東京都は二〇一六年のオリンピック開催招致に名乗りをあげている。現在東京都が進めようとしている計画は、晴海地区を主たる敷地としている。ここで提案する計画は、それに対するオルタナティヴとして、千駄ヶ谷の国立競技場から青山墓地ヘ至る、霞ヶ丘地区(およそ二・二キロ×〇・五キロのエリア)に、メインスタジアムを含む集約的な会場計画の可能性を模索するものである。
提案のコンセプトは、埋没している東京の原地形を呼び起こし、都市基盤と建築が一体となってそれを強化するような「新しい地形」を発見することである。それは東京独自の場所性を復権し、有機的な風景を創りだすに違いない。
競技場とメディアセンター、選手村の各エリアでは、固有の地形の探求を試みている。
国立競技場と神宮球場を改修し、新設のオリンピック・スタジアムとともに、等高線としての客席が砂丘のように開放的に連なることで、雄大な風景をつくる「スタジアムズ」。
霞ヶ丘を分断する国道二四六号線(青山通り)を、地形的に跨いで再び一体化するメディアセンターは、ウェブ状の歩行者ネットワークとして屋上が緑化された低層高密度型都市の新しい形態である。そして、青山墓地周辺の半島状の等高線に沿って、線形に展開する人工的な等高線としての選手村は、都市に交通が開かれた住居集合の新しい開発手法である。全体として、霞ヶ丘をひとつの半島のように集約的に開発する、人口縮小時代にふさわしい手法を提案している。
一九六四年の前大会では、国家的なプロジェクトとして新幹線や首都高をはじめとする初期的な都市基盤が築きあげられた。次の東京大会のための本計画においては、現代オリンピックのニーズを満たすだけでなく、成熟した首都の未来像を創出せねばならない。[KI]
リアス式の地形の突端
沖積層と洪積層の境界を描くと、かつてのリアス式地形が浮かび上がる。青山墓地は岬のような場所で、東京の起伏形成の典型といえる。提案した手法は、今回の敷地に限らず、同じようなアンジュレーションを持つほかの敷地に適用できるはずである。[YY]
緑地をつなぐ
公園、御所、寺社、墓地と、サイズ的にも用途的にも細分化した東京都心部の緑地をネットワークし、有効に機能させる。オリンピックは緑地再編の契機になりうる。[YY]
海か陸か
東京湾の埋め立ては都市が拡大する局面で有効だった。しかし2度目のオリンピック招致を目指すならば、むしろ縮小を見据え、成熟した都市のモデルを示す必要がある。前回より圧倒的に都市化が進んだ国立競技場周辺は格好の立地条件を備える。[YY]
[施設情報]
●スタジアムズ
所在地:港区青山
敷地面積:43万5000m2
建築面積:25万m2
延床面積:50万m2
競技施設:メインスタジアム[トラック:1周400mトラック9レーン(全天候型ウレタン舗装)フィールド:107m×68m(天然芝フィールド)フィールド面積:20,500m2 収容観客人員:75,000人、仮設40,000人]/国立競技場・改修[ピッチサイズ/107m×71m 収容観客人員:8万人(増席数3万)]/神宮球場・改修[グラウンド面積:12,525,000m2、両翼91m、中堅120m 収容観客人員:46000人(増席数1万)]/室内プール[アリーナ規模:70m×40m(2,800m2)収容観客人員:12,000人+15,000人]
●メディアセンター
所在地:港区青山
建築面積:21万m2
延床面積:116万m2(地下含む)
規模:高層部分/地上4階(一部8階)、低層部分/地上2階
用途:[メインプレスセンター、国際放送センター、報道関係者用宿泊施設(跡利用:コンベンションホール、オフィス)/商業施設(地上1、2階部分)
駐車場収容台数:5000台
●オリンピック選手村
所在地:港区青山
現状:墓地
建築面積:36,000m2
延床面積:76,000m2
規模:収容人員5,000人
用途:宿泊施設、トレーニング施設、総合診療所、レジャー施設、商業施設(跡利用:分譲集合住宅)
討議 | 今井公太郎×今村創平×日埜直彦×吉村靖孝+金子祐介+新井崇俊+上杉昌史
都市の回復
今井──私たちの「東京オリンピック2016」という取り組みについては『10+1』No.42で提言を行ない、その後団地の二〇一〇年問題、都心の郊外という問題系に触れてきましたが、しかしこの頃はまだ主題の核心を決定するには至っていませんでしたね。ですから、なぜオリンピックなのかということはNo.42、44、46などで理解していただくとして、総まとめである今回は、なぜこの敷地を選んだのか、スタジアム/メディアセンター/選手村の設計手法などの話をしたいと思います。
今村──われわれ四人と今日集まってもらっている学生のチームでプロジェクトを始めるにあたり、まずは敷地を探すことから始めました。同時に、東京都がすでに提案している諸条件やプランに正面から提案し返すことを目的とせず、東京オリンピックを都市を考え直す契機として捉えた場合に考慮するべきことをゼロから立ち上げ直しました。そして、そこから浮かび上がってきた優先順位と実際に歩いてみた候補地を照らし合わせて敷地を決定したという経緯があります。特に、水系、地形、台地や低地などをテーマに議論していくなかで、今回敷地として選んだ青山墓地の周辺に可能性を見出したわけです。
