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討議:オリンピックと団地二〇一〇年問題 | 今井公太郎+今村創平+日埜直彦+吉村靖孝+金子祐介+アリ・セリグマン
The Olympics and the Year 2010 Housing Development Problem | Imai Kotaro, Imamura Sohei, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka, Yusuke Kaneko, Ari Seligmann
掲載『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。, 2006年09月発行) pp.37-44

10+1──現代建築思潮研究会では、オリンピック招致によって都市改造が一気に巻き起こることを想像の視野に入れながら、この会独自の計画案を組み立てようとしています。前回バルセロナ・オリンピックに至るまでの都市の展開を研究したのも、われわれの計画案につながるソースを探すためでしたが、今回は場所を東京に移していきたいと思います。すこしタネを明かしてしまえば、この会のオリンピック計画案はすこし変わった土地で行なおうとするものです。「歴史」「地勢」「都市的成熟」「都市的ストック」「緑」の五つの基準からみた広大なサイト──大規模集合住宅地を会場とし、これを都市の将来像と重ね合わせることを考えているわけです。
これまでに議論してきたこの五つの基準を、今回日埜さんの言葉でまとめていただきました。

以下の五つの着眼から惰性的な東京の状況に切り込むオリンピックを契機とした戦略を組み立てることができるだろう。

1  歴史
都市が成長してきた歴史は、都市を読み解く基本的な文脈となる。第二次世界大戦以降の東京中心部の移動とそれにともなう東京西域のスプロール的な住宅開発は、都市環境の不均衡をもたらしている。とりわけ前回のオリンピックが行なわれた六〇年代にヴィジョンなきままに進められた東京の都市開発に対して、その不均衡を調整しつつ、エリアごとの多様性を活かす戦略が求められる。

2  地勢
地勢は都市の生理と深く関わり、その潜在的な可能性を規定している。「下町」および「山の手」はそれぞれ、古くから開けた隅田川などの河口付近の平地とそれより後に開発された緩やかな丘陵地帯を指す。五〇年代までの東京の中心は下町にあり、六〇年代以降山の手が東京の都市的成長の表舞台となってきた。こうした意味で地勢的な文脈は、歴史的文脈と重なり、東京の現状を形成している。

3  都市的成熟
オリンピックをサポートするために要求される都市インフラは、すでに東京に存在する。世界有数の巨大な都市人口が、働き、食べ、住まうために要求されるインフラはオリンピックに要求されるそれよりもはるかに大きい。競技施設をどこに建設するにしろ、運営に支障を来すような場所は東京にはほとんど存在しない。問題はどこにどのような会場を設け、そしてそれをどのような将来像へと方向づけるかである。

4  都市的ストック
六〇年代に当時の都市辺縁部に形成された大規模な集合住宅開発地はすでに住宅ストックとして陳腐化している。長期的な高齢化の進行と人口減少の傾向からすれば、この広大なサイトをいかにリサイクルするかが今後の東京の都市環境の重要な焦点となる。

5  緑
オリンピック会場としての良好な環境を提供するだけでなく、オリンピック以降の都市環境に資する場を形成することが求められる。山の手地区はかつての武家屋敷跡を継承した都市公園が整備され、下町地区はまとまった緑被面積に乏しい。こうした東京の偏った緑地分布の接する位置に上記の広大なサイトは存在し、二つの地域の都市環境を単に平準化するのではなく、生活文化に根づいた各地域の都市環境を尊重したうえでアクセス可能な緑地を提供することが可能である。


