シアム(Congrès International d'Architecture Moderne=近代建築国際会議)は都市・建築の未来について討論を重ねた建築家達による国際会議。20世紀のモダニズム建築に大きな足跡を残したグロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエらが参加。1956年ユーゴスラビアで開かれた第10回会議で、台頭してきた若手建築家チームXなどとの議論から解体。
[インタヴュー]
...って使うかという計画手法になってきた。一方でCIAMがアテネ憲章をもっている。片方で IFHP(国際住宅... ...らかたこの組織がつくっていて、CIAMはほとんど排除されていた。CIAMも戦後の都市の状況に対する提案を...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.169-176
[インタヴュー]
...っていました。だからチームXができたわけです。CIAMも戦後第一回目まではいろいろやったけれども、次... ...丹下さんも、最初は前川さんのお供でCIAMに行くけれど、後はCIAM批判をやるジェネレーションに入ってい...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[インタヴュー]
『解体』の輪郭執筆──六〇年代アートシーンの坩堝から 日埜直彦──今回は『建築の解体』についてうかがいたいと思います。この本は建築における六〇年代の終わりを象徴...といった人たちが最初だと思います。前川さんとCIAM、丹下さんとチームXの関係はまったく違うでしょう...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[インタヴュー]
都市をイヴェントとしてとらえる視点 日埜直彦──前回はおおよそ五〇年代を視野として、当時のモダニズム一辺倒の状況のなかで考えておられたことについておうかがいしま...インビジブル」(一九六三)も同じ構成で、結局CIAM対 IFHP(国際住宅都市計画連合)という対比で見て...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.187-197
[連載 6]
...こと)と配置すること 15-3 バベルの塔としてのCIAM 近代都市計画の原点ないし聖典のようにいわれてき... ...が、それは本当にアテネ会議あるいはそれ以前のCIAMの議論を要約し、合意された憲章であったかのよう...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.198-211
[連載 10]
...カはル・コルビュジエによって主導権をとられたCIAMおよびその後身たるチームXにおいて、プロスト的・... ...な表舞台に浮上してくるのは一九五三年の第九回CIAMエクザンプロヴァンス大会だが、この大会では、居...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[連載 7]
...ることと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ... ...ことを見、さらにそれを発展させたものとしてのCIAMの格子を取り上げた。そしてル・コルビュジエの思...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[論考]
...術界の第一人者たち、第四回近代建築国際会議(CIAM)に名を連ねる各国一六グループの代表者を前にし... ...く簡単に次の事実を強調しておきたい。それは、CIAM第四回会議への彼の出席が、おそらく、あの数年間...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.107-125
[連載 9]
...報告している。ビドンヴィル問題はまた更に後のCIAMグリッドでとりあげられたり、チームXなどに影響を... ...ず国際植民地博覧会と当時のル・コルビュジエやCIAMの関係を見ながら、ル・コルビュジエが如何にこれ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199
[連載 5]
...られる山──に第四回CIAMのあとに、後の「アスコラル」グループの種子となるCIAMのフランス・グループ... ...船パトリス二号のクルーズで行なわれた第四回のCIAMのテーマ「機能的都市」そのものでもあった。しか...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.158-174
[論考]
...ンとして呼び寄せた。パーキンスは三〇年代にはCIAMにも参加していた改良主義的な左翼モダニスト建築... ...していたハーヴァード大学では、一九五三年に元CIAM議長ホセ・ルイ・セルトがグロピウスに代わって「...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.161-172
[インタヴュー]
...うとしていたと思います。当時世界的には一方にCIAMがあり、他方にビュロクラートの世界組織である国... ...う関係のなかで、CIAMはつねに外側からのカウンタープロポーザルでした。丹下研はCIAMの系列で、だから...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[翻訳論文]
...式化との間にある隔たりは、近代建築国際会議(CIAM)の諸活動で報告された。共通の関心を一堂に会し... ...一九二八年に設立されたCIAMは、初期の会合を都市計画問題に割り振った。CIAMの初期の分析は、都市機能...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.125-136
[批評]
...から歩行者の動きを分離しようとする傾向は、CIAM(近代建築国際会議)と、当然のことながらル... ...討していくように、根本的な問題なのである。 CIAMとル・コルビュジエに見出されていくかたちで...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.147-169
[連載 4]
