吉村靖孝
グラフィック社、2008年10月25日、126ページ
ISBN=9784766119633
[現代建築思潮]
議論の新しいスタイル? 10+1──「現代建築思潮研究会」はこれから三年目に入りますが、月例で研究会を行なってきたこの二年間を振り返ってどんなことを考えますか。 今村──この会の立ち上げに当たって、僕は「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフを持っていましたし、日埜さんは「批評の体力みたいなものを鍛えていきた...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28
[現代建築思潮]
梅岡+岩元+今浦──今回、「現代思潮研究会」においてオリンピックによる都市改造をテーマに研究がなされることになりました。そのなかで、都市がどのように成長・発展をし、どのように計画されてきたかを概観する必要性を感じたことから、オリンピックと関連するひとつの都市を取り上げ、研究することになりました。 そこで、今回はバルセロ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72
[現代建築思潮]
10+1──現代建築思潮研究会では、オリンピック招致によって都市改造が一気に巻き起こることを想像の視野に入れながら、この会独自の計画案を組み立てようとしています。前回バルセロナ・オリンピックに至るまでの都市の展開を研究したのも、われわれの計画案につながるソースを探すためでしたが、今回は場所を東京に移していきたいと思いま...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.37-44
[現代建築思潮]
報告 I─吉村靖孝 吉村──今回の研究会はビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋、二〇〇三)を取り上げたいと思います。以前僕の担当した回ではローレンス・レッシグの『CODE』を読みましたが、それがインターネットと規制の問題を扱った本であることにもまして、「限られたリソースをどうやって分配するか...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.48-56
[建物]
東京タワーはいつも唐突に顔をみせ、またいつのまにか消える。それは粗悪なフォト・モンタージュさながら継ぎ目も未処理のまま強引に近景と接ぎ合わされ、その肌合いの隔たりこそがしばしば都市を行き交う人々の目線を奪うが、しかしあるときは気付かれることすらなく、ふたたび忘却の彼方へと去る。まるでそこにははじめからなにもなかったとで...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.34-36
[現代建築思潮]
山の手/下町/サード・ドメイン | 日埜直彦 クーベルタン男爵のコスモポリタニズムに始まったオリンピックが、反転してベルリン・オリンピックに象徴されるネーション・ステートの威信を競う「民族の祭典」となり、しだいにグローバリゼーションのなかで競い合う都市の再開発プロジェクトの色を濃くしていく。これは誇張でもなんでもなく、...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.48-56
[現代建築思潮]
東京都は二〇一六年のオリンピック開催招致に名乗りをあげている。現在東京都が進めようとしている計画は、晴海地区を主たる敷地としている。ここで提案する計画は、それに対するオルタナティヴとして、千駄ヶ谷の国立競技場から青山墓地ヘ至る、霞ヶ丘地区(およそ二・二キロ×〇・五キロのエリア)に、メインスタジアムを含む集約的な会場計画...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.41-56
[図版構成]
スキャンデータあり 未アップ ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.169-176
[図版構成]
スキャンデータあり 未アップ ...
『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.185-192
[フィールドワーク]
スキャンデータあり 未アップ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.165-178
[東京]
都市の形態の背後にある構造は必ずしもみえていないし、しかし全くみえていなくもない。それは絶えず見えがくれしているのであろう。 槇文彦『見えがくれする都市』 法規? 東京の都心部には無数の木造戸建て住宅がひしめいている。集約が前提となる大都市の居住形態としては、異常だ。その原因に関してはかなりレンジの広い考察が可能であ...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.148-155
[図版構成]
design & research: MVRDV, Winy Maas, Jacob van Rijs and Nathalie de Vries with Arjan Harbes, Gertjan Koolen, Penelope Dean, Bas van Neijenhof, Kersten Nebielek...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.181-188
[現代建築思潮]
オリンピックによる都市改造──インフラ再整備・リノベーション | 今井公太郎 なぜわれわれはオリンピックをテーマにするのか 東京都は二〇一六年のオリンピックを招致することを決めました。もし、東京に決まれば東京大改造が行なわれることになるかもしれません。 かつて一九六四年の東京オリンピックのときには、環七、青山通り、六...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.26-32
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りました丸山真男『日本の思想』、吉本隆明『初期歌謡論』、柄谷行人『批評とポストモダン』からの抜粋についてです。これらでは日本では何かを構築しようとしても難しく、特に...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[コラム]
