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寓意への愛──都市表象分析の方法 | 田中純
For the Love of Allegory: Approaches to the Critique of Urban Representation | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義, 1999年03月発行) pp.10-19

1 スフィンクスの都市論

「都市の紋章」と題されたカフカの短篇がある。その物語はこの作家の読者にとってお馴染みの主題であるバベルの塔の建立をめぐって書き起こされている。そこではまるで何世紀かかってもかまわない工事であるかのように、道案内や通訳、労働者の住宅、道路網の配慮がなされる一方で、塔そのものについては定礎式すらできない状態が延々と続いている。なぜなら、塔を建立しようという偉大な思想の全容がいったん把握されたからにはそれが消滅することはありえず、人類の知識が進歩した将来に工事はより迅速に、優れた技術で進められるであろうと考える結果、いつまでたっても人々は工事に着手できないからである。「こんなふうに考えると、出せる力も出なくなって、塔の造築よりも労働者の住む町の建設に精をだすしまつであった」。世代を追うごとに人々は塔を建立することの無意味さをはっきりと自覚することになる。「かと言って、そのころはもうおたがいに切っても切れないほど密接な間柄になっていたから、町を出ていくわけにもいかないのであった」。
「この町でうまれたあらゆる伝説や民謡は、天から巨大な拳固があらわれ、とんとんと五度ばかり叩いただけで町はこなごなに破壊されるであろうと予言された日を待ちこがれる切ない思いにみたされている。この市の紋章に握りこぶしが描かれているのも、このためである」★一。
ある町の紋章をめぐるこの物語を、都市という存在そのものの寓話として読むことはできないだろうか。それが告げているのは、都市が決して実行されることのありえない、遅延された営みの副産物としてのみ生じるという逆説である。都市それ自体の建造はそこでは目的ではない。実現不可能な対象であるバベルの塔へと向けられた欲望が、この対象を現実化しようとすれば経験せざるをえない挫折を回避するためにたどる、その迂回路において生み出された剰余が都市であるにすぎない。言い換えれば、都市は事後的に発見されるのであって、計画的に作り出されるのではない。しかし、その住民は気づいてみれば「おたがいに切っても切れないほど密接な間柄」であるほど町に囲繞されてしまっている。人々が逃れがたい都市の存在を発見するころ、本来の課題であったはずの塔の建造はすでに忘れ去られている。そんな忘却を自ら罰するように、彼らは都市の崩壊を憧れるのである。
どんな都市もまた、このバベルの塔にも似た実現されなかった計画の痕跡を抱えた挫折の記録であったとしたら、われわれはその存在しない塔を都市のなかに探し求めることができはしないだろうか。この場で《非都市》と呼んできた対象とは、回避されることによって都市を副次的に生み出しているそのような虚構にほかならない。それは必ずしも偉大な思想であるとは限らない。いや、バベルの塔でさえ、時間の経過のなかでその無意味さをあらわにしていたのである。無意味であると知りつつ、あるいは完全に忘却されながらも、しかし同時にわれわれがその存在によって執拗に呪縛されている何かこそ、実現を切望される一方でそれを拒絶されているという矛盾のなかに立つこの虚構的な存在なのである。
われわれはそのような仮想的対象を探し求めながら、《都市》という寓意を読み解こうとつとめたのだった。いやむしろこう言うべきであろう。われわれのバベルの塔は、読み解きえない謎めいた寓意としてそこで発見されたのだ。近代の社会に関わる学が都市の解読を通じて自らの対象を構成したのに対して、われわれはそんな解読に抵抗する謎のただなかにこそ都市を探し求めようとした。《非都市》とはだから、都市に対立する存在ではなく、端的に言って都市自体の寓意的な相貌にほかならない。そして、寓意の本質とは、意味のなかに回収されない残余にこそ宿るのである。
ヴァルター・ベンヤミンの都市論にわれわれが学んだものは、都市へと向けられたこの寓意家のまなざしである。パリのパサージュとは事後的に発見された近代都市の寓意的な形象、ベンヤミンのいう《弁証法的形象》であり、その特徴をなすのは近代と古代がアナクロニックに隣接する両義性であった。『一九〇〇年前後のベルリンの幼年時代』から『パサージュ論』にいたるベンヤミンの都市論を貫いているのは、『ドイツ哀悼劇の根源』で分析されたバロック的寓意の記号論にほかならない。
『ドイツ哀悼劇の根源』における《寓意アレゴリー》は生ける意味と形象とが有機的に一体化した《象徴シンボル》に対比されて用いられた概念である。だが、この対立関係は一九世紀末にドグマ化したものであり、それ以前の例えばへーゲルの『美学講義』における《象徴》は、むしろここでいう《寓意》に等しく、形態と意味の間に部分的な不一致を必ず残した不完全な記号と見なされている。寓意画エンブレムの時代であるバロックの文化が執着したのは、しかしまさしくこの不一致にほかならなかった。ジョルジョ・アガンベンによれば、「エンブレムは実際、その時代、もっとも深遠な認識の企てとともに、もっとも内奥の不安にも委ねられた中心的な形象だった」という★二。そこで問題なのは外観と本質との一致ではなく、その不一致こそがより高い認識の媒介なのであった。それゆえに記号表現は固有の記号内容から限りなく異化された。あらゆるものが別のものを意味する限りでのみ真実とされ、別のものを表わす限りでそれ自身となった。すなわち、そこでは非類似が最高の類似を意味したのである。
へーゲルはスフィンクスを《象徴的なものそのものの象徴》と呼んでいる(『美学講義』)。象徴的なものとは《謎》である。スフィンクスは謎を語り、オイディプスはその謎を解くことによって、この怪物を深淵に突き落とした。アガンベンはしかし、謎めいたシニフィアンの背後に隠されたシニフィエを明らかにするというオイディプスの身ぶりは、スフィンクスの謎にとって非本質的なものでしかないと指摘する。象徴的な謎において暗号化されている何かを明晰なディスクールヘと解読した結果が答えであるといった理解は、象徴的なものの力をあまりに過小評価している。その傲慢さこそがオイディプスの罪なのだ。

