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「メタ世界」としての都市──記憶の狩人アルド・ロッシ | 田中純
The Urban as "Meta-World": Memory Hunter "Aldo Rossi" | Tanaka Jun
掲載『10+1』 No.36 (万博の遠近法, 2004年09月25日発行) pp.2-12

1 建築の「情念定型」

アルド・ロッシの『学としての自伝』(邦題『アルド・ロッシ自伝』)は、この建築家の記憶のなかの断片化されたイメージが、夢のメカニズムにも似た類推と圧縮をへて、さまざまなプロジェクトに結実するプロセスを内観するように自己分析した著作である。そのプロセスが奇妙なのは、プロジェクトが時間の進行のなかで営まれるにもかかわらず、ロッシ自身にとっては──つねにすでに──時間は停止してしまっているという点だ。この「発展のない体液停止スタージ」のもとで、「どの夏という夏も私には最後のものに思われた」★一。
つねに最後であるような停止した季節──それは、しかし、時間の停止というよりも、永遠回帰と呼んでもよい、際限のない反復である。ちょうどそんな永遠に反復される夏を体現するかのようなイメージとして、ロッシは「エルバ島の木小屋」と題したドローイング(一九七五[図1])を残している。四方の壁とティンパヌムのみからなる木小屋が砂浜らしき場所のうえに散在している。ロッシはこのプロジェクトで「住宅を季節にもとづく価値にまで還元すること」を願ったという★二。同時にそこには「私的で自伝的なもの」★三が内包されている。さらに、エルバ島という場所は連想によってミケランジェロ・アントニオーニの映画『さすらいの二人』(一九七五)と結びつき、その類似は両者がいずれも「アイデンティティの喪失」★四に関わる場所である点に由来しているという。ここで言う「アイデンティティの喪失」とは、ロッシにとって、『学としての自伝』で繰り返し語られる「建築を忘れること」でもあるだろう。
ロッシが「私の知る限りおそらく最高の建築作品である」★五とまで言う木小屋には、「原始の小屋」という建築の起源にまつわるイメージが重ね合わされているのかもしれない。だが、彼はそんな起源へと遡行するのではなく、むしろ、連想の連鎖のなかに木小屋を解き放つ。そのイメージをめぐる類推のネットワークによって、ロッシの「私の木小屋」は、衣装箪笥、衣裳部屋、住宅、劇場、小さな墓地、そして告解室へと姿を変える。なぜならそれは、「中で秘密を語り、まさしく夏の木小屋での快楽と不安にかられつつ身体について語る、小さく整えられた住宅」★六なのだから。「キエティの学生寮」のドローイング(一九七六[図2])にもこのイメージは現われ、中央の巨大な建物を取り囲むように増殖している。レーモン・ルーセルの『アフリカの印象』を参照したこのドローイングには、劇場の大建築を取り巻く無数の小屋という、建築と都市のひとつの類型が投影されているのだとロッシは言う。

1──ロッシ「エルバ島の木小屋」1975

1──ロッシ「エルバ島の木小屋」1975

2──ロッシ「キエティの学生寮」1976

2──ロッシ「キエティの学生寮」1976

とりわけ初期ロッシの作品やドローイングに、単純化された建築形態の反復という手法が多用されていることは改めて指摘するまでもない。その形態の数は限られている。ヴィンセント・スカーリーはその理由を、これらの形態はロッシの記憶のなかで永続するがゆえに、ロッシによって慎重に選び抜かれているのだ、と述べている★七。では、なぜそれらは記憶のなかで永続するのか。スカーリーはそこにイタリアの古典主義的な、および、ヴァナキュラーな伝統との関係を見ようとする。イタリア・ファシズムの建築家たちがイデオロギー的におこなおうとしたこの伝統の再生とは対照的に、ロッシはあくまで記憶によって建築に関わり、より生き生きと伝統を回復した、というわけである。それらの形態は基本的にヴァナキュラーな建築の構造に発しているために、単純化されてはいても過度に抽象的になることなく、「夢のイタリア」を作り出している、とスカーリーは言う。
しかし、結果としてロッシの建築言語がイタリア建築の伝統に根ざすものに見えたとしても、スカーリー自身が指摘するように、例えばガララテーゼの集合住宅のコロネードには、ファシズムばかりでなく、ルドゥーからル・コルビュジエ、あるいはルイス・カーンにいたる「あらゆる過去の建築家が柱の陰に身を潜めている」★八。つまり、そこに働いている記憶の作用は、ヴァナキュラーな伝統とのみ関係しているわけではない。さらに言えば、「エルバ島の木小屋」について見たように、建築のイメージは記憶の内部でごく私的で自伝的なものとも結びついている。いずれにしても、一定のイメージを記憶のなかで永続させる要因を一義的に確定することはできない。イメージ記憶の意味は重層決定されているからだ。
事物の観察から始まり、記憶のなかで展開される形態生成のプロセスをロッシはこんなふうに語っている。

