1913年生まれ。建築家。東京大学名誉教授。
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(最終更新:2009年3月31日)
[インタヴュー]
...ッチを持ってきて、それで決まってしまった。丹下健三の研究室で僕の大先輩である浅田孝さん★七に... ...したら「お前ら、共同設計と言いながら、結局丹下健三のコピーではないか」、それが浅田孝の総評会...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[インタヴュー]
...見えるというわけですね。またそれに続いて「丹下健三の五〇年代の仕事は、堀口捨己がきっかけを作... ...言うなら、最初に挙げた「様式の併立」で、「丹下健三の五〇年代の仕事は、堀口捨己がきっかけを作...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[フィールドワーク]
...したちは上空を貫くハイウエイの鮮やかさが、丹下健三による果敢な都市デザインプロジェクトの連敗... ...出版会、一九七八)参照。 ★三──丹下健三+藤森照信『丹下健三』新建築社、二〇〇二、参照。 ★四...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.169-186
[インタヴュー]
...お互いに冷静に見えるでしょう。僕にとっては丹下健三さんから上の世代は最初から相対化できていた... ...た人ではなくて、海外に行く機会を失っていた丹下健三、浜口隆一といった人たちが最初だと思います...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[インタヴュー]
...コピエの再建計画に意図的に関わろうとした。丹下健三さんはその両方をやっていたわけですが、その... ...使河原蒼風が彼らにコミッションした大作が、丹下健三設計の旧草月会館のSACホールを長い間飾ってい...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[現代建築思潮]
...築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を... ...として、今日は戦中・戦後の建築雑誌における丹下健三の表象に焦点を合わせることによって、この点...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[インタヴュー]
...思いまます。 第一部は「国家・建築・人間──丹下健三-辰野金吾-今和次郎をめぐって」という副題を... ...|国家・建築・人間──丹下健三-辰野金吾-今和次郎をめぐって 『丹下健三』の成立まで 青井哲人──...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[論考]
...う★一。 丹下健三「建築技術のあり方」一九四八 はじめに 本論は筆者の学位論文「丹下健三研究室の... ...コアによる統合へ 引用出典=富田玲子氏による丹下健三「都市計画第二」講義ノート、 1959(富田玲子...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[インタヴュ―]
...ておくべきだったかもしれない。岸田日出刀や丹下健三に日本浪漫派的な傾向があったことはしばしば... ...ンスの話をしながら、そのなかで岸田日出刀、丹下健三、浜口隆一、立原道造という人々との関係をど...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[インタヴュー]
...大戦中に大学に入って戦後に卒業しています。丹下健三さんの少し下の世代は戦後左傾化して、みんな... ...ます。 岸田と丹下のコンビ 磯崎──その後、丹下健三さんは大学を卒業して前川事務所に行きます。...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.149-158
[論考]
.../ナムサンの住宅地 丹下健三との共著というかたちをとった藤森照信の『丹下健三』(新建築社、二〇... ...くは無縁仏となっていた (丹下健三+川添登編著『現実と創造─丹下健三 一九四六─一九五八』美術...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.90-99
[論考]
...建築』に「MICHELANGELO頌」(一九三九)を寄せた丹下健三は「大東亜共栄圏」関係の二度のコンペ(一九... ...であり、おほらかなる精神であつた」と述べる丹下健三の「大東亜建設記念営造計画」(一九四二)[...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.149-163
[論考]
...時、中断される。しかし、この高山の召集中に丹下健三が都市計画を勉強するために前川事務所を辞し... ...よいだろう。また、この「説明書」以前にも、丹下健三「東京都改造計画に関する研究 住居地域の標...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.104-113
[万博論]
...クや一九七〇年大阪万博で活躍することになる丹下健三が、一九四〇年代前半の戦争の時代にその後の... ...の系列を初めて同時に手中にしようとしたのが丹下健三なのではないかと、次第に思うようになった。 ...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.171-186
