ピーター・バネンバーク Pieter Bannenberg:1959年生まれ。
ワルター・ファン・ダイク Walter van Dijk:1962年生まれ。
カミエル・クラーセ Kamiel Klaasse:1967年生まれ。
マーク・リネンマン Mark Linnenmann:1962年生まれ。
主な作品=《パーク・ハウス》(1995)、《WOS8》(1998)、《マンダリナ・ダック》(2000)など。
NL
「レッテルを貼る」という具合に使われる「レッテル」という単語は、古くオランダから輸入されたものである。商品に貼り付ける紙札などを指しており、それが信用に足ることを保証する役割を果たした。しかし、今日この言葉が用いられる折には、「一面的な評価を与える」というネガティヴな響きをともなっている。レッテルというツールは言わば諸刃の剣であって、生産者、消費者の両者ともに有利に働く安定したクオリティの基準を生みだす反面、その基準そのものによって背後にある多くのものが見過ごされたり、あるいはその基準よりさらに先への飛躍を望む際には、重い足枷ともなる。現在のオランダ建築界に忍び寄っているのはまさにこの「レッテル」の影ではなかろうか。ダッチ・モデルなどと呼ばれる昨今のオランダ現代建築に貼られたレッテルは、オランダの若い建築家を一躍スターダムへ押し上げる役割を十分に果たした。が同時に、当のオランダの建築家にとっては、トラウマのような望まざる影へと変貌を遂げつつあると言えるだろう。
しかしこの建築家たちの振る舞いには、それに苦悶するような様子がない。なにしろその名が「NLアーキテクツ」である。訳す必要などないのだが、あえてそれを試みるなら「オランダの建築家たち」、とでも言おうか。彼らはオランダの問題、そしてその解法までをも思うがままに利用してみせる。
《WOS8》
ユトレヒト郊外にあるこの物体[図1]は、《WOS8》と呼ばれている。一キロほど先にある発電所の廃熱を再利用する熱変換施設であり、VINEX★一に定められた近隣一万一〇〇〇戸のハウジングへむけ、温熱と温水を供給する。通常地下で都市をバックアップするはずのインフラストラクチャーが、管理の簡便やコスト・パフォーマンスの斟酌の結果、ここでは地表に露出してしまった。つまりこれは、ここにこうして存在してはいるが、見て見ぬふりをしてあげるのが礼儀であるような、いわば都市の「しみ」である。クライアントは、そういった「しみ」を覆い隠す「殻」のみデザインすることを依頼し、そして彼らは、要求通り「殻」のみをデザインした。
この物体を特徴づけている「黒」は、本来駐車場などで使われるルーフィング用のポリウレタンである。この素材で全体をシームレスにコーティングして、屋根、破風、壁といったおきまりの分節を回避している。結果それは「物体」と呼ばざるをえないような未視感につつまれ、「しみ」にしてはいささか意味深長な佇まいをみせている。このように、本来使用されるべきビルディング・タイプ、またはその部位の変更によって「素材」の新しい側面を照らし出すのは、オランダでは、OMAの発見的自覚以降、低い建設単価の解法としてほぼ必然的に用いられてきた手法である。豪奢なつくりを要求されがちな美術館でFRP波板を大々的に用いたOMA★二、既製のコンクリート型枠パネルを住宅の外壁に転用したMVRDV★三など、多くの類例を容易に探し出すことができる。いずれも容易に手に入るレディメイドの建材で、ブリコラージュ的な手際を発揮している。