《謎かけ》の《譬え話》はただ難解なだけではなく、語りの原初的なあり方なのである。迷宮やゴルゴン、またそのことを口にしたスフィンクスのように、謎とは実際は魔除けの領域、すなわち自らの中に無気味なものを引き寄せ受け入れつつも、同時にそれを拒否するという防御能力の領域に属しているのである。距離をとりながらもものごとの核心に達するという、迷宮のダンスのたどる隘路は、謎において表明されている無気味なものとの関係のモデルなのである★三。


スフィンクスの謎において言語化されているのは、つねに対象と距離を保つことによって対象に接近するという、欲望のこの逆説的な運動にほかならない。謎から答えへと向かう軸線上を直行するのではなく、謎めいた形象を通して《無気味なもの》、すなわちフロイトによれば抑圧を経て回帰した慣れ親しんだものへと、距離を保ちつつ近づくこの舞踏こそが寓意家のたどる道である。あらかじめ存在する解を目指して謎という問いが立てられるのではない。問題とは前もって与えられたものではないし、解のなかで消失してしまうものでもない。究極的な解などというものは存在せず、答えを呼び起こさない執拗な問いのみが根源的な《非─存在》(ドゥルーズ)なのである。「存在はなるほど、非─存在でもあるが、しかし非─存在は否定的なものの存在ではないのであって、むしろ、問題的なものの存在、問題と問いとの存在なのである」★四。このような《非─存在》とは《差異》それ自体であるとドゥルーズはいう。そして《差異》とは問いの《反復》にほかならず、したがって、問題と問いは本質的に差異的=微分的かつ反復的な《無意識》に属している。問いが意味するものをドゥルーズは、ブランショの言葉を引いて「思考がそれであるところの当の思考不可能性」を指示する点、あるいは「本源的で、盲目で、無頭で、失語症の、不確定の点」と呼ぶ。まさしくこの思考不可能な場所こそが無意識なのだ。

あらゆる問いのなかに、あらゆる問題のなかに、また、答えに対するそれらの超越のなかにも、解を貫くそれらの存続[執拗さ]のなかにも、さらには、それら問いと問題がおのれの固有な開口を維持するその仕方のなかにも、かならずや何か発狂したものが存在するということは、ありうべきことなのだ★五。