[万博という問題系2]
...術というと、お祭り広場で熾烈な格闘を演じた丹下健三の大屋根と、それを突き破った岡本太郎の《太... ...る。 「戦争と万博」というテーマに照らすと、丹下健三は両方かかっていますね(笑)。丹下さんが有...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[インタヴュー]
...川さんがル・コルビュジエのアトリエに行き、丹下健三にもル・コルビュジエの影響が表われている。... ...。あまり大きくないものをつくっています。 丹下健三の都市への関心 日埜──前川さんが高層建築や...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[万博という問題系 3]
...ないように思います。浅田孝さんは一番最初の丹下健三研究室のチーフになった人ですね。僕が聞いた... ...のコンペに丹下さんは当選しました。チームは丹下健三、浅田孝、大谷幸夫、それから木村徳国、これ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[インタヴュー]
...たりからその見え方は複雑化していくわけで、丹下健三さんの『桂』(造形社、一九六〇)[図2・3]も... ...を付け加えたらよいのか。タウト、堀口捨己、丹下健三、それに僕と続くことになってしまった。これ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 7]
...ルーノ・タウト昭和八年、堀口捨己同二七年、丹下健三同三五年、磯崎新同五八年★四、建築家を鑑賞... ...序に似た道行きを採ったものと思われる★六。 丹下健三の場合もほぼ同様である。 この雁行した書院...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.12-24
[会議4日目「国土改造」]
...に近代化都市計画の代表としてそびえ立つのが丹下健三の「東京計画一九六〇」なんだね。にもかかわ... ...では、おそらく「近つ飛鳥宮」もそうだけど、丹下健三が考えていた都市機能を、土地という先行形態...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.146-161
[対談]
...今回のわれわれの作業のスタートラインである丹下健三も、大日本帝国が大陸への進出の野望が挫折し... ...変化について、歴史的流れをうかがえますか。丹下健三の時代についてあらためてリサーチをされてい...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[論考]
...ハーヴァード、伊藤滋がジョイントセンター、丹下健三らがMIT、簑原敬や松下一之がペンシルヴァニア... ...築的実験──カーンの「シティタワー」計画と丹下健三の「東京計画一九六〇」──から影響を受けた...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.161-172
[論考]
...ルビュジエに強く影響を受けた丹下健三の例を挙げておこう。丹下健三チームの案をもとに計画された... ...成したといえるだろう。 3──丹下健三《広島平和公園》 出典=丹下健三・都市・建築設計研究所HP(URL...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.120-128
[論考]
...)を含む復興都市計画に参画、実作者としての丹下健三の協力建築家(一九四六──五八)として、《... ...=浅田孝『環境開発論』(SD選 書、1969)2──丹下健三「東京都庁綜合計画」 撮影=村沢文雄3 三次元...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.96-103
[インタヴュー]
...機となっていると思います。そこには池辺陽、丹下健三、西山夘三という「伝統論争」にも参加した代... ...さんが仕掛けた論争ですが、五〇年代半ばに、丹下健三さんがいまおっしゃられていた伊勢や桂といっ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.166-180
[論考]
...して磯崎新が「彼がもう少し長く生きていれば丹下健三の最大のライヴァルになったであろう」と語っ... ...してなお日本建築界にその影響力を留めている丹下健三を神話化すべく呼び起こされたのだろうか。し...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.114-120
[グローバリズム 2]
...て戦後日本建築のリーダーとして君臨したのは丹下健三である。彼の同級生でもあった浜口隆一は『ヒ... ...ズムの建築」(雄鶏社、一九四七)。 ★九──丹下健三「美しいもののみ機能的である」(一九五五、...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[論考]
...れる。丹下健三、浅田孝、大谷幸夫、磯崎新である。この建築家は、すべて五〇年代には丹下健三研究... ...じめた、といいかえてもいい。四〇歳代半ばの丹下健三をのぞくと誰もエスタブリッシュしていたわけ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[シンポジウム]
