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アルゴリズムで表層と深層を架橋せよ | 柄沢祐輔+南後由和+藤村龍至
Cross-link between Superficial Layer and Deeper Layer with Algorithm | Yuusuke Karasawa, Yoshikazu Nango, Ryuji Fujimura
掲載『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?, 2007年06月発行) pp.62-75

リバタリアニズムと不可視のマンハッタン・グリッド

柄沢祐輔──まず始めに討議の前提を少し話してから本題にスライドさせていきたいと思いますが、二〇〇一年以降、東京では一八〇本もの高層タワーが林立している状況があります。それまでは数十本でしたが、ここ数年で倍増した。このような都市のスカイスケープの激変についてそれぞれの立場からコメントをいただければと思います。
藤村龍至──世界経済のグローバルな動きの反映として、高層ビルの林立のような現象が起こっているということはあると思います。しかし、そうしたグローバルな動きによって都市がドラスティックに変容しつつあるといっても、東京の独自性みたいなものもある。例えばパリの路上では市場いちばが成立しているのだけれど、東京では成立していない。同じ現代都市で、同じグローバル・キャピタリズムの波を浴びているといっても都市空間の現われに大きな違いがあるということに興味があります。
南後由和──二〇〇〇年以降、六本木ヒルズや、東京ミッドタウンという超高層が林立しだしていますね。オフィス、商業施設、住居棟が集積した都心再開発からは、リチャード・フロリダが指摘する「クリエイティヴ・クラス」という階層的な分断線を内包した拠点開発が如実に具現化している印象を受けます。また最近、東京タワーへのノスタルジックな感覚が小説や映画を中心に話題になっていますけれども、東京タワーの展望台から東京の街並を見下ろした眼差しと、六本木ヒルズの展望台から見下ろした眼差しの違いは、単なる高低の差に還元されるものではないと思います。森ビルというディヴェロッパーの眼差し、その計画的な眼差しにわれわれが無意識的に同化しているような感覚を覚えます。それは、同じ港区にある六本木ヒルズレジデンス、愛宕グリーンヒルズ、元麻布ヒルズなどの森ビルの超高層が展望台の入口付近で目に止まりやすいからだけだからかもしれませんが。
柄沢──かつて東京タワーは東京のシンボルとして存在していましたよね。それより高い高層ビルはいくつかあったのだけれども、無意識のうちに東京のスカイスケープを印象づけるものとして存在していたと思うんです。ところが、そのすぐ横に森タワーが建ち、その展望台から東京タワーを見下ろすような構図ができたことによって、以前シンボルとして存在していたものを見下ろすという、かつてない体験を僕たちは得ることになった。それによって東京に対する僕たちの眼差しというものはかなり変わってきているんじゃないかと思うんです。一九五八年につくられてから、高度経済成長期の東京のシンボルとして存在していた東京タワーを、僕たちは六本木の森ビルから見ることによって、もはやある種ノスタルジックな眼差しで眺めているという状況になっているんじゃないかという気がするんです。以前存在していた都市のアクチュアリティといったものが、単純にノスタルジーとしてしかありえないという光景がある。それを可能にしているのが、森ビルという、ある種巨大な資本の力によって構成された、新しい装置であるわけです。そのような装置がこれからますます東京のランドスケープ、スカイスケープを変容させていくような気がしていて、その端境期に今、自分はいるのではないかと思うんですよ。
南後──六本木ヒルズや東京ミッドタウンがオープンしていった時期と、東京タワーのノスタルジックなレトロブームが起きている時期が重なっているというのは単なる偶然ではなくて、お互い呼応、鏡像関係にあるのでしょうね。
柄沢──そう思います。その背景に九〇年代以降の東京のリバタリアン化というものがあると思うんです。リバタリアニズムは一九七〇年代にロバート・ノージックという社会学者が提唱した概念であって、最小国家論として定義づけられます。国家権力は最小限に縮まり、すべてのインフラストラクチャーをグローバル多国籍企業によって担保してもらい、そのグローバル多国籍企業が用意したインフラ上に多様なコミュニティが分立して、そこで人々は多様な自由を享受するという世界観ですね。実際に日本の九〇年代以降に実現した社会観は、宮台真司が九〇年代前半に分析したように、携帯電話をはじめとするコミュニケーションツールの多様化、複層化が行なわれた挙げ句に、都市がさまざまな価値の共同体となって分立していくというような姿だと思います。国内政治的には中曽根政権から続く水脈ですが、小泉改革によって加速化された徹底的な経済自由化、市場開放化という動きが、必然的にリバタリアニズムの前景化を招いたと思います。こうした多様な価値観が分立するリバタリアニズム状況のルーツを都市論的に遡ると、一九二〇年代のマンハッタニズムがその萌芽を内包しているのではないか。レム・コールハースの『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳、ちくま学芸文庫、一九九九)を読み返してわかるのは、二〇世紀が用意したさまざまな都市計画論のなかで、リバタリアニズムにおいて最適な都市計画がいわゆるマンハッタン計画だということです。都市の構成がこれから高層化していくという状況は、リバタリアニズム化によってマンハッタニズムが呼び寄せられたということができるかと思います。いわばリバタリアニズムにもっとも適合するアーバニズムとしてマンハッタニズムが招来され、それが今後さらに進化を遂げていくのではないかと僕は思います。東京にはマンハッタン・グリッドそのものはないわけですが、しかしいわば不可視のマンハッタン・グリッドがどこかに引かれ、そこからさまざまなマンハッタニズムの表明としてのタワーが林立していくという状況が、リバタリアニズムの加速とともに、今後さらに進展していくのではないかと思っています。
南後──コールハースは、『錯乱のニューヨーク』でマンハッタニズムおよびマンハッタン・グリッドが、資本主義的な都市計画の論理を裏支えする自律的な装置であり、そのような自律性をもった都市自体に語りを展開させるというゴーストライターの手法を導入しました。ただし、それはあくまでアメリカの話です。日本の場合、マンハッタン・グリッドに値するようなものは何なのか。あるいは、グリッドのような明確な都市・建築的な装置なしにも日本でマンハッタニズムが成立してしまうのならば、そのメカニズムをきちんと明らかにする必要がありそうですね。そうでないと二〇世紀から続く資本主義的な都市計画に関する単なるメタファーの使い回しにすぎないような気がしなくもない。
経済学者のポール・クルーグマンは、グローバル経済の成長やそのメカニズムを正確に捉えることなく、単にグローバル資本主義の暴力性や国家自治の衰退の誇張など、グローバル経済に関するレトリックのほうが先行、横行する愚かさバロニーを「グローバロニー」(もともとは、クレア・ブース・ルースが国際政治の捉え難さを言い表わす際に用いた言葉)と呼んで煽っています。例えば六本木ならば、なぜ六本木で、いかなる場合に経済活動の空間的集中とその持続が可能となるのかというメカニズムを導き出す必要がありそうですね。ちなみに、クルーグマンは、集積の経済の存在を単に仮定するだけではなく、空間集積の自己増強的性質や、空間の集積力と分散力の力関係を反映した収穫逓増のパターンをモデル化しようとしています。
また、最近の超高層の話をマンハッタニズムという言葉で説明するならば、例えば八〇年代の新宿の副都心の高層ビル群を取り巻く状況とどう違うのか。九〇年代、二〇〇〇年代の超高層が、ある種特筆すべきものとして出現してきた社会的背景の変遷が問われると思います。
柄沢──新宿の都市計画というのはル・コルビュジエのパリ改造計画案と同じで、極めて整然とした公開空地とともに立ち並ぶビルが出現していると思います。しかし現在の六本木の計画を見ると、とてもカオティックなところにタワーが林立しているわけで、『錯乱のニューヨーク』の内容で言うならば、サルバドール・ダリとル・コルビュジエの対峙にやや近い。『錯乱のニューヨーク』では、ル・コルビュジエが提案していた機能主義的なものに対し、マンハッタンのカオスはダリのように振る舞っている、そういう状況を描いているわけです。しかし、潜在的なマンハッタニズムというのは新宿の副都心のような整然としたものではなくて、もっと徹底的なカオスを内在させているものだと思うんです。東京ではそれが六本木に立ち現われているのではないか。例えば品川のカオティックな、まったくデザインにレギュレーションがない高層ビルが無秩序に林立している状況もそのひとつだと思います。つまりそれらはいわばリバタリアン化した状況における新しいマンハッタニズムなんじゃないかなという気がするんです。このように社会の状況が変化し、東京のスカイスケープだったり、ランドスケープが激変しているなかに僕たちはいて、そのなかで改めて都市をもう一回見直す、そして再記述の可能性を考えるときに、どのような視点がありえるかということが議論できるのではないかと思うわけです。
私たちが負う状況をふまえると、これまでになされてきた都市の記述方法はさらに更新されるべき点があると思うわけですが、これまでに行なわれてきた東京を見る眼差しのフィールドワークについて、南後さんはどのような感想や期待を持ちますか。