...解読するための格子(この概念にわれわれは後にCIAM格子として再び出会うだろう)となる。したがって... ...ペの経緯がCIAMの創設に結びついたことは知られているが、ル・コルビュジエがラサラでのCIAMの第一回会...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.159-176
[現代住宅論 1]
...市計画思想を確立したのはCIAM(近代建築国際会議)だといわれている。CIAMは一九二八年に近代建築家の... ...立され、その先導者はル・コルビュジエだった。CIAMの第四回会議は一九三二年にマルセイユ—アテネ間...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.200-209
[インタヴュ―]
...りますから、要はユルバニスム論ですが、それがCIAMあたりから始まって、ロストウのいう経済発展の四... ...われたならば、まず丹下さんの影響、というよりCIAMの影響です。「都市デザインの方法」(『空間へ』...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.263-276
[論考]
...建設され、一九二八年以後には近代建築家たちがCIAM(近代建築国際会議)において「生活最小限住宅」... ...をもっていたに違いない。 京都大学での西山は、CIAMや建設の工業化、住宅供給計画からル・コルビュジ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.143-148
[論考]
...共性、すなわちパブリックな空間とされてきた。CIAMは広場あを都市核とし、その復権によって都市の再... ...。しかしそのこと以上に、今日まで通底しているCIAMの主張は、都市とはそのような公的な空間というテ...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.133-143
[論考]
...、思想的・方法的に推進したのは、まずは戦前のCIAMである。このヨーロッパを中心とした三〇年代から... ...た。それが六〇年代の初期である。いうならば、CIAMという運動集合体を組織することで、近代建築はア...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[批評]
...らかじめ色付けされていたのである。しまいにはCIAMでの「アスコラル・ガード」の「精神的建築」によ... ...。 ★二九──Le Corbusier, "Description of the CIAM Grid, Bergamo 1949," in CIAM8 The Heart of the City: Towards the Humanization of U...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.95-112
[翻訳]
...家への警鐘ともなり[…]」★三五。 チームXはCIAMの中核的なヴィジョン/モデルを人間化しようとし... ...る。彼の論文はものごとの挟間を巧みにつく。「CIAMオリジナルメンバーの理論家たち」とは一線を画し...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.173-197
[連載 8]
...ーら左派の文脈とは区別されるという意味だが)CIAMの淵源を探求することになるわけだが。 17-3 植民地... ...「ムンダネウム」のプロジェクトへの関与に続くCIAMの創設に尽力していた時期に、この人物をかつぎ出...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.198-212
[東アジア建築世界の二〇〇年]
...って、現地との同化主義を主張し、参加していたCIAMが提唱する普遍主義に異を唱えた。彼が計画した都... ...勢力を払うことに特色があった★二八。しかし、CIAMにおいて自己主張できるほどの彼と彼の都市計画の...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.196-204
[批評]
...っている。長い設計活動においてリホツキーは、CIAM(近代建築国際会議)に関わる建築家と積極的に交... ...インチームに入り、キッチン設計の担当となる。CIAMの第二回会議が、一九二九年にこのフランクフルト...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.180-187
[論考]
...して第四回CIAMではアテネ憲章は都市を四機能に分類したものの結合の原理を欠き、第八回CIAMではコアが...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.80-95
[対談]
...「緑地」、そして「物流」の四つです。そして、CIAMの例の四つの原則は、「交通」、「勤労」、「居住... ...えます。それで、八束さんに伺いたいのですが、CIAM以降の六◯年代にさまざまな建築家が湾岸を対象に...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.86-91
[批評]
...アのファシスト・モダニストの若き建築家たちはCIAMの重要なメンバーだったし、ル・コルビュジエ自身... ...ニの意図は、じつは一九三三年アテネでの第四回CIAMの方針に反映され、かつそれに従ったものだったの...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.154-170
[連載 3]
8 機械の独裁──テーラー主義 第一次大戦後のフランスは、フランス的な特質を保ちながらもドイツに(そしてすでに世界一の強国であることを誇示したアメリカに)遅れを...たのみならず、エスプリ・ヌーヴォー館の建設やCIAMの発足に際しても財政上の援助を行なっている。『...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.291-305
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 2]