日埜──敷地を選ぶことそのものよりも、「離散型」にするのか「集中型」にするのかという点がまず問題になりました。ある意味で「都市のためのオリンピック」であるわけで、一カ所を設計してもそれが都市に対してどう意味があるのか確信が持てなかったわけです。結局のところ具体的にあの場所を発見したから「集中型」に決めることができたのかもしれません。水系という意味ではここは三方向から今は暗渠となっている川に縁取られていて、地形的にも川に浸食された谷が刻まれています。その谷沿いに外苑東・西通りがあり、横断する峰のラインに沿って青山通りがある。ここはもともとの青山練兵場跡地であるわけですが、前回オリンピック開催に際して明治神宮外苑として公園整備され、またオリンピックのメイン会場となりました。そうした歴史性も今回のプロジェクトにおいては面白い。具体的な地域を設定してみたときに、普段意識しなかったひとまとまりの土地が、ある固有性を帯びていきなりクリアに浮かび上がって見えてきたのが新鮮でした。一方で東京の地形的特徴について典型的であり、他方でここにはオリンピックを迎える歴史的文脈がある。
今井──そう。東京の地形は台地と低地の連続によってリアス式海岸のような複雑さをもっているけれど、そのなかでもかなり例外的です。
吉村──現在は墓地で周囲との関係が希薄ですが、ここで集中型のオリンピックが開催され、その後住居や公園になったら、東京に対してどれだけのインパクトをもつか。期待できますよね。
今井──東京都の提案とあえて比べるとすると、この計画は東京の中心部を再開発しようというものです。新宿はもとより、六本木、皇居へと連続していく敷地です。こんな広大な空地を都心に見出せたことが決定打になったと思います。くわえて、霞ヶ丘地区にはスポーツという文脈、オリンピックに対して適合的なコンテクストが根強くある。今考えるとここ以外にないというぐらいの敷地ですね。
今村──本誌には掲載しませんでしたが、昨年ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展に向けて計画をしている時は東京の東側で計画しようとしていましたが、徐々に西側に土地を探すようになってきましたね。これは、No.42の今井さんの話にもあったように、どこかで埋立地側では設計をしたくないという思いがあったからです。つまり、東京の地形や地形からつくりだされた都市の歴史のあるところでやりたいということだったのでしょう。埋立地側のように現時点において何もない、もっといえば塩漬けされた場所で設計するのでは、都市の現況に対するインパクトは少ないのではないのかという考えもあった。都市の真ん中で行なわれるイヴェントでどういうことが起こるかを検証するためにも、あえてど真ん中でやる。地形は西側に延びているけれども、最近話題になっている六本木ヒルズや東京ミッドタウンに近いから、そうした超高層地域と相対化できるという意味でもこの敷地がよかった。
吉村──もしかしたら、六四年のオリンピックに回帰しただけだと思う人もいるかもしれません。しかし、前回のオリンピックでは巨大なスタジアムが都市を分割するように放り込まれ、同様の手法で首都高速が建設されたのに対し、今回はむしろどうやってそれを回復するかということがテーマだったと言えるのではないでしょうか。前回と同じ敷地を選ぶのは、それこそがわれわれの立ち位置をもっとも簡潔に示すからだと言えます。
今井──オリンピックの計画を立てながら、丹下健三《東京計画一九六〇》も念頭に置いていましたが、あれも今回東京都が行なっているオリンピック計画案と同じように、東京湾へ目が向いています。東京が成長していく過程は、土地不足解消のための埋立とセットでした。当時にあってこれは都市のリアルな状況を語っているわけですけれども、未来の都市がシュリンクしていくだろうという予測のある現在の状況にあっては《東京計画一九六〇》とは違う視点による答えを出さなくてはいけないのではないかと思いました。
高密度+低層化
今村──計画の持続性という点では、オリンピックは特別なプログラムです。もちろん瞬間的なプログラムとして成立することは考えていますが、オリンピック後に今回整備したものが活かせるかどうかという問題に対しても答えなければなりません。その意味でも、都市の真ん中でイヴェントを行なうことによって、開催中と閉会後の計画地と周辺環境の連続性の違いを実験的に比較することができる場所を探していた。
先に触れた超高層地域には多くの人が集まってくるわけですが、どうもその集まり方がよくないと思うんです。商業施設という性格もあり、ほかと異なった際立ったものとして集客し、結果周辺とは関わりのないものが生み出される。ですから、これはオリンピック計画だけれども、閉会後にどのような使われ方をするかということはかなり意識しましたね。
金子──閉会後の機能転用についても議論を重ねましたね。特に選手村は機能的転用を迫られますから。同時にどのようなヴォリュームで建てるか、相当悩んでいましたよね。現在の東京は一極集中型に変わりつつあります。経済的にみれば東京一人勝ちなどという評価もあります。そのなかで、東京の風景は超高層群によってドラスティックに変わっているのも事実です。今井さんは今後都市がシュリンクする状況について触れていましたが、都心三区と湾岸部はこれからも増え続けると言われています。こうした状況もふまえて、閉会後に集合住宅となる選手村は超高層化したほうがいいのかという議論もありました。
今井──たしかに超高層化によって、今世界都市の形状がドラスティックに変わりつつあるという話が出ました。東京では六本木ヒルズや東京ミッドタウンといった開発が都市に与えたインパクトの大きさについて議論しました。一種の島状、台地状の土地のひとまとまりの大規模開発です。そのような超高層+公開空地化ではない、ほかの開発手法、ほかの選択肢はないのか、模索を続けてきました。
