田中純
彰国社、2000年9月、340ページ
ISBN=9784395005802
[都市の表象分析 16]
ヴェネツィアにほど近いパドヴァの街の中心に、転倒した船の船底のような屋根をもつパラッツォ・デッラ・ラジォーネは建つ。「サローネ(大広間)」と呼ばれる巨大なホールを二階に有するこのパラッツォは、一二一八年から翌年にかけて建造され、幾度もの焼失と破壊をくぐり抜けてきた。サローネのほの暗い空間を囲む壁面は四方びっしりと、占星...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.2-11
[都市表象分析 31]
...書き進められた『ミース・ファン・デル・ローエの戦場──その時代と建築をめぐって』(彰国社、二... ...ンガーの写真である。そこでは墓石が超高層のモデルであり、超高層は墓石に過ぎない。 このとき、磯...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.2-11
[都市表象分析 7]
1 非正規性のグローバル化 二〇〇一年九月一一日、アメリカ合衆国を襲った同時多発テロは、六〇〇〇人にのぼると言われる犠牲者を出し、ニューヨークとワシントンの両都市に大きな傷跡を残した。合衆国国民のみにはとどまらない犠牲者や事件に巻き込まれた人々一人ひとりの恐怖と苦痛は想像を絶している。合衆国の経済と政治(国防)の「象徴...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.2-11
[都市表象分析 11]
一、大虐殺の「イメージ」 「一九世紀の首都」パリを舞台に、近代の原史を回想過程で立ち現われるイメージに結晶化させようとした試みがヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』であったとすれば、都市表象分析が想起すべき「二〇世紀の首都」とはどこだろうか。いや、そもそも都市の記憶を通して歴史のイメージを浮かび上がらせようとするア...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.2-12
[都市表象分析 8]
1 テロリストたちの夢と遠隔科学技術(テレ=テクノロジー) 対米同時多発テロの首謀者とされたウサマ・ビンラディンとその組織「アルカイダ」、および彼らをかくまっているタリバンを標的として始まった、アメリカ合衆国軍と反タリバン勢力の攻撃は、二〇〇一年一二月一六日現在、アルカイダをアフガニスタン南東部の山岳地帯に封じ込め、最...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.2-9
[都市表象分析 9]
1 都市の誕生と兄弟殺し 古代ローマにおける「まち」の理念をめぐって、ジョゼフ・リクワートは、ローマという都市の創建にまつわる物語に言及している。それはプルタルコスの『ロムルス伝』にある、双子の兄弟レムスの死に関するものである。 ロムルスがそこに市壁の基礎をすえることを予定していた溝を掘っていたときに、(レムスは)そ...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.2-10
[都市表象分析 19]
1 雪岱の東京 ゆきて還らぬなつかしい面影──。 鏑木清方が『小村雪岱画集』に寄せた言葉である。 雪岱は泉鏡花作品の装幀挿絵で知られている。独特に様式化されたその美人画から「最後の浮世絵師」と呼ばれる一方、邦枝完二の『おせん』、『お伝地獄』といった新聞小説のために描いた単色挿絵には、オーブリー・ビアズレーに通じる感覚も...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.2-12
[都市表象分析 27]
カメルーンの熱帯雨林に棲息し、トメンテラ属菌類に寄生されて額から釘のような突起物を生やした「異臭蟻」メガロポネラ・フォエテンス、あるいは、イグアスの滝近くの保養地で神経生理学者ジェフリー・ソナベントが着想したという記憶理論のモデル、あるいは、分厚い鉛の仕切り壁という罠に捕らえられた特殊な鼻翼をもつコウモリ、「小さな悪魔...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.2-12
[都市表象分析 20]
1 「都市とその起源」 写真家畠山直哉には、石灰石鉱山を扱った連作《ライム・ヒルズ》(一九八六─九〇)、《ライム・ワークス》(一九九一─九四)、《ブラスト》(一九九七─九九)がある。《ライム・ヒルズ》は採掘場、《ライム・ワークス》は石灰精製工場およびセメント工場を被写体とし、《ブラスト》は石灰岩の山をダイナマイトで爆破...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.2-12
