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演劇と都市計画(ユルバニスム)──生─政治学の時代のアンティゴネー | 田中純
The Theater and Urbanism: Antigone in the Age of the Bio─Politique | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000, 2000年03月発行) pp.2-11

1 墓地という劇場

 インターネット上に建立された墓、「サイバーストーン」と呼ばれるプロジェクトがある。発案者である松島如戒によれば、その発想の原点には、ヒトを除くすべての生命体は、生を終えたのち、生態系に還元されてゆくのに、ヒトだけが死後、墓というスペースを占有しつづけることが許されるのだろうかという疑問があった。発展途上国の人口爆発とそれにともなう食糧危機は「墓の爆発的受容」を意味し、食糧生産地が墓地に浸食されかねない。こうした問題意識から「お骨も墓石も墓地もない墓」サイバーストーンは誕生した★一。
それはインターネットのホームページに墓を作り、サイバースペースに死者の記憶を残すというアイディアである。遺された者たちは、このホームページにアクセスし、故人を偲ぶ。サイバーストーンは墓地の用地不足を解消するばかりでなく、墓守のいない無縁墓が生じることを防ぎ、遺骨のエコサイクルを可能にする、と松島は言う。遺骨は高温焼却炉で灰になるまで焼かれ、土に返されるので、お骨を納める土地も不要になる。松島が調べたところでは、摂氏一〇〇〇度以上の炉で焼かれた遺骸、つまり焼骨にはDNAはもはや存在しないものと推測されるため、焼骨によって死者を識別することはできない。したがって、骨はすべて灰にしてしまい、自然の生態系に戻す代わりに、個人識別が可能なDNAを含む毛髪を採取し、御髪塚に長期保存すればよい。将来、遺伝子配列が完全に解析されたならば、御髪塚すら不要となって、サイバーストーンにその人固有の遺伝子配列を記録するようになるかもしれないと言う。
サイバースペース内の墓に蓄えられるものが文字、音声、画像、映像からなるマルチメディア的な情報であるのと同様に、御髪塚に保存されるものもまた、DNAという遺伝子情報である。いずれにしてもそこでは死者が解読可能な情報に還元されうることを前提にしている。死者は埋葬されるのではなく、あくまで情報として保存されるのである。死者を個人として同定する情報のデータバンクが墓地に取って代わる。肉体はすべて焼かれて灰にされ、自然に返されてしまうのだから、墓や墓地は原則的に無用なものとなる。
大胆な「墓革命」であるとともに、これは墓地という死者のための空間を都市から消滅させる、ひとつの長期的な都市計画の提案でもある。墓地のない都市──しかし、そんな都市が実現したとして、われわれ生者にとって失われるものは何もないのだろうか。ジャン・ジュネは、そのような「都市計画」によって、われわれは「演劇」を失うだろうと言う。

urbanismeという奇妙な単語、教皇ウルバヌスの一人に由来するにせよ、あるいは都市というものに由来するにせよ、それが死んだ者たちを気遣うことは、おそらく、もうないだろう。生きている者たちは、こっそりとあるいは公然と、死んだ者たちを厄介払いするだろう、人が破廉恥な想念を振り払うように。焼却炉へと彼らを追いやることで、都市化されたユルバニゼ世界は、ある大きな演劇的な救助を、そしておそらくは、演劇そのものを厄介払いするだろう。都市の──おそらくは中心を外れたエクサントリック──中心である墓地のかわりに、あなたがたは、煙突のある、煙突のない、煙の出る、煙の出ない、諸々の骨壺置き場コロンバリオムを持つことになろうし、また、死んだ者たちは、黒焦げの小さなパンのように黒焦げになって、都市からかなり遠いコルホーズやキブツの肥料として利用されるだろう★二。


この異様なテクストがそこで書かれた土葬が支配的な文化において屍体の焼却がもつ意味と、火葬中心の文化のもとにおけるそれとが異なっていることには留意しなければならない。ジュネにとって屍体焼却は、都市の「中心を外れたエクサントリック」中心、つまり文字通りの中心には位置しえない周縁的な場所ではあっても、都市にとって欠くことのできない空間である墓地の衰弱を物語っている。その衰弱が「演劇」という「救助」の喪失に帰結する。しかし、演劇の目的をキリスト教の暦の時間からの解放、すなわち「歴史的と言われているが実は神学的な時間から、私たちを逃れさせること」にあると考えるジュネは、土葬の文化的伝統に逆らい、「黒焦げの小さなパン」という「肥料」を生む火葬場に、演劇の新しい倒錯的な形態を見出すことになる。

とはいえ、もし火葬が荘厳に、ただ一人の人が火焙りにあって焼き殺されるとか、都市あるいは国家が、ある別の共同体を、いわばひとまとめに厄介払いしようとするようなある劇的な展開を見せるなら、火葬場は、ダッハウのそれのように、時間というものからは過去からも未来からも建築学的に逃れている、きわめてありうべき未来の姿を喚起し、煙突は清掃班の手でつねに整備され、この班の人々は薔薇色煉瓦造りの勃起し傾斜したこの性器の回りでリートを歌ったり、あるいはモーツァルトのメロディを正確に口笛で吹きならしたり、十から十二の死体をその火格子の上に一度に詰めこめる焼却炉の開いた口をさらに手入れしたりする、そんな演劇の一形式が永続化されることになるだろう★三。