10+1──今回見学に行った北区の赤羽団地と板橋区の高島平団地のうち、赤羽団地は長期的な高齢化の進行と人口減少が進み、この広大なサイトのリサイクルは将来の東京の都市環境を考えるうえで重要なポイントであるという考えにいたったわけですね。
今井──すこし身近なところから話をさせてください。最近、吉祥寺にあるマンションの建て替えについて、相談にのってほしいと言われて現状を見に行ってきたんです。ここも住民のほとんどはお年寄りで、財産も少ない。そのうえ、建物は古くなりすぎており実質的な評価をしづらいわけです。だから結局、地価で評価してディヴェロッパーが足りない資金を水増しし、戸数を増やして再開発をするという、いわゆる権利変換などのディヴェロッパー主体のシステムができあがっているわけです。ところが、そもそも建築物自体の需要が減少しているいまの状況にあっては、ディヴェロッパーが描く住戸の権利床+αの部分で稼ぐというスキーム自体が時代に合わなくなってきている。これでは再開発の本質がいつまでたっても変わらない。だから僕たち一建築家が話を聞いてあげても実はしょうがないんですよね。公の力が入ってくるべきであって、もはや建て替えの問題はディヴェロッパーや民間ベースの話ではないということです。
日埜──戦後住宅供給政策の計画性の欠如がいまいたるところで顕在化しているわけですね。オリンピック招致を目指す二〇一六年にはこの問題がいっそう深刻化していることは明らかで、今後、主体が国なのか民間なのかは別として、どう対処するのか早急にコンセンサスが必要になるでしょう。住民にとっては今後の生活設計を考えるためには具体的な計画を早く提示してもらわないと対応できないし、誰が主体として進めるにしろ規模が大きすぎて短期間に解決できる問題じゃない。むしろいますぐにでも計画を考え始めないといけない。いまというのは、オリンピックをこの問題のひとつの解決方法として考えることができる、現在のことです。
今井──しかし、オリンピックだけですべてが解消できるというものではないでしょうし、何かを付加しないといけないのではないでしょうか。かといって、リサイクルにおいて面積を使い切るためだけにオフィスを計画するというわけにもいきませんよね。現状ではオフィスだって余っているのだから。
日埜──床の総需要が減っているなら、建て替えによって床を増やしても利益が増える保証はなくて、むしろ床を減らすことで享受できる環境を社会的に負担するとか、少し違う考え方が必要になるんじゃないでしょうか。
今井──その前に少し現状を数字でみてみましょう。東京都住宅局発行の『平成一五年度東京都住宅白書』によると「マンションの老朽化は深刻。二〇〇二年末現在で東京の分譲マンションのストックは全体で七四万戸。そのうち二〇〇〇年末時点でおおむね築後三〇年を記録している老朽ストックが四・四万戸。今後急激に増加して二〇一〇年には二〇万戸を超える見通し」。オリンピックを目前に老朽ストックは一気に増加します。
日埜──二〇一〇年に老朽化したストックとなるのは、一九六〇年代近辺に建てられた建物だということですよね。
今井──そういうことです。つまり、オリンピックの年である二〇一六年には、一九七五─八〇年近辺に建てられたものが老朽化した建築として認定を受けるということでしょう。ただ、ここでは老朽化と言っていますが、実際は使えるけど古いということですけどね。
金子──ちなみに、そうした老朽化の対象となった建築物はどのように改修をすればいい結果を生むのでしょうか。それとも、改修をしないほうがいいのでしょうか。事例があれば聞かせてください。