1 建築職人ウィトルウィウス はたしてウィトルウィウスは建築家だったのだろうか。 あらためていうまでもなく、彼の著した『建築書』(De Architectura...こで採択されたのがいわゆるアテネ憲章である。CIAMによる同名の憲章が起草された二年前のことであっ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.12-25
[ポストモダニズムと建築 1]
建築を建築として見るようになった頃から、どうもロマネスクの建築というのが気になってしようがない。御多分に洩れず学生の頃ヨーロッパに行き近代建築など忙しく見て回っ...分論の支配」に堕したと明確に批判し、海外でもCIAM解体(一九五六)以降、近代主義への批判的検討が...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.18-19
[集中連載 1]
なかんづく、近代ヨーロッパ人は、この遊星をとはいえないにせよ、少なくともこの遊星の各地帯を、一様化しようとする仕事にしたがう疲れを知らぬ職人である。 ポ...九。そしてル・コルビュジエはヌムールの計画(CIAMで検討され、アテネ憲章の純粋な表現とされた)で...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.169-179
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間4]
円形競技場はきっちりとした形態を備え、その機能を明確に体現した形となっている。それはもともと、無造作な容れ物として考えられたものではなかったのであって、それどこ...ー「都市はツリーではない」4 自尊心の強い子供 CIAMの理論家達が好きな思想の一つにリクレエイショ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.12-23
[都市の傷痕とRe=publik 3]
学会報告で、六年ぶりに東京へ。平日の朝八時。甲州街道の歩道を人波に包まれながら、新宿駅に向かって運ばれる。ルミネの角の広い横断歩道。風に吹かれて舞う、砂漠の砂の...ム建築批判が見落としてきた点は、そこにある。CIAM的建築理念による都市建設の明白な「失敗」と言わ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.32-33
[都市表象分析 7]
1 非正規性のグローバル化 二〇〇一年九月一一日、アメリカ合衆国を襲った同時多発テロは、六〇〇〇人にのぼると言われる犠牲者を出し、ニューヨークとワシントンの両都...のひとつの会議、「大西洋の対岸でおこなわれるCIAMのマンハッタン版」だったのだと言う。そして、仮...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.2-11
[集中連載 2]
...務総長を務めていたが、ル・コルビュジエは彼をCIAMのラサラでの創設会議に招待しようと手紙を書いた... ... in Art Journal, Summer, 1983.に引用。 ★二八──Mary Patricia May Sekler, "Le Corbusier, Ruskin, the Tree, and the Open Hand", in ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.194-207
[一九九〇年代以降の建築・都市 13]
「建築とは(情報の)流動であり、都市とは流動の建築である」。 これはコンピュータの時代の建築を構想する伊東豊雄や渡辺誠の言葉ではない。一九六〇年代に黒川紀章が『...はなく、こうした二面性をあわせもつ。 黒川は、CIAMの運動が崩壊したとき、近代建築の教科書を失った...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.37-39
[地上にて 3]
地形図──都市への考古学的接近 以前、本誌のNo.42で紹介したことがあるのだが、国土地理院が発行する「数値地図五メートルメッシュ標高データ」というものがある。...クの陸化とその後の変容を紹介された村松伸氏、CIAMが計画したモロッコ郊外の住宅地の、住民による改...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.240-251
[1990年代以降の建築・都市 6]
九坪ハウスという現象 二〇〇二年一〇月一二日、TNプローブにおいて「九坪ハウスシンポジウム二〇〇二」が開催された。これはBoo-Hoo-Woo.comが仕掛けた... 一九五〇年代は最小限住居の時代だった。戦前にCIAMでも「最小限住居」をテーマに掲げていたが、特に...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.184-193
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
43 JAPONISME──「近代」に向かってめくられた最後の頁 Last pages towards the MODERN, which western so...イツの学術は世界をリードしていた。たとえば、CIAMのレポートに英語が登場するのは、アテネ宣言(一...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[現代建築思潮]
梅岡+岩元+今浦──今回、「現代思潮研究会」においてオリンピックによる都市改造をテーマに研究がなされることになりました。そのなかで、都市がどのように成長・発展を...きます。一九三二年には、アテネ憲章に結実したCIAM第四回会議「機能的都市」の準備会がバルセロナで...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
二人のチャールズ 一九七二年七月一五日午後三時三二分、アメリカのセントルイスでモダニズム建築は死亡した。 チャールズ・ジェンクスの著書『ポスト・モダニズムの建築...失敗だったのか。ジェンクスは、高層アパートがCIAMの理念にもとづき建設され、「居住者の建築コード...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[論考]