[都市表象分析 6]
1 断片と箱の時代 たとえば、ロンドンのウォーバーグ研究所にあるヴァールブルク・アーカイヴには、美術史家アビ・ヴァールブルクが一生の間書きためたメモや手紙、新聞の切り抜きなどを収めたカードボックスが何十個も保管されている。主著と呼べるものを残さなかったヴァールブルクの思考の全体像はこうした紙切れの類から読み取るしかない...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.2-10
[都市表象分析 17]
1 ポリス成立のディアレクティカ 西洋における「政治」の成立は古代ギリシアにおける都市国家(ポリス)の創建と深く関わっている。文字通り『政治の成立』と題された木庭顕の著作は、紀元前八世紀後半のギリシアで生じ、ポリスと政治を生むこととなった社会変動の論理を緻密に再構成している★一。それによれば、「政治」なるものの概念(厳...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.2-11
[都市表象分析 23]
1 類似の存在論 ロジェ・カイヨワは『神話と人間』のなかで、「動物界の二つの分岐した進化、すなわち、それぞれの進化が人間と昆虫に帰結するような、もっとも完成した進化の二つのモデルを比較するなら、両者の間の、端的にいえば、一方の行動と他方の神話との間の対応関係を求めることは、無暴(ママ)ではないはずである」と主張している...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.2-8
[都市の表象分析 13]
1 英雄というプレテクスト ニューヨーク世界貿易センター(WTC)跡地利用をめぐっては、選出された七つの建築家チームによる九つの計画案が二〇〇二年一二月一八日に発表された。展覧会や集会を通し市民の意見を広く集めたうえで、翌年の二月四日にローアーマンハッタン開発公団(LMDC)とニューヨーク・ニュージャージー港湾局は、案...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.2-11
[都市表象分析 10]
1 類推の魔とノスタルジア 第二次世界大戦後間もないころ、東欧の若い建築家ボクダン・ボクダノヴィッチ(のちのベオグラード市長)は、気晴らしに夢の都市の平面図や鳥瞰図を描くことを習慣にしていた。彼は連想のおもむくまま、それまで目にしたことのあるあらゆる都市の美しい街路や広場、建物などをそこに集めたという。のちにエジプトの...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.2-10
[都市表象分析 15]
1 聖別と抹消 ロバート・ケーガンの『ネオコンの論理』をはじめとするアメリカ新保守主義では、アメリカ合衆国は「万人の万人に対する闘争」の状態にある世界というホッブズ的な現実を意識し、そこに秩序をもたらす武力という要因を重視するのに対し、ヨーロッパはそうした苛酷なパワーポリティクスを忘れて、カント的な永久平和の楽園に暮ら...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.2-11
[都市表象分析 28]
1 都市の軟体動物 よく知られているように、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルはダニの生活史を記述するにあたって、ダニを取り囲む世界はダニ固有の「環境世界」に変化されている、と指摘した。この環境世界は、哺乳類の皮膚腺から発散される酪酸の刺激という嗅覚的標識、それに応じて落下したダニが哺乳類の毛に接触して得る触覚的標識、そし...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.2-12
[都市表象分析 25]
1 写真という仮説形成の場 写真家森山大道が新宿を彷徨いながら行なう撮影行為は、さながら狩りに似ていた★一。荒野のような、あるいはアジールとしての森に似た都市空間で、写真家は犬に変身する。そこがアジールであるとは、裏を返せば、この森林がヴァン・ジェネッブの言う「中立地帯」であって、誰もが通過し狩りをする権利をもつ原生林...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.2-13
[都市表象分析 29]
死んでみたまへ、屍蝋の光る指先から、お前の靈がよろよろとして昇發する。その時お前は、ほんたうにおめがの青白い瞳(め)を見ることができる。それがお前の、ほんたうの人格であつた。 ひとが猫のやうに見える。 「Omega の瞳」 1 郷愁の玩具 萩原朔太郎は写真撮影を趣味にしていた。ガラス乾板を中心に一〇〇枚近い写真原...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.2-14