柄沢祐輔氏

柄沢祐輔氏

都市/建築フィールドワークの軌跡

南後──二〇世紀後半のフィールドワークの系譜と言いましても、主に路上に関するもので、東京に限ったものではありませんが、具体的な例をいくつか挙げたいと思います。
まず、欧米と日本という区別を設けずに言うと、僕が関心を持ったのは、五〇年代半ばから七〇年代前半のヨーロッパを中心とした芸術や政治を横断する領域横断的グループであるシチュアシオニストたちの実践です。フィールドワークで言えば、「漂流」や「心理地理学」という方法概念です。これらは建築の分野では、ベルナール・チュミの《ラ・ヴィレット公園》がシチュアシオニストの実践を念頭に置いていますし、もちろんコールハースの仕事にも関係していると言えます。成功しているかどうかは別として、いずれも、シチュアシオニストの実践を、建築のダイアグラムやプログラムに落とし込んでいるものです。
シチュアシオニストの「漂流」や「心理地理学」という方法概念は、都市の既存の地図や様式化された空間表象によって、そこに生きる人びとの都市空間に対する想像力が規定されるあり様に差し向けられた疑義であるとともに、都市空間の亀裂やノイズをあぶり出し、慣習的な地図作成を覆すことの、あるいは都市空間が孕む心理的な起伏、肌理、そして記憶の集積にもとづく無意識の発動源に対するセレンディピティの追求だったわけです。
六〇年代の日本では、例えば東京オリンピックの都市改造に呼応するかのように、赤瀬川原平さんたちのハイレッド・センターのような動きがあった。七〇年代に移っていくにつれて、赤瀬川さんは引き続き「トマソン」の活動を行ない、さらに八六年には藤森照信さんたちと「路上観察学会」を結成するという流れがありました。トマソンや路上観察学は、都市の断片というか、都市がメタボリックに変容していくなかで出てきた異物、あるいは機能的には無用なものを収集し、それらを「見立て」という手法によって偏執的に記録していくという作業でした。どちらかと言うと、都市の表層的なものに焦点を当てて、例えば機能を消失した《無用門》や《四谷階段》だとか、「本来的な」秩序や図式から逸脱したものに対し、「笑い」を交えながら路上観察をしていた。ただし、そういう都市の異物や無用なものが見出された背景は、都市の再開発というマクロな意味での変容と無縁ではない。八〇年代に路上観察学会のような手法が出てきた要因は、ちょうどバブル期にさしかかる都市のリストラクチャリングと関係していた点が重要だと思います。赤瀬川さんや藤森さんはそうした連関性に自覚的だったとは思うのですが、それらに向けた直接的な批判をあえて明確に提示しようとはしなかった。
その点、シチュアシオニストたちは、マクロな政治、経済、社会についての批判的眼差しを併せもっていました。例えばギー・ドゥボールの『スペクタクルの社会』(木下誠訳、ちくま学芸文庫、二〇〇三)には、「領土の整備」という章がある。デヴィッド・ハーヴェイの言葉を用いれば、「時間──空間の圧縮」や資本の分配・再分配と不均等発展の関係に対する「地理学的想像力」の発露を看取することができます。ですから、すでにシチュアシオニストの実践には、八〇年代後半から九〇年代の地理学、社会学、人類学などにおける「空間論的転回」──空間化された表象をめぐる政治や歴史を問い、都市を社会的かつ空間的編成の諸関係から批判的に捉えていこうとする動き──の素地が見られると言えます。
藤村──九〇年代以降の、建築家のフィールドワークとしては、アトリエ・ワンの『メイド・イン・トーキョー』(貝島桃代黒田潤三塚本由晴著、鹿島出版会、二〇〇一)がありますよね。
南後──そうですね。アトリエ・ワンは、ちょうどバブル崩壊の九一年以降、《ハイウェイデパート》のように、ときに時間差を含んだ建築の機能の重合性といった都市の「現実」をノスタルジーを介さずに観察していくわけです。ニックネームを付けて「見立て」るという「遊び」の志向という点では、路上観察学会の延長線上にあると捉えることもできる。ただ、路上観察学会が機能自体に関心を払わなかったのに対し、アトリエ・ワンは機能を無視するわけではなく、むしろ機能の重合性が、ときにユーザーの空間創造力を、ときに経済状況や周辺環境への即物的な対応によって同期性を伴いながら立ち現われている状況に関心を向けました。
つまり、二〇世紀後半のフィールドワークの軌跡を整理しなおすと、都市の断片=「表層」に眼差しを向けていたというところから、二〇〇〇年代に近づくにつれて、だんだんと都市や建築の物理的な空間構成を規定する不可視のレイヤーというかメタな次元、いわば都市の「深層」構造を規定する要素に接近していこうとする流れが浮かび上がってくると思うんです。さらに、東京オリンピック、バブル、バブル崩壊という都市の変動の「リズム」に意識的、無意識的に反応しながらフィールドワークが展開されてきたという点で、彼らはアンリ・ルフェーヴルが『リズム分析の諸要素』で(Elements de Rythmanalyse: Introduction a la Connaissance des Rythmes, Syllepse, 1992.)述べた「リズムアナリスト」であったと言えるかもしれません。
そうした流れに位置づけることのできる二〇〇〇年代の都市の記述方法として、建築家ではありませんが、中沢新一さんの『アースダイバー』(講談社、二〇〇五)があります。この本で中沢さんは、渋谷、新宿、四谷といった特定の場所で起こっている現在的な現象が、都市の深層──地質学、場所性、ゲニウス・ロキ、記憶、無意識──と共鳴するなかで立ち現われてくると言っています。二〇〇〇年代のフィールドワークが徐々に都市の深層とか不可視のレイヤーに触れるようになってきている徴候というのは、中沢さんのように地質学的アプローチを取り入れつつ、現在の都市の現象を検証する手法にも共通して見られると思います。また、建築家では吉村靖孝さんが、都市の物理的な建築的空間構成を規定している法規そのものに注目した『超合法建築図鑑』(彰国社、二〇〇六)をまとめました。

