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ポスト・ロマンティシズムの住宅へ向けて──住居の境界を巡るデザインの軌跡 | 山中新太郎
Toward the House of Post-Romanticism: The Traces of House Border Design | Yamanaka Shintaro
掲載『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) pp.100-109

二〇世紀の前提

住宅が演じた役割以上のものを、二〇世紀の他のビルディング・タイプはなにひとつ演じていないと、ビアトリス・コロミーナは語っている★一。確かに、二〇世紀ほど住宅が脚光を浴びたことはなかった。共通の命題は、いかに住宅を供給するかということであった。「万人のための住宅」、「Houses like Fords(住宅をフォードのように)」というスローガンは、住宅を建設することが何を差し置いても有意味であることを示している。「住宅を生産せよ」、「市民の生活を向上させよ」という要請は、イデオロギーを超えて共通していた。一七世紀末葉に起こった啓蒙主義は、フランス革命や産業革命を経て、遠く二〇世紀に「市民」の爆発的な広がりとして実を結んだのである。住宅を取り巻く環境は、何よりもこの社会的な要請を前提にしていた。この要請の上に、住宅は他のビルディング・タイプを押しやって、モデルとしての優位性を持ち続けたといえる。ひとつの住宅が様々な展開可能性を予見させたり、あるいは極めて特殊な状況下の住宅が建築の前提条件を拡張したり、夢のようなアイディアや全く実現の可能性のないアイディアが新たな可能世界を開くかのように積極的に論じられたりした。世界中の住居や集落はくまなくレファレンスされ、歴史もまた召喚された。
少々乱暴な言い方をすれば、建築全般で論じられることは、おおよそ住宅においてスタディすることができる。しかも、安価でかつ大量に求められていたのであるから、二〇世紀を通じて住宅が建築全般のモデルという特権的な立場を与えられていたのは当然かもしれない。しかし、どうもその前提が変わりつつあるような気がする。何より、自分達の周りには住宅が満ち足りており、今や、住宅を作り続けよ、という要請はどこからも発せられない。住宅は、現在でも相対的に見て安価であり、十分に建築全般のモデル足り得るのだが、今やそれ程強くモデルたらんとすることを意識しているとは思えない。では、何が変わったのか。そして、どのように変容しようとしているのか。その手がかりを照らし出したいというのが、この論の狙いである。
ここでは、前提を前提のままに問うことを慎重に避けなければならないと考えている。なぜなら、もうすでに社会的な前提で住宅を語ることは強度を失っており、凡庸さから逃れられない恐れがあるからである。さらに、目の前に散らばっているアクチュアルな前提条件が、非常に込み入ったものであり、かつ多岐にわたっているために、その議論が散漫になる恐れがあるからである。それゆえ、ここではできるだけ即物的に対象である住宅を観察することが求められるだろう。主に観察するのは、住宅の境界であり、それによって形作られる空間である。変わりつつある前提は、住宅の形相に少なからず影響を与えているはずである。その変わり目について、周囲から住宅を切り分ける「境界」の様相や、それによって形作られる「空間」の容態から読み取りたいと思う。