「ダッハウ」という固有名詞が示すように、死の生産工場としての強制収容所が、大量に、規則正しく、正確に反復する焼却こそが、神の受肉に始まり、最後の審判における復活の期待のうちに置かれたキリスト教的時間の支配下にはなく、過去も未来も欠いているという意味において、墓地なき時代の「演劇」なのだ。ジュネによる演劇のこの過激な転倒に反映しているのは、ナチの強制収容所における膨大な殺害屍体の焼却という犯罪行為が、復活の日に備えて身体を大地に埋め保存する文化に対して与えた衝撃であろう。
演劇は映画とテレビの出現以後の時代にあって変質せざるをえない、とジュネは言う。かつてそれは、政治的あるいは宗教的関心のもとに、劇的行為を教育の手段にしていた。映画やテレビがその教育的機能を引き受けた結果、演劇は空っぽになって純化される。では、こうして純化された演劇に残されたものとは何なのか。それは「場」である。そして、ジュネによれば、現在の都市で劇場が建設されうる「場」は「墓地」以外にはない。墓地に劇場が隣接するとき、あるいは墓地が劇場となるとき、観衆はそこを訪れるため、そこから帰ってゆくために、墓に沿った道を辿らなくてはならない。ジュネがそんな劇場をめぐって思い起こすのは、ローマかどこかに存在した、葬列に先んじて進みながら、故人の人生のパントマイムを演じたという、「弔いのものまね師」のことである。このものまね師から「演劇」は生まれる。

死者を埋葬する前に、棺のなかの死体を舞台の前景まで持っていく。友、敵、野次馬は、観衆用の場所に着席する。葬列に先んじていたものまね師は分裂し、大勢になる。彼は劇団になり、死者と観衆の前で死者を生き返らせ、再び死なせる。続いて棺は再び持ち上げられ、夜の夜中に墓穴まで運ばれる。ついに観衆は去っていく★四。


