1934年生まれ。建築家。黒川紀章建築都市設計事務所。
(最終更新:2010年7月6日)
[インタヴュー]
戦後の日本建築界 日埜直彦──今回は一九五〇年代を視野としてお話を伺いたいと思っております。当時の建築の世界においてモダニズムに対する信頼は揺るぎないものだった...メタボリズムに、浅田孝、川添登、菊竹清訓、黒川紀章、栄久庵憲司、粟津潔らとともに参加。作品=...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[論考]
序─低い声 四本の柱が立ち、そこに屋根を架けた小屋は住宅の原型なのだろうか? [〈それ〉溝は作動している]あるいは、一本の柱が太古の平野に立てられた瞬間に構築が...・マンション派だ。 ●独身機械──3 すでに黒川紀章は「カプセル宣言」(一九六九)において、夫...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[万博という問題系1]
...「スピード出すな」とビビってました(笑)。 黒川紀章氏小田——これがその時の写真[図5]ですね。... ...彫刻として一個置いてある。 五十嵐——確か『黒川紀章ノート』に書かれていたと思うのですが、大阪...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.64-79
[現代住宅研究 2-4]
...住宅の住居ユニットとして《カプセル住居》(黒川紀章、一九七〇)[図6]が試作され、「お祭り広場... ...ルタワービル》(黒川紀章、一九七二)[図7]と 《カプセルハウスK》(黒川紀章、一九七二)[図8...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.21-25
[万博という問題系2]
...博と建築家 小田──これは余談ですが、先日、黒川紀章さんへのインタヴューに先だって「さよなら万... ...的に書かれていますが、今回インタヴューした黒川紀章さんは、建築関係者だったお父さんが、焼け野...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.80-95
[批評]
...八三)[図3]、日本的造形を直裁的に引用した黒川紀章の《国立文楽劇場》(一九八四)[図4]、幾何... ...的記号のモザイクといってもよい★一三。 ──黒川紀章(傍点引用者) [江戸時代の町家は]道に面...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.164-171
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
...豊雄や渡辺誠の言葉ではない。一九六〇年代に黒川紀章が『行動建築論』(彰国社、一九六七)で語っ... ...く、同じ価値として並列に自立するという(『黒川紀章ノート』[同文書院、一九九四])。ツリーで...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[ラディカリズム以降の建築 1960s-1990s 7]
...しいスタイルの集合住宅が提案された。 7──黒川紀章 《万博パヴィリオンのための カプセル建築》1960... ...で現実のものとなりつつある。例えば、かつて黒川紀章は、工業都市から情報都市へのパラダイム変革...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.221-231
[論考]
...期計画について国際コンペを行ない、六案から黒川紀章建築都市設計事務所の提案を選んだ。黒川さん... ...新区辞典』 (鄭東新区管理委員会、2005)3──黒川紀章「鄭東新区計画案」 「如意」(中国古代の縁起...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.87-94
[スタディ]
...タワー》はこのパゴダに酷似している[図8]。黒川紀章の「動くいえ」のスケッチにも串刺しになった... ...ちの構想力』(鹿島出版会、1997) 6──黒川紀章『黒川紀章作品集──代謝から共生へ』(美術出版社...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[論考]
...、そしてメンバーであった建築家、菊竹清訓・黒川紀章・大高正人・槇文彦の四人の六〇年代の仕事が... ...九六〇年前後に各自ばらばらに動きはじめた。黒川紀章・槇文彦はいずれも丹下研究室に在籍していた...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[論考]
...けだし、その邦訳書のあとがきのなかで、訳者黒川紀章は、七年間にわたった翻訳の期間中、浅田から... ...計画[図2]が、丹下の下で大谷幸夫、磯崎新、黒川紀章の担当によりまとめられている。実際に建設さ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.96-103
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 2]
...ス》のようにスクラップにされるか、あるいは黒川紀章の《中銀カプセルタワー》(一九七二)[図5]... ...市」「海上都市」 出典=『METABOLISM/1960』 5──黒川紀章《中銀カプセルタワー》 撮影=山本美咲6──《...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.12-25
[インタヴュー]