今井──いま、一九八〇年くらいに建てられたRC造のオフィスの改修をやっているのですが、古い建築を改修するに際し、ここ二十数年で何がどのように変わったかということを考えます。耐震基準が変わったのはもちろんですが、それにともなって増築ができなくなっているんです。つまり、改修される古い建築物自体が法的に既存不適格になってしまいます。その問題が解消できないと、いまあるストックを有効に使おうと思っても外装を少しいじるくらいのことしかできないんです。設備に関しても、床がいじれないからダブルスキンといいますか、外装の外にもう一枚外装を組んで、その間にできた空間に設備シャフトをつくるということくらいしかできません。このようなことしかできないのは悔しいと思い、既存のオフィスの上に、箱を置くという方向に考え方をシフトしました。具体的に言うと、新しい設備を配するために設けたダブルスキンになっている部分を構造的な足として利用しながら、既存の老朽化した建築物自体を跨いでその上に空間を設計してしまうという手法です。結局コストが合わなくて実現しなかったのですが。
ただこのときに、縦増築は認められていないけれど、横増築と解釈することでこの案は可能となるということがわかりました。つまり、スキームとしては成立するんです。こうしたことからもわかるように、ハードウェア上の制約さえクリアにすれば、現行法の下でもいまあるストックは使えるのです。でもやはり、実際建てるとなるとお金の問題が絡んできますから、集合住宅に関してはストックに目を向けるよりも建て直したほうが安いという、安直な結論に至ってしまうのです。
赤羽団地のような、数十年前に建てられた箱型のRC造五、六階建ての建物を再利用する時の大きな問題のひとつは耐震基準です。古い建物の耐震性能をいま並みにしようとすると、構造的に補強が必要になってくる。もうひとつは、いまの需要に耐えうる設備のスペースがないことです。また、コンクリート打ち放しの建物だと断熱性能もなく熱負荷問題も解けていないので、設備的にも外部補強が必要になってくる。
つまり、構造的にも設備的にもダブルスキンにして外側からラップした状態にするというのが、老朽化した既存の建築物の補修の現状と対策でしょう。さらに言えば、既存の建築を利用するのであれば、そうしたダブルスキンになっている補強を足掛かりとして、既存建築物を跨いだ物を建てられれば、解体費もいらないしいまあるスペースを有効利用できる。
こうしたダブルスキンの門型を利用した改修の方法を東京都と検討した結果、実際に使えることがわかったのですが、技術的な問題
──特にエキスパンションの問題や両面に出た構造への風荷重をどう受けるかという問題──に関して、新しいダンパーの開発など技術的な問題がでてきます。
ただ、これはいまあるストックを減らさないで維持しようという考え方のもとでの改修工事です。実際は、絶対量が多すぎるのだから、減らして間引いて緑化計画をするということを同時に行なわないと収支計算が合わないでしょう。
日埜──基本的な疑問ですが、そうした土地の資産価値はどうなっているのでしょうか。かつての取得価格はすごく低かったんだと思いますが。
今井──評価はほぼ地価そのものでしょう。というか撤去費などで、むしろ価値は更地より下がるかもしれない。地価の評価自体は、時価でしょう。
日埜──継続使用しているぶんにはあんまり問題ないけど、転用して売買しようとすれば地代だけでものすごい金額になるんですね。
今村──地価評価額は税金をかけるために必要という側面もありますね。でもJRの駅のような土地はどうなるんでしょう。
今井──あれは人工地盤で新しく作った土地という考え方ですからね。
今村──路線上にはあるけれども駅自体には税金がかからないということですね。言い換えるなら、もとは国のものだった国鉄の所有物である駅には、そもそも転売という考え方がないため価値不明な土地だということですよね。
今井──そう。現在は評価方法がはっきりしないということです。