事物を観察することは、私の形態学習の上でもっとも重要なものであり続けたと思われる。というのも、観察は後に記憶に変形されるからである。今、私はこれまで観察してきた事物がすべてきちんと並べられた道具のように整理されているのが見えるような気がする。どれも植物図鑑、さもなければカタログ、辞書のように順番を追って並べられている。しかし、このカタログは、想像力と記憶の間のどこかを漂っているのだが、それとて中立的ではない。いつもいくつかの対象の中に改めて姿を現わし、それらを変形させ、なおかつ何らかのかたちでそれらの発展を促すのだ★九。


観察された形態は記憶として変形され、さらに、「想像力と記憶の間」にあるそのカタログは、決して「中立的」な道具ではなく、そこに並べられた形態は他の対象に侵入して、それらを変形することをやめない。だからそれは、たとえカタログではあっても、固定した不変のものではなく、それ自体変形されながら他を変形する運動のなかにある。「植物図鑑」という比喩が示すように、それは生命へのアナロジーを孕んでいる。
こうした形態生成の運動は、幾何学的に単純化された数少ない形態というロッシの建築言語とは矛盾しているように見えるかもしれない。しかし、反復こそは、この形態の稀少性から予期しない結果をもたらすための手法なのである。反復しなければならないということは「希望の欠如」を意味するかもしれないが、そこにこそ「発見のための唯一の自由」があるとロッシは言う★一〇。「反復のためのメカニズムほど予測不能の結果をもたらすものはない」★一一。そして、類型学的な側面からみてこの「反復的なメカニズム」をもっとも顕著に示しているものが、住宅、公共住宅、そして劇場にほかならない。
ロッシは「エルバ島の木小屋」のような小住宅の、あるいはヴィラの、公共住宅の、劇場の類型を飽くことなく反復してゆく。時には類型同士が混淆し合う。「エルバ島の木小屋」からは「科学小劇場」(一九七九)のプロジェクトが発展している。それは「記憶の劇場」であり、ここで言う「記憶」とはロッシにとって「反復の感覚」★一二にほかならなかった。
「類型」は、言うまでもなく、ロッシの『都市の建築』の中心となる概念である。ピーター・アイゼンマンは、この著作におけるロッシの方法論の鋭利な分析において、類型概念がそこで被った変形について指摘している。ロッシにおいて、時間は歴史よりもむしろ記憶と結びつけられることになる、とアイゼンマンは言う。なぜなら、ロッシの言う「都市的創成物」の形態は、当初の機能との関係を失ってもいまだ生命を保っているが、このような連続性を可能にするのは、歴史というよりも集団的な記憶だからである。個別の都市的創成物が理解しうるものとなるのは、その集団的記憶が心理学的に構築された場合である。そして、時間が集団的記憶としてとらえられるにともない、記憶が客体たる建築物のなかに持ち込まれ、それによって、この客体は「同時にそれ自身が観念であるとともにそれ以前の自身の記憶をも体現することになる」★一三。

類型はもはや歴史のなかに見られる無性格な構造ではなくして、分析的、実験的な構造として、今や歴史の骨組みに働きかけるために用いうるような存在となるのだ。それは装置となり、分析と計測のための道具となるのである。この装置は、その目指すところは科学的で論理的なものだが、しかし通約還元的なものではなく、都市の要素たちがその意味を備えたままの姿で認識されることを許容するものであり、その意味は常に独自のそして純正なものであって、類型としてはあらかじめその振り分けは定まっているのではあるが、しばしば予見することの出来ないものなのである。その論理は、従って、形態に先行するのであって、しかもその形態を新しいやり方で構成することになる★一四。


