なぜ建築を扱うのに言葉が必要なのかは、これまでにも繰り返し問われてきた。そして、このところ建築と言葉の仲は、うまくいっていないのではないかという問いは続けて発せられるであろう。しかし、このような両者の関係の不安定さは、そもそも解決しえない本来的なものなのか。そしてそれは、建築の側と言葉の側のどちらにその責があるのだろうか。もしくは建築と言葉をつなぐという試みの構造的な問題なのだろうか★一。
いずれにせよ、建築と言葉について考えるというのは興味深いテーマである。なぜ建築家の多くは、文章も書こうと試みるのか。いや、作品発表に関して、建築家自らがこれだけ言葉を費やすのは日本だけに見られる特異な現象であって、外国ではありえない。では、それだけ日本の建築家の知的レヴェルが高いといえるのか。しかし活躍している建築家がイコール教養人であるとは言いがたく、往々にして社会性に欠けた人物であることもけっして珍しくない。また、建築には表現が不可避的にともなわれるが、現代において表現とは反社会的であったり独善的であったりすることをしばしば要求され、それへの浄化として、または一般化するための道具として、建築家は無意識のうちにも言葉を必要としているのだろうか。
建築理論の冬の時代という言葉が、このところ囁かれている。メディアに関してみても、『都市住宅』『SD』『建築文化』という、それぞれ建築議論の場として時代を画し、若手を中心に圧倒的な影響力を持った建築雑誌が、それぞれ一九八八年、二〇〇〇年、二〇〇四年に休刊となった★二。そもそも、日本はほかの国々に比べて建築メディアの数が圧倒的に多く、であるから一、二誌が減ったとしても、読み手も書き手も他誌に移ればよいという心理も働いてきたが、しかしこうした建築メディアの衰退という現象は止まる気配がなく、ほとんど絶滅してしまうのではないかと危惧されているのが、冬の時代と噂される所以である。
ちなみにアメリカにおいては、「建築の思想と批評のための雑誌」と謳われた『Oppositions』の廃刊が一九八四年、「建築とデザイン文化の批評誌」と謳われた『Assemblage』の廃刊が二〇〇〇年、Any会議の終了が同じく二〇〇〇年である。このように、理論の衰退は、世界的状況と言える★二。またそれは建築の世界にとどまらないようで、例えば批評家の東浩紀は二〇〇三年に以下のように書いている。
今の言論界では、哲学者や文学者の言葉よりも、フィールド・ワーカーやカウンセラーや市民運動家のほうがはるかに強い説得力をもって受け止められている。その変化を、教養の崩壊として嘆くのもいいし、虚飾を捨てた健全さの現われとして歓迎するのもいいだろう。いずれにせよ、私たちの手元にある社会理論の枠組みは、いまや、かつてなく素朴で単純なものに変貌してしまっている★三。
こうした趨勢、すなわち出版業界の建築言説からの撤退というのにはいくつか理由が考えられ、まずは出版を取り巻く環境の悪化が挙げられるであろうし、また優れた書き手の減少、そしてそもそも読み手すなわちニーズの縮減も指摘できるであろう。つまり昨今の活字離れの現象とパラレルに論じることも可能であり、そうするとゆとり教育の弊害といった論調に傾きがちである。しかし、教育社会学の竹内洋によると、日本における大衆的教養主義のピークは一九七〇年前後なのだという★四。その頃までは、大学に入るということはすなわち学問をすることを意味し(こう改めて書くと不思議な感じだが)、教養を身につけ、それがひいては人格の形成に与するとされており、それは言うまでもなき確認すべきことでもなきことであった(今日大学に人格形成を期待するなどと発言すれば笑われるであろう)。それが、大学のレジャーランド化が言われるようになり、また将来の職業に必要とされる技術を身につけ、ひいてはそれが就職の優位になるという思惑が先走るようになる。いずれにせよ、一九七〇年以降社会全般にわたって教養や学問というものの価値が下がってきたわけである。興味深いことは、一九七〇年に大阪万博が開催され、建築界はそのあと大きく舵を切ることになるのだが、その時期と期を一にしていることだ。丹下健三やメタボリズムの時代から、都市住宅、野武士の時代への移行が行なわれるわけだが、それが社会全般の教養主義の衰退とどのように関連があるのかは、今後検討の余地があるだろう。
さて、現在建築の言論を扱うメディアが減っているという話に戻そう。もしこの状況がこのまま進むとどうなるのだろうか。まずは、今日建築理論がいかに重要性を持ちえるか(状況への認識を深め、創造のベースとする)、について議論をすべきであるが、今ここではそれを詳細に論ずるだけの余裕はない。ただ、ごく単純化して述べると、今日の建築言論を取り巻く状況には幾分かの閉塞感がある。主要には軸となる方針が見えないことや、グローバリゼーションといった現実の急速な変貌への戸惑い、また環境問題に対して抱かれる無力感のためであるといえるかもしれない。
いずれにせよ、日本にはこれまで非常に豊かな建築言論の水脈があり、それは世界にもまれなものであったのだが、もしそれが今後絶たれてしまうようなことがあれば、取り返しのつかない事態であることは間違いない。とりわけ、新しく建築に手を染める若い人たちが、そうした建築理論の存在を一切知らずに建築の勉強をはじめることには、深い同情を覚える。繰り返しになるが、日本では建築メディアとそこを舞台とする建築の言論がある意味爛熟していたといっても過言ではない。それは時として、きわめて日本的文化特性である閉じたコミュニティとなってしまったという負の側面もけっして否定できないし、新しい世代は、前の世代の議論をまずは勉強し、付き合わないと、そのサークルに参加できない、そんな雰囲気が色濃くあったのも事実であろう。であるから、建築メディアが減っている今の時期において、若手と称される建築家の一群は、難解な議論を振り回すこともなく、自分の感性を信じ、屈託なく、のびのびと創作に励んできるようにも見受けられる。しかし、建築理論がリアルタイムで輝いていた時代の空気をわずかばかりでも知っている世代からすると、ある程度これまでの澱をきれいにしたうえで、建築と言葉の新たな関係を築けないかという妄想は膨らむばかりなのである。
1──『建築文化』
2──『Oppositions』
註
★一──建築と言葉の関係に関する分析や研究にはこれまでにも多くの紙幅が費やされてきたが、代表的な書籍を挙げるとすれば、まさにタイトルがそのままの二冊、エイドリアン・フォーティー『言葉と建築』(鹿島出版会、二〇〇五)と土居義岳『言葉と建築──建築批評の史的地平と諸概念』(建築技術、一九九七)となるだろう。
★二──『都市住宅』の当時のインパクトおよびその意義については、『植田実の編集現場──建築を伝えるということ』(ラトルズ、二〇〇五)および、「著書の解題四 『都市住宅』植田実」(『INAX REPORT』APRIL 2007、INAX)に詳しい。また『Oppositions』については、日埜直彦「建築批評誌『オポジションズ』」(岸和郎+北山恒+内藤廣『建築の終わり──七〇年代に建築を始めた三人の建築談義』TOTO出版、二〇〇三)を参考のこと。他誌についても、今後検証され記録として残されることが期待される。
★三──東浩紀+大澤真幸『自由を考える──9・11以降の現代思想』(NHK出版、二〇〇三)。
★四──竹内洋『教養主義の没落──変わりゆくエリート学生文化』(中央公論新社、二〇〇三)。