ジュネが演劇と呼ぶものの起源は死者の生の模倣ミメーシスにある。この模倣ミメーシスによって、死者を埋葬する前にもう一度生き返らせる営みが演劇なのだ。そこでは屍体もまた観客のひとりである。『リトレ辞典』によれば、表象、上演、代理を指すrepr?sentationには、「喪の黒布で覆われた空の棺」の意味がある。演劇とは屍体を欠いた棺としての舞台上で上演される、埋葬儀礼そのものの「ものまね」、すなわち代理にほかならない。
ジュネが指摘する埋葬と演劇との根源的な関係は、一八世紀末以降の近代ヨーロッパにおいてギリシア悲劇の神髄とされてきたソポクレスの『アンティゴネー』が、屍体の埋葬に関わる劇であったことに表われている。この悲劇では、兄ポリュネイケスの屍体の埋葬を叔父のテーバイ王クレオンに禁止されたアンティゴネーが、その禁を破った罰として、生きながら墓穴のなかに閉じ込められる。つまりそこでは禁止による埋葬の遅延と生き埋めによる早すぎる埋葬という、適切な時機を得ることのできない埋葬行為の障害が主題になっていたのである。
『アンティゴネー』がヨーロッパの精神を魅了した時期を、ジョージ・スタイナーはヘーゲル、ヘルダーリン、シェリングがチュービンゲンで出会い、『アンティゴネー』を中心とするギリシア文化崇拝によって結ばれた一七九〇年代から、フロイトがオイディプス・コンプレックスを理論化し、『オイディプス王』が『アンティゴネー』に取って代わる一九○五年頃までの間と見ている★五。しかし、ジョアン・コプチェクが指摘しているように、その後も『アンティゴネー』における法と倫理を取り上げたブレヒトやアヌイの作品、あるいはデリダの『弔鐘』やラカンの議論があるほか、ドイツ赤軍を主題とした一九七八年の映画『秋のドイツ』がテロリスト集団バーダー=マインホフ・グループをアンティゴネーとポリュネイケスの兄妹に見立て、一九九二年にはストローブ=ユイレが『アンティゴネー』のブレヒトによる翻案にもとづいた映画を公開するなど、いまだにその伝統は途絶えていないと言ったほうがよい★六。
古代ギリシア悲劇は、アテネの市民たちが現実生活で直面していた法の諸問題を提示し、上演する場として成立した。それはこの都市国家という政治体の諸問題と深く結びついていた。例えば『アンティゴネー』は、スタイナーの言葉を借りれば、ポリスがアンティゴネーとクレオンのどちらをも容れることができるか、容れるべきかという問題、「しかしもしその答えが否であるとしたら、人間はいかにしてみずからの条件の限界(「都市の境界」)を試みることができるのか? そして人間はどのようにして神々を迎え入れたらよいのか?」★七という政治的なジレンマを取り上げていたのである。
『アンティゴネー』のこの政治性を近代に再生させたヘーゲルの『精神現象学』において、アンティゴネーの悲劇は、家族と国家、オイコスとポリス、特殊と普遍、女と男といった異なる二つの原理の激突から生じたものと捉えられた。男である兄ポリュネイケスはアンティゴネーとともに過ごしたオイコスの領域を去って、政治的行為の場であるポリスに向かう。しかし、彼は死ぬことでポリスの空間から女たちの法が支配する家族の場所に戻る。死者は「行為」から解き放たれた結果、鳥や獣の餌食となり、腐敗してゆくしかない「空虚な個物」★八になる。家族は死者に代わって行なう埋葬という意識的な行為により、死者を破壊から奪い返し、「血縁者を大地の懐と娶せてやり、根源的な不滅の個体性に結びつける」★九。それゆえ、埋葬という「最後の義務」は、「完全な神の法であり、個々人に対する積極的に倫理的な行為」★一〇なのである。死者を大地に還らせるこの最後の義務を担うものは女性たちである。埋葬は女性が行なう最も神聖な行為であるとともに、クレオンのように国家が死者に対する権限を主張する場合には、その法に対する重大な違犯にもなりうる。ポリュネイケスの埋葬は、ポリスとオイコスの境界線上で闘われるがゆえに、妥協の余地のない闘争と化してしまうのだ。
ジョルジョ・アガンベンによれば、古代ギリシア人は「生命」という言葉でわれわれが意味しているものを表現する単一の単語をもたなかった。彼らは語源的には同一ではあっても意味の異なる二つの単語を使っていた。そのうちのひとつである「ゾーエ」は、あらゆる生命体について共通して存在する生命を表わし、もうひとつの「ビオス」は人間の個人ないし集団固有の生の形式、生き方といったものを指していた。アリストテレスの『政治学』に基づいてアガンベンは、古典古代の世界では単なる自然的生命であるゾーエはポリスからは厳密に排除され、再生産されうる生命としてオイコスの領域に限定されていたと言う★一一。この二つの生命概念によって語るならば、ポリュネイケスはゾーエの終わりである死ののちにもビオスとしては生きており、そこにポリスとオイコスとの苛酷な衝突が生じたのである。
ミシェル・フーコーは『知への意志』において、古典主義時代以降のヨーロッパでは、権力のメカニズムがもはや君主がもつ生殺与奪の至上権によってではなく、身体の規律と人口調整によって生を隈なく取り込むテクノロジーに依拠するような「生─権力ビオ・ブーヴオワール」が現われた、と主張している。近代人とは「己が政治の内部で、彼の生きて存在する生そのものが問題とされているような、そういう動物」★一二にほかならない。ここで言う生とは明らかにビオスではなく、ゾーエである。種である身体、生物学的な身体の繁殖や誕生、死亡率、寿命などを制御しようとする「生─政治学ビオ・ポリテイツク」とはいわば、古代ギリシアにおいてはありえなかったであろう、ゾーエの政治である。単なる生命であるゾーエの政治化が近代を特徴づけている。
ポリス的生命としてのビオスと単なる生そのものであるゾーエとの矛盾を埋葬という主題をめぐって展開した『アンティゴネー』のうちにヘーゲルは、ゾーエが属するオイコスを守る女の倫理とポリスを支配する男の法との対立を見た。本来、家族が行なう最後の義務としての埋葬はポリスの関心事ではない。アンティゴネーの悲劇は、ゾーエに関わる領域にポリスの政治が過剰に介入した結果の産物である。ヘーゲルの読解は、政治的空間へのゾーエの取り込みに対するアンティゴネーの抵抗に倫理的な正当性を与えた。それは古代ギリシアの都市国家アテネが、この悲劇の舞台上で上演=表象される対立関係を通して、ビオスとゾーエ、ポリス的広場とオイコスの暖炉との区別をおのれが政治空間の基礎的分割としていった過程を、模倣的に反復しようとする身ぶりだったと言えるかもしれない。そして、そのようなヘーゲルの解釈の背後にはおそらく、ますます政治化されつつあるゾーエという、生─政治学のテクノロジーによる生─権力の支配の拡大があった。ラカンがアンティゴネーに死の欲動の倫理を見るとき、この倫理が対置されているものもまたやはり同様に、人間を「生きさせるか死の中へ廃棄する」★一三生─権力であろう。

1──サイバーストーンによる墓参、個人の墓サンプルURL=http://www.haka.co.jp/c_stone/ docs/html/b_sample.htm

1──サイバーストーンによる墓参、個人の墓サンプルURL=http://www.haka.co.jp/c_stone/
docs/html/b_sample.htm

2──ダッハウ強制収容所の屍体焼却炉 出典=Dirk Reinartz & Christian Graf von Krockow,  Totenstill.

2──ダッハウ強制収容所の屍体焼却炉
出典=Dirk Reinartz & Christian Graf von Krockow,
Totenstill.

