1970年生まれ。建築史・都市史。明治大学准教授。
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(最終更新:2011年3月30日)
[インタヴュー]
...-今和次郎をめぐって 『丹下健三』の成立まで 青井哲人──最初に、藤森先生が丹下健三との共著とい... ...そう思っていない人が建築家には多いんです。 青井哲人氏現代建築の漸近線 中谷──すごく面白い話な...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[批評]
突出するものについて語ることはある意味で容易である。それは「外側」から語りうるからだ。しかし、あらかじめ対象の「外側」に立っているかのように語るとき、それがどんなにネガティヴなポーズでどんなに洗練された手続きを踏んでいたとしても、やはりどこかで滑稽さやいやらしさを免れない。それに対して、外部を持たない茫漠とした拡がりの...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.98-99
[論考]
一 ヒロシマの無縁仏/ナムサンの住宅地 丹下健三との共著というかたちをとった藤森照信の『丹下健三』(新建築社、二〇〇二)に、丹下自身が撮影したという建設中の広島ピースセンターの写真が載っている[図1]。荒々しく型枠の痕跡を刻むコンクリートの塊が、かぼそく頼りなげな足場に囲われて屹立する、その前面に焼け焦げた墓石群が横た...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.90-99
[論考]
時は二〇〇四年四月。早くも日本滞在五年を迎えていた。間もなく台湾に帰る。帰国前、何か締め括りになることがないだろうかと思ったとき、藤森先生が実家の茶室の建築を手伝える人を探していた。 藤森研究室に入ってから、先生の作品の施工に参加する機会を逃したことは一度もない。二〇〇〇年一〇月の《椿城》から、二〇〇三年三月の《一夜亭...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.146-153
[万博論]
一 二つの系列 前から気になっていたことがある。 ひとつは、一九四〇年の実施が決定していた「幻の万博」が、あの高揚の時代の国家的プロジェクトであったにもかかわらず、建築あるいは空間の創出という面でほとんど何も語るべきものがないように思われること。東京都公文書館蔵内田祥三資料にこの万博の会場計画関係の綴りがあるが、そのな...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.171-186
[論考]
「風景の発見」的問題設定の問題性 柄谷行人は『日本近代文学の起源』(講談社、一九八)のなかで、近代文学を成立させた認識の布置のことを「風景」と呼び、それが日本では明治二〇年代に成立したと言っている。のちに柄谷は、ネーションの観念やそれと相補的に形成されるアジア、東洋といった観念も、実は「風景」に他ならないのだと、B・ア...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.107-118
[イントロダクション]
連鎖式都市の建築を読む 都市連鎖研究体による[都市の書物の読み方]を紹介します。 方法 1. 書物内の挿図の大部分を抽出する。 2. 挿図の説明文を短いセンテ...り多くのご指導をいただいた。人間環境大学の青井哲人先生からは市区改正と区画整理との差異につい...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.77-82
[論考]
はじめに 生活の本拠を東京からずらして以来、仕事のために飛行機を使うことが多くなった。日本のさまざまな地を上空から訪れるのだ。目的地に近づき、雲つきぬけて眼前に...レッシヴに同時多発的に進行している。例えば青井哲人の研究はその先駆のひとつである。青井はフィ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.140-145
[論考]
六月は竜宮城に入っていた。その前の四─五月にはよく問われたものだ。 「今回はドイツに行かないんですか?」。 「いまの日本代表はね、応援するに値しないチームだから...いうのが偽らざる実感である。 人間環境大学の青井哲人くんからメールを頂戴したのは、すでに心がド...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.84-89
[論考]
一 近代アジア調査術の誕生 一九八五年、『東アジアの近代建築』という一冊の本が刊行された★一。これは、村松貞次郎退官記念として、藤森照信の主催で行なわれた同名の...森照信 建築快楽主義、青土社)。 ★一九──青井哲人「伊東忠太再考──二つの『世界建築史』をめ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.134-141
[地上にて 3]
地形図──都市への考古学的接近 以前、本誌のNo.42で紹介したことがあるのだが、国土地理院が発行する「数値地図五メートルメッシュ標高データ」というものがある。...区改正による改変への適応について紹介された青井哲人氏、水運都市であったバンコクの陸化とその後...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.240-251