赤羽団地(左)と高島平団地(右)の競技場化イメージ

赤羽団地(左)と高島平団地(右)の競技場化イメージ

赤羽団地、高島平団地の現況

金子──つい先日、この会で赤羽団地と高島平団地に見学に行ってきたわけですが、その状況を見ると話がわかりやすいと思いますので説明しておきましょう。
今村──現在の赤羽団地は、緩やかな密度で建っている老朽化したいくつかの棟と、すでに建て直しが終わったいくつかの棟とが並存している状況です。前者に関しては当然のごとく建物自体の老朽化が進んでいました。新しい入居者はなく、住んでいる人も少なそうで閑散としていました。後者に関しては、伊東豊雄さんや山本理顕さんなどが手掛けた東雲の集合住宅と同じくらいの規模の棟でした。
今井──建て替えにあたってはそれ以前のものより面積を増やし、分譲にして売却できたぶんを工事費に回そうというモデルです。つまり、床が増える方向にしかならないモデルなんですよ。
日埜──でも床を増やし続けることなど、将来ずっとできるはずがない。
今井──それがディヴェロッパーの仕事なんですよ。だからそのぶんは税金で負担させられている。
今村──見学に行く以前は、赤羽団地はもう放っておかれるだけなのかと思っていましたが、行ってみると建て替えが始まっている。説明をしてくれた公団の方は、十何年計画と言っていました。つまり、いまここに住んでいる人たちのなかには、建て替えが終わるまで現状のまま待たなくてはいけない人たちが相当数いるということです。
ついでに、赤羽団地の近隣にある都営の団地も見学してきました。こちらの団地は避難バルコニーの新設などいろいろ修繕していましたが、ごく最近改築したものであっても端から壊しているんです。いままで三、四階建てだったものがすでに巨大ブロックの集合住宅に建て替えられている棟も見られました。こちらも十何年計画のようです。
ほかの用途に転用するという発想ではなく、再度団地にするプランがすでにあるようです。あくまでも、団地は、建て替えられたとしても新しい団地でしかない。コーディネートをする側も、公団のものは公団が行ない、都のものは都が行なう。詳細はわかりませんが、赤羽の公団のものに関しては、一部分譲するにしても、民間ディヴェロッパーではないと言っていました。
このように、赤羽団地は古い棟は建て替えたほうがいいという感じでしたが、その一〇年ほど後に建てられた高島平団地は思いがけず生き生きしていましたね。
日埜──高島平団地にはちょっと意外なぐらい子供がいましたね。
今村──そう。自殺の名所だったというようなイメージが前もって刷り込まれていたので、その後どれだけ悲惨な状況になっているかと思っていましたが、緑も手入れがいきとどいて、子供も多く遊んでいる。いままさに良い団地になっているという感じでした。
今井──高島平団地はほかの用途にするために更地に戻すよりも、リノヴェーションして良くすることにリアリティがあるということですか。
今村──そうだと思いますが、それでも団地の一階部分に設けられている商店街は少し寂しい感じがありましたが。赤羽団地は高島平団地とは異なって部屋は半分くらいしか埋まっていないような印象を受けました。住人も老人が多く、集会場などで囲碁をしている光景が見られました。同潤会アパートよりは新しい感じなのですが、ぼろぼろなので新しい家族は入らないでしょうね。無理やり増築しているある棟は南面がパイプだらけで、まるで《ポンピドゥ・センター》のようで、皆の驚きを誘っていました。
吉村──でも団地と聞いて即座にイメージする風景とはちょっと違って、ここは地形が豊かなのでそんなに悪くない感じもしました。高島平団地など多くの団地では広い平らな敷地に大きな棟がひたすら並んでいて単調ですが、赤羽台団地では三、四階建ての棟が丘の地形に沿って少しづつ角度や高さを変えながら小割に建っていて、ちょっと見たことのないシーンをつくりだしている。現代建築的な様相というのか、無機質な感じではなく、なかなかおもしろい。棟のデザインもいろいろなヴァージョンを試しているんですよ。見本市のような感じがしましたね。説明してくれた方も言っていましたが、公団はここで実験したことをほかの地域で展開していったそうです。だから、ヴァリエーションに富んでいたのでしょう。
金子──ただ、ネガティヴな面はそれとして見なくてはいけないのではないでしょうか。
今村──そうですね。赤羽に関しては、団地とともに周りの施設の状況も悪化していました。団地住人のために小学校・中学校・幼稚園などの施設が敷地の周りに多くあるのですが、少子化にともない合併され、いまでは使われていない小学校もありました。ただ、周辺環境条件を見ると悪い面だけではないです。例えば、立地としては近くに川などの自然環境があり、その景観を上手く利用するように河川敷にテニス場などのスポーツ施設などもあります。そういえば、たまたま見つけたのですが、東京オリンピック記念体育館というものがありました。実際オリンピックに使われた施設ではないのですが、一九六四年に建てられたものでした。訪れた日も、平日にもかかわらず卓球やバドミントンをする人がいっぱいいましたが、やはり都内のものとは異なり、近所の高齢者の利用が多いようでした。
こうした環境や施設を上手く利用するために、以前からあった計画道路を五、六年前に完成するなど、少しずつ都市環境を変えようという試みは続いているようでした。
