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菊地暁 (キクチ・アキラ)

1969年生まれ。民俗学。京都大学人文科学研究所助教。
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/zinbun/members/kikuchi.htm

(最終更新:2010年11月4日)

> 10+1 DATABASE内「菊地暁」検索結果 (5件)

[『日本の民家』再訪 7]

民家へ 伊豆大島編 | 瀝青会中谷礼仁大高隆

Toward "Minka": Revisiting Izu Ooshima | Rekiseikai, Nakatani Norihito, Takashi Otaka

...ひとりの民俗学者が新しく参加した。京都大学の菊地暁である。今回の聞き取りの豊富さは彼のメモな... ...音順):飯尾次郎/石川初/石垣敦子/大高隆/菊地暁/武田夏樹/戸田亮/中谷礼仁/福島加津也/...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.12-27

[人文研探検、あるいは新京都学派の履歴書 3]

新書という公共圏──桑原武夫編『日本の名著』という企み | 菊地暁

Shinsho as Public Sphere: Compiler Takeo Kuwahara's "Nippon no Meicho" Scheme | Akira Kikuchi

「ジャーナリスト養成所」。かつて、人文研(京都大学人文科学研究所)はそう揶揄されたという★一。世間の喧噪から離れて真理を探求する「象牙の塔」的学者像がまだ幅を利かせていた時代、大衆向けの「新書」を書くことなぞ、およそ真っ当な学者のすることではないと白眼視されたためである。今日、あらゆる大学がバスに乗り遅れるなとばかりに...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.43-45

[人文研探検、あるいは新京都学派の履歴書 2]

『村と人間』という邂逅──農村クライマックスの行方 | 菊地暁

Encounter Between Village and Man: the Fate of Rural Climax | Akira Kikuchi

フィールドワークという言葉が輝くときがある。現地調査が新たな科学的方法として待望された一九三〇年代、全共闘運動の敗北から民衆のなかへ(ヴ・ナロード)となだれ打った一九七〇年代、そして、アプレゲールの解放感が学問分野の接触と融合をうながした敗戦直後もそのひとつだろう。普段なら出歩かない学者が出歩き、普段なら行かないフィー...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.66-67

[人文研探検、あるいは新京都学派の履歴書 1]

『雲岡石窟』を支えるもの──京都・雲岡・サンフランシスコ | 菊地暁

Supporting Yungang Grottoes: Kyoto, Yungang and San Francisco | Akira Kikuchi

引越だ。といっても我が家のことではない。私の勤務先・京都大学人文科学研究所(以下、人文研)が現在地(吉田牛ノ宮町)から京大本部構内(吉田本町)の旧工学部五号館に移転することになった。 距離にしてたかだか数百メートルに過ぎないが、それでも数十年にわたって積み上げられた図書だの備品だのをつつがなく運びおおせるのは簡単なこと...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.53-55

[論考]

〈民俗学者〉としての藤森照信 その歩く/見る/聞く作法を考える | 菊地暁

Terunobu Fujimori as Folklorist: Regarding His 'Walk/Look/Listen' Method | Akira Kikuchi

どんな思想も文学も、目玉が死んだらおしまいだ★一。 正直に言おう。ファンである。 私は藤森照信の良き読者とはいいがたいが、愛読者であることは間違いない。『タンポポの綿毛』は新聞連載時から毎週心待ちにしていたし、「建築探偵」シリーズのページを繰って近代建築めぐりの旅心を誘われたことも一度や二度ではない。そんな私が藤森を...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.126-133