謎としての形象はその本質からして、このように狂気じみて妄想的なものであり、まさしくそれゆえに愛の対象である。アガンベンはヨーロッパ中世の恋愛詩を分析することによって、この時代に発見された性愛概念が分かちがたく《ファンタスマ》と結合していたことを示している。これらの恋愛詩は「欲望と言葉とがともに幻覚によって結ばれているボロメオの結び目」にほかならなかった★六。のちにフロイトが《無意識》と名づけたものもまた、あらゆる形象をそれ固有の記号内容から切り離して寓意化し、幻覚を生み出すこの構造にほかならない。
寓意家が形象に向けるまなざしはこうした妄想的な愛の視線である。精神分析はそれをフェティシズムと呼んだ。フェティシズムにおいては、母におけるペニスの不在を代理物によって《否認》するというメカニズムを通して、現実の知覚の明証性が確かに一方では打ち消されながらも、その対象がまさしく代理でしかないことにより、同時にそこではペニスの不在が暗黙のうちに承認されている。アガンベンが述べるように、ペニスとフェティッシュ的対象は前者を記号内容とした記号表現という代理表象の関係にあるというよりも、むしろ互いに相手を否定し合う二つの記号表現なのであり、フェティシズムとは、この二重の否定の狭間に生まれる幻覚を介して、欲望の対象と無意識下で交流しようとする倒錯的な戦略にほかならない。「インプレーザが、人物のより内奥の意図を家紋に掲げながらも、それを理性の言説にふさわしい用語に翻訳しようとはしないのと同じように、フェティシストもまた、より内密の恐怖や欲望を、象徴的な紋章の中に寓意化させることで、そうした恐怖や欲望と交流するが、決してそれらを意識にのぼらせることはないのである」★七。
このような脈絡ゆえに、過去のなかから掘り起こされるようにして見出された弁証法的形象をめぐるベンヤミンの寓意的(寓意を通じた/寓意へと向かう)都市論は、近代都市における商品フェティシズム分析の側面をもつことになる。一七世紀バロックのアレゴリーは一九世紀資本主義都市の商品として回帰するのである。商品をはじめとする弁証法的形象の両義性は、形象がそれ自体であることを否定して他の何ものかを指し示しつつ、同時にその何ものかそのものでもないという、倒錯的な二重の否定から生じている。
『パサージュ論』には、一九世紀パリに展開されたさまざまなファンタスマゴリーが、両義性をになった寓意という妄想的な愛の対象として収集されている。その分析はもとより歴史的事実の水準から出発しながらも、《集団の夢》という幻覚の次元における寓意的形象の析出に向けられており、『パサージュ論』はそれが未完のまま残されたという理由以上にこうした性格からして、スフィンクスの謎めいた問いをさまざまに変奏する寓意画集にも似た書物となっている。その眼目は無意識的形象を明晰に意識化された科学的言説へと翻訳することにではなく、その形象を発掘するプロセス自体にある。「大地が、死滅した都市が埋もれている媒体であるのと同じように、記憶は体験された過去の媒体である」とベンヤミンは言う。想起とは記憶という大地の発掘である。大地を掘り起こして土を撒くように、記憶のなかの事実関係は掘り返され撒き散らされなければならない。

なぜなら事実関係は単なる成層であり地層であるにすぎず、おそろしく綿密な探究によってはじめて、そこから、地中に隠れている真に価値あるものを確定するあのイメージが取り出せるのだ。それらのイメージは、過去のあらゆる関連から切り離されて、──ちょうど収集家の陳列室に置かれた断片やトルソのように──わたしたちの未来の認識という醒めた部屋に置かれる貴重品となるのだ★八。


発掘された形象はバロックの《驚異の部屋ヴンダーカンマー》に置かれた珍奇な標本めいた不可解な代物である。そんな寓意的形象の意味を一義的に解読しようとはせず、その両義性にあくまでとどまる身振りは、反オイディプス的なスフィンクスにふさわしい。へーゲルが『美学講義』で言うように、オイディプスの答えが《意識の光》という啓蒙のしるしであったとしたら、寓意家のこの身振りは啓蒙によって謎に答えが与えられてしまう以前の、魔除けとしての語りへの回帰にほかならない。一九世紀パリの両義的形象とは魔除けの護符なのである。しかし、何に対しての魔除けなのか。──おそらくそれは啓蒙の自己解体であった二〇世紀の歴史に対して、回顧的に記憶のなかから発掘された希望のエンブレムだったのである。

1──上=「深刻なことは、愉快にさせる」 下:「愛はエレガンスの父」 J・カッツ『プロテウス』(ロッテルダム、1627)より

1──上=「深刻なことは、愉快にさせる」
下:「愛はエレガンスの父」
J・カッツ『プロテウス』(ロッテルダム、1627)より

2──上:「勤勉なる男」、下:「未来の仕事」 ホラポッロ(ホルス・アッポロ) 『エジプト人の聖刻文字』(パリ、1574)より

2──上:「勤勉なる男」、下:「未来の仕事」
ホラポッロ(ホルス・アッポロ)
『エジプト人の聖刻文字』(パリ、1574)より

3──アングル「オイディプスとスフィンクス」(1800頃)