日埜──しかし、やっぱり、赤羽団地や高島平団地の現状はベストには見えない。現状を見てこれはこれでOKという考え方もあるだろうけど、それは設計に知恵を使った結果として実現しているというよりも、年月を経ていまの似たような集合住宅の標準的な水準と比べてみてそう悪くない、ということじゃないですかね。
吉村──たしかにそうですね。容積率に至っては資料には七〇%と書いてありますよ。
今村──駐車場率は一二%と書いてありますが、いまでは考えられないです。せめて八〇%はないと、郊外型の集合住宅には対応していないと言われてしまいます。ちなみに、赤羽にも高島平にも一階部分に商業施設が入っていましたが、どちらにもコンビニが入っていないことは不思議でした。
吉村──そういえば、赤羽のほうには公園が多くありましたね。ジャブジャブ公園なんて名前がついていたものもありました。コンクリートをただ半球型に固めた山のようなプリミティヴな造形の遊具がありましたが、いまではPL法にひっかかりそうな感じ。太陽の塔の時代だなあと思いましたね。
金子──公団が計画した大規模な二カ所の見学地の現状を通して、オリンピックに際して個人の建築家ができることとは一体何なのかと思いました。そのあたりのお話をお聞かせください。
今井──まずは周辺環境のためにこうした老朽化した集合住宅をどうするかということでしょう。つまり、事業として敷地のポテンシャルをどう使いきるかということで、事業者側から見ていたらこれに尽きますよね。
日埜──でもディヴェロッパーと同じ論理で僕らが考えてもあんまり意味はないでしょう。
今井──そうなんですよね。資本主義的に考えると同じことになってしまいます。大規模なオリンピックの開発に、資本主義でない答えをどれだけすべりこませることができる
かという問題になってくる。
日埜──ヴィジョンを示すのであれば、現状の延長線上で考えても解決できない問題に対して、なにかこれまでとは異なる考え方を打ち出し、そのことでこのぐちゃぐちゃな都市環境に対して積極的な提案を示さないといけないんじゃないか。例えば、容積を抑制して建て替えをした場合に余る土地を、自治体が公園用地を取得するときと同じように取得するということは、考えられないことではないような気がするけど。
今井──現状は、方策に困っている住人がディヴェロッパーに頼むしかないということなんですよ。つまり、建て替えたいと希望するけれど、建築家に頼むお金はないということですよね。だから結局、さっき話したように床を増やすしかないという原理に戻ってしまう。住人の希望に誰がお金を出してくれるのかということなんです。
今村──オリンピックを機にした都市開発ならば、国が予算の九割近くを負担してくれるようですが。
今井──そうなると、ちょっと社会主義的な話ですよね。
日埜──でも赤羽で見たように国も建て替えの必要は認めていて、それを実際やってもいるわけですよね。オリンピックと絡めて全体的に帳尻が合うのであれば問題ないのではないですか。
吉村──仮にオランダでこうした計画をやる場合、水を引き込むことで家賃を何%上げられるとか、細かい計算をして収支のつじつまを合わせることを考えるでしょうね。
今井──それでつじつまが合うのでしょうか(笑)。
吉村──水辺とか、公園沿いとか、オリンピックであればスタジアムを覗き込めるとか、家賃をつり上げる要因はいろいろある。それは日本でも同じではないですか?
今村──例えば敷地に水を引き込んで環境をよくすれば、その土地だけでなく、周辺の土地の資産価値も上がる。近隣の人々が憩う環境ができる。公的資金を使う場合床を売るという前提があるのでしょうが、一方お金を産まないけれど公的にメリットがあると判断すれば、公園用地を取得することもあるわけです。そして、ほかでも応用可能な普遍解と、普段はできないけれどオリンピックだから許されるという特殊解があるということです。赤羽や高島平のような大きい敷地に手のつけようがない現状がある場合、オリンピックのような国家レヴェルの都市開発というエクスキューズがあると公的資金が落ちるので一気に話が進むことになります。
日埜──金銭に換算しにくいけど環境としての公園の価値は当然ありますよね。生活の潤いというだけではなくて、例えば避難場所の整備という意味である程度までは必要な社会的ストックでもある。環境に対してパブリック・セクターがコストを負担するというのは抽象的にはごくあたりまえだけど、実際のところどれぐらいリアリティがあるのかな。まあそもそも僕らが収支計算に拘泥してもしょうがないけど。
今村──優秀な官僚が「これで収支が黒になります」と言ったとしても、数年後に赤字になってしまうということはままありますからね(笑)。
日埜──国は国民から税金を徴収して、結局どこかにお金を使うわけです。日本橋に金をかけるぐらいなら、そういうことにお金を使っていけないことはないだろうけど。
吉村──そうですね。公的なものとして支出しないといけない。
今村──われわれがファンドを立ち上げて集金し、赤羽や高島平のように可能性のある土地に投資をしてというふうに、ディヴェロッパーのようになるのかということですよね(笑)。
今井──でも、さっきの吉村さんの提案はどちらかというとディヴェロッパーとして設計をするということで、結果として儲かるほうに設計を落としこむという話に聞こえますよね。数値目標を立てて、それにあわせて計画をしていこうとするもので、そのほうがわかりやすいんだけど、どうしたって無理があります。

