1962年生まれ。写真家。84年、日本大学芸術学部写真学科を中退しライトパブリシティ入社。91年の退社後、ロンドンに滞在。帰国後、広告写真や雑誌などで活躍する。
『TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版、1998)で第24回木村伊兵衛賞受賞。写真集=『Hyper Ballad: Icelandic Suburban Landscape』(スイッチ・パブリッシング、1997)、『トーキョー・ティーンズ』(リトル・モア、1996)など
1 Tokyo Suburbia
ホンマタカシの写真集『TOKYO SUBURBIA』(一九九八)は、九〇年代の日本写真にあって、明瞭な歴史的「切断」を果たした書物である。先行する諸世代で顕著な指標となる存在、例えば「金属バット殺人事件」や神戸の小学生殺人事件の現場を写した藤原新也や、一九八〇年代後半に多摩ニュータウンに取材した小林のりおにとっての「郊外」は、それぞれ社会への批判意識の質の違いはあるにせよ、いずれも歴史と本来性を欠いた「新しい場所」、落ち着きを欠いた仮設的な「生」の営まれる場所、荒地や雑木林を開墾した痕跡をもつ殺風景、自然と人工の中間領域に形成される特異的な空間と見なされる。一方、ホンマにとっての「郊外」は、格別の批評意識を介在させる必要なく生きられる、ニュートラルな日常空間に他ならない。彼にとって、「いまここ」=郊外より他に帰還が期待される場所など、初めから参照の対象として確保されておらず、ノスタルジアですら「ここからここへ」環流するしかない。
小林のりお撮影による造成地の連作に、降雪の前後を挟んで、精悍な犬の死骸を連続して凝視した高名な写真がある。小林の「犬」は郊外の一隅で秘かに生じる生と死の劇を伝える聖性を帯びた存在に昇華され、郊外という舞台は普遍的かつ審美的な空間に移行する。ホンマタカシの「犬」は、あくまで可愛がられる役割を逸脱しないペット/ぬいぐるみとして雪面にいぎたなく転がり、「ポスト=ヒューマン」な現実を、デタッチメントとフェティシズムの微妙な混合を介して叙述するための、重要な写真的要素だ。ホンマの写真に希薄に定着される性的=暴力的な志向対象、すなわち「弱い」、「幼い」、「可愛い」ものは、郊外の家族のメンバーから、「パパとママ」を消去することで成立する一種の虚構空間の幼いヒーロー/ヒロインであるかに見える。ホンマが作品化のプロセスで「親」あるいは大人を排除することは、郊外ファミリーの「ありうべき」形姿を事前に想定してなされる類のネガティヴな企図に基づいてはおらず、親の不在を条件として成立する環境がいま、ゲーム・センター、ファースト・フード店、団地の駐輪場にテリトリー化している現実がただトレースされるばかりだ。確かに「郊外」は、耳目を疑うような犯罪の温床という先入観を絶えず自ら醸成し、精神分析医や社会学者たちに好都合な解釈を促し傍証を充分に提供する場所となる。ホンマの写真はしばしば進んで、郊外と暴力・犯罪・少女売春とを短絡する言説やコミック作品との関連を明示しつつ流通するが、写真自体は当の問題の入口を指し示しているに過ぎず、一義的な了解は避けなくてはならない。
注意されるべきなのは、『TOKYO SUBURBIA』にかろうじて例外的な「親=子」写真があり、それが白人男性を少なくとも片親にもつだろう家庭を写したものであることだ。そこに「郊外写真」の古典と言うべき、ビル・オーウェンスの『Suburbia』(一九七三)に対するわずかなパロディまたはオマージュの意図が垣間みられる。オーウェンスの写真は、労働力の供給基地としてのフロンティアである郊外のトポグラフィカルな拡張と、家族幻想の崩壊と維持がセットで更新され続けるアメリカ的な倫理を、適正な批評意識を交えて「健康」に物語った。しかし現在の日本の郊外は、健康も病理も分かちがたく不可視の「染み」のなかに溶解した高次の「自然」であり、ホンマはその観察者であるよりも当事者であることによって、「日本・現代」の正統的な写真家となる。