日埜──森ビルの社長がル・コルビュジエのファンだと公言するご時世ですから、「輝く都市」は誤りだと敢えてはっきり言うべきなのかもしれない。広い空地と高層建築物の組み合わせ、歩車分離、そうした理想は都市環境としてなにかを欠落させている。低密度+高層化よりも、高密度+低層化のほうに可能性があるのではないかというのが今回の提案の大きな部分ですね。道路率と建ぺい率を考えると、細分化された建物の集合体としての都市環境にはどうにも使えない空地がたくさん生まれます。大規模建築を平べったくつくり、外気と接する外壁面と屋根面を徹底的に使い尽くす、いわゆるマットビルディングのタイポロジーにはその点で相当優位性があるわけです。「輝く都市」のように高層建築がまばらに建つランドスケープは近代建築のイメージした都市像のひとつの姿ではあるけれども、その成れの果ての東京における高層建築群が成立させている都市環境を直視したとき、やはりオルタナティヴな可能性について真剣に考える必要があると思います。
今村──完成した模型を見て後から言えることかもしれないけれども、超高層は実際に人の目線から見るとモニュメントとして認識される以外、ブラックボックスというか自分には関係のない物が建っているわけです。今回の計画ではいろいろな施設が目に見えるかたちでどのように連続していくかを考えました。特にスタジアムでイヴェントがある時などは、敷地の外に広がる都市からその状況がどのように見えるかを含め、都市との連続性を模索したわけです。個々の建物で物事が完結するのではなく、それが都市とどう連続して使われていくのかということです。大規模な再開発によって一個のマッシヴな建築ができる。それは都市において大きな存在には違いないけれど、マスと個人の関係が成り立たないのであれば、認識のうえでは何もない場所なのです。そういうことがスタディに表われていると思いますね。
今井──超高層の問題点はいくつかあるわけです。ひとつめは今回の計画とは少し離れますが、富や経済の象徴として、9・11の際に標的になってしまったという事実。二つ目は超高層という形式自体が抱える問題。先ほども話に出ましたが、一、二階くらいまでは都市との連続性を保てますが、そこから上はエレベーターという密室を経由した先の空間で、完全にプライヴェートな巨大なヴォリュームでしかない。そこから見た都市の眺めはいいかもしれないけれども、都市の活性化や都市を楽しむ意識に繋がるような空間的連続性とは無関係であって、いわば巨大なクルドサックのようなものです。最近の世界の状況を眺めても、超高層を建てた後、都市がそれによってどう変わるのかという総合的ヴィジョンを見ることができません。
吉村──都市における超高層なんて記号でしかない。そういう裏返しのヴィジョンで溢れている。
日埜──それを極端に表わしているのがドバイやドーハでしょう。いずれそうした都市も限界に行き当たるのでしょうが、超高層が今求められているようなクオリティを追求していくと、結果的に都市環境はかなりひどいものになる。
金子──この開発の流れは止まらないようです。超高層が乱立するであろう未来予想図は、多くの経済誌でも取り上げられています。
水平の連続性
今井──そうした現状と比べると、私たちの計画はもともとある地形との連続性を考えていたこともあり、意識的に逆の方向に向いていましたね。水平の連続性を地形との対応のなかで保っていけば、そこにしかない建築が提示できるのではないか。会場全体に一体感を持たせるためのある種の理想的な考え方かもしれませんが、半島の突端に位置する選手村も中央にあるメディアセンターも、そして競技場もすべてそのような考え方に基づいた計画です。
日埜──周辺環境としての道路、特に青山通りは前回のオリンピックの際に拡幅改修されて、現在のような南北に分断した風景をつくりあげたわけですが、そこになにか都市公園のようなゾーンをつくることで、その分断を接続しようとしています。そこに位置するメディアセンター全体を屋上緑化し、神宮外苑の緑と青山墓地の緑を繋ごうというわけです。
今村──やはり連続性というテーマがどこを見ても表われていると思います。国道二四六号(青山通り)で分断された場所を繋ぎ直してみるとか、ここに都市公園があることが、新宿御苑、代々木公園といった敷地同士、さらには東京都全体における自然との連続性を生みだしていくという発想はありました。
今井──屋上緑化は東京では条例になっているくらい当然のことですからね。ただ、緑化をするための設備的な問題が出てきます。メディアセンターはオリンピック終了後はオフィス空間に転用されることを想定しています。解かねばならない問題はたくさんあります。例えば熱交換をどこでやるのか。屋上は緑化しているから設備機器は置きたくないしね。また、低層高密度オフィスにおけるペリメーターの面積を考えると、直感的には人間的な環境になると思うのですが、環境的な事実確認は今後の課題です。今回はそこまで詰められなかったのも事実なので、この案をベースに熱環境に対してのアイディアも今後検討していきたいと思っています。
ちなみに今回の計画では、歩行者の交通問題を考えるうえでボロノイ分割という幾何学的な図式を全体に張り巡らせました。モータリゼーションにおいて使用された幾何学はグリッドでした。上空からの写真では、手前に見えるのが人間交通、奥に見えるのが車両交通部分で、緑化された屋上部位に覆われたかたちになっています。しかしここでも、緑化した空間の下を通っている青山通りとボロノイ分割がどのように交じり合っていくべきかなど、今後検討していく余地があると思います。