赤羽団地 撮影=日埜直彦

赤羽団地 撮影=日埜直彦

高島平団地 撮影=日埜直彦

高島平団地 撮影=日埜直彦

都市機能と公団というシステム

アリ──だとしたら、まず敷地をどのようなところにするかが問われます。古い団地よりも、二〇一六年のオリンピック招致に向けて安藤忠雄さんが提案している東京湾岸のほうがいいのではないでしょうか。
今村──前号の『10+1』(No.43)に掲載された磯崎新さん、石山修武さんの「二一世紀型オリンピックのための博多湾モデル」を見るとよくわかります。これまでロンドンやパリにおいてオリンピックがどのように計画されたかが比較されており、福岡のコンパクトさが際立ちます。東京の計画が集中型だといっても福岡に比べたらその敷地ははるかに広い。
アリ──主要な施設を集めたほうがいいんですか。
今村──そう。コンパクトさを重視するならば選手村とメインスタジアムとメディアセンターは連結させたほうがいいということです。また普段の日常交通を邪魔しないように建てることも重要でしょう。赤羽や高島平では交通に支障が出るという意見は出るでしょうが、実際、東京の交通網のなかでオリンピック開催時に必要とされる人や車の移動はどの程度影響があるのでしょうか。小さな街ならば混乱も起こるでしょうが、東京の交通網のなかでは無視できるとは言えないでしょうか。
吉村──例えば、通勤ラッシュとは逆の方向に向かって試合見物の流れをつくればいい(笑)。
今井──深夜電気料金のような感じですね。
今村──朝の通勤時間でも、オフィス街への交通網とは逆向きのもの、例えば東海道線の小田原行きはガラガラですとか(笑)。
吉村──逆に夜の競技は都心を使ってやればいい。
今村──気分的には、アフター・ファイヴにわざわざ郊外には行きづらいですからね。高島平の見学会の帰りも、南北線に乗って都心に戻ってくる時の電車はガラガラでした。
先の話に戻しますが、公団や都営住宅の場合、都市再生機構なり都市整備局といった組織のもとで計画・設計されるわけですが、そうした組織自体の存続を前提にしているので、建物が老朽化したとしても個人の建築家がそれを建て替えるのは難しい。空室になったり老朽化しても壊せないのはこうした事情があるからで、自身を延命させるために、公団が建て直して団地にせざるをえない。しかも建て直すために面積を増やし、以前より大きくしなくてはならない。つまり、公団というシステムをはずしてしまえば、団地以外のものを建ててもかまわなくなるのですが、もう一回、団地をつくるということが前提になっているところが問題に思えます。
金子──公共事業として団地建設が必要ないとしてもつくられ続ける?
今村──これまでの団地ではないところに住もうというストーリーにすればいいと思うんですが、それが難しい。
今井──民間ベースにしたときに、集合住宅の建設が事業として成立しなくていいというのであれば全面的に壊してもいいと思いますよ。
今村──しかし公団にしても純粋に事業としては成立しないのに、無理やりに高密度の計画を立てていることはないですか。
今井──その代わりに余剰で儲けようとしているんですよ。
今村──確かに、はじめから公園にしようとしたら成立しないけれど、オリンピック施設として計画すれば、競技場の使用料金など関係する商業的なものからの収益を考えることかできます。施設自体が収益を生むことも可能でしょう。
今井──オリンピックの開催中に回収できないとだめでしょうね。公団の団地にしても、増築した余剰で儲けようとする際に、儲ける分は最初に分譲して売り払ってしまわないと改修すらできない。何年かあとに収入が入ってくるのではだめです。
金子──なぜそのように慎重に考えているのですか。
今井──じつは昨日、NHK特集で「ワーキング・プア」について見たこともあって、精神的にネガティヴになっているんですよ(笑)。
吉村──どんな話なんですか。
今井──いわゆるシャッター商店街で暮らしている老人の職人さんたちの話です。彼らは手に職をもっているのですが、そこに出てくる仕立屋さんは仕事がなく、年に二着つくるだけ。普段はほつれを直しているだけで、ほとんど収入にならない。それゆえ医療費も払えない状況なんです。浮浪者とは違い、働いてはいるんだけれどとにかく貧しい。老人だけでなく若い人も出てきてました。
吉村──それはどうにかしなさいということですか?
今井──どうにもならないということです。