...号)に、丹下さんが司会、出席者は磯崎さん、黒川紀章さん、槇文彦さんという錚々たる面々の座談会... ...先ほどの座談会では面白い対立点が出ていて、黒川紀章さんが「私はむしろ空からは見ないほうがよい...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.167-175
[図版構成]
...風と採光の面で優れている。 2──菊竹清訓+黒川紀章+槇文彦(日本) コミュニティ活動を最大限に... ...ための基本構成を計画する。 2──菊竹清訓+黒川紀章+槇文彦(日本) 敷地面積:120m2、建築面積:92...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.193-204
[論考]
...計の《表参道ヒルズ》の道を隔てた反対側に、黒川紀章設計の《日本看護協会ビル》という建築[図3]... ...々のための空間はどこにあるのか★七。 3──黒川紀章《日本看護協会ビル》 足元に空地が設けられて...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.162-172
[都市/テクスト]
...者がその思想を学術的に整理したもの。 7 黒川紀章『黒川紀章ノート』(同文書院、1994) 30年以上に...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115
[インタヴュー構成]
...カメラマンが全部撮り直すことになりました。 黒川紀章さんの《山形ハワイドリームランド》(一九六... ...じます。 1──原広司《梅田スカイビル》2──黒川紀章《山形ハワイドリームランド》3──丹下健三《...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.62-82
[図版構成]
...プセルを付加するというシステムが作られた。 黒川紀章による《中銀カプセル・マンション》はその例... ...ットより《中銀カプセル・マンション》1970(『黒川紀章作品集』より)東孝光《塔の家》1966都市の中の...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.74-77
[万博という問題系 3]
...、自分でやり始めたときには発表しています。黒川紀章は丹下研究室の中でやってたけれども京都大学... ...ムはマニフェストを川添登が記し、菊竹清訓と黒川紀章、この二人が中心のデザイナー、こんなグルー...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.96-111
[連載 7]
16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、...をしているのも同じブランである。 ★二〇──黒川紀章『現代建築の創造──CIAM崩壊以後』(彰国社、...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[1990年代以降の建築・都市 1]
香港──一九九一年 ちょうど一〇年前、初めて香港を訪れたときのことだ。過度な疲労のために、中国から陸路で行くことを断念し、上海から香港まで三泊四日の船の旅を選ん...文化センターや、エココリドールが全体を貫く黒川紀章の深圳市公共中心軸計画(一九九九)などがあ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、...家を意識した磯崎新が台頭してきます。のちの黒川紀章の一般メディアにおける振る舞いのなかで形成...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[大島哲蔵追悼]
建築そのものは問題ではなく、そこにどんな状況が成立しているのかということが決定的だと、彼はしばしば口にしていた。そして本当の感情と営為が成立する余地が極端に失わ...たのではないかと推察される。審査員長だった黒川紀章氏の審査結果を評して、「問題のない大手設計...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.192-193
[住居の視点、住居の死角 1]
水槽に藻やカタツムリ、微生物を閉じ込めた「ミニ地球」を無重量空間にもっていったらどうなるか──こんな実験が日本とアメリカ、ロシアの協力で始まる。今年の七月にスペ...ある。これはとても新鮮でわたしにはかつての黒川紀章の東京湾構想よりも刺激的だった。それは現在...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.40-42
[翻訳]
〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチ...そのシューニヤ=空のカテゴリーは時として、黒川紀章が指摘しているように、不適切にも〈空虚さ〉...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262
[1990年代以降の建築・都市 5]
重層的な決定のシステム 一九九九年、坂本一成の設計による《HOUSE SA》が竣工した[図1]。ギャラリー・間の坂本一成展「住宅──日常の詩学」が、名古屋の愛知...と無関係ではない。一九六〇年代は丹下健三、黒川紀章、菊竹清訓らが、未来的な都市プロジェクトを...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.194-204
[1990年代以降の建築・都市 7]