日埜──この計画において、ジオフロントの可能性についても議論になりましたね。
金子──グラウンド・レベルが人工的な自然のようにつくられた計画ですから、グラウンド・レベルが同時にジオフロントの役割を果たしていますよね。
日埜──ここは地下鉄三本が通り、地下鉄駅も二つある。併せて青山通りの上下で人工地形が絡み合うことになれば、それらを上手く利用することでグラウンド・レベルが何枚もあるような状態をつくりだせるのではないかというわけですね。地面のすぐ上とすぐ下の空間を同時に立体的に考えることで、単なるペデストリアンデッキによる分離にとどまらない、さまざまな交錯の可能性が生まれるでしょう。
今井──メディアセンターになる空間は青山通りを跨ぐので、空間を連続的に繋ぐためには新しい地形を創造しないといけませんからね。地形の端部をどのように操作するのか議論になりました。連結型になっているスタジアムのほうは地形というか等高線そのままなのですが、端部のつくり方は問題になりましたね。
吉村──そうですね。ボロノイのように、端部を特定しないですむ、無限に展開可能な幾何学を下敷きにしながら、断面方向には各所異なる性格を与えている。
今井──そう。建築と地形の関係をどうつくっていくか。プロジェクト全体を通して、スタジアム、メディアセンター、選手村の各部分における構築と地面との関係が、建築の地形的アイディアの習作に見えるように意識してつくりました。
身体と地形
今村──東京はそもそも地形がとても豊かなんです。それが通常は意識されていなかったり覆い隠されているので、今回はそれをもう一度顕在化、誇張したと言っても過言ではありません。今でもなぜその手法が魅力的なのかを議論してみたいとも思うのですが。
というのも、地形というものは身体性を喚起しますから、ボロノイ分割のような幾何学を当てはめても、単なる幾何学的操作とは身体が捉えないのでしょうね。さらに言えば、地形が喚起する身体性がスポーツ、もしくはオリンピック競技とどのように関わってくるのか。現在のオリンピック競技は全世界にメディアを通して情報として配信されています。そのうえ、公平性を期すため、記録は徹底してニュートラルに計測されています。こんなことを言うと身も蓋もありませんが、これは身体を使った競技祭典というそもそもの目的から少し離れているような気がしませんか? 一方で、連続性でできた地形にあっては、身体の根源的な作用が日常的な状況からすでに起こっている気がするんですよね。今回の計画では、そうした身体を使う喜びといったものをあらためて思い起こすことを期待しているのです。
今井──身体と地形という構図を敷衍すると、近年ユニヴァーサルデザインという「正しさ」が言われます。段差をつけてはいけないとか、坂道の傾斜角度は何度以下だとか、つまりなんでもフラットにしなくてはいけない。それもわかりますが、そのうえで身体性を失わないデザインをしたいという意思はありますよね。
日埜──ユニヴァーサルというのは非常に人工的なコンセプトですからね。それは身体能力をタイムや飛距離のような数字に置き換えて競う近代的なスポーツにも通じていて、そのための競技空間とは違う種類の、体を動かすことのもっと素朴な楽しみのための空間というか、丘を上れば向こうが見えて下れば周りが隠れるというようなことを細やかにデザインできたら面白い。
吉村──埋立地をジョギングするのとこういう地形をジョギングするのでは、身体や精神に及ぼす意味合いもまったく変わってくるはずですしね。
今井──そうですね。地形をフラットにすることは、身体そのものの在り方にも反しているのではないかと思います。だから現地形を利用、もしくは地形のニュアンスを誇張したいということなんです。
吉村──潜在的な地形を取り込みながら、同時に都市化した周辺環境に寄り添うようにして計画した結果、超高層的なビルディングタイプとはまったく違う都市的な要素になったと思います。
金子──ただ、繰り返しになりますが、特定のエリアのなかでボロノイ分割のような幾何学を平面的に使っていくと、どうしても端部が地形に馴染まない状況が生まれてしまいます。計画過程でもピーター・アイゼンマンの「ガリシア文化都市」計画などを例に見ながら端部の処理に悩みましたよね。かなりの無駄な空間が生まれてしまうのではないかと。
今井──この計画を敷地内で完結させるという条件からも問題は起きていたのでしょう。
一方で、われわれは建築を平面から見ようとする癖を教育によって刷り込まれています。特に都市などでは高さの関係性よりも平面の適正配置に目が行きがちですよね。ボロノイ分割は、それこそ平面的なアイディアなので、高さ方向には限定がありません。それに平面的に鋭角が生まれないので、なだらかな地形や、街路のパターン、敷地の境界条件にフィットしやすいという立体的な特性があります。もともと平面的ネットワークを解くことに適していることはわかっていましたが、それよりも今回の敷地条件のようなレベル差が引き出す意味についての理解がわれわれのなかで定まらなかった。だから、今回はそれに挑戦してみたところもあります。やっていてわかったことは、ボロノイ・パターンは角度が敷地形状に合わせてフレキシブルに動かせるので、グリッドパターンでは敷地に上手くフィットしないところでも上手く馴染ませることができるということ。しかしながら、先ほどの話のように、システムの端部の処理については捉えきれていないのも事実ですね。
金子──そうした矛盾を解消しようとするなかから、M・C・エッシャーのメタモルフォーシスを全体の流れをつくるテーマとしたのですか?
