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およそ学というもの、少なくとも芸よりも客観的、共有可能なものでなければならない、という信条があるとしましょう。しかし学が芸にもまして客観的であるということが、果たしてどのくらい自明なことなのでしょうか。
科学的方法が、誰しもが同じ対象に対して、同じ作業を行なえば、かならず同じ結論に達することを目的としているのであれば、いささかの疑いもなく先人の教えを反復することによって獲得するとされる芸道との違いはさほど見あたりません。岡崎氏の言葉を転用すれば、じつは厳密とされる学問ほど、対象をいかなる方法で分析し、論理─説得づけるかというレトリック(術)に帰着する。たとえば建築史という、建築認識にかかわるマイナーな一学閥におけるすぐれた主張が、すこしでもその場所を越えでた状況(たとえば異種格闘技シンポ!)において、共有される確証などどこにもない。そこには建築実体を言葉として読み下すための一定のルールや閥が厳然と存在しているのです。つまりすくなくとも聴衆は、彼の体系へと進みいる余裕をもつか、あるいはすでに意識することなくそこに入りこんでいるかでもないかぎり、それは共有可能とはならないはずでした。
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1955年生
近畿大学国際人文科学研究所教授、副所長。造形作家、批評家。
1965年生
早稲田大学創造理工学部准教授、編集出版組織体アセテート主宰。歴史工学家。
特集=住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在