[都市表象分析 30]
1 音の海 この連載で過去三年間にわたって発表してきた論考は『都市の詩学──場所の記憶と徴候』という書物にまとめられて刊行される予定である(東京大学出版会より近刊)★一。ここでは、この書物の主題のいくつかをあらたな文脈に置き直して変奏することにより、そこで得られた展望について語ってみたい。 わたしは海にいる夢を見てい...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.2-10
[都市表象分析 32]
1 写真論と路上観察 前回述べたように、「非都市の存在論」として始められた連載は、ベンヤミンの言う「弁証法的形象」としての両義的寓意を都市に発掘する作業へと重心を移すことにより、徐々に「都市表象分析」へと接近していった。そのきっかけとなったのが、都市写真の分析である(「光の皮膚の肌理」参照)。写真が都市の視覚的無意識を...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.2-10
[都市表象分析 12]
一、「アメリカのイコン」 二〇〇一年九月の同時多発テロによって崩壊したニューヨーク世界貿易センター(WTC)跡地では、二〇二年五月三〇日に犠牲者の遺体捜索と瓦礫撤去の作業打ち切りが宣言され、その終了式典がおこなわれた。これによってこの土地は、再開発へと向けて動き出すことになった。 WTC跡地利用計画の実施主体となって...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.2-12
[都市表象分析 21]
1 闇の官能化 女優杉村春子を偲んだ文章のなかで、映画監督ダニエル・シュミットは、「映画館とは姿を消すひとつの技法である」と語っている。 「暗闇のなかにまぎれ込んでしまえば、目に見えなくなる。独りで映画館に行き、その映画をわがものにする──見終わったあと、それについて話す必要さえなければ。この神秘は決して長くは続かない...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.2-11
[都市表象分析 18]
1 建築の「情念定型」 アルド・ロッシの『学としての自伝』(邦題『アルド・ロッシ自伝』)は、この建築家の記憶のなかの断片化されたイメージが、夢のメカニズムにも似た類推と圧縮をへて、さまざまなプロジェクトに結実するプロセスを内観するように自己分析した著作である。そのプロセスが奇妙なのは、プロジェクトが時間の進行のなかで営...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.2-12
[都市表象分析 22]
1 無意識都市のダイビング ジョージ・キューブラーは著書『時のかたち』で、通常では単体と見なされる事物の各構成要素がそれぞれ異なる年代に属している場合がありうることに注意をうながしている。長い年月にわたって建造された建築物などがそれにあたる。キューブラーは、あらゆる事物は異なる「系統年代(systematic age)...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.2-12
[非都市の存在論 12]
1 スフィンクスの都市論 「都市の紋章」と題されたカフカの短篇がある。その物語はこの作家の読者にとってお馴染みの主題であるバベルの塔の建立をめぐって書き起こされている。そこではまるで何世紀かかってもかまわない工事であるかのように、道案内や通訳、労働者の住宅、道路網の配慮がなされる一方で、塔そのものについては定礎式すらで...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.10-19
[都市表象分析 26]
1コンゲンカードの寓意 中谷礼仁を中心とする都市連鎖研究体は、古今東西の都市の上空写真、町並みの写真、集住形態、そして建築家による都市・建築作品などのサンプリングにより、都市的建造物と人間との間に発生する根源的な関係性を示す六つのダイアグラムを発見している。それらは六枚の「コンゲンカード」で表わされた★一。そこで基本的...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.2-12
[都市表象分析 3]
1 ナポリ──壊れたもの 一九二〇年代、ナポリ、ポジターノといった南イタリアの町やカプリ島にはドイツの知識人たちが経済的な困窮を逃れて移り住んだ。一九二三年一〇月にレンテンマルクが導入され、経済に安定が回復されたドイツにあっては、むしろ、それ以後にこそ、こうした「知的放浪プロレタリアート」★一の移住が強いられた。そんな...