3──アングル「オイディプスとスフィンクス」(1800頃)


4──『薔薇物語』 「愛人と彫像」 ヴァレンシアの古写本挿絵より

4──『薔薇物語』
「愛人と彫像」
ヴァレンシアの古写本挿絵より

2 近代の悪夢としての古代

しかし、こうした反オイディプス的な寓意家の身振りは神話的でアルカイックな思考への退行に陥りかねない。母権論を唱えたバッハオーフェンの再発見者ルートヴィッヒ・クラーゲスの象徴論やユングの原型論とのこの微妙な距離をベンヤミンは自覚していた。とくにバッハオーフェンないしクラーゲスの象徴論は、対称的反対意味を相互に喚起し合う《分極性ポラリテート(極性連関)》に象徴の本質を見る点で、弁証法的形象の特性を両義性に見出す思考に連なっている。
臼井隆一郎によれば、バッハオーフェンあるいはクラーゲスの母権論的象徴論における象徴とは、この極性連関的分極性によってこそ、意味形象や意味記号から区別される。極性連関するものとしての宇宙把握がすなわち母権論なのであり、そこには「天と地、右と左、上と下、動きと安らぎ、男性と女性等々、その両極をどう呼ぶにせよ、それはただ一つのこと、分極性を帯びて漲る全体」が想定されている★九。このような分極性が二元論的対立に変化する過程はそのとき、クラーゲスのいう《魂の抗争者としての精神》の介入によって生じた神話から歴史への頽落と見なされてしまう。一方、歴史の形象にほかならない弁証法的形象はいわばこの頽落過程そのものの寓意であり、母権論的象徴論が前提とする起源的な《原形象》(クラーゲス)のような《全体》ではありえない★一〇。原形象を生み出す自然も歴史ももろともにそこでは腐朽して似通った相貌を見せながら混淆し、自然=歴史という両義的形象に変容する。
ベンヤミンによれば、過去は形象として理解されるときにこそ、より高次のアクチュアリティをもつ。しかし、形象自体の内部における運動が特定の時代に危機的な時点にいたってはじめて、形象は過去に《アクチュアリティ》を与えるのである。弁証法的形象が分極的極性連関のもとにあるとしても、それはあくまで歴史的に規定された社会的、文化的コンテクストの所産である。逆にいえば、両義的形象の発見は、過去と現在を貫くアクチュアルな歴史のコンテクストを浮かび上がらせることに通じている。
したがって、母権論的象徴論が象徴の分極的極性連関を再発見したとするならば、一九世紀以降におけるこの発見の行為それ自体の歴史的なコンテクストそのものが問われなければならない。バッハオーフェンの母権論は、同じくバーゼルに生きたニーチェやブルクハルトの近代批判をモチーフとした古典古代観、あるいはルネサンスという古代再生の運動をめぐる研究などと通底している。神話的な古代は近代という文化意識に随伴して、反復的に蘇生する悪夢めいた分身である。つねに自己自身を革新する運動としての近代は、絶えず伝統の切断をおこない時間的な連続性を断ち切ることによって逆に、アナクロニックな神話的古代の幻覚を生む。原形象のようなファンタスムはそこで遡行的に起源に措定されるのであり、歴史が象徴の頽落過程と見なされるにいたるのはその結果にすぎない。いわば死後の生を生きているファンタスムとしての古代とは、太古において熟知されていたが、そののち忘れ去られてしまった何かとして近代に回帰してくる《無気味なもの》にほかならない。近代/古代の両義性をになった寓意的形象は、スフィンクスの魔除けの法に則って、この無気味なものを引き寄せつつ拒絶するための《謎》なのである。
例えばドイツ古典主義の先駆けであるヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンにとって、古代ギリシアの彫像は理想的な身体美のファンタスムであった。だが、ベンヤミンはヘラクレスのトルソを描写するヴィンケルマンの記述のなかに、バロックの典型的な寓意家のまなざしを見出している★一一。事実、ヴィンケルマンは寓意に対して一貫して関心を寄せており、古代人は寓意において「記号表現されるものとその記号とを、きわめて離れた関係のうちに置いた」と述べ★一二、寓意の基礎をなす構造を形象と観念との非類似性に認めていた。このことを踏まえるならば、ヴィンケルマンにとって理想的一体性はそれ自体として古代ギリシアの彫像のうちに象徴化されているのではなく、理想的一体性という観念からの限りない隔たりにおいてはじめて彫像はその観念の寓意になっていたと考えるべきだろう。古代の彫像という寓意はそのとき、観念と形象との非類似性において、あるいはこの非類似性という隔たりそれ自体として存在している。