このような類型とは同時に過程でありまた客体でもある。「中立的」でないカタログとは、このように自己生成する類型を指しているといってよい(だからそれにふさわしいのは、スタティックな分類学を連想させる「類型学」という名ではなく、「変  態メタモルフオーゼ」による「原型」の変容を追跡する「形態学」の名であるかもしれない)。記憶は歴史と融合することによって、類型的な形態に当初の機能を超えた意味を与える。その創造的な反復における記憶と類推の作用により、主体と客体はもろともに変形されてゆく。建築のデザイン・プロセスはこうして、無意識的な領域のメカニズムにゆだねられることになる。
アイゼンマンは、特定の場所や時間から切り離された「抽象的な場」としての類型によって、ロッシは、「歴史の消去と現実の場所の超克を通じて、モダニストたちのユートピアと──つまり字義通りの「どこにもない場所」と──人文主義者の目指す現実──建て上げられた「どこかの場所」──との間の矛盾を解消」★一五しようとしている、ととらえる。つまり、類型学的な類推は、記憶に根ざしながらも、現実の場所と時間を変形することによって、「どこにもない場所」と「どこかの場所」のいずれでもない「場所」を生み出そうとするのだ。アイゼンマンは、破壊力を秘めたこうした類推がおこなう変形作用として、「場所の転移」と「尺度の解体」の二つを挙げている。前者は「類推的都市」でロッシが引き合いに出すカナレットの作品などで知られた作用である。後者においては、一個の建物がアナロジカルに都市全体と引き比べられ、個別の建築物の背後に都市全体の設計という観念が浮上することになる。
「尺度の解体」のこの帰結のなかに、アイゼンマンは、「都市は大きな家であり、家は小さな都市である」という、マクロコスモスとミクロコスモスとの照応の観念に基づく十五世紀的な人文主義的都市モデルの復活を認めている。アイゼンマンの見るところによれば、ロッシはそこに生じる二律背反を作品中で解決できていない。この二律背反は、「都市的人間」という都市の集団的な主体と、単一の客体である都市という場との関係にも表われる。『都市の建築』は、都市の記憶を共有する集団的主体を一方で仮定していながら、同時に、ひとつの作品として都市を作り上げる英雄としての建築家という、人文主義的伝統の主体をノスタルジックに想起しているようにも見える、という次第である。
『都市の建築』以後のロッシの抱えたジレンマは、恐らくそうしたものだったのだろう。都市の集団的な主体は、自己生成してゆくかのような客体としての都市そのものでしかありえない。建築家の私的な記憶と彼の自伝がそこに介入できる余地はごく限られている。同じく類型を語りながら、『学としての自伝』におけるロッシは、もはや都市に形態として残存した集団的記憶の析出を通じてではなく──それを無視するわけではない──、自伝的な記憶を類推過程により強烈に作用させながら、反復という発見のための訓練を重ねていたように見える。もとよりそれは、人文主義的な作者としての建築家を復権させるためにではない。それはむしろ、ロッシが、建築を忘れるのと同様に、自分自身のアイデンティティを失い、類型が誰のものでもないものになるためのプロセスなのである。自伝が「学」に、ひとつの厳密な方法になるとはそういうことだ。
例えば、モデナの墓地のプロジェクトは、一九七一年四月にロッシが交通事故で入院したバルカン半島の病院で生まれている[図3]。そのとき同時に「私の青春も終わりを告げた」とロッシは書いている★一六。窓際のベッドに身動きできない状態で横たわり、窓から空と小さな庭を見ながら、彼はうつらうつらと幼年時代のことを考えたという。翌年の夏にプロジェクトを練っていたとき、そのイメージと骨の痛みがロッシのなかに深く残り、身体の骨格を一連の骨折が接骨されて回復したものととらえる観念が生まれる。病院で彼は「死とは骨の形が被る変形である」★一七という認識を得たのだという。
およそそれがどんなに奇矯であっても、モデナの墓地というプロジェクトを牽引していたのは、「骨」をめぐるこうした強迫観念だった。その墓地は、スカーリーの言葉を借りれば、「骨の構造として、骨ででき骨を収めるいわば骨の都市」★一八として構想されたのである。実際にモデナの墓地は、脊椎をなす中央通路の両側に、横長の建造物がいくつも肋骨のようにデルタ状に並んでいるなど、骨格の形状を引用した配置デザインになっている。なかば破壊された建物の「骨格」に寄せる関心は、『都市の建築』から『学としての自伝』にいたるまで一貫した、ロッシ独特のものだった。
ロッシはこのプロジェクトの主題を「部位脱落デポジツイオーネ」と表現している。これは、美術史ではキリスト降架のことを指すが[図4]、ここでは身体の形状変化の意味で用いられている。病院にいたロッシは、建築では典型的な主題とは言えない、この「部位脱落」した形態を表現しようと試みたという。

3──ロッシ「モデナの墓地」 コンセプト「ボードゲーム・コラージュ」1972

3──ロッシ「モデナの墓地」
コンセプト「ボードゲーム・コラージュ」1972

4──ロッソ・フィオレンティーノ《キリストの降架》1525

4──ロッソ・フィオレンティーノ《キリストの降架》1525

私にとって部位脱落した建築はその一部に限ってみれば人体と同形なのである。プラド美術館所蔵のロッソ・フィオレンティーノやアントネッロ・ダ・メッシナの作品に見られるように、絵画におけるキリストの降架なる主題は身体の機械的可能性を研究したものであり、この主題ゆえにキリストの身体が持ち運び去られる際にみせる異常な姿勢を通してわれわれにある種の情熱を伝えることに成功していると、私は常に考えてきた★一九。