今村──ワーキング・プアとは少し違うのでしょうが、最近僕も似たような人々と出会いましたが、それは一様に悪いものとは決めつけるられないだけではなく、逆に可能性も感じています。それは今年僕が参加している新潟の「越後妻有アートトリエンナーレ」で出会った、主に都内の学生や越後妻有の住民の方々です。ここで働いている人たちは、昨年の「横浜トリエンナーレ」のスタッフとは明らかに質が違う。もちろん、二つのトリエンナーレはイヴェントとしての規模や観客の動員数が違い、なによりも動いているお金が根本的に違うようです。妻有は経済的にはとても厳しいようなのですが、しかし、主催者側はこのことについて別のロジックで乗り切ろうとしているように思える。
ひとつは、このイヴェントを通して、地域自身がもともともっている力──目に見えないプラスαの力──が地域を活性化するという考え方。もうひとつは、このイヴェントに関わることそれ自体に意義があるということ。つまり、現地の人もたくさんの学生たちもみな、ボランティアであることに意義を認めているわけです。こうした考え方に賛同している人たちの多くは、労働はあっても報酬はないから、ある種のワーキング・プアといっていいのかもしれない。しかしイヴェントに参加すること自体が多くの人にさまざまなモチヴェーションを与えている。学生たちは東京でアルバイトをすればもっとお金を得ることができるけれど、それよりも無報酬で田んぼのなかでアート・イヴェントのサポートをするほうがよっぽど面白いと思っているんです。われわれから見てもとてもはつらつとしている。オリンピックなどもそうしたイヴェントのひとつとして意味を与えることができるないだろうか。具体的な方法はわかりませんが、人々にモチヴェーションを与えるようなことができたら面白いと思います。
今井──ボランティアを前提にするのはどうかと思いますが。責任の所在が明確にならない。
今村──ゴミを拾うことは社会に役に立つとか宗教的なボランティアみたいに道徳的なことを前面には押し出さない、単純に参加することに意味を見出すお祭りなんですよ。アートというそもそも必要かどうかわからないものだから、成立しているのかもしれない。経済効果を追求するというのでもない、逆に投資することに意味があるくらいの面白さを求めているんです。
今井──オリンピックだけであれば問題はないでしょうけれど、公団の問題と絡めると……。社会的ストックというまじめな問題とお祭りが一緒になってしまうと問題なんですよ。
日埜──むしろお祭りに乗じて、社会的な問題をどうにかしようという方向にもっていったほうがいいのではないでしょうか。
今井──公団は一過性の問題ではないので、コストは隠せない。
日埜──ごまかせないというよりも社会的整備にはどうあれ相当の資金が必要なのだから、こうなりますよというヴィジョンを選択肢として見せてあげたほうがいいでしょう。一種のプロポーザルですから。お金の使い方の可能性を見せてあげるってぐらいでよいのでは。
吉村──僕も、どうせお金を使うのだからその効用を可視化してあげたほうがいいと思います。
日埜──赤羽や高島平の現状を確かめてきたわけですけど、そういういま生じている問題を視野に入れて、将来的に社会資本となるものをつくるという提案には意味があるんじゃないですか。別にここにある住宅地を全部チャラにするという乱暴な話ではなくて、オリンピックをひとつの契機として、開催時は選手村となるけど閉幕後はそれが住宅となり、そこに住む人だけではなくて周辺の住民にも良好な環境を提供する公園を整備する。そんなにわかりにくい話ではないでしょう。テクニカルな話は重要だけれど僕たち門外漢が首を突っ込む話ではないと思うし、そこが問われるプロポーザルでもないような気がします。
今井──たしかに、公団問題を抜本的に解くのは無理でしょう。
日埜──オリンピックに乗じて無理に床を増やさなくても建て替えができて、同時に過密な住宅地のなかに現状で絶対量が足りていない地区公園ができる。そこだけでも悪くない。
今村──赤羽と高島平を合わせても昭和記念公園より小さいわけですが、みんな休日には家族を連れて公園に遊びに行くわけですよね。昭和記念公園くらいになれば、観光客も呼べるかもしれない。ランドスケープと一体になったスタジアムを建てて公園のように市民に公開していけばさらにいいのでは。
今井──それは先ほどの最終的な収支の問題もありますから、入場料をとるというかたちで建築物を維持しようというのであれば無理なのかもしれません。次の建て替えや補修の際の資金が稼ぎ出せなくなってしまいますから。