このように考えるとき、「われわれにとって偉大に、そう、もし可能だとして、模倣しえないものになる唯一の道は、古代人の模倣である」という『ギリシア芸術模倣論』のあまりにも有名な言葉は★一三、古代的な形象を文字どおりに模倣することではなく、寓意の非類似性において、つまり、《非感性的な類似》(ベンヤミン)において、古代人に同一化することを意味するものととらえられるだろう。まったく類似することなく模倣することというこの寓意的で謎めいた、二重拘束的な命令のもとに、ドイツ近代の文化は古代ギリシアとの宿命的な関係のなかで形成されていく。
ヴィンケルマンにとって完壁な全体性の寓意であった古代ギリシア彫像の身体とは、有機的な共同体としての祖国ドイツの理想、その政治の身体(政治体)の表象にほかならなかった。しかし、それは《われわれ》の貧しく醜い身体、もはや全体性を獲得することのない近代の政治・社会的身体という現実が要求した、ファンタスムとしての身体である。なぜなら近代的民主主義の経験とは、王の身体が表象していた国家という身体の統一性が消滅したのちの、政治体の全体性をめぐる決定不能性の経験にほかならなかったのだから。ニーチェのディオニュソス、あるいはバッハオーフェンの母権制国家リュキアばかりが無気味な寓意的古代であったわけではない。こうした古代像が対置されたドイツ古典主義の古代ギリシア像そのもののなかに、古代をめぐるファンタスムがすでに書き込まれていたのである。このファンタスムは、近代の国民国家が自らの属する共同体に固有の政治形態を与えるために古代との間に結んだ、模倣的であると同時に闘争的な関係を背景としている。そして、ヴィンケルマンからゲーテをへて、ヘルダーリン、ニーチェ、ハイデガーにいたるドイツの芸術と思想において、この模倣=闘争関係はおそらく最高度の緊張を経験することになった★一四。だがまた、それは必ずしもドイツ固有、ヨーロッパ固有の問題ではない。日本の近代天皇制における古代の残存(天皇という《象徴》における古代の現前)が示すように、近代は古代を《もどく》身振りによって、政体の統一性を虚構することをつねとしているのであるから。
《国民》を構成する民主主義固有の方法である普通選挙制は個人を数に還元する統計という算術のうえに成り立っている。こうした政治システムが一方では理想的政体をめぐる古代幻想をともなっていたように、近代の高度に合理的で意識化された科学的思考や経済的生産メカニズムは、神話的古代のアナクロニックな再生を引き起こした。ベンヤミンによれば、一九世紀には個人的意識が反省の度を増すのに対して、集団の意識は資本主義によって、すなわち「夢を伴う新たな眠りがヨーロッパを襲う一つの自然現象」によってよりいっそう支配されていくのであり★一五、例えばニーチェやブランキの永遠回帰の思想は、この時代の経済状況の展開を直視できずに目を閉ざしたブルジョアジーの夢に出現したファンタスムにほかならなかった。永遠回帰の思想にアクチュアリティを与えた歴史的条件をベンヤミンは頻繁に起こる恐慌という経済危機に見ている。ニーチェはボードレールのような都市遊民からは確かに遠い。しかし、ディオニュソスやアリアドネの迷宮といった古代神話的な形象は、近代都市において一九世紀ブルジョアジーを襲った危機的経済状況という外傷的衝撃による白日夢とも呼びうるものであったにちがいない。ディルタイをはじめとする《生の哲学》に始まり、クラーゲスやユングにいたる系譜上にベンヤミンはベルクソンの『物質と記憶』を置き、《真の経験》を回復しようとするその哲学は《大工業時代の不毛で眩惑的な経験》に対抗するために要請されたものであると指摘している。ベルクソンの目はこの経験に対して閉ざされる。しかし、そこには「この経験のいわば自然発生的な残像として、補色的性格をもつ経験が現れる」★一六。ベルクソンやクラーゲス、ユングの思想はこの残像というファンタスムを詳述し定着しようとする試みにほかならない。
意識の光に目覚めた一九世紀のオイディプスたちは謎を答えによって解消してしまう啓蒙の運動を追求しつづけながら、しかし現実には、資本主義メカニズムに翻弄されるがまま、幻惑と陶酔の夢のなかで気づかぬうちに、古代の相貌を帯びたスフィンクスの謎を反復的に幻視することになる。距離をとりながら接近するという、謎を通じて無気味なものへと向かう舞踏めいた道行きは、都市に迷宮を描きだす。そして、資本主義においてもっとも無気味な対象とは《市場》にほかならない。迷宮としての都市を副次的に生み出す近代のバベルの塔とは資本主義的経済市場なのである。