南後由和氏

南後由和氏

シチュアシオニスト、ルフェーヴル、アトリエ・ワン

柄沢──フィールドワークの手法は基本的に一九六〇年代である程度出そろった感があります。五〇年代にMITのジョージ・ケペシュが提示した都市の視覚的記号の分析方法はケヴィン・リンチによって継承され、一九六二年に『都市のイメージ』(丹下健三+富田玲子訳、岩波書店、一九六八)が刊行されます。リンチは、都市を移動路(パス)、境界(エッジ)、地区(ディストリクト)、結節点(ノード)、目標(ランドマーク)という五つのエレメントに分けて視覚的要素で分析し、それによって現象学的な都市論を再構成しています。磯崎新はそれに応答して「見えない都市」という論文を書いた。そこでは記号化した都市をいかに記号的状態を保ったまま、再構成していくかということが議論されているわけですが、それ以降、記号化した状況の背後の関係性をどう読み解いていくのかという視点があまり発展的に探求されていない状況があると思いますね。
南後──確かに二〇世紀後半、特に六〇年代以降のケヴィン・リンチにしても磯崎さんにしても、都市の見えにくさを認識し、従来の単一的、マスター・アーキテクト的な都市計画の論理の実効性が疑われはじめました。そのような都市の形象化の困難さに対して、逆説的に都市を読もう、あるいは可視化しようと、ノーテーションが駆動してきたとも言えます。ケヴィン・リンチなどは、都市のイメージアビリティを突き詰めようとしていた。彼とシチュアシオニストとの違いというのは、シチュアシオニストはおそらく都市の説明可能性を突き詰めていたわけではなくて、むしろ都市の説明不可能性のほうに関心があった。彼らが提示した「心理地理学」もノーテーションとして視覚的にはインパクトを持つものでしたから、建築家や都市計画家のそれと一緒に括られてしまいがちなのですが、ノーテーションの共有可能性については、それほど関心をもっていなかったように思うんですね。
柄沢──現象学的な水準で都市を見る眼差しというのが止まっているのではないかという感があるんですね。それはシチュアシオニストもそうですし、六〇年代のケヴィン・リンチの視点もそこを逃れていないのではないのかと思います。現象学的な視点をさらに再構成して計画論的な水準に持っていくためには、モデル概念の形成が必要になるはずなのですが、今はそのモデル概念の形成と現象学的なフィールドワークとを媒介する接続が行なわれていない気がします。
南後──ロラン・バルトの仕事をはじめとする記号論的な都市の読み解きやリテラシーについては、蓄積があると思います。ただ、記号論の延長線上で、事後的に産出される空間の多様性が重要だというような、モノと遊離した議論に回収されることが多かったと思うんです。その点、イアン・ボーデンのスケートボーディングに関する研究は、スケートボーダーの逸脱的な行為を支えるアーキテクチャというか、モノ自体が保証する行為の可能性を突き詰めて問い掛けているという意味で、興味深いですね。例えば、梅田望夫さんが『ウェブ進化論──本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書、二〇〇六)でネット産業に関して指摘しているような「不特定多数無限大」を担保しうる「インフラ」の提供に、建築家はもともと、空間の冗長性、柔軟性、開放性、更新システムなどを駆使しながら取り組んできたのだと言えると思いますが、住まい方を強要せずに「不特定多数無限大」を生む「インフラ」およびシステムの設計が引き続き、課題として求められそうですね。
柄沢──アトリエ・ワンの《ホワイト・リムジン屋台》《ファーニ・サイクル》のようなアート文脈での作品は、都市を読み、かつそれを実践に移すということを接続しえた稀有な例なのではないかと思います。
南後──アトリエ・ワンは、塚本さんがよくおっしゃるように、都市の現実に対し、否定から入るのではなくて、まずは肯定し、形態と現象の関係をつぶさに観察するなかで「転繹」を生み出そうとするスタンスですね。ここから話を繋げるのはやや強引かもしれませんが、『東京から考える』(NHK出版、二〇〇七)で東浩紀さんは、「動物化」「動物的欲求」といったものの表出として、例えばコンビニ、ジャスコ、TSUTAYAなど、いつでもどこでも適用可能な建築装置がもたらす快適さ、あるいはシミュラークルが持つ居心地のよさをいったん引き受けると言っていますね。そうした動物化した主体の欲求や「現実」を肯定も否定もしない、少なくとも無視はしないという立場は、アトリエ・ワンのスタンスと近いと思うのですが。
藤村──基本的に東浩紀さんや北田暁大さんが評価している風景と、『メイド・イン・トーキョー』で描かれた風景というのは非常に似ていますね。即物的で、物流的で、湾岸地区の工業地帯に広がるもの……。アトリエ・ワンはそうした光景のなかにある典型的な建築群を単線のアクソノメトリックで表現し、写真を撮り、簡単な一行コメントを羅列し、「都市の表層を徹底して表層的に記述する」というリテラルな応答をしたわけです。しかし、そこから先ほど柄沢君が「評価する」と言ったアートの文脈に到達するまでに、少しポジションをシフトしたように思います。
柄沢──僕が極めて重要だと思うのは、二〇〇一年に東浩紀が『動物化するポストモダン──オタクから見た日本社会』(講談社)で語ったこと、つまりシミュラークルとデータベースの二層構造によって社会の実態を捉えるという視点ではないかということです。八〇年代以降、さまざまな消費社会論が展開しましたが、その嚆矢となる思想はジャン・ボードリヤールのそれでした。ボードリヤールは消費社会においてはすべての物・事はシミュラークル化していき、そのシミュラークルには外部はないと語っている。そこにはリアルもフィクションもないし、ありとあらゆる情報は記号化されて、その状況においてすべてはフラットであるとしている。それは基本的には九〇年代末における「スーパーフラット」という文化事象を指す呼称につながるものだと思う。けれども二〇〇一年に──当時は社会が情報化される最中にあったわけですけれども──、シミュラークルとデータベースの二項対立という視点が提示されたことによって、シミュラークルの外部に実はデータベースが存在しているということが提示されてしまって、その瞬間にいわばシミュラークルの世界の外が提示されたのではないかと僕は考えます。そしてこの時点での展開は大きいと思います。つまりシミュラークルに外部があるのかないのかという視点が、八〇年代、九〇年代の消費社会論にはまったくなかった。実際には社会を支えているインフラストラクチャーであったり、不可視の構成ルールや決定ルールなど、さまざまな構造が都市の下部に巡らされているにもかかわらず、一切そういったものを表層と等閑視したまま、華々しい都市論、消費社会論が展開していった。それらが終わった後に私たちが迎えている局面というのは、シミュラークルとデータベースの二項対立によって、シミュラークルの外部が見えてしまった社会における都市論、都市の構成方法といったものをいかに考え、記述するかということだと思うんですよね。
藤村──そのことに関しては、宮台真司さんも述べていますね。「建築家は表層における遊戯人にすぎなく、都市の現実を支えている深層であるアーキテクチュアには関与できない」と、磯崎新さんとの議論のなかで批判しています。
柄沢──「不可視のレイヤーを等閑視するな」と宮台さんは言うわけですよね。
藤村──そうです。それと似たような状況が先ほどの六本木でも起きています。例えば、「東京ミッドタウン」や「森ビル」のような大規模再開発の設計においては、容積のヴォリュームや構造のスパンという全体に関わる枠組みを決めるのは日建設計のような組織設計事務所で、隈研吾さんや青木淳さんのようないわゆるアトリエ派はファサードのデザインというように区分がなされ、深層と表層に対する意思決定の主体が乖離しています。
柄沢──それらがジャスコ化、郊外化、もしくは国道一六号線化という言葉で東京を表わす際のひとつの本質でもある。

