RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.49>ARTICLE

>
都市再生論のなかで建築はどのように見えますか? | 太田浩史
How does Architecture Appear in Urban Renewal Theory? | Ota Hiroshi
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.122-123

一〇〇都市めの中間報告

『10+1』No.31「特集=コンパクトシティ・スタディ」のリサーチで、タイの一〇万人都市ナコン・パトム(Nakhon Pathom=最初の街)を訪れてから五年が経った。その間、日本の三八都市、海外の六二都市を見て回り、それぞれの都市における課題と、そこで要請されている建築の役割を調べてきた。費やせた時間は限られていたし、集めた資料も網羅的ではない。そのうえ、これらは世界に八二〇〇ある都市★一の一パーセントでしかない。しかし、とにかく浴びるように都市を調べ歩いた結果、私は、ひとつの確信を持つことができた。それは建築には依然として力があり、その力は、都市再生、都市開発のプロセスにおいてますます欠かせないものになっているということである。いくつかの都市を引きながら、そう思うに至った理由を記してみたい。

場所の形成と都市ブランディング

まずは、場所形成力と言えばいいのだろうか、建築は都市において、今なお際立った空間を形成し続けていた。たとえばメルボルンの「フェデレーション・スクウェア」(二〇〇二)では、緩やかな地形を持つ広場がダウンタウンからの人の流れを受け止め、留まらせ、それを建築の群造形が分節し、共振させている。意図的に歪まされ、断片化された空間には、何かヴィクトリア期のグリッド都市の安定構造を攪拌するような力があった。圧倒的なヴィジュアルを持つファサードも相まって、この建築には市民と観光客が押し寄せたのだが、重要なのはその集客力ではなく、都市再生という変化に視覚的アイデンティティを与え、促進し、次の変化を誘発したことであろう。経済的には他地区の投資の呼び水となり、社会的には多文化主義の実験場となり、空間的にはヤラ川を軸としたダウンタウン再編の布石を打った。都市再生は全的に、同時に行なわれることは稀であるから、操作は部分的かつ段階的に行なわざるをえない。だからこそ、一点からプロセス全体を揺動し、加速させるフェデレーション・スクウェアは、都市再生における建築の可能性を示している。
同じような手法を、より戦略的に行なっていたのがバーミンガムだった。一九九〇年の「中心市街地都市戦略」で重点開発をするノードとそのネットワークを定めて以来、彼らはノードをひとつずつ連歌のように関係づけながら、一九六〇年代の高速道路によって分断された都市構造を再編してきたのである。最初に国際会議場「ICC」(一九九一)と「ナショナルアリーナ」(一九九三)、そしてブラウンフィールドの複合開発「ブリンドレープレイス」(一九九六──二〇〇三)、運河沿いのショッピングセンター「メールボックス」(二〇〇一)、そして巨大モールを持つショッピングセンター「ブルリング」(二〇〇五)というように、段階的に、機能分担を考えながら建築が配置されている。それぞれ広場を囲い込んだり、次のノードへと至る通路を内包したり、ランドマークとして個性を発揮するなど、ネットワーク形成を前提とした作り方になっており、その相乗効果は実に高い。フェデレーション・スクウェアと違うのは既存の都市構造がグリッド状ではなく、道が迷路状になっている点だが、それを逆手に取るように驚きと発見のシークエンスが用意されており、歩いていて飽きることがない。言い換えれば、建築も一種の驚きとして定位されているところがあって、特にフューチャーシステムズによる「セルフリッジ」(ブルリングの一部を占める)は、都市のアイコンとして絶大な存在感を放っている。それはネットワークの回遊性を高めてはいるが、むしろリアム・ケネディが著書で述べているように「再生のエンジンとなる文化と消費を向いており、投資とツーリズムを誘致する都市イメージを宣伝する」★二という対外的効果が強い。ここでも変化を表現し、加速させること自体が建築の役割として要請されているのである。

新たな道具立て

ツーリズムに関しての面白い手法として、リヨンの中心市街における「光の計画」(一九八九)が挙げられるだろう。これは夜の修景計画とでもいうようなもので、建築、広場、橋、歩行者空間などのライトアップ戦略が包括的に定められている。一番有名な事例はダニエル・ビュレンヌが手がけた「テロー広場」(一九九四)の夜景と、その隣に建つジャン・ヌーヴェルの「リヨンオペラ座」(一九九三)の屋根の赤い照明であるが、このように拠点ごとにライトアップのコンセプトがあり、それを経巡るネットワークが用意されている。リヨン市は一九九九年に「光の祭典」を開始し、より体験的で、よりアーティスティックな照明を都市に散りばめはじめるのだが、これが今では四日間で四〇〇万人を集める大イヴェントへと育っている。これは中心市街の再生において、文化ツーリズムと都市ブランディングが欠かせないものとなりつつあることを示しているが、その過程のなかで、都市空間は、より祝祭的な見え方を期待されはじめたのではないだろうか。それは、リヨン市が光の計画を「Scenography=舞台設計」と呼んでいることに端的に表われていると私は思う。
これは、まだ私の個人的な予感でしかない。しかし、いろいろ見てきた事例には、たとえばニューキャッスル/ゲーツヘッドの可動歩行者橋「ミレニアム・ブリッジ」(二〇〇一)や、スラムの上空を行き交うメディジンの「メトロカーブレ」(二〇〇三)のように、都市の様相を変える新たな道具立てがあった。そして都市再生に付随する文化イヴェントとして、ナントのロワイヤル・ド・リュクスによる「サルタンの象」(二〇〇五)★三のような、シチュアシオニスト的な強い表現が表われている。そう考えると、交通やアートイヴェント、賑わう公共空間といった動的イメージを自らの一部とすることで、建築はその視覚的アイデンティティをさらに強めていくように私には思われる。そして、そうした動的イメージを文化コンテンツとして発信することで、都市は都市間競争を生き延びていくように思われる。願わくば、私たちの建築が、そのように都市を揺動させていく一手であってほしい。

1──「フェデレーション・スクウェア」 都市のアクティヴィティ分布を書き換えた。  筆者撮影

1──「フェデレーション・スクウェア」
都市のアクティヴィティ分布を書き換えた。
筆者撮影

2──バーミンガム フューチャーシステムズの「セルフリッジ」は瞬く間に都市再生の象徴となった。  筆者撮影

2──バーミンガム
フューチャーシステムズの「セルフリッジ」は瞬く間に都市再生の象徴となった。
筆者撮影

3──リヨン「新・光の計画」(2003) オリジナルプランをより包括的なものへ刷新した。 引用出典=  “Noveau Plan Lumière”, Agence D’urbanisme du Lyon, 2003.

3──リヨン「新・光の計画」(2003)
オリジナルプランをより包括的なものへ刷新した。
引用出典=  “Noveau Plan Lumière”, Agence D’urbanisme du Lyon, 2003.


★一──筆者らによるムービー「PopulouSCAPE」で表現した人口五万人以上の都市。
★二──Liam Kennedy, Remaking Birmingham: The Visual Culture of Urban Regeneration, Routledge, 2004.
★三──URL=http://oceanes.ville-lehavre.fr/evenements/Royal2006/Videos/PageVideos2.html

>太田浩史(オオタ・ヒロシ)

1968年生
東京大学生産技術研究所講師、デザイン・ヌーブ共同主宰。建築家。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>ジャン・ヌーヴェル

1945年 -
建築家。ジャン・ヌーヴェル・アトリエ主宰。