5──ヘラクレスのトルソ (ヴァチカン・ベルヴェデーレ宮所蔵)

5──ヘラクレスのトルソ
(ヴァチカン・ベルヴェデーレ宮所蔵)

3 都市表象分析の問い

だが、寓意家ベンヤミンの分析それ自体は決して市場における資本の運動に直行しようとはしない。資本主義そのものがそこでは《自然現象》であり、自然=歴史の両義性をになった過程であった。近代的なものの背後に古代を見出し、古代的形象の裏面に近代のメカニズムを確認する『パサージュ論』の語りは、オイディプス的な科学の視点からすれば、はなはだ両義的で曖昧なものとならざるをえない。しかし、それが一義的に明晰な啓蒙の言説ではなく、アルカイックな神話的思考のパロディでもないものになるためには、歴史性を自覚したアナクロニズムという矛盾した時間性を体現する寓意の両義性が不可欠だったのである。
あちらこちらと場所を変えながら弁証法的形象という謎を掘り起こすことがその探求の《方法》である。「方法とは迂回である」とベンヤミンは言う★一七。この迂回路において発掘される種々雑多な形象こそが、迷宮としての一九世紀パリをかたちづくる。『パサージュ論』が生成途上のものとして残されざるをえなかったことは、こうした方法の要請するところでもあったはずだ。

発掘の作業を成功させるためには、たしかにプランが必要である。しかし同様に、暗い地中をまさぐるような慎重なスコップの使い方も不可欠であり、発掘物の目録だけを作成して、発掘の現場そのものにあるこの暗い幸福をも記録しないような者は、最高の発掘物を自ら逸しているのである。そのためには、探究の作業の失敗も、その成功と同じように必要であり、だから、思い出エアインネルングは物語的に行われるものでも、そして報告的になされるものでもなく、もっとも厳密な意味において叙事詩的エーピツシユ吟遊叙事詩的ラプソーデイツシユに、つぎつぎと場所を変えてそのスコップを入れてみなければならないし、旧の場所に立ち返ってはさらに深い層に探りを入れなければならないのである★一八。