藤村龍至氏

藤村龍至氏

虚の不透明性

南後──ジャスコ、ディズニーランドなどの名詞を繰り返し用いてテーマパーク化を論じることで見失われるものもあるように思われます。ところで、『東京から考える』は建築家不要論として読めなくもないと思うのですが、建築家であるお二人はこのことをどう受け止め、どのような建築学的な実践を展開しようとされているのでしょうか。例えば顕名的な建築家による設計のショッピングモールと、匿名的な建設業者によるジャスコ的なるものと、建築的実践としてはどのように違いを説明されますか。
藤村──建築家には設計者としてはもちろん、分析者としての可能性があると思います。例えば、宮台真司が「脱空間化」と表現したように、九五年以降インターネットや携帯にコミュニケーションベースが移り「建築は上物にすぎない」という見方を出したことについて、個人的には少し違和感を持っています。例えばコンビニやスーパーマーケットなどのインテリアでは、客が買い物をして出て行くまでのシークエンスが至極即物的に設計されています。スーパーマーケットの空間的な特徴を見れば、目線から上の空間はワンルームになっていてサインが平面的に並んでいます。目線より下の空間にはモノが大量に陳列されていて、大量の商品が入れ替わり、人やモノが絶えず流動しています。そういう二層構造を、「パンを買うときにパンを検索しながらサインを辿る」というような上半分の空間における視線の動きと、「売り場を歩いているとたまたま牛乳が並んでいてそれも買う」というような下半分の空間における身体の動きを単一の身体のなかで重ねることによって、ネットでサーチとブラウズを行なうように私たちは利用しているわけです。そういった「検索可能性」と「遭遇可能性」の原理が郊外型ショッピングセンターでは特に発達していて、東京であろうとパリであろうとロンドンであろうと、スーパーマーケットの空間ではどこでもみられる特徴となっています。それは空間が情報化していると言えると思うし、サーチとブラウズのような仮想空間上の機能を実空間が追いかけているとも言えると思います。そうした事実の広がりをみると、単に「脱空間化」であるとか、「建築家は料理人にすぎない」とは言えないのではないかと思うのです。
南後──これまで、ジャスコの空間構成に対する建築学的知見にもとづいた検証が的確になされてこなかったのかもしれませんね。
藤村──そうですね。まずそういった社会的現実に対する建築的眼差しが必要であると思いますし、同様に建築的現実に対する社会的眼差しも必要です。建築家と社会学者の協働こそが必要なのであって、建築を贅沢品のように見なすだけの社会学者や、社会の動向に無関心な建築家の姿勢は物足りなく思います。
柄沢──社会が情報化していく状況のなかで、建築家や都市計画家はいわゆるモニターの向こうで起こっていることをどうやってモニターに映して都市計画や建築をつくるかということに終始していたと思います。それに対して、藤村さんの活動はどうやって空間自体の在り方を図式的な側面から分析し、新しい論理を発見していくのかということだと思います。それはシミュラークルや記号の戯れが表層を覆っているという視点からもう少し先に進んでいる気がしています。僕はその図式性には全く同感です。もはや私たちはその図式性における新しい身体感覚を獲得しているのだと思います。私は、それをコーリン・ロウの「虚の透明性」にかけて「虚の不透明性」と名付けています。「虚の透明性」は、ル・コルビュジエの《ガルシュのシュタイン邸》(一九二七)をロウが分析して、迷路状の空間を彷徨った挙げ句に最後に図式としての一望性が得られて、概念としての一体感がそこに生じるという話です。しかし私たちが現在得ている身体感覚は、まず先に概念の図式性があって、次に身体感覚が後からやってきていると思います。例えば、西沢立衛さんの《森山邸》(二〇〇五)の空間はそれを象徴していると思います。《森山邸》においてはヴォリュームの配置は極めて明瞭な図式性を持っていて、敷地の外部から見てもその図式性は訪れた人は誰でも知覚できます。さらには中に入るとヴォリュームがすべて貫通した窓の配置などを見てまたさらに配置が視覚的にクリアーになり、図式的明瞭性が強化されます。
南後──確かに《森山邸》の空間は、図式的には極めて明瞭ですね。
柄沢──ただし、身体がその中を彷徨うときにさまざまな障壁が生じていて、その間を回遊することが極めて迷路的な体験をもたらす状況があります。まず先に概念としての一望性があり、その後に身体が遅れてやってくるという構図が成立しています。それはある意味身体が拘束されていると言ってもいいし、視覚や概念が先に生じていると言ってもいい。この感覚は、藤本壮介さんの《T-house》(二〇〇五)や妹島和世さんの《鬼石町多目的ホール》(二〇〇三)などにも感じるもので、身体が局所的に拘束されているという図式も同じだと思います。これらを解釈するには、篠原一男が『住宅建築』(紀伊國屋書店、一九六四)のなかでG・ギーディオンの『空間・時間・建築』(太田實訳、丸善、一九五五)を要約した後に語った「空間の新しい記述方法を見出せれば、新しい空間が生まれる」という一節が非常に参考になります。そこで篠原一男は具体例として、ル・コルビュジエの建築的プロムナードやF・L・ライトの《プレーリーハウス》の伸びやかな廊下の構成などの、シークエンスを伴う空間構成が映画というメディアの構造と完全に合致している、映画というメディアが記述する空間性が実際に建築としてこのように成立している、という話を挙げています。このような観点からすると、現在の空間はGoogle Earthが端的に象徴していると思います。Google Earthはつねにどこに何があるかということを一望的に把握することを可能にします。将来的にはおそらく携帯電話がGPS、そしてGoogle Earthと連動することによって、誰がどこにいるか、何がどこにあるかなどの位置関係が概念的にすべてわかってしまうという時代がくると思います。概念として、すべて検索可能にはなるのだけれども、身体がそこに辿り着くまでに圧倒的なタイムラグが生じる、身体が遅れてやってくるという感覚、身体が局所的に拘束されているという感覚と概念の一望性との乖離、その乖離自体が新しい身体感覚や空間概念を生み出すのではないでしょうか。コンピュータのメタファーで言うならば、デスクトップで起こっている現象と自分との間に薄い皮膜があり、その皮膜は絶対に越えられないという感覚、それがさまざまな建築家によって建築され、そして都市をつくっていくという現実からも、「虚の不透明性」は二一世紀初頭を生きる私たちの空間感覚を端的に象徴する言葉になるのではないかと思います。
藤村──それは感覚的に理解できるし、興味が湧くのだけれども、疑問もあります。まずその感覚は単純に時代感覚に因るものですか。
柄沢──現行の社会的な技術インフラが可能にした新しい空間感覚です。
藤村──確かに先ほどの「検索可能性」と「遭遇可能性」で言うならば、そうしたリテラルな二層構造の空間が顕在化してきたのは近年の出来事だと思います。ただ、商業空間に限れば、エレベーターとエスカレーターの対比にみられるように、二層構造の形式自体は商業建築にはもともと導入されてきた概念でもあります。その概念は「モノを売る」という単純かつ明快な目的と表裏一体なのですが、「虚の不透明性」という概念は設計の論理として導入するときにどういう場面を想定できるのでしょうか。
柄沢──ひとつは、ある境界を隔てている敷居というものが「視覚的には見えるけれども身体的に辿り着けない」という空間構成を巧みに利用して新しい空間の組成が可能だということだと思います。
藤村──その「新しい空間」が組成される社会的な動機づけはどういうところにあるんですか。
柄沢──ワンルームとしての空間的な一体感を持ちながら、そこに多様な差異を見えない領域として孕んでいくような感覚だと思いますよ。ミースは均質で透明なユニヴァーサル・スペースの中で、不可視の多様なバリアを意味論的に分節された状況として提示しているでしょう。だから背後に意味をもつユニヴァーサル・スペース。
藤村──それが応用されるのは具体的にはどのような種類の建築ですか?
柄沢──建築全般に当てはまると思います。
藤村──その空間感覚が構成のレヴェルで指摘できるのは、多くは量販店や交通施設など、情報的な空間を内包する建築だという気もします。先ほども言いましたが、現在でも例えば、商業施設や空港、高速道路などの情報的な空間においてはそうした身体感覚が応用されていると思います。それを例えば「コミュニティとコミュニティの検索と遭遇」というように、ソーシャルミックスに応用する議論はあると思います。「ミクシィ」の空間化、といえばイメージしやすいかもしれませんが、商業空間で発達した原理をそのような公共的な目的に向けて再構成することは、建築家がやるべき仕事だと思います。