すぐれた作品は時代を超えて、われわれに問いかけるものがある。 二〇〇二年に再制作された磯崎新の《エレクトリック・ラビリンス(電気的迷宮)》もそうした作品と言える...において、大阪万博で活躍したメタボリストの黒川紀章や菊竹清訓ではなく、丹下の仕事をバックアッ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.198-208
[現代建築思潮]
山の手/下町/サード・ドメイン | 日埜直彦 クーベルタン男爵のコスモポリタニズムに始まったオリンピックが、反転してベルリン・オリンピックに象徴されるネーション...物に目を奪われた。《中銀カプセルタワー》(黒川紀章、一九七二)である。もちろん当時はメタボリ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.48-56
[シンポジウム]
第一部:スーパースタジオ一九六六──一九七三 一九六六──スーパースタジオの源泉 クリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア──本日は、スーパースタジオの活...方法は、まさに私たちにとっての建築であり、黒川紀章らによるメタボリズムの影響を大きく受けたも...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.228-239
[インタヴュー]
ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受容過程が日本の現代建築の始まりとしていま注目されているように見えま...た話です。その典型的なのはメタボリズムで、黒川紀章の《中銀カプセルタワービル》もぼろぼろにな...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[1990年代以降の建築・都市 3]
フラット派批判 昨年末、飯島洋一が「反フラット論──『崩壊』の後で 2」という文章を発表した★一。この論は世界貿易センタービルの破壊に触れて、スーパーフラットの...年代は社会が大きな夢を求めていたのであり、黒川紀章のような建築家は敏感にそれを感じて、壮大な...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153
[グローバリズム 2]
1 福岡 一九九〇(ポストモダン) vs 日本 戦後(モダン) PART1 前回「ペキン 二〇〇三」の冒頭で引用したコールハースのテクストは、「日本に関して...張メッセ》を建てた。不首尾に終ったものの、黒川紀章は大阪の新府庁舎のタワーを、磯崎新すら上野...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[都市とモードのフィールドノート 1]
いつか大学の同僚との会話のなかで、建築とファッションには共通するところが多いのだから、両方とも同じコースで教育すればいい、と利いた風な意見を述べたことがある。す...建築中の安藤忠雄の《同潤会青山アパート》や黒川紀章の《日本看護協会ビル》にも商業スペースが設...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.30-32
[論考]
このところ東京都心部では、「東京ミッドタウン」や「新丸ビル」等、大規模再開発による大型商業施設が続々とオープンしている。経済構造改革と連動した「都市再生」と呼ば...三──擬似例として《国立新美術館》における黒川紀章+日本設計、《21_21 DESIGN SIGHT》における安藤忠...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.76-84
[ゼロ年代の建築・都市 3]
建売住宅から学ぶこと 家型という視点から眺めていくと、一九八〇年代の建築は基本的に七〇年代の延長にあり、記号的な表現をさらに展開し、思考を深めている。 石井和紘...的な構成による長谷川逸子の《小山の住宅》、黒川紀章の《高志会館》、ヘキサの《スパイヤー》、石...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34
[論考]
『機動警察パトレイバ─』はOVA(オリジナルビデオ)、TVアニメ、マンガ、映画と四つのメディアをまたにかけたSFアクションアニメである(設定は微妙に異なっており...つの「首都圏」を作ることが目指されている(黒川紀章とグル─プ2025のプロジェクトを想起せよ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.180-185
[論考]
われわれはおそらく、ルフェーヴルによる空間の政治学に対する要求と、つまるところ、まさしくグラムシ的な建築の探求を擁護するためになにかを語らなければならないことに...も「変節」していない(かつて罵倒されていた黒川紀章の計画が比較的ニュートラルに評価されていた...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.124-136
[論考]
1──図版出典『ゴジラ』(昭和二九年作品) ©東宝株式会社南洋の未開の島からマンハッタンに連れていかれ、そこで壮絶な死を遂げる『キングコング』以来、怪獣ものの映...の場、大阪城の傍らにもう一人のメタボリスト黒川紀章が府庁舎を建てることになっている。見事な暗...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.180-185
[論考]
