ジャン・ヌーヴェル
商業施設|1996年
[インタヴュー]
...ました。そのパランの手伝いに学生時代のジャン・ヌーヴェルがいたんです。だから、ヌーヴェルの今... ...ード・パラン─(ポール・ヴィリリオ)─ジャン・ヌーヴェル─オディール・デックという具合の流れ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[自然─環境]
1 今年の三月にバルセロナを訪れた際、低く抑えられた市街東方のスカイラインに二つの建設現場が突出していた。アントニオ・ガウディによる《サグラダファミリア贖罪聖堂...のない鏡でつくられたベルリンの 《ギャルリー・ラファイエット》(一九九五)の中庭の円錐などがそ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.156-159
[インタビュー]
「任意の数の中心から成る星雲における」都市の爆発を確認しながら、ジャン・ヌーヴェルはこの現状を受け入れ、建築を世界の修正と延長として定義する。彼は、他の概念的なアプローチに、古典的な構成の原則の代わりをさせる。そうしたアプローチでは、光、ずれの概念、映画的なシークエンスのような基準が介在する。それらは、プラハやベルリン...
『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.56-59
[アート・レヴュー 1]
今年も現代美術の祭典であるヴェネツィア・ビエンナーレがオープンした。二年に一回開催されるこの国際美術展は、今年で四八回目である。同様の国際美術展にドイツのカッセ...ものであったのに対し、今日の建築では、ジャン・ヌーヴェルのカルティエ財団の建物のように、二重...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.41-42
[対談]
ドバイ的情況 今村創平──まず、話題性のあるドバイから話を始めるのはどうでしょうか。ドバイは、中近東のガルフ(湾岸地域)と呼ばれるエリアのなかにある、UAE(ア...と、隣国のアブダビは、近年、安藤忠雄、ジャン・ヌーヴェル、ザハ・ハディッド、フランク・O・ゲー...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[翻訳]
...ur, 1984, p.44. ★七○──J. Nouvel, “Transparence”, in Jean Nouvel, Institut francais d’architecture / Electa Moniteur, 1987, p... .......
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.128-144
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 6]
野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、...一九八七─八八)、工業製品を寄せ集めたジャン・ヌーヴェルの《ネマウサス》、ジル・ブーシェの《...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.205-216
[論考]
一〇〇都市めの中間報告 『10+1』No.31「特集=コンパクトシティ・スタディ」のリサーチで、タイの一〇万人都市ナコン・パトム(Nakhon Pathom=最...場」(一九九四)の夜景と、その隣に建つジャン・ヌーヴェルの「リヨンオペラ座」(一九九三)の屋...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.122-123
[現代建築思潮]
報告 今井公太郎 今井──前回、バシュラールの「形式的想像力」と「物質的想像力」について話をしました。建物でいうと「形式的想像力」というのはフォルムやプランとい...い柔軟な発想だなと思います。 今井──ジャン・ヌーヴェルの「無限の塔」は下方が石で上方がガラス...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.37-44
[景観の視学/史学/詩学 3]
空撮映像作品『東京スキャナー』(押井守監修)を見た。森アーツセンターのオープニングに際して特別上映された話題作だ。前評判ではハリウッド風ダイナミズムということだ...紹介するために持ち出すのではない。またジャン・ヌーヴェルがプレゼンテーションのために創るとい...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.30-32
[インタヴュー]
Electa社版『KATSURA』の成立と構成 日埜直彦──前回は岸田日出刀を中心として日本におけるモダニズム受容の最初期の状況について話していただいたのですが...をやったときにちょうどこのオペラ座を、ジャン・ヌーヴェルがコンペをとって改修をしている最中で...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.147-157
[現代建築思潮]
「批評」は必要なのか? 今村──今度始めようとしている「現代建築思潮研究会」には、「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフがまずあります。そして、そこ...昨年出版された『エル・クロッキー』の「ジャン・ヌーヴェル特集」で、他の建築家とコミュニケーシ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[現代建築思潮]
一九六〇年代の半ばに旗をあげたイギリスの若手建築家たちは今、EU統合をきっかけに訪れたイギリス好景気の波にのり、軽快なフットワークで「建築」という領域を拡張し続...確かに彼ら五組の作品は、リベスキンド、ジャン・ヌーヴェル、安藤忠雄といった現在をリードする大...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.27-31
[図版構成+論考]
黒の製法 1──黒顔料の製造機械 一五二一年チェザリアーノによるウィトルウィウス解説図 「まず、黒色顔料について述べよう。(…中略…)小さい炉がつくられ、(…...見えた」 谷崎潤一郎『陰翳礼賛』 14──ジャン・ヌーヴェル 「リヨン・オペラ座」(一九三三) 劇場...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 8]