褪色するファンクション機能

この八年間に《シリンダーハウス》(一九九五)[図1]や《神武寺の家》(二〇〇〇)[図2]など、いくつかの住宅を設計してきたが、それらを通して常に頭にあったのは、形自身をいかに内的な機能やプログラムから遠ざけて構想できるか、ということである。
このように考える大きな理由は、機能やプログラムという近代的な前提が住宅の設計過程のなかで確実に褪色しつつあるという直観である。もちろん、これらは今でも建築を成立させる必要条件であることに変わりはないが、問題は、それがいかに建築に現われるかということである。様式と決別した近代建築は機能やプログラムを存立理由にしていた。そこで求められたのは、機能的な美学であり、恣意性を排した合目的的な設計の作法である。これらは、CIAMの崩壊以降様々な異議申し立てにさらされ、R・ヴェンチューリやB・チュミらの手によって解体されていくのだが、こうしたポストモダン的な状況と現代の状況が決定的に異なるのは、機能やプログラムという問題そのものが、デザインを左右する主要な要因にならなくなりつつある、ということである。多くの住宅は、ますます建物の外形から機能やプログラムを読み取ることが難しくなっているし、どの空間がどの機能に対応しているかを言い当てることが難しくなっている。これは個室の解体、あるいはリビングルームの変質、あるいは日本独自のnLDKという表記法に対するオルタナティヴを目指したものではない。むしろ、機能やプログラムに直結する問題そのものから、建築の造型が離れていった結果なのではないかと考えるのである。
恐らく、このことは住宅に限ったはなしではないだろう。建物の輪郭は機能や構造を直接的に現わすものではなくなってきているし、その内部は、いくつかの領域に分節されていたとしても、極めて質的に似通っており、ヴォリュームの差異や境界の差異が、かろうじて個々を見分ける要素となってきている。これは、空間中のすべての点があまねく同じ質を持っているという意味での均質さとは区別されなければならない。つまり、どこでも間仕切ることができる、管理が容易なユニバーサルスペースではなく、機能に執着しない一意な境界付けが、建築の内部で同質に展開され、これが表現としての均質さを生み出しているような空間がビルディング・タイプを問わず、広がり始めているのである。分かりやすく言えば、こうした建物では、機能の捨て方が建築の内部で同じようになされているのである。このことが、住宅においても言えるのではないかと思うのである。原広司が均質空間論のなかで、機能を口にしないものが近代の勝利者となると指摘したことは、今、住宅において極めてリアルな問題として立ち上がってきている★二。これを検証する意味でも、まず歴史を振り返りながら住宅の被覆を観察することにしたい。

1──山中新太郎+システムシーツー《シリンダーハウス》1995 断面図

1──山中新太郎+システムシーツー《シリンダーハウス》1995
断面図

2──山中新太郎+西松繁郎+野伏武彦《神武寺の家》2000 撮影=大野繁

2──山中新太郎+西松繁郎+野伏武彦《神武寺の家》2000
撮影=大野繁

アドルフ・ロースの被覆


建築家に課せられた課題とは、言ってみれば暖かな、居心地よい空間をつくり出すことである。そうだとして、この暖かく、居心地よいものとなると、ジュータンである。だから建築家はジュータンを床に敷き、また四枚のジュータンを四周に吊るす。そしてこれが四周の壁となるわけである。しかしながら、ジュータンだけでは、とても一軒の家をつくることは出来ない。床に敷くジュータンにしても壁に掛けるジュータンにしても、そうした目的のためには、構造的骨組が必要となる。だからそうした骨組を工夫するということは、建築家に課せられた第二の課題となる★三。


ロースの境界面は重層的である。内部の皮膜と外部の皮膜、そしてそれらを支持するための構造体という三つの層からなる。ロースの意識の上では、それらは一体のものであるわけではなく、むしろ互いに独立した関係にある。それらの序列はあくまでも内部の空間を被覆する床や壁が第一に求められ、次にそれらを自立させるための構造が求められるとしている。外部については、「建物は外に向かっては沈黙を守り、これに対して内部においては豊饒な世界が展開するようにしたい」★四ということばにあるように、装飾を剥ぎ取ったプレーンな皮膜を挑発的に見せている。《シュタイナー邸》(一九一〇)[図3]の外観を見れば分かる通り、ここにも構造体の姿は反映されてはいない。これは《モラー邸》(一九二八)[図4]、《ミュラー邸》(一九三〇)[図5]についても同じである。しかし、すべてのファサードがプレーンで無装飾なものかというと、そうではない。そこには、巧妙な素材の使い分けがなされている。この点で興味深いのは、集合住宅の一角が店舗としてデザインされた《ミヒャエル広場の建築》(一九一一)[図6・7]である。この建物を見てはじめて、ロースにとってファサードが構造から切り離された操作の対象であることが分かる。ロースといえば、《シュタイナー邸》(一九一〇)に代表されるような無装飾なファサードを思い浮かべることが多いが、この《ミヒャエル広場の建築》(一九一一)を見れば、単に装飾を剥ぎ取ることがロースの戦略ではなく、ファサード上の材料マテリアルの操作が真の戦略であることが分かる。そこでは、店舗部分の外壁や列柱を本物の大理石によって造り込みながら、三階部分から始まる住居部分のファサードでは、《シュタイナー邸》と同じようにプラスターを塗り付けたプレーンなファサードに切り替わる。もちろん、コンクリートのラーメン構造でできたこの建物にとって、大理石の柱は構造上フェイクである。この二つの異質な表皮が同じ立面に併置されることによって、装飾を剥ぎ取られたファサードが、表層の消去ではなく、表層の操作形式のひとつであることが確信される。ロースは材料マテリアルと形態の関係を次のように指摘している。
「どんな材料マテリアルもそれ固有の造形言語を有するものであり、他の材料の形態をとることはできない。何故ならば、形態とは材料マテリアルのもつ使用適性と生産方法とから生成するものであり、だから形態とは材料マテリアルと共に、材料マテリアルを通して生成するものだ」★五。
それぞれの材料マテリアルには造形に対する適性があり、むやみやたらに材料マテリアルを置き換えることは許されない。ただし、これが構造形式と対応付けられる必要はない。というより、もとから材料マテリアルと造形との関係の中に、構造は含まれていない。先の引用で示したように、構造はあくまでも二次的なのである。このファサードと構造の分断ファサード上での材料マテリアルの操作が、被覆をめぐるロースの第一の戦略である。

