1964年生まれ。建築家。西沢大良建築設計事務所主宰、東京芸術大学非常勤講師、東京理科大学非常勤講師。
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(最終更新:2009年8月6日)
[論考]
...されえない部分についてお聞きします。昨日の西沢大良さんは自作について自問自答しながら解説され... ...ると謎がいっぱいあります。また後藤武さんは西沢大良さんの作品に対して「唯物論的フォーマリズム...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.91-99
[論考]
...路側外観とケヤキ林 写真提供=西沢大良建築設計事務所18──西沢大良氏 19──青木淳氏 熊谷のハウス ... ...た外観 写真提供=西沢大良建築設計事務所14──応接間の内観 写真提供=西沢大良建築設計事務所11─...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.78-90
[現代住宅研究 5-1]
風景とかたち 《もみの木の家》(A・レーモンド、一九六六)[図1]は、軽井沢の斜面にある平屋葺きの山荘で、既存の三本の巨木(もみの木)をよけて折れ曲がったプランの住宅である。だがこの建物は、なによりもその外観が圧倒的なのである。森の斜面を滑るように広がっていく家屋の傍らで、巨大なもみの木がズバーンと立ち上がった風景の...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.29-32
[現代住宅研究 11-1]
住宅以外 むかし分子生物学者の利根川進が、今後ヒトの遺伝子が解読されたら何の役に立ちますか、と聞かれた。彼は、人間の次に別の哺乳類の遺伝子を解読せよ、そして二つの遺伝子地図を比較せよ、すると人間がどのようなものかが明らかになるだろう、と答えた★一。たぶんこの回答は次のように一般化できる。つまり人間がどのようなものかを知...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.11-16
[現代住宅研究 9-2]
あるマイホーム 倉俣史朗の自邸に行ったことがある。晩年の作家が自ら設計した、小さな木造の自邸である(たぶん未発表)。詳細を秘す約束で見せていただいたので、支障のない点だけ記してみると、《倉俣邸》(倉俣史朗、推定八〇年ころ)は都内の古い住宅街にあって、南北に細長い敷地(たぶん四〇坪くらい)にひっそりと立っている。建物は延...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.13-17
[現代住宅研究 13-2]
重・厚・長・大─軽・薄・短・小 人間の制作物のなかで建築は、もともと重・厚・長・大な種類に属している。建築は重くて分厚く、長期に渡る巨大な制作物であるから。ただし建築全体のなかで住宅は、むしろ軽・薄・短・小な種族に属している。しかも国内の住宅は、とりわけ軽・薄・短・小な部族に属している。さらにここ五〇年間の国内住宅は、...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.18-21
[現代住宅研究 1-1]
1 小住宅の教え 戦後の小住宅として名高い《私の家》(清家清、一九 五四)[図1]は、延べ五〇平方メートル(一五坪)の小さな平屋建ての住宅である★一。この建物は、そのまま木造で建てるのが容易なプランや外形をもつにもかかわらず、RC造として建ちあげられたことに特徴がある。戦前のRC造の事例は大規模な公的施設や集合住宅ない...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.100-103
[現代住宅研究 6-1]
寸法・距離 西沢大良 住宅のなかで一五メートル離れて人が立ったとする。一五メートルというのは、国内の住宅においてめずらしい距離、という程度の意味である。たとえば広さ二四帖のリビングにおいて、人が対角に立っても九メートルを超えない。二四帖の部屋の場合、人はせいぜい五─六メートル程度で向き合う。ゆえに住宅のなかで一五メート...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.19-23
[現代住宅研究 7-4]
装飾とモダニズム やや意外な「装飾」の話から。およそ一〇メートル角のスラブを空中に浮かべた《スカイハウス》(菊竹清訓、一九五九)[図1]は、そのスラブにムーブネットと呼ばれるユニットを備えている。キッチンをおさめたキチネット、水回りをおさめたバスユニット、後に子供室として吊られた個室ユニットなどである。そうしたユニット...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.24-29
[現代住宅研究 3-2]
要素と風景 改めると、ワンルームやnLDKにおいてばかりでなく、一般に風景・室内風景は、形式化をとおして追求することができる。しかし伝統的に、建築における形式の問題は、ほぼエレヴェーション(立面・床伏・展開などのエレヴェーション全般)の構成技術として流通してきたために、それ以外の対象、たとえば室内風景という対象に対して...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.22-25
[論考]
多摩ニュータウンなどの大規模な郊外ニュータウンについて不可解な点があるとすれば、それは、これらのニュータウンにおいて仮に近代的な都市概念によって説明しきれない何かが生じているように見えたとしても、現実にこれらのニュータウンを構成した計画技法は徹底して近代都市計画のものである、という点である。どの郊外ニュータウンにも多か...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.52-58
[論考]
...淳 以下に掲載される三組の建築家(西沢立衛、西沢大良、塚本由晴+貝島桃代各氏)との対話は、INAX住... ...くり手の外につくる主体をずらすことである。 西沢大良さんは徹底的な意識化を通して、つくり手がど...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.58-65
[現代住宅研究 2-1]
1 戦前と戦後 戦後の日本の住宅は、はじめ小さな建物として現われた。住宅に関して、戦前と戦後を分ける指標を実作上で探すとしたら、たぶん建物の小ささに注目することになるだろう。戦前にも《土浦亀城邸》や《谷口吉郎邸》などの小住宅はあったが(共に延一二〇平方メートル程度、木造二階建て)、戦後の住宅の極端な小ささには遠く及ばな...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.12-15
[現代住宅研究 2-2]
今回のテーマは増改築である★一。さしあたってここでは、新築以外の形態をとって生み出された建物──増築・改築・移築などの建物──のうち、新築において見逃されやすい可能性を示した例をあげ、増改築されるものとして建物を見直してみよう。 1 部分としての増改築 《大淀の茶室》(安藤忠雄、一九八六)[図1]は、古い長屋にたい...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.15-18
[現代住宅研究 3-1]
ゴミの風景 分別ゴミのパラドクスというものがある。危険ゴミ、可燃ゴミ、生ゴミなどへと分類するときに現われる問題である。近年のゴミは、自治体の経費節約もあってかなり細かく分類される傾向にあり、たとえばある自治体ではガラスビン、アルミ缶、スチール缶、ペットボトル、フィルム、不燃物一般、紙、新聞・雑誌、段ボールなどにゴミを分...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.19-22
[現代住宅研究 7-1]
一階 A 床と屋根に挟まった単層のスペースは、一階ないし平屋と呼ばれる。その意味での「一階」を実務的に追求していくと、《コアのあるH氏の住まい》(増沢洵、一九五四)[図1]のような住宅が生まれる。奥行四間×間口七・五間の小さな平屋だが、「床と屋根に挟まったもの」としての「一階」の可能性と問題点とを示している。 タイトル...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.11-15