[都市表象分析 14]
1 都市の雛型 アントニオ・ネグリ/マイケル・ハートは、二〇世紀末に現われたグローバルな主権形態を〈帝国〉と定義している(『〈帝国〉』)。〈帝国〉は空間的にも時間的にも境界を欠いており、領土上の特定の地域に限定されない、歴史の外部ないし終わりに位置するような体制にほかならない。 このように脱中心的で脱領土的な支配装置こ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.2-11
[都市表象分析 2]
1 家族の警察 一九九九年、埼玉県の女子大生が交際関係のあった男性とその実兄らによって中傷ビラを撒かれるといった嫌がらせを受けた挙げ句、桶川駅前の路上で刺殺された。上尾署の担当警官は、ストーカー被害に関する被害者や家族の告訴を取り下げるよう要請したほか、調書の改竄すらおこなっていたという。この事件を典型として、民事不介...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.2-9
[対談]
神経系都市論の問題設定 田中──今回の特集は「神経系都市論」という耳慣れないタイトルをつけていますが、どういう発想で考えたかについて話したいと思います。キーワードのひとつは「テクスチャー」「皮膚」です。いわば「都市の形態学」という視点で歴史研究をしている歴史工学家の中谷礼仁さんが中心になって、今年の四月に「都市つくるモ...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.54-69
[批評]
1 路上という〈驚異の部屋(ヴンダカンマー)〉 松山巖は著書『群衆 機械のなかの難民』の最終章で、丹下健三が一九八三年に篠原一男との対談で情報化社会における建築のイメージとして語った、〈ノリのような建築〉という言葉に注目している。丹下はそこで、情報化社会を意識し始めた一九六〇年ごろから、それまでさらっとしていた空間が...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.133-143
[論考]
1 身体・イメージ空間の襞 一九六〇年代にマーシャル・マクルーハンが『メディアの理解』で電気メディアを身体外部への中枢神経系の拡張であると述べるのに先だち、二〇世紀初頭のゲオルク・ジンメルやヴァルター・ベンヤミンの都市論は、近代都市の経験が人間の神経に及ぼす作用を通じて、都市における人間身体を一種のサイボーグととらえる...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.70-79
[非都市の存在論 1]
1 都市から非都市へ すでに百年以上にわたって、〈社会〉に関する学は〈都市〉に憑かれてきた。いやむしろ、それは都市の分析を通じてこそ、おのれの固有の問題領域である社会を発見したのだった。そして、そのような社会とはあくまで近代の社会である。社会学にとって都市とは、近代という時代の本質が露呈される場だった。マックス・ウェー...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.16-27
[非都市の存在論 2]
1 写真都市 ── 起こりえない事件の現場 ユジェーヌ・アジェのパリからウィリアム・クラインのニューヨーク、荒木経惟の東京まで、あるいは無名の観光写真、絵はがき写真にいたるまで、〈都市〉は写真というメディアの特権的な主題であり続けている。いや、むしろこういうべきだろうか。近代の都市は絶え間なく、〈写真〉へと変容すること...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.16-27
[批評]
1 軸線と権力 一九八〇年から続けられているダニ・カラヴァンのプロジェクト「大都市軸」[図1]は、パリの西北に位置する町セルジ・ポントワーズに設置された一二の滞留地点からなる、大地への全長三キロに及ぶ直線の書き込みである。夜間にはこの滞留地点の端と端がレーザー光線で結ばれ、パリに向けて延びる軸の存在を可視化する。このよ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.92-103
[対談]
〈線〉の思考あるいは「郵便空間」への接続 田中──本号の特集テーマには、面積をもたず、かつ点ではない、つまり運動の軌跡であり、明確な領域性をもたない非場所的な対象として「線」を選びました。具体的な都市空間で考えれば、それは道路やパサージュ、アウトバーン、鉄道、地下鉄などの交通空間に対応します。そうした交通空間は多くの場...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91
[翻訳]
序アメリカのカンパニ─・タウン アメリカのカンパニ─・タウンは当初から労働者と資本家の間の闘いの場だった。初期の町がまず何よりも〈工業化された風景〉であり、その構造と形態はテクノロジ─上の必要性と労働力の利用度に従っていたのに対して、一九世紀末までには、労働力の管理こそが率先して考慮すべき事柄になった。ストライキの数...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.110-118
[批評]
1ベルリン──〈零年〉の都市 「場所の諸問題」をテーマとした一九九四年のAnyコンファレンス〈Anyplace〉において、イグナシ・デ・ソラ=モラレス・ルビオーは「テラン・ヴァーグ」という発表を行なっている★一。〈テラン・ヴァーグ〉とは都市内部における、空虚で占有されていない、不安定で曖昧な性格をもつ場所をさす。ソラ=...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.46-60
[翻訳]
...