しかしこの物体をさらに詳しく眺めてみると、唯一の窓のように見える部分には、実はバスケット・ボールのゴールが埋め込まれていることがわかる[図2]。ゴールの透明な背が、窓へと転用されているのだ。建材の転用というフレームで切り取ろうとするありがちな視線を遮るように、さらに先へと飛躍されてしまった。しかもこれは、コラージュ的に意味の織物を導引するだけの「飾り」ではない。このバスケット・ゴール目当てに集まる若者の気配によって、都市のデッド・スポットとして、ここが危険なパブリック・スペースとなるのを回避しようとしているのだ。漆黒に目を凝らしてみれば、同じ目的のために、ロック・クライミング用の石[図3]、鳥の止まり木さえ埋め込まれていることが明らかになる。そして、彼らは大事なことを忘れていない。すなわち、人を惹きつける魅力の核心とは、「隠すこと」そのものであることを。彼らは、「ドアスコープ」を通常とは表裏逆に埋め込み、中をのぞき見るための装置とした。結果としてこの物体は、なにものかを覆い隠す存在であることが自身にはっきりと刻印されるのである。
1──《WOS8》
2──同、バスケット・ボール・ゴール
3──同、ロック・クライミング用の石©Taeke Bouma
「/」
NLアーキテクツは今年、ヴェネツィア建築ビエンナーレ・オランダ館を担当している。この展示空間は「NLラウンジ」と名付けられ、「パブリック/プライヴェート」と副題がふられた[図4・5・6]。彼らはこの会場内に突如「居間」のような空間を挿入している。見ず知らずの来訪者やアーティストと「居間」を共有するのも奇妙な経験と言えるが、さらにこの空間は、ウェブ・カムなどの装置によって会場の外とじかに接続された。
この作品で参照されているのは、オランダのテレビ番組「BigBrother」である。この番組は、仮設の住宅の中に男女を住まわせ、至る所に据えられたカメラで彼らのプライヴェートをのぞき見る、という古典的とさえ言えるいたって単純なものである。住人は基本的に素人であるから、知名度のポテンシャルに依存しているわけでもない。唯一とも言える仕掛けは、視聴者が番組にアクセスして住人をひとりずつ脱落させていくというインタラクティヴィティで、それはこの番組の高視聴率獲得に一役買ったとは言えるが、プライヴェートな空間が、たいした編集もなしにテレビというパブリックなメディアに垂れ流され続けていることにかわりはない。それでもこの番組は大変な人気となり、近年一のオランダ製プロダクトとまで言われるようになった。NLアーキテクツは、この「パブリック/プライヴェート」の図式のなかに、ビエンナーレの来訪者を巻き込んだ。来訪者は予期せずプライヴェートな空間に迷い込み、それが実はきわめてパブリックな空間であることを知る。ここでは、「パブリック/プライヴェート」が幾重にも折り重なっている。NLはこの反転、あるいは交錯の瞬間こそ、今日、人を惹きつけうることに注目しているのだ。
考えてみると、前出の《WOS8》は、極めて「パブリック」な機能を持ちながら、それが隠蔽されていることそのものをアトラクションへと昇華したオブジェであった。ビエンナーレでは「パブリック」のなかに「プライヴェート」を埋め込み、さらにそれを「パブリック」の視線にさらした。「パブリック」と「プライヴェート」が交錯する瞬間、その境界の揺らぎが、魅力の原点として扱われている。このことからあきらかなとおり、「パブリック/プライヴェート」の座標上で彼らの操作の焦点となっているのは「/」である。何時でも置き換え可能で、フラジャイルな境界。この「/」的な眼差しは、「パブリック」と「プライヴェート」のあいだに限らず、彼らのデザインの端々に見ることができる。違う文脈に挿入された途端輝きを増すマテリアル、「外」から使う建築など、枚挙にいとまはない。また彼らの、自らダッチ・モデルを告白し先に限界を提示するようなスタイルも、結果的にはダッチ・モデル「/」ノン・ダッチ・モデルのあいだを不断に行き来する切符となった。国際的な活躍が待ち遠しい建築家である。
4──「NLラウンジ」 ©Ernesta Caviola
5──同 ©Nico Bick
6──同、平面図
註
★一──オランダの「第四政策文書の補足事項」と呼ばれる、住宅開発のガイドライン。移民の流入に対応する。
★二──《クンストハル》(ロッテルダム、一九八八)
★三──《ダブルハウス》(ユトレヒト、一九九七)