3──アドルフ・ロース《シュタイナー邸》1910 出典=『建築20世紀 Part1』(新建築社、1991)

3──アドルフ・ロース《シュタイナー邸》1910
出典=『建築20世紀 Part1』(新建築社、1991)

4──同《モラー邸》1928 出典=アドルフ・ロース『装飾と罪悪』

4──同《モラー邸》1928
出典=アドルフ・ロース『装飾と罪悪』


5──同《ミュラー邸》1930 アイソメトリック・パース 出典=アドルフ・ロース『装飾と罪悪』

5──同《ミュラー邸》1930 アイソメトリック・パース
出典=アドルフ・ロース『装飾と罪悪』

6──アドルフ・ロース《ミヒャエル広場の建築》1911 模型 撮影=畑拓(彰国社)

6──アドルフ・ロース《ミヒャエル広場の建築》1911 模型
撮影=畑拓(彰国社)

7──同 外観 出典=アドルフ・ロース『装飾と罪悪』

7──同 外観
出典=アドルフ・ロース『装飾と罪悪』



ラウムプラン

視線をロースの住宅の内部に向けると、そこには「ごつごつした迷路というか、内臓のような」★六空間が広がっている。大理石や木の仕上げは、うねるような強い有機的なパターンを見せ、装飾を施されないプラスターの壁は、これらの触覚的な材料マテリアルとの比較を際立たせるように白い存在感を見せている。それぞれの材料マテリアルは、ひとつの壁の面で終わるわけでもなく、ヴォリュームごとに切り替わるわけでもない。時には壁の仕上げが天井まで至り、時には柱を大理石が包み込む。空間は途切れることなく奥へ奥へとつながっており、あるスペースでは次に続くスペースが仕切られることなく斜め上方に見え、そのスペースに移動すると、また別のスペースが左右へ広がる。この複雑に折り畳まれた襞状の空間にこそ、アドルフ・ロースの独自の構成手法が込められている。それが「ラウムプラン」である。

このメソッドは「住宅の部屋割りを従来のように、各階ごとに平面で考えるのではなく、3次元の空間、立体において考える」★七もので、様々なレベル(高さ)の視線が立体的に交錯する連続した空間が形成されている。初期のラウムプランの実践例として《ルーファー邸》(一九二二)[図8]があげられるが、その代表例といえるのは《モラー邸》(一九二八)や《ミュラー邸》(一九三〇)[図9]であろう。ここでは、一枚の平面でも一枚の断面でも捕まえられないような、三次元的な空間が展開されている。ここで、注目されるのは、床、壁、天井があたかも等価な境界面として扱われていることである。しかも、その境界面に施される材料マテリアルが、一枚の壁を超えて天井まで連続し、あるいは腰までの壁の表裏を一体に見せるように被い、あるいは壁の中の柱型だけを被っている。つまり、「ラウムプラン」というメソッドは、単に床や壁、天井の構成法に留まらず、材料マテリアルの選択とマッピングにまで及んでいるのである。しかも、近代のメソッドとは明らかに異なる身体的・官能的な尺度を前提にしたロース特有の素材感覚で、境界が被覆され、空間が形作られているのである。「ラウムプラン」には、機能やプログラムに対する、視覚や触覚といった官能の優位性が秘められているのである。