...ろ社会がそれを求めていたところがあります。丹下健三の「東京計画一九六〇」も、メタボリズムもそ... ...です。例えば磯崎さんが丹下健三のところで仕事をしていたときに、丹下健三が「黒川は徹夜していた...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.174-184
[技術と歴史 4]
...る飛行機の格納庫です[図8]。日本においては丹下健三先生の一九七〇年の大阪万博の大屋根で、完全... ...れは丹下健三さんの初期の仕事の設備のパートナーだった川合健二の自邸です[図14]。丹下健三に川合...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[グローバリズム 4]
...の行為なのだが)が、日本では一九五〇年代に丹下健三のイニシアティヴのもとで果たされたこと(い... ...における選別では西欧以外で含まれているのは丹下健三や安藤忠雄を中心とする日本くらいなもので(...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.208-220
[現代住宅研究 3-3]
...らである。 こう解説が添えられた《住居》(丹下健三、一九五四)[図9]は、高床式の二階の大半が... ...題についても言えるのではないだろうか 9──丹下健三《住居》平面図 縮尺1/4005 余白としての居間 ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.25-33
[千年王国論(六)]
...王国のカテドラルたる新都庁舎の設計者となる丹下健三(因に当時の鈴木俊一都知事は七〇年万博の事... ...ピアを待望する。大阪万博を計画面で推進した丹下健三やメタボリストなど、六〇年代の日本の前衛的...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.216-226
[翻訳]
...ブライム)なヴォキャブラリーを結びつけた。丹下健三の東京計画は、まったく新しい教義が即座に説... ...ド・ルドフスキー『建築家なしの建築』27──丹下健三「東京計画1960」 引用出典=Fumihiko Maki, Investigation...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.173-197
[論考]
...・ソウル・ワーマンの仕事(Making City Visible)や丹下健三が地理学の木内信蔵と組んで監修した『日本列... ...い。 「50 Years After 1960」と題されているのは、丹下健三の「東京計画一九六〇」を出発点としているから...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76
[現代住宅研究 11-1]
...まで建築から庭を理解した例として《住居》(丹下健三、一九五五)[図5]がある。言わずとしれた国... ...さわしい用途を想像してみたのである。 5──丹下健三《住居》 パース 1階平面図 縮尺1/400註 ★一─...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.11-16
[CONCEPTUAL 日本建築 7]
...宮の雨落ち 引用出典=ワルター・グロピウス+丹下健三+石元泰博『桂・日本建築における伝統と創造... ...(桂離宮) 引用出典=ワルター・グロピウス+丹下健三+石元泰博『桂・日本建築における伝統と創造...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.186-200
[図版構成4]
...ンづくりに没頭しました。この時代の最後に、丹下健三が「東京計画一九六〇──その構造改革の提案... ...ァイバーシティは平安京のように碁盤目でも、丹下健三の「東京一九六〇」のように強い軸性があるわ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.168-171
[CONCEPTUAL 日本建築 4]
...─伊勢神宮正殿(撮影=渡辺義雄) 引用図版=丹下健三+川添登『伊勢──日本建築の原形』(朝日新... ...くは両者の中間段階(首長制社会) 引用図版=丹下健三+川添登『伊勢──日本建築の原形』(朝日新...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.220-233
[グローバリズム 3]
...評価を唱えたし、建築の伝統論争の中心人物の丹下健三の当時の仕事は、彼の戦中のキャリアの立ち上... ...のカタログにおいて、堀口捨己、吉田五十八、丹下健三の西欧での受容に関して書いたことと驚くほど...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.225-236
[1990年代以降の建築・都市 7]
... PINOをデザインした松井龍哉は、短期間だが、丹下健三に師事していたことは興味深い。磯崎も丹下の弟... ...た「見えない都市」論から導いたものだろう。丹下健三も、こうした考えを共有しており、《お祭り広...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
...生成へ』[鹿島出版会、一九九〇])。彼が、丹下健三の「東京計画一九六〇」(一九六〇)の交通計... ...、細胞単位化して丸くしたという(藤森照信『丹下健三』[新建築社、二〇〇二])。するとまた、丹...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[論考]