エロティックな姿勢と関係しているようにも見えるこの姿勢は、鑑賞者にとりわけ悲嘆と苦痛の念を起こさせる。その一方で、部位脱落はシステム、建物、身体を前提としつつ、その参照枠組みを破壊しようとする。それゆえ必然的に、そこには異なった意味が見いだされることになる、とロッシは言う。
大きくとらえれば、一種の建築の人体形象論アントロポモルフイスムだが、ロッシの場合には、人体が骨格に還元されており、さらにルネサンスのそれのように、完全な調和を表わす人体と建築との照応関係ではなくて、むしろ、歪められた姿勢が伝える情念やエロティシズムこそが関心の対象になっている。そこでは、「骨の形が被る変形」としての「死」が「部位脱落」によって表現されていると見ることもできよう。とすれば、建築の部位脱落とは、建築物が情念やエロティシズム、あるいは死を伝達するひとつの方法ととらえられるのではなかろうか。
情念を表現・伝達する形態言語としての人体の特定の歪んだ身ぶりに、アビ・ヴァールブルクは「情念定型パトスフオルメル」という名を与えている。それは第一義的には、イタリア・ルネサンスの美術で多用された、古典古代の美術作品に由来する、激しい感情の高まりを表わす身ぶり言語である。一見すると奇妙なことながら、人間を捕らえた情念は、同時代人の身ぶりの観察やその自然主義的な模倣によってではなく、過去の文化から引用された「定型」と化した形態言語を通じて表現されたのである。
ヴァールブルクによれば、それはちょうど、インド・アーリア系言語が、しばしば異なる語根から比較級、最上級を形成する現象(goodに対するbetter, bestのような)に類似している。情念の負荷を帯びた身ぶり言語の「最上級」は、伝統的な規則に沿った手法の内部においてではなく、異質な時代、異質な文化から借用された「語根」としての「情念定型」によって表わされたのだった★二〇。
この場合、それが「定型」という反復される紋切り型だった点が重要である。「定型」とは一定の形式に凝固することによって、持続的に反復されるステレオタイプにほかならない。ルネサンスの芸術家たちは、突然人間を襲う情念を表現するために、古代から借用されたステレオタイプな「定型」の図像を繰り返して模倣した。

このような手法を二〇世紀において意識的に実践したのが、ピエール・クロソフスキーであった。彼の絵画ではエロティックな主題に関わる特定のポーズが執拗に反復される[図5]。クロソフスキーは自分のデッサンを「パトスを見、かつ自分に見えるように差し出す一つの仕方」と呼んでいる★二一。絵画とは彼にとって、画家のオブセッションを祓いかつ伝達する、「パトスの顕 現パトフアニー」にほかならない。そのようなものとして、クロソフスキーの妻ロベルトの似姿=類 似ルサンブランスは、タブローからタブローへと反復され増殖する。

5──クロソフスキー  《ディアーナとアクタイオーンII》1957

5──クロソフスキー
 《ディアーナとアクタイオーンII》1957

クロソフスキーによれば、それ自体としては伝達不可能であり、表象不可能な、妄執的な拘束力をもつファンタスムを模倣的に描きだす(つまり、その模 像シミユラクルを生み出す)ためには、制度的で因習的なステレオタイプを借り受けなければならない。ポーズのことさらに月並みなアカデミズムさえもそのための手段なのである。

シミュラクルがファンタスムの拘束力を効果的に模するシミユルのは、ステレオタイプ化した図式を誇張してみせることによってのみである。ステレオタイプをことさら大袈裟になぞりそれを強調してみせること、それは、ステレオタイプがその写しレプリカをなしているところの妄執をくっきり際立たせることなのだ★二二。