8──アドルフ・ロース《ルーファー邸》立面図 出典=『建築文化』2002年2月号

8──アドルフ・ロース《ルーファー邸》立面図
出典=『建築文化』2002年2月号

9──同《ミュラー邸》内観 出典=アドルフ・ロース『装飾と罪悪』

9──同《ミュラー邸》内観
出典=アドルフ・ロース『装飾と罪悪』

官能的な容器

これらを図式化してみると、まず、全体を被う閉じた境界があり、その内部に、属性から解放された境界(床・壁・天井)が折り畳まれていくようなものになるだろう。そして、それぞれの境界が、表裏の一貫性に捕われることなく自由に操作の対象となり、内側の被覆は内部に向かって、外側の被覆は外部に向かって、常に観察者のいる側の視線を受け止める官能的な「容器」となっているといえる。
このように見ていくと、ロースの住宅が現代において極めて示唆的であることが分かる。境界面における被覆と構造の分離は、境界の表裏をデザイン操作の対象として解放しているといえるし、空間の内部を立体的にかつ自在に分節していく手法は、それぞれの境界を属性から解放し、床であること、壁であること、天井であることから離れて、これらの境界を自在に操作できる可能性を示しているといえるだろう。さらに、「ラウムプラン」が生み出す三次元的でシークェンシャルな構成は、空間の内部に動的な視点を導入し、視覚をはじめとした官能的な尺度を空間決定因子として復権させるものであるといえる。

被覆と孔

ここで、境界という概念を少し整理しておきたい。境界とは言うまでもなく、あるものとあるもののさかいを意味する。紙の上で線を引けば、それは線の右と左、あるいは上と下を区分する境界となるのだが、この線を交差させることなく延長し、描きはじめた点に結べば、ひとつの閉じた曲線になる。このとき、紙の上に二つの領域が生まれる。閉曲線の内側の領域と外側の領域である。これを三次元に拡張したものを境界面とし、それによって境界付けられた閉じた空間を「容器」と呼ぶことにする。これを、そのまま建築の空間に置き換えてもあまり意味がない。建築において、境界は常に、内部と外部がどこかで接続しているものであるからである。中に入れない空間も、外に出ることができない空間も、建築と呼ぶことはできない。これを敷衍すると、容器的に見える空間の中で建築を峻別する点は、接続箇所の有無、すなわち開口の有無にあるといえる。さらに、これは閉じた空間に孔をうがつことこそが建築であるという、境界を介した空間の論理へと展開する★八。孔をうがたれた境界面、すなわち「空間を境界づけ、外部との連絡のための孔をもった被覆」★九、これが原広司の有孔体のモデルである[図10]。
原の提出した有孔体の理論は、空間操作を「孔」という明示的な結果で示すものだったが、その背景には、後に「部分と全体の論理」や「均質空間論」として展開される空間批判、すなわち近代社会のシステムと、それに応答し、状況を助長する近代建築への批判があった。
「箱型の建築や、形式が優先される建築は、内的な組織、あるいは空間を被覆する性格をもっている。被覆性は、現代建築の特性であるばかりではなく、現代文明の特色でもある」★一〇。
ここでは、被覆とは組織であり、全体を示すシンボルであり、外との関係を単純化し、それ自体で完結しようとするものである。その被覆を取り払うのではなく、それに対して孔をうがつということは、これらの社会的な前提を不可避のものとして認めながら、選択的に被覆を開放し、閉塞した状況を打破していくという意志を表わしている。
一方、ロースが空間を「被覆する」という場合には、身体を包み込む衣服、あるいは皮膚、あるいは樹皮といったアナロジーが持ち出される★一一。ロースにとって、被覆は外部から守られた安全な内部を作ることである。つまり、被覆=外部との境界は、身体を包み込み、外部から身を守る原初的なシェルターである。それゆえに、容器として閉じていることが重要であった。身体を包み込む容器に、外部が侵入するような開口は本来的に求められない。ロースにとって住宅は、外部から逃れ、身を潜めることができるアジールでなければならないのである。マンホールにまで喩えられた窓の無装飾性は、こうした論理の結果であると見てよいだろう。ここで、前出したロースの「被覆の原則について」の抜粋の中に、幾度も「ジュータン」が現われていたことを見直してもらいたい。ロースの被覆は、柔らかく身体を包み込む肌触りの良い被覆でなければならなかったのである。
原のうがつための被覆と、ロースの閉じるための被覆。被覆を巡る両者の違いは、開口部を巡るデザインの差異としてあからさまに現われている。その差異の中でも共通していることがある。被覆を自立的に操作していることである。