...己から、戦後の建築界を牽引することになろう丹下健三まで、広範にわたる世代の会員、約六〇〇名を... ... 〇板垣鷹穂「大阪中央郵便局考」、 丹下健三「MICHELANGELO頌」 第八号 〈大陸建設特集...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142
[インタヴュー構成]
...んでいるものがしばしばありますね。 大橋──丹下健三さんの《東京カテドラル聖マリア大聖堂》(一... ...─黒川紀章《山形ハワイドリームランド》3──丹下健三《東京カテドラル聖マリア大聖堂》4──伊東豊...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.62-82
[論考]
...者は従来の日本的なるものであり、伊勢神宮や丹下健三に代表される明快なデザイン、後者は伊豆の民... ...啓発されました」と回想している★四〇。また丹下健三は「学生のころでしたが先生の『過去の構成』...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.119-129
[批評]
...八四)[図4]、幾何学的シンボリズムとしての丹下健三の《東京都新庁舎》(一九九一)[図5]が挙げ... ...サードを考えていくことになった★一四。 ──丹下健三(傍点引用者) 装飾の意図は三者三様であり...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.164-171
[論考]
...本太郎のつくった太陽の塔(象徴的な表象)が丹下健三らのプロデュースしたお祭り広場の屋根(機能... ...ば大阪万博で基幹施設プロデューサーを務めた丹下健三は、この万博のありようについて「ここで人間...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.178-186
[論考]
...ナーのものについてもほぼ同様である。例えば丹下健三にせよメタボリストたちにせよ、主として六〇... ...以前の計画は「本郷文京地区計画/高山英華・丹下健三他、一九四六年」であったり「渋谷総合計画/...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.52-58
[建築家的読書術]
...して野の天才川合健二と遭遇した。当時川合は丹下健三のエンジニアリング・パートナーとしての関係... ...平的に横断する知力には凄惨なものがあった。丹下健三と川合の関係に私はル・コルビュジエとクセナ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.96-97
[論考]
...ット・デメ」(磯崎新)との出会いや大屋根(丹下健三)にこっそりと上り、その高さに足がすくんだ... ...ん中で、反博意識をも巻きこんだエネルギーは丹下健三氏の大屋根をぶち抜く激突とともに大成功をお...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.125-144
[論考]
...ここにやってきたという雰囲気がうかがえる。丹下健三は、会場の特徴について、こう述べている。「... ...(『近代建築』一九七〇年八月号)。 ★九──丹下健三「万国博の計画と未来都市」(『建築文化』一...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.155-163
[論考]
...丹下健三が一九六一年に発表した「東京計画一九六○」は、東京の市街地を海上に延長させる計画であ... ...は、どちらかと言えばその後者に属している。丹下健三やメタボリズム・グループのメンバーたちが幾...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.59-66
[万博という問題系1]
...なかったんです。というのはその時に既に僕は丹下健三研究室から離れていましたから、直接関係した... ...計画でも、一貫して主張されていますね。また丹下健三さんの「東京計画一九六〇」のとき、黒川先生...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.64-79
[論考]
...佐野利器・内田祥三—岸田日出刀・前川國男—丹下健三・大江宏に続く第五の世代という意識から命名... ...副都心建設もそのひとつであり、一九九〇年の丹下健三による新都庁は当時を象徴するプロジェクトで...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[Dialogue]
...って都市全体をまとめ上げるような、かつての丹下健三の「東京計画」のようなやり方ではないとも思... ...本──かつて「東京計画一九六〇」を提出した丹下健三の時代は、東京が視覚化されうる、あるいは空...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.56-64
[1990年代以降の建築・都市 5]
重層的な決定のシステム 一九九九年、坂本一成の設計による《HOUSE SA》が竣工した[図1]。ギャラリー・間の坂本一成展「住宅──日常の詩学」が、名古屋の愛知...築界の動向と無関係ではない。一九六〇年代は丹下健三、黒川紀章、菊竹清訓らが、未来的な都市プロ...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[景観の視学/史学/詩学 5]