一九三六年に結成された「日本工作文化連盟」は、日本における近代建築運動の先駆けとなった分離派建築会の中心人物である堀口捨己から、戦後の建築界を牽引することになろ...り『建築時潮』誌が刊行された。また、同社からCIAM第二回報告書である『生活最小限の住宅』を翻訳出...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142
[論考]
多摩ニュータウンなどの大規模な郊外ニュータウンについて不可解な点があるとすれば、それは、これらのニュータウンにおいて仮に近代的な都市概念によって説明しきれない何...ものとしてこの「都心」を構想して、かつてIFHPやCIAMでは労働(業務地区)や余暇(文化地区)に比べて...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.52-58
[論考]
アルビンに初めて会ったときのことをお話ししたいと思います。その時彼はシカゴについてのレクチャーをしていました。彼は、詩人のように理想的にシカゴのスカイラインにつ...と、「われわれの都市は生き残れるか」というCIAMからのイメージが、コントロールということに...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.224-230
[論考]
0 さしあたっては当然のことを言うなら、建築は目に見える秩序を扱う。特定の地点に特定の存在モードとしてつくられる建築は「見える」からだ。しかし、設計とはそれにつ...れるというテーゼは、チームXの人々が先行するCIAMの幾何学主義(カルテジアニズム)に対して「...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[批評]
一九二六年一二月四日に催されたデッサウのバウハウス新校舎の落成式には、一五〇〇人以上の来賓が出席した。彼らは、主要な政治家、経済人、官僚たちに加え、内外から招か...図15]、翌二八年にはサ・ラス城で開かれる第一回CIAMにオーストリア代表として出席している。 13──...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.174-184
[都市史/歴史]
都市史における五つの潮流 一九九〇年代の都市史関係の文献を回顧すると、それには大きく分けて次の五つの潮流があるように思われる。まずひとつめは新たな都市権力論の登...ブロヴニクは、1956年にル・コルビュジエらによるCIAM(近代建築国際会議)が最後に開催されたアドリア...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.120-123
[論考]
二〇世紀の前提 住宅が演じた役割以上のものを、二〇世紀の他のビルディング・タイプはなにひとつ演じていないと、ビアトリス・コロミーナは語っている★一。確かに、二〇...排した合目的的な設計の作法である。これらは、CIAMの崩壊以降様々な異議申し立てにさらされ、R・ヴェ...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.100-109
[論考]
客観主義は社会的世界を、観察者に提示されるスペクタクルとして構築する。観察者はアクションに対する「視点」を取り、それを観察できるよう退いている者たちであって、そ...たものだった。この関心がかたちを取ったのが、CIAM(近代建築国際会議)が発展させた都市生活の四機...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.156-175
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...模索されていた。公式的近代建築を牽引してきたCIAMがチームXにより解散に追い込まれて以来、一九六一...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[翻訳]
〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチ...、個人的経験の背景があったのだ。彼らはともにCIAMの中心メンバーだった。ロシア・アヴァンギャルド...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
二〇世紀最大のトラウマとして記憶される第二次世界大戦では、アメリカも未曾有の国家総力戦を体験したが、その終結後、戦時中に発展した多くのテクノロジーを解放すること...。 一九六〇年代のアメリカ モダニズムの牙城、CIAMの解体を目撃し、幕を開いた一九六〇年代は、さま...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[翻訳]
MVRDVの仕事はどんな建築家や理論家よりも、民主主義的であると同時に「製作可能(makeable)」であるという西ヨーロッパの社会の伝統に深く根づいている★一...ブルフとの協働や、モダニズム建築家の国際組織CIAMの議長を務めたことによって、また建築家としてデ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.136-148
[万博という問題系1]
《タカラビューティリオン》《東芝IHI館》 五十嵐——黒川先生のお仕事は多岐に渡っていますが、今日は「万博」をめぐっていくつかおうかがいしたいと思います。 まず...五〇年間僕の中にずっと生きている。その論文はCIAMまでの近代建築を機械の時代と名付け、それ以降始...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.64-79
[インタヴュー]
1 伽藍とバザール 中西──山本理顕さんはあらかじめ決められたかたちで建築を作るのではなく、建築をどのように使うかをユーザーとともに考えながら作り、また作...手段なのか目的なのかという問題がある。例えばCIAMでのハンネス・マイヤーとル・コルビュジエの違い...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.75-82
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、...ます。このような経験を経て、丹下さんは第八回CIAM(テーマ「都市のコア」)への参加要請を受けて世...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44