『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.228-243
[対談]
都市の政治学=社会学と均質空間 田中── 今回の特集は「メディア都市の地政学」と題しています。空間的な距離を無化するテレコミュニケーションが普及することによって、グローバルな政治空間が生じている時代だという認識が現在共有されているとして、そのとき都市的なもの、あるいはポリス的=政治的なものが被るジオポリティカルな、地政...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.62-77
[批評]
1:例外状態の建築家たち 一九九七年三月にベルリンでAnyone Corporationの主催により、「ヴァーチュアル・ハウス」をめぐるフォーラムと設計競技が開かれている。参加建築家は伊東豊雄、アレハンドロ・ザエラ=ポロ、ジャン・ヌーヴェル、ピーター・アイゼンマン、ヘルツォーク&ド・ムーロン、そして、ダニエル・リベスキ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.94-104
[翻訳]
〈オーストリアの終焉(Finis Austriae)〉は過密した点を表わす。その結果として、オーストリア文化と二〇世紀のヨーロッパ文化双方においてそれは、マルチメタファーの形でこそ存在する。最も直接的にそれが示すのはハプスブルク帝国終焉の年月と戦争、そしてその余波のうちの社会状況であり、これは騒然とした崩壊過程であって...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.245-262
[非都市の存在論 3]
1 Modernologio──〈現在〉の考古学 首都東京を壊滅させた一九二三年の関東大震災は、欧米における第一次世界大戦に対応する歴史の断絶をもたらした。そして、この震災後の日本の一九二〇年代は、独自なモダンな都市の学を生み出している。今和次郎らの〈考現学〉がそれである。よく知られているように、今和次郎ははじめ柳田國...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.16-27
[非都市の存在論 11]
1 二つの扉 一九八八年七月二三日の深夜、オーストリアのザンクト・ペルテンで屋外展示されていたジョン・ホワイトマンの仮設建築作品「二分割可能(Divisible by 2)」が何者かによって爆破された★一。この作品は首都の誕生」展開催に合わせてシカゴから移設されたものであった。ザンクト・ペルテンは一九八六年にウィーンに...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.15-26
[非都市の存在論 10]
1 夢のなかのシナ インターネットを通じた情報交換の増大を背景として、文字コードの国際的な統一化が進行している。この標準化は国際電気標準会議(IEC)、国際標準化機構(ISO)、および国際電気通信連合(ITU)の三機関の協力によって進められており、一九九三年には〈国際符号化文字集合(UCS)〉の一部として、標準規格IS...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.9-21
[都市表象分析 24]
1 都市の通過儀礼──パサージュから無用門へ 境界は異人たちの棲み処だった。橋や坂には遊女や乞食、呪術遣い、卜占師、芸能者といった異類の人々が群れ棲んでいた。橋は「端」、坂は「境」を含意する。そこはひだる神や産女(うぶめ)といった神霊や妖怪が出現する他界との接点であり、この場を守護するために、坂神や橋姫といった神々がそ...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.2-12
[都市表象分析 1]
1 墓地という劇場 インターネット上に建立された墓、「サイバーストーン」と呼ばれるプロジェクトがある。発案者である松島如戒によれば、その発想の原点には、ヒトを除くすべての生命体は、生を終えたのち、生態系に還元されてゆくのに、ヒトだけが死後、墓というスペースを占有しつづけることが許されるのだろうかという疑問があった。発...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.2-11
