1953年生まれ。建築家。芝浦工業大学システム理工学部環境システム学科教授。
(最終更新:2009年9月28日)
[論考]
...Ceci n市t pas une ville Author: Manfredo Tafuri 〈付記──菊池誠〉 一九七○年代以降いわゆる〈合理主義(ラシ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.195-202
[ミュージアム・テクノロジー随想 1]
本連載のシリーズ題名にある「ミュージアム・テクノロジー」というのは、二〇〇二年一〇月に東京大学総合研究博物館に開設された寄付研究部門に付けられた部門名である(産学連携が奨励される時節柄、この奇特な寄付を行なったのはディスプレイ業界日本最大手の丹青社であると名前を記させてもらおう)。ゴッドファーザー(名親)は同博物館の西...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.41-42
[ミュージアム・テクノロジー随想 4]
四回連載の本コラムも最終回である。毎回、遊歩者のようにとりとめのないことを書き付けてきたが、結論へと線形に展開するテクストを書くことは最初から想定していない。 前回触れた「メディアとしての建築」展の図録に、ル・コルビュジエの絶筆「思考のほかに伝えうる何ものもない」を翻訳掲載した。その後、伝達可能であるというのはどういう...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.39-41
[ミュージアム・テクノロジー随想 2]
私が「M博物館増改築計画」[図1]なる架空のプロジェクトの内観透視図をレンダリングしていたとき、ロバート・フラッドの「記憶の劇場」を思い出したという話を前回書いた。窓などの建具をはずされスケルトンだけになった擬古典様式の既存建築が、舞台装置ないしは映画セットじみて見えた、それが記憶術の道具として用いられる舞台のイメージ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.42-43
[ミュージアム・テクノロジー随想 3]
前回も少し映画のことを書いたが、一九五〇年代前半生まれの私はジャン=リュック・ゴダールほかのヌーヴェルヴァーグ映画には間に合っていない世代に属する。つまりロードショー時にではなく後年、名画座で『気狂いピエロ』(一九六五)などを観た。ゴダールより年長だったと思うが、文学から映画への転身が遅かったのか、日本への紹介が遅れた...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.28-29
[論考]
都市計画はひとつの工学的な技術体系として(…中略…)物的・実体的な諸施設の配置・構成を手だてとし、個別的・社会的なもろもろの空間や構築物を媒介として、都市社会をコントロールしようとする総合的な制御科学の体系であるといってよいだろう。 浅田孝『環境開発論』 1 爆発するメトロポリス 一九六〇年代に書かれた都市の問題に...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.96-103
[インタヴュー]
コンピュータの黎明期における情報都市の提案 柄沢──磯崎さんは六〇年代のコンピュータの黎明期、まだそれらが十分実用的とは言えない時期にさまざまな建築や都市の提案...ュータが進化した八〇年代、僕のアトリエにいた菊池誠や佐藤健司など、建築家のなかで一番早くコン...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81
[都市表象分析 10]
1 類推の魔とノスタルジア 第二次世界大戦後間もないころ、東欧の若い建築家ボクダン・ボクダノヴィッチ(のちのベオグラード市長)は、気晴らしに夢の都市の平面図や鳥...ンフレッド・タフーリ「これは都市ではない」(菊池誠訳『10+1』No.1、INAX出版、一九九四)一九七頁。...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.2-10
[論考]
0:チップのなかの空間 ((-1 . ) (0 . INSERT) (8 . AME_FRZ) (5 . 36) (2 . AME_NIL) (10 1.0 1.0 1.0) (41 . 1.0) (42 . 1.0) (50 . 0.0) (43 . 1.0) (70 . 0) (71 . 0) (44 . 0.0...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.126-135