アルゴリズミック・デザインの可能性

南後──先ほどの都市のノーテーションや地理学の観点から話をすれば、例えばデーヴィッド・ハーヴェイの『ポストモダニティの条件』(吉原直樹監訳、青木書店、一九九九)を読むと、地図を媒介にした空間の認知や、空間に対する想像力が実際の建築計画や都市計画に影響していることがわかります。若林幹夫さんの『地図の想像力』(講談社選書メチエ、一九九五)にも時代ごとの空間認識や空間=社会的諸関係が地図を経由して形成されているという記述がありますね。だから、現代の新たな地図作成法の登場によってGoogle Earthのような地図を経由した空間感覚が、西沢さんや藤本さんや妹島さんの作品に現われているとするならばおもしろいですね。
ただし、他方で、このような「虚の不透明性」の空間が立ち現われてくる背後の論理があるのではないでしょうか。それが先ほど話題に上がった表層と深層の二項対立であるならば、そこに対して、どのように介入しようとしているのでしょうか。
柄沢──そこでひとつには、アルゴリズム的な設計論があると思います。社会が二層構造化していくときにその二層を媒介するのは、実際のところアルゴリズムだからです。結局、例えばGoogleの検索メカニズムと検索順位の関係でもいいのですが、深層と表層を繋いでいるものは、実際のところ深層のデータベースを検索してそれを映し出す、独特の検索アルゴリズムにほかなりません。深層から表層を繋ぐものはアルゴリズムであって、それをどのように僕らが新しく定義できるかが、建築家や都市計画家としてのさまざまな実践が関与すべき領域であると思います。
南後──では、アルゴリズム的な設計論を具体的にどのように実現されようとしているのですか。
柄沢──ここしばらくの間、コンピュータ・アルゴリズムによって「非ユークリッド幾何学」を制御することが可能なシステムをつくり、それを実際にコーディングを完了させて、具体的な設計プランを考え、さらには都市計画への応用を考えています。そういうレヴェルでアルゴリズミックにまったく新しい概念を提示してフィジカルに実現するという実践は実際に行なおうとしています
藤村──それは幾何学的な実験のようなことですか。
柄沢──そうです。コンピュータ・アルゴリズムを用いると、都市や建築の潜在的な構成のルールのそのまた深層にあたる潜在幾何学の水準で、まったく新しい方法論を提示することができます。私が昨年構築した「非ユークリッド幾何学CAD」では、二千年間の建築の歴史の中で暗黙のうちに用いられてきたユークリッド幾何学、カルテジアン座標に対して、一九世紀半ばに発見された非ユークリッド幾何学を制御可能なプログラムを組み、仮想三次元空間の中で位相的変形や投影が可能なシステムを組むという実験を行ないました。セシル・バルモンドも行なっていることですが、コンピュータ・アルゴリズムを用いる独特の新しい幾何学のデザインがありえると思います。従来の幾何学を線形的な幾何学として捉えるならば、対比して非線形的幾何学を用いたデザインとでも言えるものです。今、その発展で非ユークリッド幾何学により定義された路地裏的マンハッタン・グリッドを再構成する実験というのをやっています。ここで重要なのは、そのような試みによって世の中にある様々な情報やプログラム、アクティヴィティを統合する、新しい概念モデルの提示が可能になりえるかもしれないということです。
藤村──僕は、アルゴリズミック・デザインをもっと即物的に理解していて、簡単にいえば「パラメータをはっきりさせて、無数に比較を行なう」ことだと考えています。コンピュータを使わなくてもアナロジーとして既存の設計方法を開いていくというやり方でもいいと思うんです。それよりもアルゴリズミック・デザインの持っている可能性を展開して、設計プロセスを開放していくことが重要だと思います。一つひとつの設計プロセスが説明可能であることでいろいろな立場の人が参加できるとなると、社会的な要請に応える開かれた設計論たりうるのではないかと思います。
柄沢──藤村くんが言ったようにアナログなことも含めてすべてアルゴリズム的な設計論と言えると思います。そのアルゴリズム的なものをどう提示するかというときに、ここで議論を広げるならばアルゴリズムとは定義上その本質が「決定ルールの有限回の時系列を伴った連なり」だと言えます。それを広義にアルゴリズムと捉えたときに、いろいろな設計方法や都市をみる眼差しが生み出される可能性があると感じるんです。
南後──先ほど、六〇年代のケヴィン・リンチの『都市のイメージ』の話がでましたが、磯崎さんは、都市は非決定かつ動態的な論理によって成り立ってはいるのだけれども、非決定の決定をどこかで下さなければならないという話をしていました。宮台さんは、「意図せざる帰結」の意図的なデザインが建築家やプランナーには求められていると言っていますね。クリストファー・アレグザンダーの論文「都市はツリーではない」を敷衍すれば、セミラティスをどう計画しデザインするかという話にもつながると思いますが、ツリーとセミラティスの文脈とアルゴリズムはどのような関係にあるのでしょうか。アルゴリズムの設計論の強みを説明していただけますか。従来、建築家の勘やセンスという可視化や言語化が難しいものとして捉えられがちであったものが、アルゴリズムの提示によってその位相を変えていくような予感がしますが。
