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相互主観的閉所嫌悪 | 柿本昭人
The Interdependent Subjectivity of Claustrophobia | Kakimoto Akihito
掲載『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) pp.32-33

学会報告で、六年ぶりに東京へ。平日の朝八時。甲州街道の歩道を人波に包まれながら、新宿駅に向かって運ばれる。ルミネの角の広い横断歩道。風に吹かれて舞う、砂漠の砂の粒子になる。この感覚は、京都ではなかなか経験できない。祇園祭の時の人混みは、これとは別の種類のものである。名古屋でなら、一も二もなく、車というシェルターでもって移動してしまうところだ。
それにひきかえ、新幹線での移動中は、かなりの圧迫感。通路まで乗客が溢れかえっていたからではない。名古屋からの二時間。その空間を耐え難いものにしていたのは携帯電話。「デッキでお願いいたします」。アナウンスがあっても、席を立つ者は少ない。二つ前の座席の男は、ひっきりなしにかける。相手先はその都度違うようだ。相手の居所を聞き、何をしているのかを尋ね、自分の現在位置を告げて、「それじゃあ、また」と通話は終わる。通話をやめた瞬間に、神経を逆なでする他者の空間が襲いかかってくる。それが怖いかのように。
『電車でGO!』が売れるのなら、新幹線の車内で携帯電話する者を標的にするシューティング・ゲームにもマーケットは存在するか、とつらつら考える。相互主観的閉所嫌悪が、どの程度まで広がっているのか。自分も含めて乗客が三人しかいなかったならば、さながら『シャイニング』だ。舞台は広大なホテルではないけれども。「そこには最悪のアメリカがある」とインタヴューの中で語っていたのは、スラヴォイ・ジジェクだったかな。

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>柿本昭人(カキモト・アキヒト)

1961年生
同志社大学政策学部教授。社会思想史。

>『10+1』 No.16

特集=ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義