動物化するポストモダン 「ポストモダン」について交わされた膨大な量の議論は、厚く沈殿している。それらは総じて良質で、いまでは現代思想随一の層をなしている。しかし、一度沈んだものをふたたび水面に届くまで撹拌するには、気の遠くなるようなエネルギーを消耗するのもまた事実である。ぬかるんでいるうちに下手に動けば足をすくわれるし...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.150-153
[論考]
遠い超高層 オーストリア出身の映画監督フリッツ・ラングは、二〇歳になった一九一〇年から第一次世界大戦までのあいだ日本を含む世界各国を転々と旅したと言われるが、その後収容所生活や従軍生活を経て一九二四年にはじめてアメリカ大陸へと渡り、ニューヨークで見た摩天楼に大いに刺激を受けた。帰国後間もなく撮影を開始した『メトロポリス...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.120-125
[批評]
「二〇〇一年宇宙への旅」に抽選で五名様を御優待! それは空想ではなく、現実の体験です。本物の宇宙旅行です。二〇〇一年より出発予定の人類最初の民間宇宙航行プログラムに、抽選で五名様をご優待いたします。 ──一九九八年サントリー・ペプシ社広告より[図1] 1──サントリー・ペプシ社広告(テレビCFより)地球を飛びたつのはこ...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.242-248
[素材─構造]
妄想 東京に暮らしていると、隣接するビルとビルのあいだに空いたあの無駄な隙間にまったく違和感を感じなくなる。たしかにそれは普段なら見すごしていてもなんら不都合のない微小な空間であるが、しかし狭小住宅の設計になぞかかわると、いかにも恨めしい隙間へと変わる。窓を穿ったそのすぐ先にある隣家の外壁はいったい何なのか。空気の層を...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.88-91
[オランダ]
ヨープ・ファン・リースハウト Joep van Lieshout:1963年生まれ。 主な作品=《本棚ユニット》(1989)、《「天窓」ダッチ・ハウス》(OMAと協働)(1993)、《「ラージ・バー」リール》(OMAと協働、1994)、《主人と奴隷のユニット》(1995)、《良い、悪い、醜い》(1998)など。 「ア...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.94-95
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、国家、資本、大衆によってどのように建築家の有名性が欲望されてきたのか、あるいはされてこなかったのかということを明らかにできればと思います。その取っ掛かりとして、...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[現代建築思潮]
フォールディング・アーキテクチャー──その実践の系譜 ソフィア・ヴィゾヴィティ 日埜直彦|訳 Sophia Vizoviti, “Folding Architecture, Concise Genealogy of the Practice” 二〇世紀末におけるまったく新しい建築を求める議論からフォールディングは登場...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[現代建築思潮]
コードとデ・コード 吉村靖孝 今日は「コードとデ・コード」と題して、ローレンス・レッシグの『Code──インターネットの合法・違法・プライバシー』(翔泳社、二〇〇一)という著作と、僕がすすめてきた「デ・コード」というフィールドワークとの関係について話したいと思います。 まず「デ・コード」ですが、これは法規をガイドとして...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.47-54
[現代建築思潮]
セシル・バルモンドの『informal』を読む 今井──前回、オランダ建築の話をするなかで離散型に関する話題が出てきました。そして連続ではなく不連続、コンクリートでなくディスクリートなものにいったい何があるのか、どういった美学が潜んでいるのか、という興味が出てきたわけです。そこで、新しいディスクリートな建物の構造を、O...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.45-52
[現代建築思潮]
オランダ現代建築紀行 今村創平 オランダ人の友達がチューリップ畑を見たいかと聞いた。内心僕はチューリップ畑などまったく見たくなかった。赤、黄、白、紫といったたくさんのチューリップを見るのはうんざり、と思ったなどいくつか理由はある。とにかく、チューリップを見たいとは思わなかった。友達は一緒に行こうと強く誘った。彼がそう...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[現代建築思潮]
報告 今井公太郎 今井──前回、バシュラールの「形式的想像力」と「物質的想像力」について話をしました。建物でいうと「形式的想像力」というのはフォルムやプランといった幾何学的なことに対応し、「物質的想像力」は素材や物質そのものに対応する、という区分をしました。近代建築以降のさまざまな建築理論は、どちらかというと形式的想像...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.37-44
[オランダ]
ピーター・バネンバーク Pieter Bannenberg:1959年生まれ。 ワルター・ファン・ダイク Walter van Dijk:1962年生まれ。 カミエル・クラーセ Kamiel Klaasse:1967年生まれ。 マーク・リネンマン Mark Linnenmann:1962年生まれ。 主な作品=《パーク・...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.92-93