月並みなステレオタイプは慣用に堕しありきたりの解釈にゆだねられたシミュラクルたちの残滓だが、それがシミュラクルであるかぎりにおいて、やはり何らかのファンタスムに対応している。そんなステレオタイプの図式は、いったん「夢 幻 的フアンタスマゴリツク、畸型的、あるいは倒錯的な知覚ないし受容性によって生きられるなんらかの事態によって歪曲されるなら」★二三、その微細な差異を告げずにはおかない。
因習と化したステレオタイプとしての情念定型が誇張的に模倣されることで、激しい情念に囚われた身体をめぐるファンタスムの模像が再浮上する。情念定型の模倣とは、シミュラクルを通じたファンタスムのこうした再生産にほかならない。
ロッシが類型として執拗に、ほとんど妄執的に反復する形態とは、いわば建築の「情念定型」、建築家のパトスとファンタスムを悪魔祓いしながら伝達するシミュラクルではないだろうか。それは一見したところ、さまざまな記憶に規定されて硬直したステレオタイプに見えるが、ロッシはそれを誇張しながら反復することによって、その底に潜んでいるオブセッションをくっきりと浮き彫りにするのである。そして、その妄執が深く死とエロティシズムに関わっていることは言うまでもない。
だからこそ、ロッシの建築はわれわれの情動に深く訴えかけてくる。単純化された数少ない形態は、ヴァナキュラーな伝統に根ざしているがゆえに自然に濾過されて永続的に残ったイメージ記憶なのではなく、建築の部位脱落を表現するために選択された「情念定型」としての類型なのである。ファンタスムのあらたな発見はその反復にしかない。そして、この反復を通して顕現するものこそが建築家のパトスである。そのとき、ファンタスムの似姿=類似はプロジェクトとプロジェクトを横断しながら、際限なく増殖してゆく。
ロッシの「類推的都市」についてアイゼンマンは、この「類推的描図」の存在そのものがほかならないそれ自体の歴史の記録になるのであり、それゆえ、このドローイングは都市の再現を目指すものではない、と指摘している★二四。建築ドローイングは、自律的な客体となることによって、建築物に関わる先へと進む時間──進歩──にも、過去の時間──郷愁──にも、ともにとらわれない、しかし、あくまで現実的な「場」となる。建築物の再現ではないにもかかわらず、そこには迫真性が備わっている。「類推的都市」はそのような意味ですでに都市の一部なのである。その迫真性とは、まさに「幻影」のもつそれなのだ、とアイゼンマンは言う。クロソフスキーの言葉を用いて、それを「都市のファンタスム」と呼ぼうか。「類推的都市」とは増殖するファンタスムの似姿=類似としてのシミュラクルの世界にほかならない。

2 都市の徴候と索引

アイゼンマンによれば、ロッシの類推的描図は、二つの「時間の停止状態」を表わしている。そのひとつは「過程」としての時間の停止であり、建築物へ向けた前進運動のなかにはあっても、その完成形態の再現にまでは到達していない。もうひとつは「雰囲気」としてのそれであり、描かれた影によって時の停止が示されている。

時間の表現は無限定の過去として示されるのであって、それが連れ戻す先の無時間の時点は、幼年期のそれであり、幻覚であり、断片的な強迫観念や自伝的なイメージの形における、著者自身の疎外された幼年時代である(…中略…)ここでも記憶が始まるのは歴史が終わったときなのだ。それがまたがるのは、未来の時間と過去の時間の双方である。それは一つの計画案であるが、なされるべきものであると同時に、すでになされたものでもあるのだ。廃墟のイメージによって活気づけられるのがこの無意識の記憶なのであり、それがつなげて見せるのが、捨て去られたもの、断片的なるものと、新たなる始まりの時なのである★二五。