     

2 不死なる「呪われたヒトホモ・サケル

ジュネの言う「都市化された世界ユルバニゼ」の到達点である強制収容所にアガンベンは、近代の生─政治学的パラダイムを見ている。ナチズム下の衛生学、医学、人種理論などの言説のなかに読みとれる近代の生─政治学においては、生物学的な所与がただちに政治的である。ナチ体制とは、ヴァイマール憲法四八条二項に基づく大統領の緊急命令により、基本的人権の停止が一二年間にわたって続くことになった、常態と化した「例外状況」だったのだ、とアガンベンは言う。非常事態はそのとき、事実としての内的、外的脅威を原因として宣言されるのではなく、それ自体が法的秩序と一体化してしまう。このように例外状況が規則となることによって生み出された空間が強制収容所にほかならない。

3──ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ『アンティゴネー』より 出典=Barton Bug, Landscapes of Resistance

3──ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレ『アンティゴネー』より
出典=Barton Bug, Landscapes of Resistance

その住民があらゆる政治的権利を剥奪され、完全に単なる生命に還元されてしまっているかぎりで、強制収容所は今まで実現されたもっとも絶対的な生─政治学的な空間だった。そのなかで権力は純粋な生命のみと、いかなる媒介も欠いた状態で、直面するのである★一四。


このような意味において、すでに都市ではなく、強制収容所こそが、西欧の生─政治学的パラダイムを端的に表わす空間である★一五。単なる生としての人間を、アガンベンは古代ローマ法における両義性を帯びた概念に基づいて「呪われたヒトホモ・サケル(homo sacer)」と名づける。それはもはや神聖な犠牲として捧げられた命ではなく、殺したとしても殺人には問われないような、剥き出しの暴力に晒された裸の生命を意味する。生命が生物学的所与としての「呪われたヒト」に還元され、全面的に政治化された強制収容所においては、屍体を大地の懐に返してやることで「根源的な不滅の個体性」に結びつける埋葬は問題になりえない。「廃棄」された死体は墓地ではなく焼却炉に向かう。墓地が都市の「中心を外れたエクサントリック」中心であるのだとすれば、焼却炉は、都市に代わる政治的パラダイムとしての強制収容所の「中心を外れたエクサントリック」中心である。だからこそ、ジュネの予言のように、埋葬の演劇性は、例外状況が常態であり、その法であるような国家体制のもとの強制収容所において、屍体焼却の演劇性へと転換するのではないだろうか。
この転換に認められるのは、死にともなう儀礼の徹底的な頽廃であり、凄まじいばかりの死の価値低下である。フィリップ・アリエスによれば、西欧では中世以来、死者たちは教会の小さな中庭などに集積されていたが、一八世紀後半になると、家族は故人をそれぞれの墓所に葬るようになり、これ以後、死者と墓地への礼拝が大きく発達した。喪と墓地はこの時代にいわば個人化されたのである。これにともなって、一九世紀には喪が感情を誇示するヒステリックなものとなった。しかし、アリエスはこの「大げささ」のなかに、「昔からの死との親しさのゆるみ」を見ている。この「ゆるみ」に引き続く二〇世紀に生じたのはもはや死が「名ざしで呼べぬもの」になるタブー視であり、死の儀礼の形骸化だった。それは家庭から病院への死の場所の移動によって加速化された。アリエスはこのプロセスの背後に、遺された者たちに死が与える激しい動揺をできるかぎり回避しようとする不安の存在を示唆している★一六。
これに対してフーコーは、「死をうまくかわすためにする努力は、我々の社会にとって死を耐え難いものとしている新しい不安に結ばれているというよりは、むしろ、権力の手続きがひたすら死から目を外らそうとしてきたことにつながっている」★一七と指摘している。死のタブー視という心性の変化は、生─権力の関心に対応した、死の場所の移動をはじめとする、生─政治学的テクノロジーの手続きの変容に結びついている。
生を経営・管理する権力にとって、死はその限界であり、手の届かない私的で秘密な点である。フーコーが『臨床医学の誕生』で明らかにしたように、一八世紀末にビシャなどによって確立された解剖=臨床医学的方法は、屍体の細かな個人差を識別し記述してゆく過程で、長い間「禁止された、切迫した秘密であったもの」、「不可視的なる可視」★一八としての個人に対する認識をもたらすことになった。ビシャの解剖=臨床医学的まなざしにとって、死という概念は相対化され、もはや「分割不能の、決定的な、恢復不可能な事件」という絶対的地位にはない。ビシャは「死を気化させ、こまかな死、部分的な死、進行的な死、死そのもののかなたでやっと終結するようなゆっくりした死、などという形で死を生の中に配分した」★一九。このように生命に内在し、緩慢に近づいてくる可視的な死を安定した輪郭としてはじめて、生は個性となる。死は「人間の抒情的な中核」★二〇となり、一九世紀の文学と芸術は執拗に死について、個性的な死について語ることになる。「まさに死こそ、手で触れることのできる石を固定し、回帰する時間を固定し、ことばの草むらの下によこたわる、美しく、無垢なる大地を固定するものである」★二一。すなわち、解剖=臨床医学のまなざしが発見したこの死こそは、個人の秘密を記録する墓石となり、言葉の草むらのなかに墓地をかたちづくるのである。
このように、科学的知と文学的言語、解剖=臨床医学のディスクールと抒情詩は、人間と死の関係の変化から分岐して現われた同一の動きであるというのが、『臨床医学の誕生』におけるフーコーの認識である。しかし、生─権力の視点からすれば、前者が生─政治学のテクノロジーに組み込まれているのに対し、後者は権力の臨界点としての個人的で私的な死の権利が言語の内部で行使された出来事、いわば言葉における自殺であり、両者は分かちがたく結びつきながらも、相互に鋭く対立する現象だったと言わなければならない。解剖=臨床医学は生の内部に配分された死を目敏く見つけだし、権力はこの偏在する死を通じて、秘かに、いたるところで生を管理・制御する。

