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18:ヒルベルト・L・ロドリゲス:メキシコのモダニズム──「メキシカン・アイデンティティ」と「建築技術」のはざまで | 赤川貴雄
Gilberto L. Rodríguez: In-Between a Mexican Identity and an Architectural Technique | Akagawa Takao
掲載『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション, 2000年12月発行) pp.118-119

1966年メキシコ生まれ。89年モンテレイ工科大学建築学科卒業。97年ハーヴァード大学大学院デザイン学部卒業。94年以降独自に設計活動を開始している。現在、モンテレイ工科大学建築学科客員講師。
主な作品=《Casa Elizondo》《Pabellón Elizondo》《Discoteca Varshiva》。

メキシコという国とその建築的背景

 
今年度、メキシコ合州国は、世界で最長期間(七一年間)与党にあったPRI(制度的革命党)が敗れ、PAN(国民行動党)が勝ち、ビンセント・フォックスが直接選挙で大統領に選ばれた。これを可能にしたのは、PRI最後の大統領エルネスト・セディジョが創設した、IFE(連邦選挙機関)という独立選挙機関であったのは皮肉であった。
メキシコという国はスペインから独立した時点から種々の問題を抱え、現在もJICA(国際協力事業団)によると「開発途上国」と分類されている。
アメリカ合衆国が、原住民である「インディアン」(これは明らかにユーロセントリズムに基づいた概念なので、厳密にはindigenousな人々と言わなければならない)を保護地区と称するエリアの中で「幽閉」しているのに対して、メキシコでは不思議な状態で、原住民とスペイン系白人・混血人種が共存している(デイヴィッド・S・ランデスの『「強国」論』でアメリカ人による原住民支配の仕方のほうがスペインのコンキスタドールたちよりましであったという議論★一にはあまり説得力があるとは思えない)。もちろんスペイン系白人が社会のあらゆる部分を支配しており、所得格差という現実によって「幽閉」されているとも言えるが、自ら、近代文明と隔絶した環境で自治的に自活している部族もいるので、「開発途上」という概念は「先進国」と言われる国々が勝手に定義したものとも言える。
ヒルベルト・L・ロドリゲスを紹介するにあたってメキシコという国とその建築的背景について誌面を多く割いているのは、メキシコの建築家をほかの「先進国」と同列に紹介することに困難を感じるとともに、予想されうる反応に対して先手を打って説明しようという意図でもある。
これは私自身の疑問であったのであるが、メキシコ現代建築におけるメキシコとしてのアイデンティティとはなんであろうか? どうやらわれわれが、日本外の人々から、日本の現代建築における日本性とはなにかと質問されると困ってしまう感覚に似ているようである。メキシコ建築におけるメキシコ性とは、スペイン支配前(Pre-Columbian)の文化の取り扱いなどを始め、非常に微妙な問題を含んでいるようである。
メキシコ・シティの大学都市(一九五〇─五二、エンリケ・デル・モラル、マリオ・パニほか)における、中央図書館(フアン・オゴルマンほか★二)においてはインターナショナル・スタイルの箱の前に、メキシコ近代社会において重要な要素である「壁画」を大々的に貼り付けたのは、近代建築でPre-Columbian文化をどう称えるかということがテーマであったようである。しかし、もともとの案はピラミッド型であったらしく、キャンパス全体のインターナショナル・スタイルになじまないという理由で断念させられたらしい。
日本で丹下健三が、《香川県庁舎》や《代々木体育館》で、「日本」を現代建築で表現した後、後続の建築家たちがそういった試みを直接的には継がなかった(丹下本人を含めて)のと同様、メキシコの現代建築も、「メキシコ」を直接的に表現した建築は、政治的意図が明らかでない場合は主流とはならなかったようである★三。
ここまであえてメキシコといえば誰でも思いつくバラガンを話題にしなかったのは、現代のメキシコでバラガンがあまりにも神格化されていると考えるからである。メキシコの建築家でバラガンを批判する建築家はあまり聞いたことがない。おそらくバラガンが、メキシコ現代建築の栄光と影を含めた、最大公約数を代表しているからではないであろうか。アルベルト・ペレス・ゴメスはエドワード・R・ブリアンとのインタヴューのなかで、バラガンの作品と、ミースの一九二三年のレンガの家の類似性を指摘しているが、それは思想的な背景を伴ったものではなく、表層的なものであると言っている★四(SAIPN: Sociedad de Architectos del Instituto Politecénicoとハンネス・マイヤーの関係も重要であるがここでは割愛する)。