今井──違うコンテクストを連続的に繋いでいくときにエッシャーのメタモルフォーシスのモチーフが出てきたのです。青山墓地の構成原理であるグリッドパターンをボロノイ分割パターンに変化させていくようなところでは確実に使っていますね。
計画概要
吉村──今回掲載したダイアグラムの説明をします。先ずスタジアムです。スタジアムの特徴は、通常内側に向かう観客席の斜面をスタジアムの外側にも展開したことです。これまで巨大なブラックボックスだったスタジアムを都市となだらかにつなぐことを意図しています。さらに、そうした特徴を備えたスタジアムをスタジアム群として連結しています。スタジアム群は、既存スタジアム(国立競技場、神宮球場)や、今回新たに計画したメインスタジアムを含む五つのスタジアムから成ります。平面的にはアリーナの中心を母点とするボロノイ図のようになりますが、立面的には、それぞれの等高線がぶつかったところでピンとエッジを形成するのが特徴です。
次に沖積層と洪積層の境界、かつての岬で現在は青山墓地になっている部分に計画した選手村ですが、こちらも所与の地形の等高線をトレースすることが設計の基盤になっています。ただ、通常交差することがありえない等高線を、ここでは交差したり途中で切れたりさせています。そういった操作によって、樹木や移設できないモニュメントなどを避けることができます。結果的に自然的とも人工的ともつかない新しい等高線が描けるのではないかと考えています。
そして最後に中間に位置するメディアセンターですが、ここはスタジアムと選手村を繋ぐものとして考えていました。ですが、先の話にもあったように、ダイアグラムを平面で描くべきか、断面で描くべきか、迷いました。断面で描くと青山通りで分断されていた両者をつなぐという意図がよくわかりますが、平面で見るとまた違う意味が見えてきて面白い。
日埜──鳥瞰的な視野で見えることと虫瞰的な視野で見えることが、こういう場合まったく違っていて、だけれどそれが同じひとつの形の両面なんですね。
今村──少し補足しますと、既存のスタジアムのようなものを建てた場合、その中では観客の熱狂が起こりますが、スタジアムの外、つまり都市から見ると周囲に高い壁に遮られて熱狂の様子がわかりません。だからその分断をはずして中を外に開いていきたい、周囲の環境と繋がりをつけたいという思いがありました。選手村については、早い時期に、赤羽台や高島平団地周辺を見に行きましたね。これまでにルートヴィヒ・ヒルベルザイマーのような南に向いた白い箱が単調に並んでいる、機能的で合理的なものはたくさんつくられてきたけれども、地形に馴染ませていくことで違った形の集合居住の可能性が描けるのではないかなと思ったわけです。ただし、メディアセンターは一番生みの苦しみがありました。
日埜──そうですね。このスケールになるとデザインのための根拠になるコンテクストが少ない。例えば、いくつかのランドマークと地形の起伏、青山通りによる分断の状況、あとは必要面積などの数値目標が縛りとなるくらいでしょうか。
今井──加えて、神宮外苑の絵画館から延びる軸線、青山墓地の尾根道。捉えやすいものはそれくらいかな。
上杉──そのほかには吉村さんが言っていたと思うんですが、東京において、青山墓地のグリッドパターンやスタジアムが集中している神宮地区のような特異な場所はほかにありません。ですから、メディアセンターは青山墓地にある選手村と神宮のスタジアム群の中間位置であり、また青山通りで分断されている二つの地域を結ぶ意味でもでこの二つのレイヤーをオーヴァーレイさせることで複雑なウェブを生むことができた。
日埜──すごく少ないファクターからものすごく複雑なものをひねり出さなくてはならない。
今井──経路選択の多様性を重視して考えましたから、ウェブ状の複雑さが生まれた。
新井──選手村においてもボロノイ分割の幾何学は使われています。既存の木を起点にし、できるだけ木を傷つけずにどのように建てるかということを考えていました。
オリンピック後の東京
上杉──地形を活かした集合住宅ですと、安藤忠雄の《六甲の集合住宅》がありますが、六甲では地形に沿うようにヴォリュームを配置したのに対して、今回の選手村では敷地に沿うようにスラブを配置していったことで人の動きが得られやすかった。そこに操作の違いがあると思います。