4──サン=ピエール教会の墓地発掘写真、サンリス、フランス

4──サン=ピエール教会の墓地発掘写真、サンリス、フランス

5──ムーズ県マルヴィルの墓地、フランス

5──ムーズ県マルヴィルの墓地、フランス

6──トゥールーズ墓地の空撮写真 出典=フィリップ・アリエス『図説 死の文化史』

6──トゥールーズ墓地の空撮写真
出典=フィリップ・アリエス『図説 死の文化史』

アガンベンはこうした生─政治学の系譜を辿る過程で、一九五九年にフランスの医師モレーとギュロンが「昏睡を越えた状態(coma d姿ass氏j」と名づけて報告した脳死状態をひとつの契機として始まった、死の定義の揺れに言及している★二二。脳死状態においては、心臓と肺の機能は機械によって維持されるのだから、古代以来の死の定義である心拍と呼吸の停止は、もはやそのまま適用しうるものではなくなる。何をもって死と認定するかというこの問題は、臓器移植技術が開発された時期と時を同じくして登場している。臓器移植と殺人を区別するためには、死の厳密な定義が必要となり、例えば一九六八年にハーバード大学は脳が永久に機能を失った状態である「非可逆性昏睡」を脳死判定基準として採用し、実質的にこれを死の定義とした。周知の通り、日本でもまた、死の定義は科学的なものとして以上に、臓器移植のための法的な根拠として要請された。
しかし、死が法的に脳死として規定されたとしても、生きているのか死んでいるのかを決定できない灰色の領域がそこには依然として残されている。脳死の専門家である医師の言説にさえ時として、脳死に遅れてもうひとつの「死」が訪れるかのような記述が見られること、つまり死の定義の揺れが残されていることをアガンベンは指摘している。そこで言及されている事例によれば、臓器移植を殺人として告訴したある裁判における移植担当医は、「脳死が死であるのは、脳は移植不可能な器官だからだ」と語ったという。脳死に基づいた脳の移植は論理的に確かにありえないかもしれない。だが、脳の部分的な人工臓器化は十分ありうるし、これは脳死を死とする定義を揺るがさずにはおかない。森岡正博は、人工臓器技術が脳外科手術に導入された将来には、脳の一部は死んでいても、人工頭蓋、人工血液ポンプなどによって、上位脳の一部は生き続けている状態を作り出せる可能性があるとしている。これによって脳幹は死んで機能を停止しても、大脳などの少なくとも一部は代謝活動をしているというケースが生まれる。したがって、「脳幹機能の停止後、大脳などの代謝活動が長期間維持されることはありえない」という前提に立った脳死判定基準は変更を迫られることになる。森岡はさらに、患者の首から下の身体の働きが低下したときに脳への人工血液ポンプをつなぎかえる人工心肺装置や、そこに腎臓の透析機能を追加した血液循環浄化装置がやがて実現されるであろうし、感覚系が遮断された患者の大脳に人工視覚と人工聴覚を直接接続することで、外部に何も意思表示できなくとも、目は見え耳は聞こえる状態を作り出すことが可能になるだろうと予測している★二三。そのとき、このような脳蘇生をどこまで積極的に行なうか、つまり「人間をどのように死なせればよいか」という生命倫理の問題は、現在よりもさらに解決困難なものにならざるをえない。
これは逆に言えば、われわれの身体が一種の不死性を獲得しつつあるという事態にほかならない。死のなかへ無造作に廃棄される身体が焼却炉へと送られる一方で、あらゆるテクノロジーを動員して深昏睡のまま生かされる身体が生み出される。生命の人工的な増殖を原理的には可能にするクローン技術もまた、少なくとも社会に流通している通俗化されたイメージや大衆の無意識的な願望の次元では、生命の複製による一種の不死性をもたらすテクノロジーと捉えられている。
こうした不死性について考察する前に、われわれはまずその前史を辿らなければならない。アリエスは、二〇世紀における死のタブー視が奇妙な不死への信仰をともなっていることに注目している。「心の底ではわれわれは、自分が死すべき運命にはないと思っている」★二四のである。もはや宗教的な信仰に基づく不死と永遠性への素朴な信頼は存在しない。しかし、不死性の観念が死滅したわけではない。クロード・ルフォールは、アリエスの言葉を裏づける現象として、近代の政治家や作家、思想家たちの言説のなかに、唯一無比な存在として歴史のなかに不死性を獲得するという観念がしばしば現われることを確認している。そして、その不死性の感覚は、他の誰によっても「占有されえない場所」の獲得と密接な関係がある。その不可侵な場所こそが死者の単独性を保証する★二五。一八世紀後半以降における墓所の個人化は、「占有されえない場所」が都市のなかで空間として可視化されていったプロセスと見ることができるだろう。
コプチェクが的確に指摘しているように、「占有されえない場所」こそが不死なのであり、そこをたまたま占めた個体が不死なのではない。社会的なものはここで、個人と個人の関係としてではなく、この「場所」への関係を通じて構成されている。社会体の持続性はこの後者の関係性に依拠している。ラカン的な語彙で言えば、われわれ自身ではなく、「他者」である言語的な象徴秩序こそが不死なのだ★二六。一九世紀の死の文学は、言語の内部における死を通して不死を得る。それは言語そのものの不死性に基づいている。個人の単独性という墓碑は、不死なる言語のなかに「占有されえない場所」を獲得する。著述家たちの間に不死性の観念が強く現われるのはそのためである。
しかし、再びジュネのテクストに戻れば、言語は「占有されえない場所」を保証する、安定して不死な存在であるどころか、その内部では、例えば「伝統(tradition)」が「裏切り(trahision)」とねじれつつ結びつくような、敵対し合う兄弟である単語たちの戦争、対い合う単語の乱交パーティーが繰り広げられている。言語のなかでは「それ自身放心した草木の、花粉の混合、偶然の接ぎ木、ひこばえ、挿し穂によって雑多になった草木のただなかで、諸々の物が、あるいはお望みなら、寓話の動物たちのように曖昧な単語たちが、大量に、いっそう蠢き、蠢きそしてまぜ返す」★二七。無数の言語から産み落とされるそんな怪物の仔のような言葉が、対い合う単語たちの乱痴気騒ぎを明かす。