柄沢──アルゴリズムを使った設計論は三種類あると思います。ひとつは、「アルゴリズムを定義すること」。例えば、幾何学を新しくアルゴリズムで定義し直すことなどがありえます。二つめは、「アルゴリズムを組み替えること」。物事は、必ず時系列のプロセスを内包しているわけです。それをジャック・デリダは「ディフェランス」という言葉で表わしました。アルゴリズミックな視点は、物事の成り立ちを時系列で可視化し、その組み替えを可能にします。三つめは、「決定ルールを公開する」ことです。都市のさまざまな論理を決定ルールとして構築して、その決定ルールをある部分を共有しているならば、その決定ルールが招いた予期せぬ帰結がどんなものであっても、すでに決定ルールはみんなで共有しているものなので、その前提さえ共有していれば僕らはどのようなことも受け入れられるのです。社会学でもよく問題になる「意図せざる帰結」は、アルゴリズムを共有したうえで都市を設計していくという方法によって、かなりの程度解決がつく気がします。それをもっと発展させると、都市を設計する方法として、都市を構成しているさまざまな決定ルールをその都度可視化して、そのアイテマイズした決定ルールを仮にも都市に住む人々が共有できた場合には、そこでその決定ルールの多様なパラメータが時系列に投入されて起こった現象も、僕らはそれをひとつの都市として共有できるのではないでしょうか。
藤村──都市ごとに固有のアルゴリズムがあるということですね。その見方は面白いと思います。都市形態をアルゴリズミックに分析して、再構成する、という設計論もありえますよね。
柄沢──そうです。MVRDVの「Function Mixer」「Region Mak-er」が意図しているものはまさにそれで、決定ルールを言わば全部ソフトウェアとして明示してしまって、したがってそこではすでに全部インターフェイスに決定ルールの項目が映っているわけです。それに応じて操作することによってこんな街ができたという、一連のプロセスがすべて外部化されているがゆえに、結局のところ、その都市計画に参加する人間がそれに対して非常に合議しやすくなる。ルールを共有しやすくなって、それによって新しいかたちでの民主的な都市の決定ルールの構築が可能になるし、さらにそれを共有することによってまったく新しい都市の設計方法がありえるのではないかという気がしています。MVRDVは、その部分、特にアーバニズムに特化していますね。
藤村──都市政策についての議論では「市民参加」や「提案型都市計画」というような「小さな公共性」と、「安全」や「環境」「防災」などの「大きな公共性」というような、二つの公共性が議論されています。これは表層である「小さな公共性」の意思決定に市民を加えて開放性や多様性を演出しつつ、深層である「大きな公共性」の意思決定は行政や専門家のリードによって行なうという、先ほどの二層構造の構図そのものだともいえます。二つの公共性の関係性はどうかというと、ここでもやはり、両者の関係が必要とされているように思えます。例えば、国立阪大附属池田小学校で起こった児童殺傷事件をきっかけとして小学校の安全性が問われましたが、監視カメラを設置するなどの細かな対応策はあるとしても、より確かな安全性を考えるならば地域の人々の力を借りなければならないから、コミュニティを再構築しなければいけない、というように、「大きな公共性」を実現するために、「小さな公共性」を繋ぐことが指摘されているわけです。そこでは一見非効率的で、非工学的な空間が工学的な都市に逆に要請されていると思うんですよ。その関係をしっかり捉えておかないと、工学化=「脱空間化」だとか、フェイス・トゥ・フェイス=懐古主義みたいな議論になってしまうという問題意識があります。同じことが設計論にも当てはめられるのではないでしょうか。
柄沢──アルゴリズミック・デザインが、その二つの深層と表層に分離してしまった公共性や社会といったものを媒介する可能性があると思います。
藤村──設計の現場でも、アルゴリズム的にオープンエンドに設計を進めていくことによって、環境や問題の把握と共有をスムーズに実現できる、という感覚があります。そこでは分析者の視点と設計者の視点が同居していて、よく「設計とリサーチをどう繋げるか」という議論がありますが、アルゴリズミック・デザインの当事者的感覚からいえば両者は分ち難く結びついていますよね。つまり、「アルゴリズミック・デザイン」は最大のフィールドワークの手法だと言えるのではないかと思います。
柄沢──アルゴリズミックな視点を導入すると、普段乖離しがちなリサーチと設計を繋げることが可能だということですよね。それに関して言うと、リサーチをする視点もアルゴリズミックに都市を眺める視点として提示できるのではないでしょうか。アンリ・ルフェーヴルは晩年に「リズム分析」に没頭して、すべてのものをリズムというある周期性をもつ時系列の要素の総体として都市を眺める視点を提示したわけです。それは極めて抽象的なレヴェルに留まってしまっている側面もあります。しかし、都市をアルゴリズミックに分析した場合には、そこで発見された決定ルールの連なりをそのまま私たちがプログラム化して、すぐ設計に転換させることはある程度は可能ですね。このアルゴリズミック分析と呼ぶ新しい都市のフィードバックは、深層と表層に乖離してしまった現在の都市の風景において、ひとつ有効な都市を眺める視点やノーテーションをするための方法になります。むしろ、アルゴリズミックな視点によって観察された一連のリサーチの結果がそのまま都市を生み出すプログラムになるのではないかと思います。それは、非常に実効性をもつノーテーションの方法になりうるのではないでしょうか。