10──原広司、有孔体の世界 出典=原広司『住居に都市を埋蔵する』

10──原広司、有孔体の世界
出典=原広司『住居に都市を埋蔵する』

内部へのまなざし

「有孔体は、内部空間の要請にしたがって形態が決定される。つまり有孔体の外形(被覆)は内部空間の反映である」★一二。
有孔体のモデルがいびつな形状をしているのは、内部空間の質的な差異をできるだけ操作することなく、外貌に表わすという原則による。そこには、内部で起きる出来事の遍在性や空間に対する諸要求の違いなどが当然ある、ということが前提になっている。
「内部空間に対する要請は、本来、均質的ではない。それぞれ特異な空間が要請されるはずである」★一三。
内部空間においては、本来的にそれぞれ特異な空間が要請されるはずであるという、前提が、内部空間の要請から外形へ、というデザインプロセスとして表われているのである。さらに、これは部分(内部からの要請)から全体(外形)へという論理に接続されていくというように見ることができるのである。しかし、被覆の形態を巡る原則は、有孔体のモデルから反射性住居へと移行する時に見え掛かり上、大きく変化している。住宅を境界付ける被覆について、その外形を「慣習的な住居の外観。あるいは、周辺で目立たない外観」★一四へとシフトさせているのである。その一方で、境界面を外部と内部の反転装置に置き換え、内部の中心軸を境にして、線対称に空間を配列させる方法が取られている。《粟津邸》(一九七二)[図11]や《原邸》(一九七四)[図12]、「菊地邸計画案」(一九七七)[図13]を見れば、その構成が理解されよう。ここで明解になるのは、被覆がこの操作を行なう範囲を規定していると同時に、内外の反転のための装置となっていることである。ファサードとして用意されるべきヴォキャブラリーが、被覆=境界面を境に内部に反転しているのである。
外部に対する抑制された表現と、内部に対する極めて操作的な表現が同時に存在する手法。この点では、《ミュラー邸》や《モラー邸》で展開された、装飾を剥ぎ取られた被覆の表現とラウムプランによる立体迷路のような内部の空間が連想される。表層的な類似性に惑わされずに、境界上で行なわれたオペレーションだけを見れば、反射性住居も有孔体のモデル同様、ロースの操作とはやはり逆のベクトルを向いていることが分かる。境界にうがたれた孔によって、外部と接続することと、外部を反転させて内部へと写し込むことは、ロースの絶対的な容器性に対しては同相のものであるといえる。原はあくまでも境界面を介して外部との関係を構築したのである。しかし、両者には共通することがある。それは、外部、すなわち都市あるいは社会構造に対して、極めてラディカルな態度を取り、それを境界上で強く表現しているのに対して、内部、すなわち内包される身体、家族、出来事、そしてそれらの起こる場、などに対して、これらが空間に多様な要請を行なってくるということを、同じように疑わなかった点である。正確に言うなら、住居の内部が非均質であることが、異なる方法は採っていても、同じように境界上の操作の前提になっていたのである。そうでなければ、ロースのあの豊饒な室内空間は説明できないし、また、原の有孔体も、反射性住居も、被覆に対する過剰なまでの操作を説明することができない。住宅において今、変わりはじめているのは、この前提なのである。

