円形競技場はきっちりとした形態を備え、その機能を明確に体現した形となっている。それはもともと、無造作な容れ物として考えられたものではなかったのであって、それどころか綿密に考え尽くされた構造、建築表現、形態を備えていたはずである。しかしそれを取り巻く外的状況変化は、それは人類の歴史上最もドラマチックな瞬間の一つであったのだが、その機能をくつがえし、円形劇場が都市になってしまったのだ。この劇場=都市はその上、城砦でもあった。それが囲い込み守っていたのは、一つの都市まるごとだったのである。
アルド・ロッシ「14、都市要素間の緊張関係 第二章 基本要素と地域」
(ダニエーレ・ヴィターレ編『都市の建築』、大島哲蔵+福田晴虔訳、大龍堂書店、一九九一、一二八頁)
1 都市〈の〉建築
アルド・ロッシ著『都市の建築 L'Architettura della Citta』を初めて読んだ時、その表題自体に違和感を覚えた。なぜ『都市と建築』ではなく、『都市の建築』なのか。
両者を「の」でつなげることは、それらが不可分に連関していることを示している。個別の建築が都市を育み、都市が建築を産み落とすかのように。しかし通常の考えでは、都市は建築とは違ったスケールで、それらを容れる大きな容器として計画されるものである。まずロッシはその考えを否定しているように思えた。
読み進めていくと、その予感は大きくは外れなかった。彼にとっての都市とは、年月を経たいわば建築のスープであった。そのスープは、時の流れに応じて個別性の徴たる建築を溶かし、呑み込んでしまう。つまり建築は当初の目的を失って腐朽するか、解体される。しかしながらそのスープから、都市の人間は滋養ある素材を見つけだし、個別の建築を再び創りだす。都市に新しい形、性格を与える。だから彼の都市論は、個別の建築や住まいから切り離された都市のあり方ではなく、部分と全体とが一体となってうごめきつつ、時々にかたちを変貌させていくような運動である。