ルフェーヴルのリズム分析

南後──そこには人文社会科学系のフィールドワークと建築学の協働の可能性が開かれていそうですね。都市、建築における「内部観測」にもとづくリサーチ=設計とも言えそうです。アルゴリズムを媒介とした都市デザインは、言うまでもなく、従来の官僚型、お役所型にありがちな、手の届かない、見えない行政的な決定権で展開されていく都市計画とは異なるわけで、表層と深層のインターフェイスを可視化して共有可能にするのは、ウェブとのアナロジーで言えば、先述の梅田さんが展開した「あちら側」と「こちら側」の議論を想起させます。
ところで、僕は前半で触れたように、ルフェーヴルのリズム分析と中沢新一さんの都市の地質学、地誌学的なフィールドワークとの繋がりのほうにも関心があります。変わるもの/変わらないものの関係に照準を向けるルフェーヴルのリズム分析の射程は、身体を基軸としつつ、第一の自然である海や川や山の成り立ち、そして土地の履歴や起伏から、交通や人口移動、政治経済、現代都市の先端で起こっている情報や記号の表層的な現象までを架橋して、学際的かつ動態的に議論しようとする点にあると思うんです。建築の文脈で言い換えると、例えばアルド・ロッシが言う都市の類型や、主体/客体を超えた自律性を持つ「永続性」「場」などの深層レヴェルと、個々の建築、公共空間、街区、街路、そこでの身体の慣習的な振舞い、さらにはファサードやサインなどの存立様態という表層レヴェルとの「界面」を観察していくうえで示唆するものが大きいと考えています。
柄沢──いわばサイクリックな、時間が循環していく過程みたいなものをリズム分析は注目して取り出していくわけですね。その取り出した時間の連なりをつなげていくとそれは情報理論が定義するアルゴリズムそのものです。
南後──リズム分析がおもしろいのは、周期的な反復と直線的な反復が、同時性を伴って空間化している現状を解析するひとつのアプローチを提示していると思われるからです。
藤村──ルフェーヴルは、まさにわれわれの考えていることの先達ですね。
南後──ルフェーヴルが言うリズムとアルゴリズム、あるいは空間とアルゴリズムの関係は今後さらに慎重に精査する必要があるでしょうが、ルフェーヴルの読み直しは、思想史の文脈でもなされるべきだと思います。ルフェーヴルが言う「空間的実践」「空間の表象」「表象の空間」の三元的関係で言うと、従来は「空間の表象」と「表象の空間」の二項対立や、現象学の文脈では「表象の空間」に注目が行きがちだったのではないか。「空間の表象」に建築学が位置づけられて、建築家対ユーザーという二項対立がしばしば設定されるけれども、実はそれを媒介する契機として「空間的実践」が重要ではないかと思うんです。「空間的実践」は、物質性をもちつつ、不可知性や他者性を孕んだ「現実」を構成する契機ですね。それ自体、運動体である三元的な緊張関係のなかにおいて、反復的なものから、差異がどのような条件で、どのように生成するのかを抽出するとともに、いかに物象化していくべきかを問い続けるわけです。
むろん、ルフェーヴルの議論にも時代的な制約があります。例えばルフェーヴルの助手を務めたジャン・ボードリヤールと違って、マスメディアや情報化の影響をそこまで掘り下げて展開することはしなかった。現代では、「人間的なもの」の概念が、ルフェーヴルが言う「表象の空間」に関心が向かいがちな理論的枠組みでは捉えきれなくなっている。つまり、ボードリヤールが言う、シミュラークルのなかにも「人間的なもの」の契機があるはずで、それをいかに立ち上げ、再構成できるのかということですね。
その際、理論的には、ルフェーヴルが提示した「空間的実践」「空間の表象」「表象の空間」の三元的関係性を、ボードリヤールが説くシミュラークルの自律性と比較すること、つまりは、ルフェーヴルにボードリヤールを接続させることによって、もう一度、ルフェーヴルを逆照射するという読み直しをやってみたいなと思います。