[都市表象分析 4]
1 蜂起機械と暴力の神 一九九九年に刊行された福田和也による奇妙な書物『日本クーデター計画』には、「自由の擁護者たちに捧げる」という献辞につづけて、クルツィオ・マラパルテの『クーデターの技術』から、次のような一節がエピグラフとして掲げられている。 あのばかばかしい伝説によれば、今日の、また将来のありとあらゆる革命の責...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.2-13
[非都市の存在論 9]
あのころ、早くも私たちの街は慢性的な薄暮の灰色のなかにますます沈みがちになり、街を取り巻くあたりは、暗黒の湿疹、綿毛の生えた黴、鉄色の苔で覆われていった。 ブルーノ・シュルツ「魔性の訪れ」★一 1 商品フェティシズムの宇宙 クエイ兄弟の人形アニメーション映画『ストリート・オブ・クロコダイル』(一九八六)では、〈木製の...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.12-24
[非都市の存在論 8]
1 サイファーパンクのフェティシズム hIwDM/OfwL7gnVUBBACUhies4/fE/gh3h7g3xNAtQN0In6LuRBxZlwiN /MVOfgcv LEHPart9UQHrgp8b9w76r2JPqBCw83BSVaaj8ZdHsTQrj7UeRxSdTRCeRNsl3EgQ R19O...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.18-29
[非都市の存在論 4]
1 サイバースペースと建築──流体的アナモルフォーズの罠 ヴァーチュアル・リアリティ、サイバースペース、サイバーアーキテクチャーと、どのように呼ばれるのであれ、コンピュータとそのネットワーク上に形成される空間、ないしは空間的構造関係の構築を〈建築〉の課題として語ることが現在のモードであるらしい。そのような前提に立つなら...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.16-27
[非都市の存在論 5]
1 密室パラドクスと推理小説のエコノミー フレドリック・ジェイムソンは市民社会におけるブルジョアのプライヴァシーがもつ逆説的性格について次のように述べている。 市民社会とは、社会によって生み出され、まさにその社会構成体が機能していくうえでの重要な一部分を成す、根本的に非公開・非社会的な空間という経験と概念の哲学的パラ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.14-25
[非都市の存在論 6]
1 啓蒙都市とグラフ理論 トポロジーの一分野をなすグラフ理論が生み出されたきっかけの一つが、〈ケーニヒスベルクの七つの橋〉の問題である。それは一八世紀、東プロイセンの町ケーニヒスベルク(現在のロシアのカリーニングラード)の中心部、プレーゲル川の川中島とその周辺にあった[図1]のような七つの橋を、いずれも一回だけ通って周...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.18-29
[非都市の存在論 7]
1 都市と死──記憶のエクリチュール 建築家であり、かつてユーゴスラヴィアの首都ベオグラードの市長も務めたボグダン・ボクダノヴィッチは、旧ユーゴスラヴィア連邦一帯の戦争による都市の破壊をめぐって、それが〈他者の記憶〉の抹殺にほかならないことを指摘している。ボクダノヴィッチによれば、都市の概念とエクリチュールの概念とは大...
『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.16-27
[都市表象分析 5]
1 ゲルハルト・リヒター《アトラス》 ゲルハルト・リヒターの《アトラス》は、現在五千枚を越す写真や図版を収めた六〇〇を越えるパネルからなる作品である。その制作は一九六〇年代初頭から延々と続けられており、規模を拡大するとともに、展示形態も変容している。旧東独に生まれたリヒターは、一九六一年、西独のデュッセルドルフに移住し...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.2-9