『ドイツ哀悼劇の根源』ではこのような迂回としての表現がスコラ哲学の入門的概論をさす《トラクタート》の特徴とされ、その構造はモザイクに譬えられている。同じ事象をめぐって絶えず中断され、あらたに考えを起こして思考が繰り返されるトラクタートの間欠的なリズムは、多種多様な細片からなるモザイクに似ている。トラクタートにおいて思考はいわば断片化されている。「思考細片は基本的構想をもって直接はかることが不可能であればあるほど、その価値はいよいよ決定的なものとなり、そして、モザイクの光彩がガラスの溶塊の質に依存しているのとちょうど同じように、表現の生彩は、思考細片のこの価値にかかっている」★一九。パサージュをはじめとする寓意的形象はこのような《思考細片》にほかならない。すなわちそれは本質からして断片的なディテールである。破砕された思考細片あるいは歴史の形象を丹念に過去という地層から発掘し、それらを収集して、一九世紀パリというモザイク画を細工する手つきのなかに、この形象の考古学者の《暗い幸福》が垣間見える。そこで発掘された形象は彼にとって一種のフェティッシュである。その《吟遊叙事詩的ラプソーデイツシユ》な語りのなかで次々に提示される寓意的形象の極度に緊張した分極性、両義性はいわば、アクチュアルなものとなった過去の形象内部に発生した電位差であり、それが思考にトラクタートの中断がもたらすものに通じる衝撃を与える。
バロック時代のエンブレムは題名(レンマ、モットー)、画像(イコン、ピクトゥラ、イマーゴ、シンボロン)、そして解説にあたる詩(エピグラム)の三つの要素からなる構成をとった。モットーやエピグラムを通じて解説されることによって容易に与えられてしまう意味とは裏腹に、寓意の図像それ自体は意味の読みとりを拒否して謎めいたもののままにとどまる。寓意家が魅せられるのは形象の意味作用ではなく、むしろ意味作用のこうした中断にほかならない。意味作用が硬直してしまう場とは《思考不可能性》の点、問い=拷問クエスチヨンの、無意識の場所である。ベンヤミンにとってバロックの寓意のアクチュアリティは、それを謎めいたものとするこの中断の衝撃にこそあった。
バロック的寓意の再評価はここにおいて複製技術論に結びつくのである。『複製技術時代の芸術作品』などで写真や映画は、アウラを受容する観想を不可能なものとしてしまうような外傷的衝撃を与えるメディアであった。その知覚は鑑賞者の身体にふりかかってくる《触覚的》なものとも呼ばれている。複製技術を介して接する形象は、メディアそのもののこうした性質によって、現実の再現表象でありながら同時に寓意的図像であるという二重性を帯びる。少なくとも寓意家ベンヤミンがアジェの写真をはじめとする対象に認めたのはその可能性であった。写真や映画がもたらしたのは、ことさらに謎めいたものに構成された図像ではなく、現実それ自体を寓意として見るという、いまだかつてなかったこの経験にほかならない。パリの街路がアジェに撮影されることによって《犯行現場》に変容するように、眼前の光景がそれ自体であることをやめて、読みとりを要求しながら同時に解読不可能な、無気味な象形文字と化してしまう。複製技術はそんな寓意的形象を急速に、無限に増殖させるだろう。
《非都市》という都市のただなかの《非─存在》を発掘するわれわれの作業はそれゆえにしばしば、都市の寓意的な謎を写真や映像のなかに求めることとなった。《都市表象分析》と呼ぶことができるであろうこの作業における関心事は、写真や映像の作品性ではもとよりなく、つねに表象へと迂回することによって都市への問いを立てること、表象を通じて都市を問い=拷問クエスチヨンのもとに置くこと以外にはなかった。それは表象を介することによって、都市をあくまで寓意として見ることにほかならない。いうまでもなくメディアは決して純粋な再現表象を与える透明な媒体ではなく、表象において寓意と化した都市はつねにどこかしら歪んでいる。その歪みのなかに都市の無意識が露呈する。われわれが吟遊叙事詩的ラプソーデイツシユにおこなってきたのは、そのような歪みとしてのフェティッシュめいたエンブレムの収集であった。
この発掘と収集の過程で、しかし、都市とメディアと都市形象はすでに安定した再現表象関係を大きく逸脱して、相互に見極め難く混淆していた。いまや建築そのものが自らを《消尽》する形象になることに憧れ、建築でありながら同時に映画でもあることを欲望している。ヴァーチュアル・アーキテクチャーなどと呼ばれる試みは、コンピユータのディスプレイ上にアナモルフォーズめいた図像をデザインすることによって、文字通り、バロック的な形象世界への回帰を見せている。そしてそれは時として、エンブレムと化した建築がおのれの没落と死をめぐって上演する、喪の演劇=哀悼劇にも似た儀式の様相を呈することになった。
都市という場はそのとき、現実のあれこれの土地から、《サイバースペース》と命名された所在不明の空間のなかへと移行しつつあるように見えた。いやむしろ、この両者の狭間で都市そのものが謎めいた寓意に変貌しつつあるといったほうがよい。すでにそこでは近代の寓意であった都市が、境界のないネットワークというポスト近代の空間に取って代わられているのかもしれず、このネットワークは都市というよりもむしろ《帝国》と呼ぶのがふさわしい広大な郵便空間として表象されている。ポスト近代の郵便システムが古代帝国と一体化したこのアナクロニックな両義的形象の背後では、コンピュータという二進法の機械が死の欲動のリズムを刻んでいる。
都市ポリスと帝国的ネットワークとのこの葛藤において障害をあらわにしているものは、政治的ポリテイカルな意志決定のシステムにほかならない。代表制の破綻と並行して民主主義はあらたな政体の表象を求め始めている。しかしそこではもはや、世界全体を覆う迷宮的な情報ネットワークの帝国全域に拡散した個体を統合する形象を見出すことはできず、古代幻想をともなっていた国民国家の政治の身体をめぐるファンタスムは微妙な均衡を喪失しつつある。だからこそ逆に、サイバースペースと称する虚構の空間は、現実の国家から自由なあらたな共同体の大地としてイデオロギー化されることになるのだ。まさしくファンタスムにほかならないこの《空間》の拡張は、コンピュータというメディアの途方もないフェティッシュ化をもたらしている。機械であるとともに世界への窓であるコンピュータとは、われわれの共同体内部に生じている調停不可能な亀裂と敵対関係がポジティヴに対象化された夢の形象にほかならない。それはユートピア的な弁証法的形象であると同時に、致死的享楽の肉化した無気味な対象であり、それゆえにわれわれにとっておそらくもっとも解読困難な寓意なのである。
すでにポスト都市的なものかもしれない時代の寓意であるコンピュータとその帝国的ネットワークにいたる、こうしたさまざまな《都市の紋章》を発掘してきたわれわれの迂回路は、いまようやく迷宮を描きだし始めたばかりのようだ。われわれが非都市という謎を通して接近してきた都市とは終始、妄想的な幻覚だったのかもしれないが、しかしそれは、都市がそこではつねに愛の対象であったからにほかならない。《都市嗜好症ウルバノフイリア》めいたこのファンタスムのなかにほの見えるのは、終わりつつある近代という時代の欲望の形だろうか、その喪失の現実を否認しようとするフェティシズムの倒錯的な策略だろうか。だがいずれにしても、夢の世界の残滓への愛、実際に崩壊する以前に瓦解した都市の廃墟への愛という《暗い幸福》に導かれてはじめて、それがありえたことだけは疑いえないのである。狂想詩ラプソデイー風のわれわれの発掘作業にここでしばしの《中断》を与えるにあたって、都市表象分析はつねにこの愛とともにあることを確認しておきたい。