白と灰の融合 一九八九年は東西の冷戦構造が崩壊し、日本では昭和が終わり、時代の変革を象徴づけた年になった。二〇世紀のシステムが終わった年とみることもできよう。こ...ハンス・ホライン、レム・コールハース、ジャン・ヌーヴェル、アルド・ロッシ、磯崎新、アイゼンマ...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.200-212
[建築を拓くメディア]
マテリアルが建築を誘導する。 ヘルツォーク&ド・ムーロンやピーター・ズントーらの建築を通して、私たちはその事実を目撃した。彼らの作業がもたらした建築におけるマテ...ース。過去には、フィリップ・スタルク、ジャン・ヌーヴェル、ロス・ラブグローグと、綺羅星のごと...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.116-117
[現代建築思潮]
...できたらと考えました[図2]。例えば、ジャン・ヌーヴェルは「現代的な建築家とは、鋭敏な意識をも... ...ひとりで、それ以外にはレンゾ・ピアノやジャン・ヌーヴェルが挙げられます。ただ彼らのヒュレーの...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[翻訳]
...少なくともよく似たテーマを扱っており、ジャン・ヌーヴェル、ドミニク・ペロー、フィリップ・スタ... ...フランス本社屋》、 パリ、1991─94 ⒸArchitectures Jean Nouvel, Paris. Photo: Phillipe Ruault OMA, Sea Terminal, Zeebrugge, Bel...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191
[日本]
...ョン・ブームから現在までの一二年間は、ジャン・ヌーヴェル、レム・コールハースに始まり、ピータ... ...でもポストモダン最終組に位置づけられるジャン・ヌーヴェルやレム・コールハース、伊東豊雄らの功...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]
...眺めていたという★一。 そしてこの年、ジャン・ヌーヴェルはフランスで生まれた。 パリは燃えてい... ... ★九──El Croquis: Jean Nouvel, 1994. のインタビューを参照。なお、『ジャン・ヌーヴェル リュミエール─...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224
[論考]
...いった人々を楽しませる装置を置いた。 ジャン・ヌーヴェルによるコンペ案「セーヌ河流域地区整備計... ...ポーツができる広い公園がつくられる。 ジャン・ヌーヴェルによる計画案1991 「デファンス地区大軸線...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105
[批評]
...伊東豊雄、アレハンドロ・ザエラ=ポロ、ジャン・ヌーヴェル、ピーター・アイゼンマン、ヘルツォー... ...を放棄しているように見える。 123 1-3──ジャン・ヌーヴェル「ヴァーチュアル・ハウス」コンペ案 ANY, ...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.94-104
[インタヴュー]
...象では、フランスの現代建築というのは、ジャン・ヌーヴェルという世界的なスーパースターはいるも... ...居空間とは完全に分離されており、例えばジャン・ヌーヴェルが透明性を語ったとしても、そうした問...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158
[論考]
ヨーロッパにとって、二〇世紀最後の二〇年間は混迷の時代であった。東欧の共産政権の崩壊、東西ドイツの再統合、欧州連合(EU)内部での統一の加速、バルカン諸国の戦争...(サン・セバスティアン、スペイン)や、ジャン・ヌーヴェル設計の《コンサート・ホール》(ルツェ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.74-77
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...ター ・栗生明《平等院宝物館鳳翔館》 ・ジャン・ヌーヴェル《電通新社屋》 ・小嶋一浩+赤松加珠子...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[論考]
いつ見たのか、あるいはどこで見たのか思いだせないし、いったいどのような心理状況で見たのか覚えていないにもかかわらず、ふとしたきっかけから自分の脳裏に写しだされる...分離している。例えば、パリでの挿話にはジャン・ヌーヴェルによるペントハウスのガラス箱のような...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.140-146
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わ...という区別★10が出発点として提示され、ジャン・ヌーヴェルやダニエル・リベスキンドをはじめとする...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[1990年代以降の建築・都市 4]
...んだいメディアテーク》の平面と断面は、ジャン・ヌーヴェルの《ギャラリー・ラファイエット》(一... ...ットな空間をめざしていた★一二。 15──ジャン・ヌーヴェル《ギャラリー・ラファイエット》 1996 筆...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166
[論考]
ポストモダニズムと後期モダニズムは過ぎ去ってしまった。第二のモダニズム、デコンストラクティヴィズム、ニュー・シンプリシティといったなかで、何にもまして生き長らえ...もしれない)。この発展からしてみれば、ジャン・ヌーヴェルがパリの《アラブ世界研究所》の中に実...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.160-166