11──原広司+アトリエφ《粟津邸》1972 出典=原広司『住居に都市を埋蔵する』

11──原広司+アトリエφ《粟津邸》1972
出典=原広司『住居に都市を埋蔵する』

12──同《原邸》1974 出典=原広司『住居に都市を埋蔵する』

12──同《原邸》1974
出典=原広司『住居に都市を埋蔵する』

13──同「菊地邸計画案」1977 出典=原広司『住居に都市を埋蔵する』

13──同「菊地邸計画案」1977
出典=原広司『住居に都市を埋蔵する』

空白の容器

伊東豊雄の《アルミの家》(一九七一)[図14・15]は、七〇年代に『都市住宅』の誌面を飾った住宅の中でも異色な存在である。アルミの外壁を全面的に建物の被覆に用いたデザインは、当時にあって、十分に未来的であっただろうし、閉じた容器を思わせる外観に二本の光の筒が伸びるあたりは、極めて有孔体的でもある。しかし、ここで注目したいのは、その内部である。平面を見てわかる通り、明らかに被覆の形態は内部の要請から決められていない。さらに言うと、平面からも断面からも、この住宅の内部の使われ方が見えてこない。わかることは、この平面に給排水設備を集約したコアがあり、およそ合理的な区切り方をしていない間仕切りがあることぐらいである。それは、まるで小規模なオフィスビルの基準階プランのようである。確かに、この住宅を外界から切り分けている被覆は、変化に富んだ表情を見せている。しかし、この住宅には境界を介して外部と対峙するはずの内部がない。家族と空間の関係、そして、そこで繰り広げられる出来事などを想像した時、この空間のどこにもその気配がないと同時に、どこででもそれらが対応しえるということがわかる。もっと分かりやすく考えるためには、この平面を矩形に見立てればよい。この住宅の内部は、ここまで紹介してきた住宅とは決定的に異なっている。この住宅の内部は空白であり、均質なのである。
今や、住宅の空間は明らかに均質化している。しかし、これは中で起こる生活が単調で画一化していくことを示しているのではない。中で繰り広げられる出来事や生活は、恐らく将来にわたっても多様であり、変化に富んだものであるだろう。このことは、住宅だけではなく、最も空間が均質化しているオフィスビルでも同じである。しかし、もはや住宅においてさえも、これら建築内部の諸事情が、空間に対して多様な要請をしてこない。つまり、内部のプログラムが、住宅においてさえも、空間へのリクエストを出してこない状況になりつつあるのである。つまり、住宅の内部は本質的に均質ではない、という神話が崩壊しつつあるのである。
住宅の内部が均質化していくことは、暴力的な強度を持つことかもしれない。これが示すものは、住宅におけるロマンティシズムの終焉である。私はこれを受け入れるべきだと考えている。ただしかし、ここから先が見えていない。一体、住宅の内部が均質化する先に何があるのか、即物的な操作の痕跡だけが境界上に残るのか。設計の実践者として、その行方を提示していかなければいけない。それゆえに、住宅を設計する手をしばしば止めることになる。
こうしたことを受動的に言うべきではないのかもしれない。建築家の側が、住宅内部のプログラムを引き受けない状況になってきているというべきだろうか。それゆえに、ますます、住宅をめぐる議論は境界の操作へと集約されてきていると言えるのではないだろうか。空間の容態、あるいは空間性こそが議論されるべきであると、反証する人もいるだろうが、この「空間」こそが、境界の操作の結果物なのである。この論考で見てきた、アドルフ・ロースの境界面をめぐる作法は、再びアクチュアルになってくるのかもしれない。また、原の境界をめぐる言説は、これらの操作にまつわる道具立てを定義し、そこを舞台にした思考のプロセスを示し続けることになるのかもしれない。それゆえに、私たちはこれらの作品群に対する注意を払い続けるべきであろう。しかし、技法や論理を見ることができたとしても、ポスト・ロマンティシズムの住宅の行方は私たち自身が提示していかなくてはならないのである。

14──伊東豊雄《アルミの家》1971 断面図 出典=伊東豊雄『風の変様体』(青土社、2000)

14──伊東豊雄《アルミの家》1971 断面図
出典=伊東豊雄『風の変様体』(青土社、2000)