「まちづくり」に際して、ことさらコンテクスチュアリズムを標榜せずとも、界隈を表現するために使われてきた言葉を確認するのは必須の作業だ。とはいえ街のイメージは往々...ルーピングができ上がってはいないだろうか? 丹下健三や安藤忠雄のものをはじめ日本人建築家が国内...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.28-30
[一九九〇年代以降の建築・都市12]
八月四日の夜、台風の影響により、大阪を暴風雨が襲った。 キリンプラザ大阪の「ハイ・エナジーフィールド」展に参加するアーティストの高橋匡太は、館の判断により、準備...ペシフィックな性格が強い。とりわけ、最近は丹下健三が設計した国連大学ライトアップ(二〇〇三)...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.37-39
[「悪い場所」にて 6]
会場の一角に、異様な形状の造形物を捉えた航空写真が飾られている。コンクリートでできた円形の、なだらかな丘のようなかたち。よく見れば、その造形物の上にゴマ粒のよう...建築運動メタボリズムが立ち上がる黎明期に、丹下健三の右腕であった浅田孝が研究会に招き、多くの...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.26-28
[トキョー・建築・ライナーノーツ 5]
ニュータウン 九月から筑波大学の専任講師になり東京と筑波を往復する生活を始めた。南北一八キロメートル、東西六キロメートル。山の手線の内側とほぼ同じ大きさの筑波研...復興計画」、菊竹清訓の「ペアシティ計画」、丹下健三の「スコピエシティセンター再建計画案」が発...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.55-58
[インタヴュー]
世界の都市、建築をめぐる旅 日埜──数回にわたり、六〇年代の都市に関する磯崎さんの取り組みについてお聞きしてきました。この時期は磯崎さんが都市デザイナーという職...べったと思いますが、東京都庁舎計画について丹下健三さんに、岸田日出刀さんが僕を都庁のお役人に...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[論考]
長谷川堯は建築評論家である。彼の一連の著作、そのなかでもとりわけ重要な初期の著作集が書店から姿を消して久しい。興味を持つ少数の人は、それらを所蔵する図書館に行く...動機」(一九一四)。 ★三──最近一般向けに丹下健三の足跡についての授業をした。その時のアンケ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.146-147
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りま...概念の多くがこの本で紹介されている。序文で丹下健三は当時のメタボリズムと結びつけ、「日本の都...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[論考]
なぜ建築を扱うのに言葉が必要なのかは、これまでにも繰り返し問われてきた。そして、このところ建築と言葉の仲は、うまくいっていないのではないかという問いは続けて発せ...のだが、その時期と期を一にしていることだ。丹下健三やメタボリズムの時代から、都市住宅、野武士...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.152-153
[翻訳]
〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチ...はかなりの地位を持っている。実際のところ、丹下健三、白井晟一、磯崎新、篠原一男といったリーダ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262
[連載 7]
16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、...ブラン)? この神話は、オッテルロー会議(丹下健三が出席した第一〇回会議)とル・コルビュジエ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[技術と歴史 6]
悠久の古代エジプトにおけるピラミッド 中川武──三〇年前に初めてエジプトに行き、それから調査・研究を進めています。古代エジプトでは古王国にピラミッドがたくさんつ...いろいろ考え、そういう構造なしには、例えば丹下健三さんという人は考えられないと思います。その...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.191-199
[連載 9]
17─4 アパルトヘイト都市? 近代都市計画の最も基本的な構成要素を、面と線、つまりゾーニングの画定とそれらをつなぐ近代的インフラの整備とすれば、それが最も体...の植民地主義者だったが、彼のテクストは後に丹下健三の参照するものともなった)などによってリー...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199
[現代建築思潮]
東京都は二〇一六年のオリンピック開催招致に名乗りをあげている。現在東京都が進めようとしている計画は、晴海地区を主たる敷地としている。ここで提案する計画は、それに...。 今井──オリンピックの計画を立てながら、丹下健三《東京計画一九六〇》も念頭に置いていました...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.41-56
