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1:妹島和世《梅林の家》──厚い壁 | 吉村靖孝
Kazuyo Sejima, "House in a Plum Grove": The Thick Wall | Yoshimura Yasutaka
掲載『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険, 2004年06月発行) pp.88-91

妄想

東京に暮らしていると、隣接するビルとビルのあいだに空いたあの無駄な隙間にまったく違和感を感じなくなる。たしかにそれは普段なら見すごしていてもなんら不都合のない微小な空間であるが、しかし狭小住宅の設計になぞかかわると、いかにも恨めしい隙間へと変わる。窓を穿ったそのすぐ先にある隣家の外壁はいったい何なのか。空気の層を「間」と呼ぶとして、こちらの部屋内から間(屋内)・壁・間(屋外)・壁・間(隣の屋内)と連なる、この分子の粗密をどうにかやりくりして少しでもこちら側の気積を増やせぬものか、そんな妄想が膨らむ。考えてもみると、壁体内にはたいてい空気層が用意されているのだから状況はより複雑である。間・内壁・間・外壁・間・外壁・間・内壁・間では、なんとか一部を省略できないかと考えるのも無理からぬことではなかろうか。この妄想はひとまず妄想に終わるのだが、《梅林の家》[図1・2]を見たときすぐさま再燃した。

1──《梅林の家》外観 撮影=新建築写真部

1──《梅林の家》外観
撮影=新建築写真部

2──同、内観 撮影=新建築写真部

2──同、内観
撮影=新建築写真部

薄い壁

妹島和世の近作《梅林の家》は、鉄でできている。それは鉄の面材を全溶接で継ぎ合わせたほぼ単一素材の箱であり、わずか一六ミリという極端に薄い壁をもつ。単一素材という意味ではログハウスに近く、一体構造という意味ではRC造に近いのだが、その薄さのせいでどちらにも似ても似つかぬ表情をたたえている。構造設計を担当した佐々木睦朗によれば構造的に必要な厚みは一二ミリにすぎず、一六ミリというのは主に製作上の都合で導き出された厚みである。つまり、そこにはまだ四ミリの余裕が残されているのであり、また空間と壁のプロポーションで相対的に見れば壁厚六〇ミリの《スタッドシアター》のほうがさらに華奢なのだそうだが、それでもこの住宅の壁が絶対的に薄いという事実は揺らぎそうにない。
この極薄の壁は、先ほどの妄想に登場したような在来仕様の壁とは一見関係がない。構造、防水、防火、防音、断熱といったそれぞれ別々の性能を分担する各素材が幾重にも重なってようやく一枚の壁としての体をなすのではなく、一枚の鉄板がそのすべてを同時に担っているからである。しかし、この住宅の壁は単に薄いだけでないように思えてならない。おそらく内部空間が小房状に細かく分節されていることによって、あの復層の壁と再び接近している。一組の壁・部屋・壁が、互いに近づくことによって、ちょうど一枚の壁のような性格を帯び始めているのだ。《梅林の家》は、薄い壁で構成される。しかし薄い壁によってもたらされた空間の質は、むしろ厚い壁によるものと近いのではないか。それが、この小論の立てた仮説である。