弔いのものまね師は、だから、死者を生き返らせもう一度死なせようと思うなら、死体の埋葬前の盛大なパレードのため、あの言葉を喰らうデイアレクトフアージユ単語たちを発見し、そして、あえて口にしなくてはならないだろう。それらの単語たちは喰らうだろう、観衆の面前で、故人の生と死を★二八。


すなわち、演劇の言語は「言葉を喰らうデイアレクトフアージユ単語」でなければならず、単語たちの乱交パーティーを上演=表象しなければならない。故人の生と死は、「占有されえない場所」として言語のなかに確保されるどころか、言葉に喰らいつくされてしまうのだ。
ロザリンド・クラウスは先述の『リトレ辞典』におけるreprésentationの含意に触れて、「表象、死の代役は、それ故、概念的に、物質の象徴的腐敗と現実的腐敗の間で宙吊りにされている」★二九と述べる。クラウスによれば、これがジョルジュ・バタイユの言う両義的な「<ルビ:アルテラシオン>変  質</ルビ>」の条件である。alterationとはラテン語のalterに由来し、「退化」と「進化」の二重の意味をもつ。変質は死骸の腐敗を表わすと同時に、幽霊によって具現されるような聖なる、異質の状態への移行をも意味する。

バタイユの「<ルビ:ベース・マテリアリズム>低俗唯物主義</ルビ>」という概念はまさに、即物的なものと象徴的なものの間のこの中間の場所で機能する。というのもそれは、社会的諸関係の全領域が、表象の条件、すなわち言語体系によって全面的に構造化されていると考えるからである。言語体系はしかし、方角無き迷路と見做されているのであり、そこでは、例えば、聖なるものは
 《sacer》という言葉それ自体の函数であり、それは《altus》のように、神聖なものと忌まわしいものへの二つの方向を指し示すのである。古典哲学は、この二重性を抑圧しようとし、個々の要素が明確な値、しかもただ一つの値を持つような言語を再構築しようとする。それは垂直の記念碑を打ち建て、意味が腐敗と汚濁と死のぬかるみの中に潜伏するネクロポリスを覆い隠そうとするのだ。言語体系が《アセファル》の真の欲望をかたちづくると同時に表象するこの言語のネクロポリス空間は、迷宮なのである★三〇。