今井──《六甲の集合住宅I期》くらいの密度のものであればいいのですが、建築はある一定の密度を超えると場所性を大きく逸脱してしまうんですよ。だから今回の計画では、そのぎりぎりのところで密度をコントロールしようとしています。都心ということもあり、必要な選手村としての面積を少なめに見積もって、一〇万平方メートルという目標はあるけれども、実際はそんなに入れ込んでおらず、青山墓地周辺だけで七万平方メートルくらいになりそうです。つまり、高密度といっても限界があるということです。足りない面積はメディアセンターの想定床の一部を使う必要がある。斜面地を有効に活用するため、建築が建ちにくい場所では杭によって建物を浮かせるなどしながら、地面と上手く刷り合わせる操作をしています。こうして地面とは着かず離れずでやっている。なかにはコンタ通りに建築をつくっていない場所もあり、そうした部分では建築が地形を飛び越えるようなことが起こる。できるだけ地面と樹木を損なわないように設計していますから、建物の間隙に地形が現われるのです。ちなみに閉会後には、ピロティのアプローチ部分には、商業などのアクティヴィティを伴う施設が入ってくるといいと思っています。人が地形を横断していく、その誘因材料として機能すればいいですね。
今村──残念ですが、模型写真だけではそこまで読み解けないかもしれませんね。ただ、パースで描いたように、斜面をべったり開発するのではなく、若干の地盤面や緑が残っていて顔をのぞかせていることが重要だと思います。
日埜──相当リッチな環境です。微地形でできた公園のような環境があることは重要と思うんですよね。
今井──そうですね。これは選手村のためというよりも、オリンピック後の東京における集合住宅の在り方のひとつの提案なのです。こういう設計をすると、居住部分のすぐ前を赤の他人が歩いている状況はどうなのかと訝かる人もいるでしょうが、提案のような都市に直結していくような建築の公共性も、この敷地ではありえるのではないか。普通の集合住宅では、せいぜい同じ階に住んでいる住人しか部屋の前の通路を通りません。一方、この提案は個人の部屋へとつながる通路が公共交通路にもなっているので、住居は開かれた街のなかにあるという構図をつくりだしています。
金子──また、この集合住宅はSOHOの入居も念頭に置いていますよね。この建築を通して、住居─SOHO─街が一体化するという意味も問えるのではないでしょうか。
今村──はい。形は違うけれども、取り壊し前の表参道の同潤会アパートみたいですよね。あれは集合住宅でしたが、最後のほうは半分以上がオフィスになったりショップになっていました。「部外者進入禁止」と貼紙があっても、みんな勝手に入ってしまう。そういう感覚に近い。つまり選手村、集合住宅といっても住む機能に限定せず、もう少し緩やかに考えているんだろうね。人が住んだり活動する都市的な場所を提供するというように。
今井──地形に馴染ませることの最大のメリットはそこにあるんじゃないですかね。交通が発生するということ。ある種の散策路が本当に生活に溶け込んでいるというのかな。
今村──郊外型の集合住宅ではこういう交通は発生しません。やっぱり、都心は働く所で郊外はファミリーが住む所ということであれば、永遠に今回の計画のような形はでてこない。都心回帰が起きている状況では、郊外に建っている集合住宅のビルディングタイプ、例えばファミリー型3LDKという形を都心にもってきても意味がないでしょう。そんな反復をしているよりも、いろいろな人が都心に集住する方法論を考えたほうが有効なのではないでしょうか。
話をスタジアムに移しましょうか。造形をするにあたり、砂の粘度という話をしましたね。サラサラな砂なのか、湿った粘土なのか。
今井──地形の勾配は粘度で決まるという話です。粘土に近いものだと峰が隆起しますが、今回の計画では砂に近い勾配を設定したので、自然の風が形を決めたような、とてもきれいな風景をつくりだすことに成功したと思います。峰が砂漠のような風景をつくりだし、連続性を表現しています。機能面でいえば、スタジアム群の下にはホワイエや地下駐車場などを収容しています。既存の道路を跨ぐように設計されているのはそのためです。
金子──ただ競技場を連結させることによるセキュリティやチケットの問題をどう解決するか。
今井──集約して全体を囲めば解決するのですが、それではコンセプトに反します。動線を断つ壁って、ベルリンやガザ地区の壁のようになってしまう。
今村──今までのスタジアムは主にそういう理由で囲っているのですが、一〇年経てばIC技術で何とかなるかもしれません。
吉村──バリアフリーも否定してバリアも否定する。面白いですよね。
金子──壁は視覚的な問題を生みますが、同時に先の話に出たような身体的な問題にもつながりますよね。
吉村──そうですね。同質のものを繋いで延ばしていくのではなく、違うものを連続して捉えるから新しい身体感覚が生まれるのだと思います。この計画でも、都市環境を徒歩圏に縮約することでいろいろな要素のキャラクターが可視化され、新しい環境認識を生起させるのではないでしょうか。
今井──いろいろな場所があってほしい、アンチ・ユニバーサルでありたいという希望があったので、キャラクターのある建築をつくって環境のなかに埋め込んだのですが、それらが繋がっても消え去らなかったのがよかったですね。
金子──かつてこの現代思潮研究会でも取り上げた「フォールディング」は身体性を喚起するものでしたが、かなり意識されましたか?
