創平──ここ数年のことですが、表参道ヒルズや六本木ヒルズ、あるいは汐サイトなどができたことに代表されるように、東京各所の風景が変わってき...村──そうした自然素材の使い方は、隈さんと藤森照信さんとでは全然違うわけですね。 隈──藤森さ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[対談]
隈——建築への関心がそれまでの内部から「お外」へと志向し始めたのは九○年代の最初の頃だったでしょうか。地面でゴロゴロする若者、いわゆる「ジベタリアン」が増えてき...身も分類されているところがあります。例えば藤森照信さんなら、白派と赤派と言うんでしょうか。白...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.64-78
[対談]
1 『ポスト・モダニズムの建築言語』の時代背景 日埜──今回の特集のテーマは「八〇年代建築を読み直す」としています。ポストモダンの建築に対する評価、あるいは距離...学者肌のタイプは少ない。先に建築史を究めた藤森照信さんくらいでしょうか。僕が大学に入学したの...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[批評]
1 錯乱のプロローグ 一九八×年:おそらく二〇世紀の「東京」。人々は平和を謳歌している。見慣れた渋谷や新宿の風景。どこにでもいそうな公園の男女。ダンサーを志望す...ほど「東京は、現代建築の世界一の花園だ」(藤森照信)。一〇年前には考えられなかったことだが、...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.80-90
[批評]
1 路上という〈驚異の部屋(ヴンダカンマー)〉 松山巖は著書『群衆 機械のなかの難民』の最終章で、丹下健三が一九八三年に篠原一男との対談で情報化社会における建...述に帰着していく。 これに対し、赤瀬川原平や藤森照信らの超芸術トマソンや路上観察といった活動は...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.133-143
[批評]
自分には第一の故郷も、第二の故郷も、いやそもそも故郷という意味がわからぬと深く感じたのだ。思い出のないところに故郷はない。確乎たる環境が齎(もたら)す確乎たる印...れた「路上観察学」の始祖今和次郎の仕事も(藤森照信編『考現学入門』ちくま文庫、一九八七。ちな...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.168-177
[フィールドワーク]
ドイツの建築家ブルーノ・タウトと言えば、なにしろ桂離宮に魅せられ、その美しさを日本人に解り易く示し自国の文化に自信を持たせてくれた、しかも、それを世界へ向けて紹...。 31図版出典(182──184頁) [図1,2,5,8,20,26]藤森照信+初田亨+藤岡洋保『幻景の東京──大正・昭和...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.179-186