本稿はその内容上、本誌連載「非都市の存在論」の各論文を参照対象としているが、これについては個別に註記することは省略した。


★一──フランツ・カフカ「市の紋章」前田敬作訳(『カフカ全集2』新潮社、一九八一、七六─七七頁)。
★二──ジョルジョ・アガンベン『スタンツェ 西洋文化における言葉とイメージ』(岡田温司訳、ありな書房、一九九八)二一二頁。
★三──同、二〇八頁。
★四──ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(財津理訳、河出書房新社、一九九二)一一〇頁。
★五──同、一七一頁。
★六──アガンベン、前掲書、一九八頁。
★七──同、二二一頁。
★八──ヴァルター・ベンヤミン「ベルリン年代記」小寺昭次郎訳(『ヴァルター・ベンヤミン著作集12 ベルリンの幼年時代』晶文社、一九七一、一五六頁)。
★九──臼井隆一郎『乾いた樹の言の葉「シュレーバー回想論」の言語態』(鳥影社、一九九八)一二一頁。
★一〇──この点に関しては、一九三〇年代にすでにアドルノによるクラーゲス批判がある。クラーゲスの著書『魂の抗争者としての精神』における《ファントム》論とベンヤミンの弁証法的形象との近さをアドルノは指摘しており、一方、「パリ──一九世紀の首都」を読んだ際には、ベンヤミン自身がクラーゲスになってしまっていると批判している。次を参照。臼井隆一郎「記号の森の母権論」(『バッハオーフェン論集成』臼井隆一郎編、世界書院、一九九二、二三〇─二三一)。
★一一──ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』(川村二郎十三城満喜訳、法政大学出版局、一九七五)二一二頁。
★一二──Johann Joachim Winckelmann, Gedankenüber die Nachahmung der griechischen Werke in der Maleri und Bildhauerkunst, Stuttgart, 1995, S.112.
★一三──Ibid., S.4.
★一四──ヴィンケルマンとドイツ近代の古代ギリシア幻想に関しては次の拙論を参照。「ギリシア幻想の身体 ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンと古代の模倣」(『表象のディスクール』小林康夫ほか編、東京大学出版会、近刊所収)。
★一五──ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論Ⅲ』(三島憲一ほか訳、岩波書店、一九九四)一一頁、断片番号K1a,8。
★一六──ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」(『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、一九九五、四二二頁)。
★一七──ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』七頁。
★一八──ベンヤミン「ベルリン年代記」(前掲書、一五六─一五七頁)。
★一九──ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』七頁。

*この原稿は加筆訂正を施し、『都市表象分析I』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.16

特集=ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>複製技術時代の芸術

1965年11月1日

>小林康夫(コバヤシ・ヤスオ)

1950年 -
表象文化論、現代哲学、フランス現代文学。東京大学大学院総合文化研究科教授。