今井──意識したよ、そりゃ。グリッドをどう引くか、ボロノイ分割が使えるのではないかという発想ももとを探ればそこからきていますからね。設計の途中段階では激しくうねらせたりしてたでしょ(笑)。
日埜──フォールディングは例えばスラブが変形していって壁になったりするわけですが、今回の計画の場合、地表という一枚の面よりも、もっとぶ厚い地面のようなものをつくり、それの使いこなしによって環境を定義しなおそうとしているわけで、違いはありますけどね。東京という起伏の多い都市の計画であることが大きな背景になっているから、こういう形態になったのかもしれません。例えばオランダのようなフラットな土地でこういう計画をすると、かなりわざとらしくなってしまうような気がする。
吉村──東京に住んでいる人たちは、東京が起伏に富んでいると思っているのかな。僕は自転車に乗っているときにようやく意識するのですが。
今村──地下鉄だけを利用して生活している人には、東京の地形はわかりにくいでしょうね。
今井──東京全体ということではなく、西と東の境界面に特に地形が集中している。その境界を越えるときに起伏を強く感じるんでしょうね。
日埜──とりわけ山手線の内側は起伏に富んでいます。何かの本に第二次世界大戦末期の空襲で神楽坂周辺が一面焼けてしまった時に赤城神社が坂下の外堀通りから見えたとありましたが、今ではちょっと想像できないことです。地形というのはじつは滅多にその生々しい姿を表わさないものなのかもしれません。ランドスケープは私たちの生活感覚的な地形から想像する以上のポテンシャルを隠しているのかもしれない。そのズレは相当大きいのでしょう。
今井──この計画敷地だってそうですよね。ヘリに乗って鳥瞰したって重なることはないでしょう。
吉村──そうした高低差を感じられるのが、四ツ谷駅で地下鉄が一瞬地上に顔を出すとか、水平の水面に対して高速道路が斜めになっているのを確認するなど、奇しくも五〇年代の終わりから六〇年代にかけてできたものが起伏の基準線を描いているとは言えるかもしれません。
日埜──靖国神社の前の坂はランドスケープとシンボリックな意図が噛み合っている、東京のなかでは珍しい場所だと思うのですが、明治大正期の都市構造物にはそういう腰を落ち着けたデザインが施されたものがわりとあるようです。都市的なものと建築的なものの文脈が一定の重なりを持っていたからなのでしょう。しかし戦後、とりわけ高度成長期になると、そこが決定的に分裂してしまって、土木的なものがしばしば異様な姿で都市のなかに現われてくる。意識されていないがゆえの両者のズレが、いわゆる醜い景観っていうことなんでしょうが、そのズレゆえに見えてくるものもあるわけですね。
一〇〇万平方メートルの巨大建築
吉村──六〇年代の開発の際たるものが超高層建築なのでしょうか。今回の計画でもメディアセンターをアンチ超高層として設計しているのですから、もう少し補足しておかないとならないですね。
今井──そうですね。ただ先にも話しましたが、いろいろな与条件を取り込んだうえでの四層設計なんですよね。既存の地下鉄の駅の入口を使おうとか、青山通りを跨ぐとか、青山墓地から延びるグリッドパターンをボロノイ分割しようとか。
新井──距離と高さの関係から、四層までなら人は斜路で上がれるだろうという考えもありました。
今村──でも結局少し足りなくって増やしたんだよね。
今井──一部で六層ある所もつくりました。でも模型を見る限り、これくらいなら上がってみようと思うんじゃないかな。
日埜──外苑西通りの路面から青山墓地の峰までの段差をひとつの尺度として意識していたましたね。その高低差を基本的に超えない範囲で、土地の起伏のスケールになじませて床面積一〇〇万平方メートルを確保しています。
今井──あと、端部を馴染ませていくのが重要でしょ。だからここまでで一〇〇万平方メートルというはっきりした境界がないんですよね。
今村──ただ、模型では敷地の外の空間に対しては馴染ませていくのではなく、山を切断したような形になっていますよね。初期段階では敷地内で完結していくことも考えていましたが。
今井──それは全方向的にウェブ状の建築が繋がっていくことを考えていたからです。端部がめくれあがって青山通りの受けになっているのと同じ意味で、だから少し高くしたんですよ。どこまでも繋がっていける自立した建物をつくるのは実際には難しいですからね。世界一大きい建築と言われているペンタゴンだって三四万平方メートルくらいですからね。
今村──申請を出す時は、敷地内すべてでひとつの建物ということになるのでしょうか。
今井──青山通りの上に建物を建てていることなども含めて、今回の計画はある種法外的ですよね。
金子──磯崎新さんの新都庁舎の計画案もそうでしたよね。
今井──そう。磯崎さんの都庁の計画は超中層のスーパー・ラチス構造を持つ都市的建築の提案で、道路を跨ぐように提案されていました。建築法規は敷地割りが前提であり、分割された領域を繋ぐようなことには不向きな体系です。
今村──東京で建物がバラバラに建てられている状況にはおそらく二つの理由があって、ひとつは、資本主義下では土地は私有財産であり、メリットを生み出す最大限自由なものを建てていいという原理。その結果、周囲と関係なく自由に振る舞うことが普通になっている。もうひとつは、建築基準法が敷地内で建物が完結することを前提に考えられているので、周囲との関係を築きづらい。その両方に由来していると思います。