[ゼロ年代の建築・都市 1]
家形が増えている 最近、卒業設計やアイディア・コンペを審査する機会が多いのだが、印象深いのは家型のデザインが明らかに増えていることだ。いわゆる三角屋根をもつ建築...一九五三)も、同様の手法をとる。木造による丹下健三の《自邸》(一九五三)も、屋根がやや傾斜し...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.45-46
[シンポジウム]
第一部:スーパースタジオ一九六六──一九七三 一九六六──スーパースタジオの源泉 クリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア──本日は、スーパースタジオの活...わってしまいましたから。その時代、日本では丹下健三とメタボリストたちが輝かしい業績を残しまし...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.228-239
[会議3日目「都市基盤」]
都市基盤/都市における他者 司会──前回の会議では、民間と行政のバランスを考えてきましたが、今日は私性を超えると同時に、行政をも超えているような大きい物について...先行形態には負け続けていますよね。たとえば丹下健三の「東京計画一九六〇」はとても格好いいが、...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.130-130
[会議4日目「国土改造」]
1──生活のなかの巨大文化財 古墳は、その巨大性そして何よりもその多くがアンタッチャブルな陵墓であることによって、残存可能性が極めて高い土木構築物である。その結...既存都市と同じレイヤー上を走ることである。丹下健三の「東京計画一九六〇」が(卑怯にも)新規の...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.138-143
[鼎談]
リバタリアニズムと不可視のマンハッタン・グリッド 柄沢祐輔──まず始めに討議の前提を少し話してから本題にスライドさせていきたいと思いますが、二〇〇一年以降、東京...継承され、一九六二年に『都市のイメージ』(丹下健三+富田玲子訳、岩波書店、一九六八)が刊行さ...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.62-75
[技術と歴史 7]
グリッド批判 伊藤毅──都市にはインフラストラクチャーや都市計画などいろいろな技術がありますが、超時代的に存在してきた都市のかたちはグリッドです。グリッドは時代...に見えるわけです。 日本のグリッドの最後に、丹下健三先生の「東京計画一九六〇」について一言触れ...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.213-224
[現代建築思潮]
報告 I─吉村靖孝 吉村──今回の研究会はビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋、二〇〇三)を取り上げたいと思います。以前僕の担当した...ました。「FUNCTION MIXER」はル・コルビュジエや丹下健三などのような都市イメージを、パパッと見せる計...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.48-56
[技術と歴史 2]
今日は構造家の立場から、主に空間構造の歴史と私が現在考えている構造の方向性について話をしたいと思います。 空間構造にみる構造合理主義の系譜というテーマをもとにし...らいでしかもものすごい形をしていますから、丹下健三さんが昔《愛媛県民会館》でやった、球形シェ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.208-219
[CONCEPTUAL 日本建築 6]
31 入母屋屋根 IRIMOYA (semi-gabled) ROOF 屋根型の意味作用 日本建築は屋根の建築だとしばしばいわれる。その屋根の代表は入母屋だ...二、第四章参照)、清家清自邸(一九五四)、丹下健三自邸(一九五四)などには、いずれも玄関はな...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.188-201
[1990年代以降の建築・都市 6]
九坪ハウスという現象 二〇〇二年一〇月一二日、TNプローブにおいて「九坪ハウスシンポジウム二〇〇二」が開催された。これはBoo-Hoo-Woo.comが仕掛けた...三の《神奈川県立近代美術館》、一二月号では丹下健三の《東京都都庁舎》の選定案を紹介している。...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.184-193
[現代建築思潮]
オリンピックによる都市改造──インフラ再整備・リノベーション | 今井公太郎 なぜわれわれはオリンピックをテーマにするのか 東京都は二〇一六年のオリンピックを...れているように(次回のオリンピックを機に、丹下健三の代々木の体育館を壊そうという議論は、まっ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.26-32
[批評]
日本のあらゆる街がミニ東京と化したとき、〈東京〉はいかに描出されるのか? 東京のいたるところがマ ン ガ(シミュラークル)と化したとき、マンガは東京をいかに描く...キラ』で描かれる二〇二〇年の「ネオ東京」は丹下健三の「東京計画一九六〇」のごとく東京湾上に構...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.91-98