洞窟

壁が極限まで薄くなると厚い壁に変わるという、まるでお伽噺のような説を検証するために、まずは薄い壁とは何なのかということから考えてみたい。建築家が薄い壁を志向するとはどういうことか。それはピラミッドに始まり、ロマネスクやゴシックを経由してモダニズム、ついには膜構造にいたる技術史、すなわち、より少ない材料でより大きな空間を実現するという、ゆるやかだが揺るがしがたい潮流のなかに自らを位置づけるということである。鉄と溶接によってできる構築物はそこでかならずしも目新しいものではないのだが、断熱材や塗料の改良がなければ住宅の壁に据えられることはなかったという意味で、《梅林の家》も先端技術の成果である。それも間違いなく有数の事例であろう。しかし、この住宅が獲得した空間の質は、技術的な進歩に歩調を揃えた洗練と一口に言いきれるものではない。妹島自身が指摘するように、それはまるで「洞窟」のような、むしろ原始的とさえ言いうるものだ。洞窟は、人類が構築物に住み始める以前の住処、建築以前の建築であるから、技術の云々とは無縁と言ってもよい。技術史の両端に陣取る「洞窟」と《梅林の家》がなぜに似るのであろうか。
考えられる要因のひとつは、それらがともに単一素材であったことである。炎から灯りと暖を分けたのと同様に、壁に求められる性能を細かく分け、その分担を押しすすめたのが近代だとすると、万能を標榜する《梅林の家》の壁は、素朴でさえある。もうひとつ別の要因と考えられるのは、それらがともに一室空間だということである。空間が広がったり狭まったりして部屋らしきまとまりが現われはするものの、「洞窟」にしても《梅林の家》にしてもその区分は明確でない。
《梅林の家》は、ワンルームに住みたいというクライアントの希望に沿って設計されたという。たしかにこの家には建具がなく、いわゆるワンルームと同じように視線や声や匂いが抜ける。ところが平面図をよく見ると子供部屋がベッド室と机室に分かれているといった具合で、通常よりも部屋数が多いと言ったほうが理解しやすい。これはひとつながりの多孔空間なのである。妹島によれば、まずこの分節がありきで、分節してなお一室として成立するような壁の寸法を模索しこの極限的に薄い壁にいたったことになる。逆に、薄い壁で変形をおさえるには分節を増やしスパンを小さくする必要があったとも言えるだろう[図3]。部屋が多い(/少ない)ことは壁が薄いことと相互に依存し合っている。その意味で壁が薄いことも洞窟を散策するような空間体験に大きく関与している。しかしそうは言っても、肉厚の洞窟と一六ミリの鉄板は簡単には結びつかないのではないか。

3──1-3階平面図 S=1/200 提供=妹島和世建築設計事務所

3──1-3階平面図
S=1/200
提供=妹島和世建築設計事務所

厚い壁

洞窟のような印象を与える要因は、単一素材と一室空間にあると書いた。しかし両者を決定的に異質なものにしかねないのが壁の薄さである。洞窟の壁は例外なく厚く、そのことにかけてはログハウスやRC造をはるかに凌ぐ。薄い壁をもつはずの《梅林の家》は、なぜログハウスやRC造ではなく洞窟に似るのか。それは《梅林の家》の壁を厚く感じたこととどこかで関係しているのではないだろうか。
壁は空間と空間を隔てるものである。これは壁の定義として簡潔な部類に入ろうが、しかし壁の仕様によっては、まったく当を得ていない。ログハウスやRC造をのぞく多くの壁は、その内部にまた別の空間を携えているからである。通気のため、断熱のため、配線のため、遮音のためとその目的はさまざまであるが、壁の中にはたしかに空間と呼べる隙間がある。児戯に類するとしか言いようがないのだが、隣家の壁について妄想したあの経験よりもはるかに前、ちょうど初めて図面を引いたころそれは強烈な驚きであった。なぜ壁のこちら側の空間は部屋と呼ばれ、壁の中の空間には名前さえないのか。二つの空間をこれほどまでに隔てるのは何なのか。人が入れる寸法かどうかというのが分岐点ならば、廊下や収納などは、中間的な性格をもっているとも言えまいか。用途を中心に理解していた各空間の関係が、表の空間と裏の空間という二種類にまで還元的に整列し、自明に思えていた壁の印象が一変した。
後に気づくことだが、壁に、部屋に対するのと同質のまなざしを最初に投げかけたのは、ルイス・カーンではなかったか。有名な「サーヴド・スペース」「サーヴァント・スペース」は、壁の裏(あるいはスラブの裏)に対する執拗な思索のうえに築かれたと言って間違いはなかろう。しかし《梅林の家》はこの単純で根源的な分類を拒んでいる。
《梅林の家》のように単一素材でできている場合は壁に表裏がなく、各小部屋は部屋がちぢんだものであり、同時に壁の裏がふくらんだようなものとなる。そこでは表の空間と裏の空間がいつでも交換可能な状態に保たれるのである。