今井──経済的にも相続税の問題があって、徐々に細分化されてしまっているから、土地の統合が行なわれるのは再開発の時ぐらいですよね。
日埜──でも、経済的な問題を解決するというだけなら、集合住宅における区分所有や不動産の証券化みたいなことが現に行なわれているわけですね。物理的な対象をその輪郭のまま扱うのは大変だから、所有権の形式的案分で扱いやすいヴォリュームに分割しているわけです。そう考えると所有権というのは現実にはかなり抽象化されている。だから物理的な大きさがいかに巨大であっても、形式と責任のあり方さえクリアにすれば問題ないのかもしれない。同じような意味では地盤面の問題があります。地盤面を今の地面と考えればそれだけの話ですが、一番上の人工的な地表面を地盤面と考えれば、こんなにでかい建物ですが、建ぺい率ゼロですってことになる。地盤面を操作的に意識することによって基準法の規制が相当変わってくる。どちらにしても、地盤面とか所有権というものの解釈を壊すと法規のグレーゾーンが一気に出てくるんですよね。
今井──地面が基本だから、地面が変わると全部変わるんだよね。そう考えると、中央のメディアセンターの上に別の建物だって建てられるようになる。
日埜──規模が大きいからそういうことを考えられるわけですけど、考え方を柔軟にするとずいぶん可能なことの幅は広がります。
今村──そうやってもしもスラム化したら大変なことになりそうだね(笑)。
今井──九龍城みたいだね。
日埜──六本木ヒルズはなりようがないもんね。むしろそういう可能性があるということ自体はよいことですよ。
新井──管理と同時に、土木と建築の境界という問題も問えると思います。都市のグリッド単位は大きいですが、そのスケールに威圧感を感じる人は少ない。でももし、約一〇〇万平方メートルの建築が自発的なシステムを持って成立していたら、それはかなりの威圧感を都市に与えます。今回の提案は、一〇〇万平方メートルの巨大建築をそれ自体が持つ自発的システムなしでできるかという提案です。具体的には連結スタジアムから生じるリッジと、既存の青山墓地の細かいグリッドをオーヴァーレイすることで、一〇〇万平方メートルの巨大建築を考えています。オーヴァーレイすることで予測しにくい街路パターンを生み出すこともできるし、さらにそのパターンの図と地を反転させていくと、いわゆる「内と外」の問題も関係なくなっていく。実際、連結スタジアムから生じるリッジはスタジアム越しに見える風景に関係するものですし、青山墓地のグリッドはそこを歩いている人のフローに関係している。つまり、今回提案するメディアセンターは周辺のスタジアムと選手村、青山墓地がないと成立しないものです。それ自体は極めて巨大なヴォリュームだけど、その建築を成立させているものは他力本願的。そうして巨大建築を考えれば、「巨大さ」が持つ威圧感は解消できるのではないでしょうか。
日埜──大きい、小さいということで言えば、山は大きいけれども威圧感を感じませんよね。そういう感覚が重要だと思います。床面積一〇〇万平方メートルというのは巨大ですが、それを単なる量の問題としてだけ捉えてはいけない。自然や地形を延長するようなことを考えてみたのはそういう意味でスケールへの応答です。そのスケールを墓地の既存のスケール、青山通り沿いの街のスケール、スタジアムのスケールを単に繋げるだけではなくて、重層的に扱っています。
今井──そうですね。そうした感覚をベースにしつつ、都市に連続していく建築空間の質を探求しています。具体的に言えば、青山墓地側の街路のグリッドパターンをスタジアム側に摺り合わせていく場所では、地と図の関係を考えていました。基本的にはグリッドが道になり、グリッドの敷かれていない部分に機能が入ってくるという空間の構成方法です。ただし、一般に言うところの外部化された道ではなく、道が内部化していく場所も同時につくりました。内外の関係を繰り返し反転する操作と言えるでしょう。こうした反転による連続化はボロノイ分割された部分だけでなく、ボロノイ分割とグリッドの関係のなかでも行なっています。高さ方向にも、メディアセンターは四層を基準にしていますので、二層ごとに光の調整や庭の構成を行なっています。こうした入れ子の反転・反復操作が、内部の機能的なネットワークと屋根面の自然のネットワークを連続的に繋ぐ役割をしているのです。このシステムを最終的に決めたのは、ボロノイ分割の平均的なセルの大きさが三〇〇メートルもあることに由来します。つまり、このヴォイドの中にヒューマンスケールの最適なリンクを張って交通を発生させることを想定し、さまざまな種類の反転を使って、空間のヒエラルキーを段階的というよりも、その密度の変化によってグラデーショナルにつくりだす試みをしているプランなのです。
今村──この敷地は既存の地下鉄の駅も内包しているし、青山通りも跨いでいます。外部には幹線道路も多く、JRの駅も近い。このように既存の交通網が多くありますから、メディアセンターのある場所は多くの人が集まる交通の結節点になる。それゆえさまざまなレヴェルで人や情報が移動するダイナミックなネットワークの図をつくりたいと思ったんですね。
模型を見ていただくと、その複雑な表現の意味が理解できると思います。
(完)
[二〇〇七年一〇月二六日]