クラウスは、象徴的なものがバタイユ的な意味における「低俗なもの」の函数と化す「表象」としてのこの迷宮を、アルベルト・ジャコメッティの作品《もう遊ばない》(一九三二)に見出している。この作品は文字通りに墓場を思わせる地表の拡がりといくつもの窪みをもち、その窪みのなかに二体の人物像が墓碑のように立っている。ただし、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンが指摘する通り、「それは完璧にひっくりかえされ、みごとに上下関係の混乱した、突然、埋葬されていた人体が出現する暴かれた墓地」★三一であり、それゆえに方角を欠いた迷宮と化しているのだ。
第二次世界大戦後、ジュネの親友となる彫刻家が作り出したこの墓地は、ジュネの思い描く「演劇」の恰好の舞台ではないだろうか。あるいはそれ自体がジュネ的演劇の上演=表象そのものではないか。《もう遊ばない(On ne joue plus)》──この題名は「もはや上演はない」を暗示する。一九三二年という、焼却炉の演劇が墓地の演劇に取って代わろうとする時代に制作されたこの作品は、ジュネ的演劇に残された「場」を表象しつつ、その終わりを予告するのである。
言語の内部における不死なる場所の確保を不可能にする単語たちの戦争、その代表としてバタイユ=クラウスが引いているsacerという語がもつ「聖なる/呪われた」という両義性は、アガンベンによれば、もともと「呪われたヒト(homo sacer)」の法的・政治的性格に由来する★三二。すなわち、この単語において対い合う二つの意味は、単なる生命を対象とする至上権の生─政治学から生み出されている。バタイユの「低俗唯物主義」がナチの生─権力と単純な対立をなすだけのものではなかったように、ぬかるみめいたネクロポリスの迷宮は西欧の生─政治学的パラダイムとしての強制収容所に通じている。
アウシュヴィッツ以後の「呪われたヒト」の生命は、無造作にそれを廃棄する暴力に晒されながら、他方では生─政治学的テクノロジーによる不死の夢を見続けている。このテクノロジーによって、もはや「他者」ではなく、ゾーエとしての生命それ自体が不死なものとなる。あるいは生物学的生命がDNAという情報に変換され、個人の単独性を表わす記号──もちろんそれはいわゆる「DNA神話」に類する幻想だ──として不死性を担う。不死性の観念はそこで、近代的な「占有されえない場所」のそれとは異なるものへとすでに変質している。「私」という個体、その単なる生命とは別に「占有されえない場」があるのではなく、断片化した肉体と人工臓器との複合体として、あるいは遺伝子情報というデータとして、単なる生命そのものが不死ないし再生可能となるのだから。墓石にはこれまで死者の名と生没年が刻まれてきた。サイバースペースの墓において、社会からの象徴的委託を表わす名は個人の生物学的署名としてのDNAに代置されてしまうだろう。そして、クローン技術と人工臓器によってひとつの生命の「自然な」始まりと終わりがいよいよ決定しがたいものとなるとき、われわれはその墓碑に何と──電子的に──刻めばよいのだろうか。
死者の映像や音声がDNA情報とともに劣化することのないデジタル・データとして保存されるとき、サイバースペースに生き続けるこの死者たちとわれわれとを区別するものは最終的に何であることになるだろうか。生きている死者がわれわれ生者同士をつなぐメディアの内部で膨大に数を増してゆくなかで、われわれが迷い込むのは、誰もが生きながら死んでいるがゆえにすでに不死であるような、迷宮めいたネクロポリスの空間である。サイバースペースという名で呼ばれている空間表象はおそらく、サイバーストーンが考案される以前から、生と死の差異が宙吊りにされてしまうこの中間地帯だったのだ。サイバースペースの内部に墓地を作るという発想はそのことの帰結にすぎない。したがって、あれこれのホームページがすでに気づかぬうちにサイバーストーンと化しているのかもしれないのである。この墓地はもはや死者たちが埋葬され封印された場ではなく、生者が死者と出会い、それ自身死者に似た存在として交わり合う空間である。われわれはディスプレイという暴かれた墓──あるいは空の棺を覆う喪の黒布──からこの中間領域に入り込んで冥府巡りを始め、救われず行き場のない魂のように彷徨うのである。
インターネット上の「墓革命」が垣間見せてくれるのは、単なる弔いのかたちの変容であるよりもはるかに、われわれの生命が全面的に入り込みつつある灰色の領域、生と死の輪郭が不分明なものとなる黄昏の風景である。「urbanismeという奇妙な単語」、それはもはや死んだ者たちを気遣うことはないばかりか、生者すらやがて厄介払いしてしまうだろう。あとに残されるのは、生とも死とも名づけがたい何か、生きてもいないし死んでもいない、生きているのみではなく死んでいるのみでもない何かとしての、幽霊にも似た存在である。
焼骨や灰という、DNAのデータすら含まない、価値もない残り滓としての物体に死者の名残りを見ることは、生─政治学のテクノロジーがデジタル化したこの時代にあって、確かにもはやフェティシズムでしかないのかもしれない。しかし、演劇という「救助」とは、ポリュネイケスの屍体に振りかけられた砂、あるいはあの黒焦げの小さなパンのような無価値な残滓としての物質による、あるいはその物質そのものの、象徴的な変質のプロセスにほかならなかったはずだ。生─権力によって強いられた死と不死のいずれにも抗しながら、この象徴的な表象の次元において、運命としての死をもたらすアンティゴネーの倫理とその演劇的な救助の身ぶりが、都市的政治体の境界を決定するurbanismeの中心を外れた中心として再発見されなければならない。

7──アルベルト・ジャコメッティ《もう遊ばない》出典=Rosalind E. Krauss,  The Origtinality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths

7──アルベルト・ジャコメッティ《もう遊ばない》出典=Rosalind E. Krauss,
The Origtinality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths

8──ジャン・ジュネの墓、モロッコ、ララッシュ(撮影=鵜飼哲) 出典=ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』

8──ジャン・ジュネの墓、モロッコ、ララッシュ(撮影=鵜飼哲)
出典=ジャン・ジュネ『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』