2 建築・環境・写真
『SWITCH』誌で一九九九年一一月号から連載が開始されたホンマタカシの〈建築・環境・写真〉は、毎回わずか数ページほどの小企画だが、さまざまな実験と試行が看取できる。二〇〇〇年一〇月号まで一〇回を数える継続中の連載で、彼の関心の傾向はほぼ明瞭になりつつある。例えば、ホンマが採用する建築の実例はまず、住居でありかつそれを取り巻く環境に偏している。当然、彼のこの関心は、土地と歴史に根ざした環境の「なかに」屹立する揺るぎない存在には向かわずに、ひとと建築と環境の各々の境界が曖昧に流動化する様態を示す、透明かつウェアラブルな皮膜的構造体の一般的な隆盛と同調する。
この連作で彼の召喚する住居建築の「作者」は、妹島和世であり、当の連載で手堅いテクストを執筆する貝島桃代、および貝島のパートナー塚本由晴、ヴェテランでは坂本一成、伊東豊雄たちである。妹島の建築に取材した一九九九年一二月号では、一八坪ほどの土地に建築予定のプロジェクト《小さな家》の多数のマケットや、予定地に立つ妹島のポートレイトが収録される。ここでは、『TOKYO SUBURBIA』にあって終止符の位置に挿入された「建築模型」の写真が、〈建築・環境・写真〉に至り、ホンマにとって「意味」の加重を増していることが了解される。すなわち、『TOKYO SUBURBIA』が、「われわれはいまここに住んでいる」という居住に関わる風景の現在形を多彩なアングルから録しえたとすれば、〈建築・環境・写真〉は「明日どこへ住むのか」というその近未来の展開に関する問いの発生において、風景を構成する諸要素を見定めようとする連作と解されるのだ。
また、毎回の連載でホンマは、同一の被写体に対して必ずヴィデオ撮影を写真に転用した画像を併置する。走査線の痕跡も露わで低質なヴィデオ・スティルは、近年、しばしば無人の監視カメラ映像を模倣する客体表出のメディウムとして、特に高度情報社会におけるポスト=フーコー的な「視線の権力」について、批評的に言及しようとする欧米のアーティストに多用される。だがホンマの場合、かかる批評性はむしろ編集デザインのなかに拡散し、その代わりにこの国において顕著な、「建築写真」をはじめとする旧套的な写真の諸類型への撹乱が狙われている。
だからといってホンマは、新しい「建築写真」を提言する野心をもつわけではないだろう。建築写真とは、渡辺義雄による端正な大和の古建築写真や、三度におよぶ伊勢の式年遷宮の写真を「頂点」とする、「専門性」の忠実な発露がそのまま大文字のアートと見なされるがごとき「禁欲性」を要求されてきた分野である。しかし「専門家」でない写真家が、建築家の理念を可視化するために招聘される先例もある。石元泰博は、一九六〇年と一九八三年に桂離宮を撮影したが、最初は丹下健三と組んで「モダン」な桂を、次に磯崎新とともに「ポストモダン」なそれを書物にまとめた。石元は、ひとつの建築の古典から、相反する二つの史的読解に奉仕するような形象や意匠を発見し定着させながら、建築的=政治的立場を建築家と分有した。ホンマタカシと妹島和世たちが切り結ぶ共犯関係はもっと「ユルい」ものだろうが、「石元泰博と磯崎新」以降久しぶりに、写真と建築がそれぞれのジャンルを超出して、広範な文化的現在を分節するようなユニークな仕事へと展開する可能性を抱かせる。
1──ホンマタカシ
『TOKYO SUBURBIA』表紙
2──同書より
3──同書より
4──同書より
5──同書より
6──同書より