[翻訳]
主流へと参入するエスニック・ビジネス 新宿区歌舞伎町二丁目と大久保一丁目の境界に位置する職安通りには、一九八○年代後半から姿を現わし、ハングル文字の看板が掲げ...も超高層ビルが集中している(約一五)中に、丹下健三の設計による東京一背の高いタワ─(約二四三...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.119-133
[批評]
プロローグ──ある空中散歩 一八五八年の冬、ナダールは飛んだ。操縦士のゴダールと気球に乗って。雨まじりの空を八〇メートルほど上昇し、すぐに降下したのだったが。こ...ュペーアの「大ベルリン計画」(一九四一)や丹下健三の「大東亜建設記念造営計画」(一九四二)も...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.154-167
[千年王国論(四)]
毎週月曜日に新しいことを考え出す必要はない。 ミース・ファン・デル・ローエ ハリウッドの映画セットと同様、この都市のアイデンティティは、毎週明け、新しく作り直さ...さから免れてはいない。かつて一九六〇年代の丹下健三(四〇年後の臨海副都心でもフジ=サンケイ・グ...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.168-175
[千年王国論(三)]
千年王国と公共領域 「ポストヒストリー」、即ち歴史に停止命令が出されたことによって、あるいはそう装うことによって千年王国が現出した。ポストモダン建築は多く復古的...の大阪万博におけるお祭り広場の失敗である。丹下健三に率いられ、その門下の磯碕新などの参加を得...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.169-175
[論考]
0 さしあたっては当然のことを言うなら、建築は目に見える秩序を扱う。特定の地点に特定の存在モードとしてつくられる建築は「見える」からだ。しかし、設計とはそれにつ...げて都市デザイン・ブームで、磯崎の師である丹下健三やその周辺に形成されたメタボリズム・グルー...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[論考]
1「千年王国」の現在 電子レンジ、ディスポ─ザ─、ふかふかとしてとても心地よいじゅうたん。ふんわりとしていて、温泉に浸っているような、こうした文明形態は、否応...・コスタとニ─マイヤ─のブラジリア、更には丹下健三やメタボリストたちによる一連の都市計画など...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.21-32
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...際この建物はすごくスマートに解かれていて、丹下健三さんの都庁などと比べると非常にシンプルかつ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[都市史/歴史]
都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登...建築がつくられてきたとするなら、伊藤忠太や丹下健三、磯崎新らは、昭和天皇の身体の時間的変化(...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[メキシコ]
1966年メキシコ生まれ。89年モンテレイ工科大学建築学科卒業。97年ハーヴァード大学大学院デザイン学部卒業。94年以降独自に設計活動を開始している。現在、モン...いという理由で断念させられたらしい。 日本で丹下健三が、《香川県庁舎》や《代々木体育館》で、「...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.118-119
[シンガポール]
シンガポール・アイデンティティ 「カオスすらカオスとしてプランされている」とレム・コールハースが観察したように、時として都市テーマパークのようにさえ思えるほど...物の多くはI・M・ペイやヘルムート・ヤーン、丹下健三などの海外の著名建築家たちに依頼されていたが...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.122-123
[日本]
1962年生まれ。写真家。84年、日本大学芸術学部写真学科を中退しライトパブリシティ入社。91年の退社後、ロンドンに滞在。帰国後、広告写真や雑誌などで活躍する。...年と一九八三年に桂離宮を撮影したが、最初は丹下健三と組んで「モダン」な桂を、次に磯崎新ととも...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.168-169
[対談]
グリッドと風景 松畑──風景あるいはランドスケープという概念について今回の特集で僕が言おうとしたものの一つは、ランドスケープを政治的、経済的に捉えて、ランドスケ...う気がしなくもない。湾岸の計画は六〇年代に丹下健三の「東京計画一九六〇」があったし、さらに戦...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.58-67
[批評]
...K. Lynch, The Image of the City, The M. I. T. Press, 1960. =丹下健三・富田玲子訳『都市のイメージ』(岩波書店、一...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.196-206