15──同 平面図(左:2F、右:1F) 出典=伊東豊雄『風の変様体』(青土社、2000)

15──同 平面図(左:2F、右:1F)
出典=伊東豊雄『風の変様体』(青土社、2000)


★一──ビアトリス・コロミーナ「自己顕示としての住宅」(『二〇世紀の建築』、デルファイ建築研究所、一九九八)。
★二──原の近代建築史観において際立っているのは、近代の本質を関係性や機能性ではなく「均質空間」に置いた点である。原自身は一貫して均質空間批判を展開するのだが、ここで提出された「均質空間」という概念は現在でも乗り越えがたい強固なものである。中でも、近代の空間概念を機能から切り離した以下のくだりは、本論を通じて示唆を与え続けている。
「機能を口にすれば、建築家がなんらかのかたちで生活を想定してしまう。つまり、なんらかのかたちで建物の使用法を決定してしまう。より具体的にいえば、建築家が人間とは、社会とはと問うた解答が、優れた建築家であればあるほど、露骨に表現されるという事態になる。これが近代の社会に迎えられる筈はない。設計者にとって、もともと無理な課題である。こうしたことどもを決定するのは支配階級である。いってみれば、建築の管理者の権限に属する事項である。人間はと問うて、この問いは、ある程度でやめなければならない。機能に執着する建築家は、その閾をこえて建築像を描いたふしがある。当然、近代建築の勝利者にはなれなかった。この場合勝利とは支配的になることの謂である。
近代の勝利者は、おしなべてこの危険な問、人間はを発しない側からでる。そのためにはいかにすればよかったろうか。人間はと問わないですますには、機能を捨てさえすればよい。建物の使用法を支配階級の手に委ねさえすれば問題はない。使用者は誰であるかと問わない建築こそ、近代が歓迎する建築のはずである。使用者を問い、使用者の生活の理想状態を想定せざるをえなかった建築家たちは、それ故多様に拡散し相対化してしまった。そして機能を問わない建築家の集団が、ひとつの空間形式を発見し、普遍化させる。比喩的に言えば、機能を排除した建築家は座標をえがき、機能にこだわった建築家は、その座標のなかに思い思いのグラフをかきこんだのである。この座標が均質空間であった」(原広司「均質空間論」[『空間〈機能から様相へ〉』、岩波書店、一九八七]三六─三七頁)。
★三──アドルフ・ロース「被覆の原理について」(伊藤哲夫訳、『装飾と罪悪』、中央公論美術出版、一九八七)二九頁。
★四──アドルフ・ロース「郷土芸術について」(前掲書)一二五頁。
★五──アドルフ・ロース「被覆の原理について」、三〇頁。
★六──磯崎新「この時代にこそ、ロースは語られるべきである」(『建築文化』二〇〇二年二月号)二五頁。
★七──後藤武「同時性:ラウムプランについて」(『建築文化』二〇〇二年二月号)九六頁。
★八──境界論には以下のようにある。「はじめに、閉じた空間があった──と私は発想する。この閉じた空間に孔をうがつこと、それが則ち生であり、則ち建築することである」(原広司、前掲書、一三三頁)。
★九──原広司『建築に何が可能か』(學藝書林、一九六七)二〇〇─二〇一頁。
★一〇──原広司、前掲書、一九〇頁。
★一一──アドルフ・ロース「被覆の原理について」。
★一二──原広司、前掲書、二〇一頁。
★一三──原広司、前掲書、二〇一頁。
★一四──原広司『住居に都市を埋蔵する』(住まいの図書館出版局、一九九〇)九四頁。

>山中新太郎(ヤマナカ・シンタロウ)

1968年生
山中新太郎建築設計事務所主宰、日本大学理工学部助教。建築家。

>『10+1』 No.28

特集=現代住宅の条件

>CIAM

シアム(Congrès International d'Architecture...

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>原広司(ハラ・ヒロシ)

1936年 -
建築家。原広司+アトリエファイ建築研究所主宰。

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>後藤武(ゴトウ・タケシ)

1965年 -
建築家。後藤武建築設計事務所主宰。