ニュータウンに行くと感じることがある。それは、これは建築のロマンなのか? 土木のロマンなのか? それとも政治のロマンなのか? ということである。そんな問題のたて...対するこだわりである。同じくメタボリストの黒川紀章がカプセルの建築家ならば、菊竹清訓はスラブ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.67-75
[論考]
ゲートで閉ざされるアメリカン・マインド アメリカにおいてハウジングや教育、公共交通機関や宿泊施設など、あらゆる場での差別が法的に禁じられてからすでに三〇年以上が...ntage, 1961. 邦訳=『アメリカ大都市の死と生』(黒川紀章訳、鹿島出版会、一九六九)。 ★五──Oscar New...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.194-204
[論考]
ローマでの体験 1999年の12月から2000年の1月にかけて、私は仕事の関係でイタリアにおける建築物の保存・修復について調べるためにICCROM(文化財保存修...コ・シティからエコ・メディア・シティへ」(黒川紀章) ★「バイド・シティ」(アムステルダム、モ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105
[論考]
メディアがユニット派を注目する 今年の後半、飯島洋一による「ユニット派批判」の論文が話題になった★一。ユニット派とは何か。アトリエ派の建築家が強いカリスマ的な指...六〇年代の高度経済成長期は、メタボリズムの黒川紀章や菊竹清訓など、多くの若手建築家がメガスト...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145
[批評]
1 錯乱のプロローグ 一九八×年:おそらく二〇世紀の「東京」。人々は平和を謳歌している。見慣れた渋谷や新宿の風景。どこにでもいそうな公園の男女。ダンサーを志望す...な側面をきわだたせるというあのやり方★四。黒川紀章や上田篤など、広く読まれた都市論のほとんど...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.80-90
[column]
二〇〇〇年九月に東京へ来たとき、わたしは二つの場所のうちのどちらかに住みたいと思っていた。黒川紀章の設計した《中銀カプセルタワービル》か、渡辺洋治の設計した《第...所のうちのどちらかに住みたいと思っていた。黒川紀章の設計した《中銀カプセルタワービル》か、渡...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.130-134
[論考]
アンリ・ルフェーヴルとの出会い、 空間の実践と主体の召還 南後──本日は、塚本さんが最近実践されている「ビヘイビオロロジー(ふるまい学)」について、そこに通底す...うのです。 これが六〇年代の、特に菊竹清訓、黒川紀章のメタボリズムとまったく異なるのは、そこに...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.84-89
[論考]
《都城市民会館》(一九六六)[図1]は、ぎりぎりのタイミングで残されることになった。菊竹清訓の構想力の大きさを印象づけたこの建築も、新たな市の総合文化ホールの建...、《大阪中央郵便局》(一九三九)、設計者の黒川紀章自身が取り壊し反対を先導した《中銀カプセル...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.114-115
[翻訳論文]
建造環境が建造されるのは建造を許可されたからである。建造環境が建造を許可されたのはそれが制度ないしは支配的文化を表象し反映しているからである。建築物の予算がパブ...age, 1961.(邦訳=『アメリカ大都市の死と生』[黒川紀章訳、SD選書、一九七七])。 ・K. Jacobs, 'Night Disc...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.137-148
[対談]
隈——建築への関心がそれまでの内部から「お外」へと志向し始めたのは九○年代の最初の頃だったでしょうか。地面でゴロゴロする若者、いわゆる「ジベタリアン」が増えてき...阪万博の頃にはすでにあったように思います。黒川紀章のメタボリズムのIHIなどにも、建築という完結...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.64-78
[資料]
古典 「EKISTICS - Science of Human Settle-ments」を主体とするドクシアディスの都市論をまとめたもの。体系的な科学としての...O] J・ジェコブス『アメリカ大都市の死と生』黒川紀章訳、鹿島出版会、1977近代都市計画史におけるマ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.165-168
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...る一九六一年の『アメリカ大都市の死と生』(黒川紀章訳、SD選書、一九七七)と、ロバート・ヴェンチ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[論考]
Q──最近、六本木アート・トライアングルってよく聞くけど、あれって何のことなの? A──ここ数年、六本木には立て続けに大きな美術館が開館したじゃない? そのなか...の施設を流用していた。結局はプロポーザルで黒川紀章案が選ばれたけど、美術館建設に当たっても、...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.132-133