[論考]
どんな思想も文学も、目玉が死んだらおしまいだ★一。 正直に言おう。ファンである。 私は藤森照信の良き読者とはいいがたいが、愛読者であることは間違いない。『タン...シリーズに遺憾なく発揮されているし、大著『丹下健三』(二〇〇二)でもその成果が縦横に駆使され...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.126-133
[論考]
一番悪いことは、突然の、おぞましい白日の苛酷さだった。わたしは見ることも見ないこともできなかった。見ることは恐怖であり見るのをやめることは額から喉までわたしをひ...)。この時期輩出した「巨匠」たち、すなわち丹下健三から手塚治虫におよぶ、戦後日本文化の骨格を...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.252-259
[論考]
ここでは、アンビルトの実験住宅について見ていくのだが、そもそも実体を持つ建築というジャンルにおいては、アンビルトというあり方そのものが、きわめて矛盾をはらんだも...のタワー(フリード街のオフィスビル)とか、丹下健三さんの「大東亜建設記念造営物」(一九四二年...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104
[論考]
1 景観の現在 「景観」という言葉が、そしてその言葉によって名指される何かが、今日、私たちの日常生活のなかに、共通の問題の場(トポス)のようなものとして浸透し... of the City, The MIT Press, 1960. (邦訳=『都市のイメージ』丹下健三+富田玲子訳、岩波書店、一九六八)。...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.126-135
[対談]
都市再生運動の状況 太田浩史──今日は北沢先生とお話したい点が三つほどございます。第一に、現在、多くの建築家が都市再生にコミットメントを試みているという状況につ...や運動を生み、戦後の建築や都市の分野でも、丹下健三先生の時代のように一般解として、理論や方法...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.62-77
[批評]
1 路上という〈驚異の部屋(ヴンダカンマー)〉 松山巖は著書『群衆 機械のなかの難民』の最終章で、丹下健三が一九八三年に篠原一男との対談で情報化社会における建...著書『群衆 機械のなかの難民』の最終章で、丹下健三が一九八三年に篠原一男との対談で情報化社会...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.133-143
[論考]
読み替えというリサイクル 東京という名称が生まれ、一三〇年近くが経過した。しかし、当初の明治政府はすぐに壮大な都市計画を実行したわけではない。鈴木博之が指摘する...サイクルに頼らない大きな計画が構想される。丹下健三らの「東京計画一九六〇」をはじめとする、一...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.161-168
[東京ディズニーランドの神話学 1]
はじめに これからわれわれは東京ディズニーランドという謎の空間を読み解く作業に着手する。二〇世紀が終わろうとしている今、文明批判や近代批判は、百花繚乱の様相を呈...そうした社会改良に根拠を与えたとも言える。丹下健三「東京計画一九六〇」プロジェクト案や菊竹清...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.207-218
[論考]
1──図版出典『ゴジラ』(昭和二九年作品) ©東宝株式会社南洋の未開の島からマンハッタンに連れていかれ、そこで壮絶な死を遂げる『キングコング』以来、怪獣ものの映...市建築の巨大化は、建築的ヴィジョンとしては丹下健三やメタボリズム・グループの六○年代の未来都...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.180-185
[インタヴュー構成]
建築と写真の「共犯関係」 近代建築と写真は、ほぼ時を同じくして生まれたとの説がある★一。その当否は別として、建築と写真が強い結びつきをもっていたことは間違いない...が言わせた言葉に違いない。 時代は前川國男、丹下健三ら、巨匠と呼ばれる建築家によって庁舎や文化...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.77-82
[鼎談]
建築と身体、ジェンダー 五十嵐── 今回の特集は、もともとは身体、ジェンダーなどの問題からスタートしました。僕は一九九〇年頃から美術史におけるジェンダーの問題に...ものです。「理想」に対応するものとしては、丹下健三の《広島平和記念館》に見られる古代的なイマ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.62-81
[構造・材料]
ジュール・ヴェルヌは、歴史的にサイエンス・フィクションのパイオニアと言える人物である。そして刊行から一世紀以上が経過した後、彼の空想小説は航空宇宙の歴史と驚くほ...クティカ(Town in Antarctica)」は、日本人建築家丹下健三とオーヴ・アラップが協力し、その実現可能性...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.104-108