建築とアーバニズムのあちら側/こちら側

柄沢──そこでさまざまな実践論が語れると思うんです。僕が持っている問題意識とともに『ウェブ進化論』──「あちら側」と「こちら側」の二項対立が提示されて、「こちら側」での出来事が全部「あちら側」へと移行するという権力のパワーシフトが起こり、圧倒的な知の再分配であったり富の再分配が起こっているという話──を読んだときに、アーバニズムは「あちら側」の速度にまったく追いついていないという問題提起ができると思うんです。コールハースがライトアーバニズムという言葉を使って、もっと建築や都市計画が軽くならなくてはいけない、もっと短命で、そんなに重要なものとして見なしてはいけないし、社会の流動性に対して迅速に反映されるべきものでなくてはいけないという話をしているけれども、結局「あちら側」の圧倒的な速度に「こちら側」のアーバニズムや建築は一切追いついていない。その「あちら側」と「こちら側」の速度の乖離に対して、僕たちはどのように関与できるかということを考えなくてはいけないと思うんですよ。
では、どのようにしてそこを繋ぐことができるか。アーバニズムの方法論として先ほど出たアレグザンダーのセミラティスとツリーの話で言うならば、都市の三次元的な関係性を変化させるという方法がありえる。セミラティスとツリーの図式においてある種の到達不可能性の例として提示されていたセミラティスは、二次元的な表象を持っている場合には確かに実現困難だと思います。でもそれが三次元的な高さを持った場合、セミラティスのダイアグラムがそのまま物理的に実現可能なんですね。都市を二次元的に捉えた場合には確かにセミラティスとツリーという二項対立が出てきますが、極度に三次元化、立体化した都市の内部において、さまざまな集合論的関係を慎重に構成して積み上げていくならば、セミラティス状の都市計画を実現することが十分可能だと考えています。そしてそれが実現したならば、そもそもがセミラティスの論理で築かれているウェブに近い都市をフィジカルに構築することが可能だと思うんです。
南後──「あちら側」で起こっていることに建築家が無頓着でいられないという話はよくわかります。ただし、単に建築家が「あちら側」の速度に追いつこうと躍起になるという構図からは、例えばヴァーチュアル・アーキテクチャーをめぐってサイバースペースの可能性が手放しに追求され、形態やデザインの自由度がナイーヴに語られた頃の「負の遺産」が思い浮かびます。しかし、柄沢さんの議論は抽象度がより一層高いので、今後の発展可能性がありそうですね。
他方で、建築の可能性として、圧倒的な速度の「遅さ」を特徴として活かす道もあると思います。つまり、「あちら側」の速度に追いつこうとするなかで、実は建築が持っている身体拘束性とか制約による不自由さを同時に再発見していく必要もあるのではないでしょうか。そういうネガティヴさをポジティヴさにどう転換していくかということを合わせて考えていく作業が求められるように思います。もちろん、コールハースのように、市場や情報の速度をサーファーのように波乗りでこなしていくという方法論もありうるでしょうが。
柄沢──その速度の乖離というものが、人間に与える影響がきわめて甚大かつ不健康なものじゃないかと思うんですよ。事象として超高速なのに、現実のフィジカルなものが徹底的なタイムラグを生んでいる状況は不健康だと思いますけどね。
藤村──両方「速度」を上げるべきだと。
南後──不健康な都市の状況とは、現在の都市の具体的な風景としてはどのようなものとして起きているのでしょうか。そこを新たな都市のフィールドワークとして展開できるとおもしろそうですが。
柄沢──単純に言うならば、メールだったり電話だったりで、簡単にやり取りできるけれども、全然会えないという状況も一例だと思います。
藤村──そういう、「あちら側」と「こちら側」の「速度」の乖離や、表層と深層の乖離など、建築や都市についての議論が対処しなければいけない問題が沢山ありますよね。そのような問題に向かっていくことが、新しい都市の公共性を生み出していくことに繋がるのではないかと思います。
[二〇〇七年五月二四日、東京にて]

>柄沢祐輔(カラサワ・ユウスケ)

1976年生
柄沢祐輔建築設計事務所。建築家。

>南後由和(ナンゴ・ヨシカズ)

1979年生
東京大学大学院。東京大学大学院情報学環助教/社会学、都市・建築論。

>藤村龍至(フジムラ・リュウジ)

1976年生
藤村龍至建築設計事務所。建築家、東洋大学講師。

>『10+1』 No.47

特集=東京をどのように記述するか?

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>錯乱のニューヨーク

1995年10月1日

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>藤森照信(フジモリ・テルノブ)

1946年 -
建築史、建築家。工学院大学教授、東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。

>アトリエ・ワン

1991年 -
建築設計事務所。

>貝島桃代(カイジマ・モモヨ)

1969年 -
建築家。筑波大学芸術学専任講師。塚本由晴とアトリエ・ワンを共同主宰。

>黒田潤三(クロダ・ジュンゾウ)

1968年 -
建築家、アーティスト。東京テクニカルカレッジ講師。

>塚本由晴(ツカモト・ヨシハル)

1965年 -
建築家。アトリエ・ワン共同主宰、東京工業大学大学院准教授、UCLA客員准教授。

>吉村靖孝(ヨシムラ・ヤスタカ)

1972年 -
建築家。吉村靖孝建築設計事務所主宰。早稲田大学芸術学校非常勤講師、関東学院大学非常勤講師。

>都市のイメージ

2007年5月

>丹下健三(タンゲ・ケンゾウ)

1913年 - 2005年
建築家。東京大学名誉教授。

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>イアン・ボーデン

バートレット・ユニヴァーシティカレッジ・ロンドン、建築史・理論学科主任。バートレット・ユニヴァーシティカレッジ・ロンドン。

>東浩紀(アズマ ヒロキ)

1971年 -
哲学者、批評家/現代思想、表象文化論、情報社会論。

>北田暁大(キタダアキヒロ)

1971年 -
東京大学大学院情報学環准教授/社会学。

>スーパーフラット

20世紀の終わりから21世紀の始まりにかけて現代美術家の村上隆が提言した、平板で...

>隈研吾(クマ・ケンゴ)

1954年 -
建築家。東京大学教授。

>青木淳(アオキ・ジュン)

1956年 -
建築家。青木淳建築計画事務所主宰。

>コーリン・ロウ

1920年 - 1999年
建築批評。コーネル大学教授。

>西沢立衛(ニシザワ・リュウエ)

1966年 -
建築家。西沢立衛建築設計事務所主宰。SANAA共同主宰。横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA准教授。

>藤本壮介(フジモト・ソウスケ)

1971年 -
建築家。京都大学非常勤講師、東京理科大学非常勤講師、昭和女子大学非常勤講師。

>妹島和世(セジマ・カズヨ)

1956年 -
建築家。慶應義塾大学理工学部客員教授、SANAA共同主宰。

>篠原一男(シノハラ・カズオ)

1925年 - 2006年
建築家。東京工業大学名誉教授。

>空間・時間・建築

1955年3月1日

>若林幹夫(ワカバヤシ・ミキオ)

1962年 -
社会学。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。

>アルゴリズム

コンピュータによって問題を解くための計算の手順・算法。建築の分野でも、伊東豊雄な...

>クリストファー・アレグザンダー

1936年 -
都市計画家、建築家。環境構造センター主宰。