註 
★一──松島如戒『サイバーストーン──インターネット上の「墓」革命』(毎日コミュニケーションズ、一九九七)参照。なお、文中敬称は省略する。
★二──Jean Genet, “L´étrange mot d´...”. 邦訳=ジャン・ジュネ「……という奇妙な単語」『アルベルト・ジャコメッティのアトリエ』(鵜飼哲訳、現代企画室、一九九九)一二三頁。
★三──同。
★四──同、一四一─一四二頁。
★五──George Steiner, Antigones, Oxford: Clarendon Press, 1984. 邦訳=ジョージ・スタイナー『アンティゴネーの変貌』(海老根宏+山本史郎訳、みすず書房、一九八九)一─二四頁参照。
★六──次を参照。Joan Copjec, “The Tomb of Perseverance: On Antigone”, In: Joan Copjec and Michael Sorkin (eds.), Giving Ground: The Politics of Propinquity, London; New York: Verso, 1999, p.234. なお、本論はコプチェクのこの論文における生─政治学をめぐる議論から大きな示唆を得ているが、そこから引き出している展開は、ラカン派精神分析理論の解説に収斂してゆくコプチェクとは異なる。
★七──スタイナー、前掲書、三六五頁。
★八──Georg Wilhelm Friedrich Hegel, Phänomenologie des Geistes (1807), Frankfurt am Main: Suhrkamp, 1981, S.333. 邦訳=ヘーゲル『精神現象学』(樫山欽四郎訳、河出書房新社、一九七三)二六二頁。
★九──Ibid. 同。
★一〇──Ibid., S.334. 二六二─二六三頁。
★一一──次を参照。Giorgio Agamben, Homo sacer: Il potere sovrano e la nuda vita, Giulio Einaudi, 1995. 英訳=Giorgio Agamben, Homo Sacer: Sovereign Power and Bare Life, trans. by Daniel Heller-Roazen, Stanford, California: Stanford University Press, 1998, pp.1-2.
★一二──Michel Foucault, L’Histoire de la sexualit?, I: La volont? de savoir, Paris: Gallimard, 1976. 邦訳=ミシェル・フーコー『性の歴史I 知への意志』(渡辺守章訳、新潮社、一九八六)一八一頁。
★一三──同、一七五頁。
★一四──Agamben, op.cit., p.171.
★一五──Ibid., p.181.
★一六──Philippe Ariès, Essais sur l’histoire de la mort en Occident du moyen  âge à nos jours, Paris: Seuil, 1975. 邦訳=フィリップ・アリエス『死と歴史──西欧中世から現代へ』(伊藤晃+成瀬駒男訳、みすず書房、一九八三)五八、六〇─六一、六九─七四、八六頁参照。
★一七──フーコー『知への意志』一七五頁。
★一八──Michel Foucault, Naissance de la clinique: Une archéologie du regard médical, Paris: P.U.F., 1963. 邦訳=ミシェル・フーコー『臨床医学の誕生──医学的まなざしの考古学』(神谷美恵子訳、みすず書房、一九六九)二三二頁。
★一九──同、一九九頁。
★二〇──同、二三四頁。
★二一──同、二六七頁。
★二二──次を参照。Agamben, op.cit., pp.160-165.
★二三──森岡正博「脳の人工臓器化と脳蘇生術の発展に伴う脳死概念の変容」『生命倫理』vol.4、no.2、一九九四年一〇月号(六一─六五頁)。ただし、本論では著者のホームページ(URL=http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/library01/
no.htm)で公開されているテクストを参照した。
★二四──アリエス、前掲書、八六頁。
★二五──次を参照。Claude Lefort, “Mort de l’immortalité?” In: Claude Lefort, Essais sur le politique: XIXe-XXe siècles, Paris: Seuil, 1986. 英訳=Claude Lefort, “The Death of Immortality?” In: Claude Lefort, Democracy and the Political Theory, trans. by David Macey, Minneapolis: University of Minnesota Press, 1988, p.279.
★二六──次を参照。Copjec, op.cit., pp.242-243; 257.
★二七──ジュネ、前掲書、一四一頁。
★二八──同、一四二頁。
★二九──Rosalind E. Krauss, “No More Play”, In: Rosalind E. Krauss, The Originality of the Avant-Garde and Other Modernist Myths, Cambridge, Mass.: The MIT Press, 1985. 邦訳=ロザリンド・クラウス「ノー・モア・プレイ」『オリジナリティと反復』(小西信之訳、リブロポート、一九九四)七〇頁。
★三〇──同。
★三一──Geroges Didi-Huberman, Le Cube et le Visage, Paris: Macula, 1993. 邦訳=ジョルジュ・ディディ=ユベルマン『ジャコメッティ──キューブと顔』(石井直志訳、PARCO出版、一九九五)二三四頁。
★三二──次を参照。Agamben, op.cit., pp.75-86.

*この原稿は加筆訂正を施し、『死者たちの都市へ』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.19

特集=都市/建築クロニクル 1990-2000

>ミシェル・フーコー

1926年 - 1984年
フランスの哲学者。

>知への意志

1986年