言いかえればそこにあるのは、トラウマティックな過去の反復であると同時に、定かでない未来の予感なのである。
中井久夫によれば、外傷性のフラッシュバックと幼児型記憶とは明らかに類似しているという★二六。この両者ともおもに鮮明な静止的視覚映像であり、断片的で文脈をもたない。時間がたっても、その内容や意味、重要性は変化しない。さらに、鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵に描くことも難しい。夢作業による加工も受けず、そのままのかたちで夢に出てくる。中井はこうした類似の原因をめぐって、幼児型記憶の内容は成長過程で消去されるものの、そのシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働く、という仮説を提起している。そして、幼児型記憶システムのこうした作動の仕方は、それがもはや現前しない危険への警報のためにあるところに発しているという。
これに対し、成人型の記憶は重層性や階層秩序性をもち、視覚的な場合であっても、絵画のように固定した図式にはならない、ゆらぎのある柔構造を特徴とする。それはまた、「自己史記憶連続体」★二七内の時間的空間的前後関係によって感覚映像にともなう情動が決定されるという文脈依存性をもつ。それゆえに、想起にあたってもこの文脈を「索引」として用いることができ、さらに、言語化が容易である。
通常、成人が想起できる幼児型記憶は、大部分の消去のあとに残された無害なものばかりで、それを中井は「たわむれに撮った写真がアルバムに貼られないまま散らばっているようなもの」と譬えている★二八。ではなぜ、それ以外の記憶内容は消し去られてしまうのか。この点について、幼児期に見た膨大な量の夢──そこには恐らく夢加工がなされていない──は、ストーリーとしての成人型記憶を準備するものであり、意識的体験を連続体として記憶するマトリックスになっているのではないか、と中井は推測しているのだが、これは成人型記憶の成立についての仮説になってはいても、幼児型記憶の内容の消滅を説明するものではなかろう。
視覚において幼児型記憶のシステムが強く残存する場合には「直観像素質者エイデテイカー」と呼ばれる。それは映画の全体や書物の全ページを視覚映像として記憶することができる能力を言う。こうした非文脈的な視覚的記憶映像には、いわゆる「絶対音感」に通じる絶対性がある。
以上のような記憶の構造から考えて、成人型記憶に対して幼児型記憶のシステムが依然として優位にあるような場合、体験の連続性が障害に遭い、「自己史記憶連続体」がうまく成立しないことが予想される。中井は、母親役の者との接触による触覚的連続性の欠如や「ネグレクト」などの幼児期体験によって、自己史記憶連続体の成立が阻害され、「刹那的現在人性」への偏りが生じることを指摘している。それが精神病理的なものにいたるかどうかは別としても、幼児型記憶のシステムが活性化した状態とは、連続性ではなく断片性優位の、言語化を拒むような鮮明な視覚映像が脈絡を欠いたまま並列される事態であろう。
成人型記憶と幼児型記憶のシステムが単純に対立関係をなして、相互に相いれないものであったならば、幼児期の記憶を想起する試みが幼児型記憶のシステムの再活性化にまでいたりえた場合、それは破局的な結果になりかねないだろう。「疎外された幼年時代」に何度も立ち返るように記憶を遡行し、建築の情念定型を発掘するロッシの自伝という方法──それは交通事故の外傷的記憶と無縁ではあるまい──は、そんな危険と隣り合わせだったのかもしれない。
中井は幼児型記憶と言語的コミュニケーションを中心とした成人型記憶のほかに、もうひとつの記憶の型の可能性を示している。それをサリヴァンは「パラタクシックな記憶」と呼んでいるという★二九。ちなみに、幼児型記憶に対応するのは「プロトタクシックな記憶」、合意による確認を通してエピソード記憶が社会化される言語的コミュニケーションに重点を置いた記憶は「シンタクシックな記憶」と称される。サリヴァン自身による定義では、「パラタクシックな記憶」は、時には自閉的な、その人限りの言語使用を指すようにも受け取れるが、別の箇所では「面接中に千人にも達するパラタクシックな映像がその場に現われて戦慄した」といった意味のことを語っているという。後者は「治療関係における転移・逆転移によって発生する多重的な知覚表象(イメージ)」を指すものと思われ、そうだとすれば、重要な記憶についての言語と記憶表象との総合体は、生涯を通してこのパラタクシス性を潜在的にもちつづけていると言うことができるかもしれない、と中井は推測している。このようなパラタクシス性とは、言語と視覚・聴覚など個別感覚イメージとの間の「風通しのよさ」にあたるような相互交通性であると言うこともできる。
このパラタクシックな記憶の特徴は、記銘と想起の両過程で二つの質の異なる知覚形態の「重ね合わせパラタクシス」が起こるところにある。

まず記銘においては、顔貌記銘について古くから知られているように、視線は両眼と鼻から口にかけてのT字型経路を繰り返しスキャン(走査)している。このT字部は網膜中心窩による錐体中心の集中的で覚知度の高い視覚で把握し、顔のその他の部分は桿体による主に形態的な記銘を行なっているということであるらしい。相貌の記銘はすでにここで二つの質の異なる知覚形態の重ねあわせパラタクシスである。錐体的記憶は色彩感覚記憶であって、つまり色彩が何度も述べたように「質」であり、情動喚起的である。同時に徴候的把握であるということができる。桿体的記銘は形態的非情動的記銘である★三〇。


