1949年生まれ。建築科。東京大学新領域創成科学研究科社会文化環境学専攻教授。
(最終更新:2010年4月5日)
[図版構成2]
...、来日中のフィリップ・オスワルト氏を迎え、大野秀敏氏との対話のなかから探った。 ──「縮小する... ...ームを編成して本の出版なども行ないました。 大野秀敏──私は、二〇〇〇年から、岐阜県庁周辺の開...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.162-163
[対談]
...集合住宅という思想 大野秀敏──集合住宅というのは、モダニズム建築の二面性を象徴的に表わしてい... ...大きなメガスケールでどんどん動いて欲しい。 大野秀敏氏集住体のタイポロジー 大野──日本の場合は...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.54-65
[図版構成1]
「shrinking cities × fibercity @ akihabara 縮小する都市に未来はあるか?」と題する展覧会と連続トーク・イン、そしてシン...具体的提案とは相補うことができると確信し、合同展に発展した。 大野秀敏 撮影=S×F@A実行委員会...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.161-161
[論考]
...争を知らない世代である。一九四九年生まれの大野秀敏は、アトリエ・ワンの塚本由晴がこうしたあり... ...筆者と梅林のメールのやりとりから。 ★八──大野秀敏×伊東豊雄「都市のヴィジョン」(『建築文化...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[図版構成4]
二〇世紀は発展と膨張の時代でした。一九世紀末に産業革命の技術的成果が出そろい、その果実が一般大衆にも分かち与えられ、人口が増え、生活水準も向上し、市民社会の理念は着実に現実化しました。エベネザー・ハワードやル・コルビュジエなどの建築家は、二〇世紀のために都市の基本的な空間像を描いて見せました。続いて、先進諸国の経済は戦...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.168-171
[ワークショップ]
スキャンデータあり、未アップ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.173-186
[筑波]
ツクバヒストリー 01 MONEY STREAM 筑波研究学園都市は国主導で建設された人工的な都市である。高度経済成長期を背景とし、その建設過程には、様々な人々...都市計画の一部として配された〈公団住宅〉。大野秀敏氏の松代アパートが有名な実験的な集合住宅で...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.112-127
[技術と歴史 1]
はじめに 今日は二〇世紀の「建築生産の工業化」という文脈の中で語られることの多い四つの住宅についてお話したいと思います。個人的な背景として、私自身の研究の主たる...パリで建築を教えている──で、彼の段取りで大野秀敏さんたちと一緒に行きました[図1]。 建物はピ...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[1990年代以降の建築・都市 4]
近代都市のアール・ヌーヴォー 今から一〇〇年前、地下鉄が近代都市のシンボルだった頃、パリのメトロの入口が、エクトール・ギマールの設計によって華麗に飾りたてられた...。このプロジェクトでは、コンペが行なわれ、大野秀敏や横河健らの建築家が複数の駅の設計に関わっ...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[1990年代以降の建築・都市 1]
香港──一九九一年 ちょうど一〇年前、初めて香港を訪れたときのことだ。過度な疲労のために、中国から陸路で行くことを断念し、上海から香港まで三泊四日の船の旅を選ん...では西洋近代のオルタナティヴが発見される。大野秀敏は「(ル・コルビュジエの)『三〇〇万人のた...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187