住人との合意形成のために

今村──話はちょっと変わりますが、実際、公的なものよりも、民間のもののほうが建て替えの問題は大きいという話もあります。公的なものは所有の問題はどうにかなりますが、民間のものはそうはいきませんよね。シヴィアな問題です。つい最近までは、民間が間に入って建設したものでそれほど大規模なものがなかったためこの問題は顕在化していなかったと思います。しかし、最近では、民間の設計で高層のものもでてきています。補修はできるかもしれませんが、建て替えは大変な事業になるでしょう。
日埜──阪神淡路大震災の時に分譲マンション建て替えの問題が顕在化しましたね。分譲マンションの区分所有者の合意形成が難しく、被災マンションの復興にはずいぶん時間がかかりました。建て替えしか選択肢がなければそうするほかないわけですが、補修して継続使用することも選択肢になりうる場合には非常に難しい。困ったことに合意形成に手間取ると、その間安全が保証できない状態で住み続けるしかない人が出てくるわけです。
今村──全壊したから建て替えできたわけですよね。
日埜──そうですね。全壊なら建て替えを覚悟する住民が多数となることもあるけど、半壊だと現実的に建て替えでまとまることは難しい。
今村──こういうものは、公団の人が青写真を書いて、たとえ反対する人がいても「もっといい絵があります」というふうにして持っていかないと駄目ですよね。住んでいる人も現状に不便さを感じているでしょうから、合意形成ができる可能性はあると思いますが。
日埜──そういう意味では郊外の住宅地だって、三〇年経って老朽化して機能不全になっている状況をどうするかという問題を抱えている。これだって目立たないけど社会的問題です。それぞれ個人的に解決してくださいということになるわけですけれど、個別の対応だけで解決できる話とはとうてい思えない。
今村──個人の問題は、自己責任でほっとかれてしまうわけですけれど、赤羽などの老朽化した公団の問題は、放っておくと人権問題に関わってきます。こんな老朽化したところに老人を住まわせておいて何で建て直さないのかというふうに言われてしまう。そこに税金が使われるわけですが、本当に赤羽などでは、あれだけ老朽化していて、かつ入居率は歯抜け状態なのに、すぐに建て替えたり居住者を入れないんですよ。
今井──死んだら建て替えられるというスキームです。
日埜──居住者が少なくなってきたらそろそろ移転費用を出してでも建て替えようという発想ですね。
今村──そのほうがペイしやすいんでしょうね。たくさんいる時に引っ越してくれといってもお金がかかってしまうから。
日埜──一方的に引越ししろと言われたら反発するのは当然だし、下手したら不毛なネゴシエーションで揉めてしまう。
今井──最終的には現状を維持するために引越しの費用とかを出すんでしょうけどね。
吉村──ちなみに、表参道ヒルズとかはどうなんでしょうか。
日埜──あれは地主が都から土地を取得して再開発組合をつくっていますから公団住宅とは違うケースだと思います。上は地主向けの集合住宅ですね。
今村──建て直す前は多くの部屋が店舗として使われていましたよね。聞いたところによると、地権者たちは建て直し賛成派だったそうです。逆に、周辺の商店街の人たちからは「何で同潤会アパートを壊すのか」という個人的な反応が返ってきたそうです。そうした周囲の言葉もむなしく、結果的に建て直したほうが価値が出るという地権者の意見に落ち着いたんですね。
今井──あそこは土地の持っているポテンシャルがびっくりするくらいに上がったのでよかったけれども、そうじゃないと難しいですよね。
今村──赤羽のような場所にもプラダができればいい(笑)。新幹線を通しますか(笑)。
日埜──東京駅からここまで近いですよ。
今村──時速二二〇km出る前に止まってしまいます(笑)。でも、今日の二カ所の見学地とも高速道路に近いから交通のアクセスはいいんですけどね。
[二〇〇六年八月三日]

>今井公太郎(イマイ・コウタロウ)

1967年生
キュービック・ステーション一級建築士事務所と協働。東京大学生産技術研究所准教授。建築家。

>今村創平(イマムラ・ソウヘイ)

1966年生
atelier imamu主宰、ブリティッシュ・コロンビア大学大学院非常勤講師、芝浦工業大学非常勤講師、工学院大学非常勤講師、桑沢デザイン研究所非常勤講師。建築家。

>日埜直彦(ヒノ・ナオヒコ)

1971年生
日埜建築設計事務所主宰。建築家。

>吉村靖孝(ヨシムラ・ヤスタカ)

1972年生
吉村靖孝建築設計事務所主宰。早稲田大学芸術学校非常勤講師、関東学院大学非常勤講師。建築家。

>金子祐介(カネコ・ユウスケ)

1978年生
芝浦工業大学博士課程在籍。理論批評、インテリアデザイン史、建築史、都市デザイン史。

>アリ・セリグマン(アリ・セリグマン)

公共事業による革新的デザイン促進の活動、効果や影響について研究。

>『10+1』 No.44

特集=藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>山本理顕(ヤマモト・リケン)

1945年 -
横浜国立大学大学院教授/建築家。山本理顕設計工場 代表。

>ポンピドゥ・センター

フランス、パリ 展示施設 1977年

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>石山修武(イシヤマ・オサム)

1944年 -
建築家。早稲田大学理工学術院教授。