注目すべきは、この「重ね合わせ」が情動喚起的記憶と非情動的で形態的な記憶の二重化として形成されていることである。情動喚起的な記銘は同時に、対象に何らかの「徴候」を感じとる知覚形態でもある。中井は、いわゆる「カクテルパーティー効果」のなかに、聴覚においてこの視覚的重ね合わせに通じる現象を見いだしている。また、両親の会話が語気の荒いものとなったときにパニックに陥る幼児は、多重化した認知における「徴候」として両親の破局を感じとっていることが推測される。このような記銘における徴候性(兆候性)ないしパラタクシス性は、言語化によって整序されはしても、その根底に存在し続け、想起においても付きまとうことになる、と中井は述べている。
パラタクシス性や「パラタクシックな記憶」を、情動喚起的な性格をともなったこうした記銘と想起の構造に発して、サリヴァンの体験した無数のパラタクシックなイメージの蝟集までを包摂するものとしてとらえるとき、それは建築の「情念定型」を反復しながら類推によって模像を増殖させてゆくロッシの手法を理解する枠組みになりそうに思われる。
とりわけ重要なのは、ロッシの類推的ドローイングが「無限定の過去」にありながら、何らかの出来事を予感させる「徴候」の性格をもっている点との関わりである。アイゼンマンの言う「雰囲気」としての「時間の停止」はデ・キリコの作品にも通じる特徴であり、同様の「徴候性」はそこにも認められる。
「徴候」とは、中井によれば、「何か全貌がわからないが無視しえない何かを暗示する」ものであり★三一、ある場合には、世界自体が徴候で埋め尽くされ、あるいは世界そのものが徴候化する。そして、このように世界が徴候化するのは、一般に、不安に際してである。
この点に関する議論を展開するためには、中井が「予感」と「徴候」、「余韻」と「索引」の関係をめぐっておこなっている議論が示唆的である。それによれば、「予感」と「徴候」はともに未来に関係しており、「余韻」と「索引」(それは過去の何かを引き出す手がかりになるもの、例えば、プルーストのマドレーヌである)は過去に関係している。他方、「予感」と「余韻」はともに身体に近い共通感覚的なもの、雰囲気的なものであり、ほのかな示唆的性格において相通じているが、「徴候」と「索引」はより対象的で、分節性と細部をもっている★三二。このように差異を有しながらも、それらはみな、「現前の周縁に揺曳するもの」★三三、その境界のあたりで明滅する現象にほかならない。
中井は、予感・徴候的で微細な差異を先取り的にとらえようとする「微分回路的認知」(臨床的に対応するのは統合失調症である)の世界と、刺激の入力に対して過去の蓄積された全体験を参照する「積分回路的認知」(臨床的に対応するのは鬱病である)の世界に対比させて、外界の刺激強度を対数に変換して認知する「ウェーバー=フェヒナーの法則」が当てはまるような世界を「比例世界」と呼んでいる(「比例世界」が現実のいわゆる「世界」である以上、前二者はむしろ「メタ世界」と呼ぶべきだが)。プルーストの『失われた時を求めて』はひとつの「積分的メタ世界」の索引であり、それに対して、詩とは一般に言語の「徴候優位的使用」によってつくられる「微分的メタ世界」である★三四。
ロッシの作品やドローイングがこの徴候優位的な詩に似た性格をもっていることは直観的に了解される。その点をロッシ自身がまさにひとつの詩を翻案するかたちで語っていた。その詩とはヘルダーリンの「生の半ば」のこんな一節である──「囲壁はつめたく、ことばなく立ち、風吹けば鳴る(klirren)、屋根の風見は」。ロッシのドローイングに繰り返し描かれた小さく堅い鉄板の旗は、この詩のなかの「きしむ(klirren)」風見の旗に由来している。ロッシは自分のプロジェクトについて述べるにあたって、この詩を次のように翻案している──「私の建築はつめたく、ことばなく立つ」★三五。風向きを見るための旗というひとつの徴候そのものが、ヘルダーリンの詩に通じるロッシの「ことばなき」建築という詩のアレゴリーとなっているのである。
微分的、積分的な二種類のメタ世界があると言っても、両者はまったく別物ではない。予感が余韻に変容するかたわら、索引を徴候のようにして読みとることもある。そして、中井によれば、フロイトが探究した夢とは「無意識」というメタ世界の、徴候にして同時に索引であった。フロイトの探究は、徴候と索引がほとんど一致してしまうこのメタ世界へと向かっていた。それゆえに、「遠い過去の個人的記憶をたどる行為は、夢世界の探究とならんで、徴候と索引とがほとんどひとつのごとくにないまぜとなって、ひとつの、かつては比例世界であったものが変貌して『メタ世界』にかぎりなく近づいているものへの接近のカギとなっているところに成立する行為である」★三六。
ロッシにとって、都市的創成物とは膨大な集団的記憶の蓄積の「索引」であると同時に、それが何であるとは明言できない何かの到来を告げる「徴候」でもあったのではないか。情動喚起的な記憶が重ね合わされた類型の数々は、自伝的な記憶の深みに沈み込むことで見いだされた、「メタ世界」の索引=徴候ではなかったか。「類推」とは、不安な予感と憂鬱な余韻が混じり合うなかで、過去の集積のなかに「索引」としての「徴候」を読みとる営みだったのではないだろうか。「類推的都市」とはひとつの「メタ世界」ではないか。
アルド・ロッシの自伝をたどりながら、その延長線上におぼろげに浮かび上がるのは、「予感」や「余韻」といった定かならぬものの感受や、「徴候」や「索引」のような「メタ世界」のきざしないし痕跡の発見を通した都市論の方法である。いや、それをもう「方法」とは呼ばぬほうがよいのかもしれない。なぜなら、「精緻な『意識的方法論』に拠る研究は堂々たる正面玄関を持ちながら、その向こう側が意外に貧しい場合も皆無ではない」という中井の指摘は至極もっともであり、「これは方法論に拠る人の問題ではなく、方法論に拠るということ自体の持つ欠陥である」★三七ことも確かだからだ。
ロッシの自伝という「学」は、記憶を探査する方法であると言うよりも、類型を求めて自分の生を逆行しながら狩りをする狩人の知、カルロ・ギンズブルグの言う「徴候的な知」であり、いわゆる「セレンディピティ」による知であろう★三八。ただし、ギンズブルグが復権させようとした徴候的知に比べて、無意識という「メタ世界」に分け入るこの狩りの道ははるかに冥く、狩人の記憶には情念や情動が深く浸透している。時には悪夢に近づくほどまで反復されるその「ことばなき」類型たちは、都市や建築をめぐる記憶の地層で蠢くダイモンたちのシミュラクルとしての、この冥い世界の徴候=索引である。それらの「兆し」をロッシは、「きしむ」風見の旗のようにとらえたのであった。
その「きしみ」とは恐らく、いまだ方法化されず、これからも方法化されることはない、「都市の徴候学」そのものの「徴候」だったのである。