白い建築/「テクトニクス」/「ハイテック」

 
長い前置きになってしまったが、メキシコ第三の人口規模で、メキシコ北東部のアメリカ国境に近いモンテレイ市に生まれ、現在も建築家として活動するヒルベルト・L・ロドリゲスはアングロ・サクソン主導の「西洋近代建築史」ではほとんど無視されているメキシコのモダニズム★五を継承していると言えると思う(ここで言うメキシコのモダニストとしてエンリケ・デル・モラル、マウロ・パニ、フアン・オゴルマンを挙げたい)。
建築構法からして制限のあるメキシコで彼はいろいろな構法的工夫をして挑戦を続けている。まずモンテレイでは、ある程度の規模と予算のない限り、純粋な鉄筋コンクリート造はとられない。また、多くの不法占拠住民は自分で家を建ててしまうため、セルフビルドに近い構法が一般的となっている。
《Casa Elizondo》[図1]や《Casa Palmillas》[図2]で明らかなように、彼は自ら「白い」建築を目指していると言う。これは建築に「非時間性」を持ち込みたかったということらしい。また実際的理由からも、石材や木材などの自然素材、特に安価な白い石膏を利用して、精度を出そうとしているということである。メキシコでは鉄筋コンクリート補強ブロック造が最も一般的な構法のようで、屋根スラブには素焼きの中空ブロックを鉄筋で補強して使用している。彼によるとこれは一般的な建築技術に限界のある途上国ではやむをえないことで、その意味でもアルヴァロ・シザに共感を覚えるということである。経済的にも、技術的にも建築行為に耐久性が求められるメキシコからみると、エフェメラルなディコンストラクティヴィストたちの建築には共感できないという彼の意見は、戦後のスクラップ・アンド・ビルドのあげく、経済的停滞期に至っている日本でも、人ごとではないのではないだろうか。
その半面ノーマン・フォスターたちのいわゆるハイテックな仕事にはあこがれるところがあるそうである。モンテレイの、ある吊構造の「ハイテック」な高層建築を目の前にして、彼は「メキシコではこの程度が限界なんだよ」と少しなげやりな調子で言っていた。それは中途半端な「ハイテック」ならばやらないほうがいいと言っているように私には感じられた。また、かつてエンリケ・デ・ラ・モラとフェリックス・カンデラがコンクリートシェルで丹下建三たちと同時代的に「ハイテック」建築を設計していた★六頃を思い浮かべているようでもあった。

1──《Casa Elizondo》

1──《Casa Elizondo》

2──《Casa Palmillas》 自然保護地区で急傾斜の中に木々を避けて建設中のこのプロジェクトは、内部でも複雑な高低差を利用して、視線の交錯をつくり出している。

2──《Casa Palmillas》
自然保護地区で急傾斜の中に木々を避けて建設中のこのプロジェクトは、内部でも複雑な高低差を利用して、視線の交錯をつくり出している。

3──《Pabellón Elizondo》 モンテレイでは背景に山がそびえ立っているので、それに対峙する構築物に「色」はふさわしくないのではなかろうか。

3──《Pabellón Elizondo》
モンテレイでは背景に山がそびえ立っているので、それに対峙する構築物に「色」はふさわしくないのではなかろうか。

註 
★一──David S. Landes, The Wealth and Poverty of Nations: Why Some are so Rich and Some so Poor, W. W. Norton & Company, 1999, p.77. [邦訳=『「強国」論──富と覇権の世界史』(竹中平蔵訳、三笠書房、二〇〇〇)]。
★二──主なメンバーは以下の通り。Juan O'Gorman, Gustavo M. Saavedra, Juan Martíez de Valasco.
★三──現在のINEGI(Instituto Nacional de Estadística, Geografía e Informática:メキシコの国土地理院)の建物はピラミッドを彷彿させる形をしている。
★四──Edward R. Burian (ed.), Modernity and the Architecture of Mexico, University of Texas Press, 1997, p.45.
★五──Ibid, p.7. ブリアンはここでヘンリー=ラッセル・ヒッチコックとフィリップ・ジョンソンのThe International Style: Architecture Since 1922 [邦訳=『インターナショナル・スタイル』(武沢秀一訳、SD選書、一九七八)]においてメキシコのモダニストたちについて一行も書かれていないことを指摘している。
★六──そのうちの代表的なものがモンテレイにあるコンクリートシェルを使ったプリシマ教会である。

>赤川貴雄(アカガワ・タカオ)

1966年生
北九州市立大学建築デザイン学科准教授。建築家、建築設計、アーバンデザイン。

>『10+1』 No.22

特集=建築2001──40のナビゲーション

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建築家。東京大学名誉教授。

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