図面

《梅林の家》の図面には、その兆候を読み取ることができる。かつて、雑誌に掲載される妹島の図面と言えば、シングルラインで書かれたガラスとガラス・リブが印象的な抽象度の高いものが多かった。壁の断面も床の目地もみな同じ太さで描かれた抑揚のない図面は、実現した建物の印象を代弁していた。その意味で、彼女の図面はその寡黙な見えがかりと裏腹に適度に雄弁であったと言ってもよいだろう。しかしある時期から、詳細図が掲載されるケースが多くなる。完成した建物がかげろうのようなはかなさを見せる一方で、その横に添えられる図面はある種の労が滲む詳細図となり、説明的になることでむしろ冗長な印象さえ与えたかもしれない。妹島は雰囲気のつくられ方を積極的に開示して、目や耳を研ぎ澄ませた者のみが共有できるような感性の制約を踏み越え、代わりに強力な理性を纏うようになったのである。しかし《梅林の家》にいたっては、基本図と詳細図という線引きがあっさり無効になっている。単一素材でできた壁体は、拡大しても詳細が現われない。そればかりか雑誌に掲載される一五〇分の一程度の図面上では、この薄い壁はシングルラインにしかならないのである。妹島が詳細図を掲載するようになったのは、実のところ、《梅林の家》にいたる伏線だったのではないかと思わせるほど、その図面は抽象的である。
しかしながら『新建築』誌に掲載された図面[図4]は、また別の読み方を要求しているように思われる。そこには、壁の組成が書かれない代わりに、部屋の中に溢れる家具や調度品、テーブルの上の皿までが書き込まれている。妹島はすべてを表に引きずり出してどこもかしこも「サーヴド・スペース」化している。いや、そのことをあえて「サーヴァント・スペース」化していると言い換えたほうがいいだろう。なぜならそもそも建築家が配置の一切を決定し図面に書き込むのは、「サーヴァント・スペース」たる壁の裏側だけであったのだから。つまるところ《梅林の家》は、壁の塊なのである。そして人のいる位置こそが穴となる。人、人と人、音や光の配列の変化に応じ、壁の裏側が部屋のように振る舞い、部屋が壁の裏のように振る舞うのである。この住宅の壁は世界一薄く、同時に世界一厚いと言えるのではないか。洞窟的な印象はその極厚の壁によって助長されているのだろう。

4──1階平面図(詳細) S=1/200 提供=妹島和世建築設計事務所

4──1階平面図(詳細)
S=1/200
提供=妹島和世建築設計事務所

自由

ところで、前述の技術史は外壁史である。同じ壁でも間仕切り壁はこれまで常に蚊帳の外にあったと言えるだろう。しかし、《梅林の家》の重要な特徴は間仕切りにこそ現われている。間仕切りが最大化して建築家の意志を細部にまで浸透させ、ユーザーの行動をこと細かく制限する一方、逆にユーザーが選択できる空間や、空間のつながり方を格段に増やしている。しかも主体が移動した際には、間仕切りと外壁が連携して、一六ミリから数メートルまで壁の厚みを変化させる。《梅林の家》は、この規模の住宅として空前の多様性を提供していると言ってよいだろう。
壁を取り払うことではなく、壁を立てることによって自由=選択の幅を獲得した★一この住宅は、間仕切り史に礎を築く重要なサンプルだと言えるのではないだろうか。


★一──自由のために規制する(壁を立てる)というくだりについては、『10+1』No.34(INAX出版、二〇〇四)「現代建築思潮:法規から解読(デ・コード)する建築/都市──建築法規とローレンス・レッシグ『Code』をめぐって」を参照。

参考文献
・『新建築』二〇〇四年三月号(新建築社)。
・『GAJAPAN』No.67(エーディーエー・エディタ・トーキョー、二〇〇四)。
・『建築文化』二〇〇四年四月号(彰国社)。

>吉村靖孝(ヨシムラ・ヤスタカ)

1972年生
吉村靖孝建築設計事務所主宰。早稲田大学芸術学校非常勤講師、関東学院大学非常勤講師。建築家。

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>梅林の家

東京都世田谷区 住宅 2003年

>妹島和世(セジマ・カズヨ)

1956年 -
建築家。慶應義塾大学理工学部客員教授、SANAA共同主宰。

>佐々木睦朗(ササキ・ムツロウ)

1946年 -
構造家。法政大学工学部建築学科教授。

>ルイス・カーン

1901年 - 1974年
建築家。