★一──アルド・ロッシ『アルド・ロッシ自伝』(三宅理一訳、鹿島出版会、一九八四)九頁。
★二──同、九七頁。
★三──同、九八頁。
★四──同、九三頁。
★五──同、四一頁。
★六──同、九六頁。
★七──ヴィンセント・スカーリー「形態におけるイデオロギー」(『アルド・ロッシ自伝』、二一六頁)参照。
★八──同、二一七頁。
★九──ロッシ『アルド・ロッシ自伝』、五四頁。
★一〇──同、一二八頁。
★一一──同、六八頁。
★一二──同、一五七頁。
★一三──ピーター・アイゼンマン「記憶の家──類推のテキスト」(アルド・ロッシ『都市の建築』、大島哲蔵福田晴虔訳、大龍堂書店、一九九一)四一五頁。
★一四──同。
★一五──同、四一六頁。
★一六──ロッシ『アルド・ロッシ自伝』、三〇頁。
★一七──同、三一頁。
★一八──スカーリー、前掲論文、二一八頁。
★一九──ロッシ『アルド・ロッシ自伝』、三二頁。
★二〇──「情念定型」については、アビ・ヴァールブルク『デューラーの古代性とスキファノイア宮の国際的占星術──ヴァールブルク著作集五』(伊藤博明監訳、加藤哲弘訳、ありな書房、二〇〇三)七─三四頁、および、拙著『アビ・ヴァールブルク 記憶の迷宮』(青土社、二〇〇一)二一三─二二五頁参照。
★二一──ピエール・クロソフスキー『ルサンブランス』(清水正・豊崎光一訳、ペヨトル工房、一九九二)一六〇頁。
★二二──同、一一六頁。
★二三──同、一一四頁。
★二四──アイゼンマン「記憶の家:類推のテキスト」、四二〇頁参照。
★二五──同、四二一頁。
★二六──中井久夫『徴候・記憶・外傷』(みすず書房、二〇〇四)五三─五五頁参照。
★二七──同、六七頁。
★二八──同、五〇頁。
★二九──同、七一─七二頁参照。
★三〇──同、七二頁。
★三一──同、二六頁。
★三二──同、三四頁参照。
★三三──同、二五頁。
★三四──同、五─一四頁参照。
★三五──ロッシ『アルド・ロッシ自伝』、一〇一頁。
★三六──中井、前掲書、一五頁。
★三七──同、二一頁。
★三八──同、二七頁参照。

*この原稿は加筆訂正を施し、『都市の詩学──場所の記憶と徴候』として単行本化されています。

>田中純(タナカ・ジュン)

1960年生
東京大学大学院総合文化研究科教授。表象文化論、思想史。

>『10+1』 No.36

特集=万博の遠近法

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西日本工業大学教授/建築史。日本建築学会、建築史学会、米国建築史学会。