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ヴェネツィア・ビエンナーレの建築 | 鷲田めるろ
The Architecture of La Biennale di Venezia | Washida Meruro
掲載『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在, 1999年09月発行) pp.41-42

今年も現代美術の祭典であるヴェネツィア・ビエンナーレがオープンした。二年に一回開催されるこの国際美術展は、今年で四八回目である。同様の国際美術展にドイツのカッセルで行なわれるドクメンタがあるが、ドクメンタでは基本的にひとりの総合コミッショナーが作品を決定するのに対し、ヴェネツィア・ビエンナーレは国別の参加となっており、各国のコミッショナーが自国のパヴィリオンの作品を決定する点が特徴である。メイン会場は、ヴェネツィア本島の東端に位置するジャルディーニ(公園)である。ここはかつて僧院があった場所で、二〇〇年前、ナポレオンがそれを取り壊して公共の公園を作らせた。この公園の中に、現在合計二七のパヴィリオンが立ち並んでいる。
パヴィリオンと言えば、博覧会がすぐに思い浮かぶ。シカゴ派を圧殺しアメリカに古典主義様式の時代を確立させたと言われる一八九三年のシカゴ万博のパヴィリオン群や、ミース・ファン・デル・ローエの記念碑的なバルセロナ・パヴィリオンなど、近代建築史において、万国博覧会のパヴィリオンは非常に重要な役割を果たしてきた。万博のパヴィリオンが重要だったのは、一斉に新たに建てられた仮設的なものであるがゆえに、その時代の最新の建築の傾向を如実に表わしえたからである。それに対し、ヴェネツィア・ビエンナーレのパヴィリオンは、常設であり、ビエンナーレ終了後も取り壊されることなく、次回もまた使われる。徐々に増えてきた三〇足らずのパヴィリオンは、各時代のさまざまな様式で建てられている。例えば一九一二年のフランス館や、一九三八年のエルンスト・ハイガーの設計によるドイツ館は、古典主義様式で建てられている。一九三八年、ヨーゼフ・ホフマンにより設計され、一九八四年にコープ・ヒンメルブラウが改修したオーストリア館や、吉阪隆正が設計し、一九五六年に建てられた日本館、一九五三年にヘリット・リートフェルトが設計したオランダ館などは、近代建築の建築言語を用いている。
だが、ここでは、美術の展示施設としてのパヴィリオンを取り上げ、何様式か、どのようなプロポーションか、どのように光をコントロールしているかなどといったことについては述べない。なぜなら、近年、映像を使った作品とともに、インスタレーションという手法がますます一般化しており、建物と作品を分けて個別に論じるのはほとんど無意味だからである。
例えば、今回のフランス館のホアン・ヨン・ピンの作品は、パヴィリオンの屋根を突き破って外に伸びる九本の柱を立て、その上に想像上の動物のブロンズ像を乗せた。ホアンは、「パヴィリオンの枠を壊したかった」★一と語っていたが、中国出身のホアンと中国出身のコミッショナー、ホウ・ハンルが代表となったフランス館は、それ自体国別参加というシステムに対する批判となっており、作品もまたそれを空間化したものであった★二。この場合、パヴィリオンは、もはや作品を展示する施設ではなく、批判されることで作品を成立させている作品の一要素である。
この作品は、パヴィリオンが常設であることをうまく利用した作品であるということもできるが、建物をその場所の歴史的な意味から考えようとする問題設定は、すでに見飽きたものであることも確かである。この種の作品は、一九九三年の第四五回ビエンナーレで金獅子賞を受賞したドイツ館のハンス・ハーケの作品《ゲルマニア》で、すでに最も洗練されたかたちで示されているからである。ドイツ館は、ナチス・ドイツの時代に建てられた古典主義様式の建物だが、ハーケは、その入口に、一九三四年にビエンナーレを訪れるヒトラーの写真とドイツ・マルクを掲げ、内部の床をすべて破壊した★三。このような自己批判の作品はしかし、逆にパヴィリオンの存在を強調するものでもある。むしろ現在のアーティストは、その場所性などには固執せず、それを敢えて無視するようなクールなスタンスをとり始めているように感じられる。
そんなインスタレーションで、今回興味深かったのは、アメリカ館のアン・ハミルトンの作品である。この作品は、建物の全ての部屋の壁と天井の間の隙間に赤いパウダーが仕込まれていて、それが白い壁を伝ってはらはらとこぼれ落ち続けるものである。落ちたパウダーは壁沿いの床にたまっていくだけでなく、壁にかすかに付けられた丸い突起の上にも引っかかる。ニューヨーク近代美術館によって確立されたホワイト・キューブの展示空間では、絵画を掛けていた壁は、あたかも存在しないかのように無視されるべきものだった。だが、同じ白い壁でも、アメリカ館の白い壁(アメリカ館は一時期ニューヨーク近代美術館の所有になっていた)は、ハミルトンのインスタレーションによって、それ自体が眺められるべき対象となる。一九二〇年代のモダニズム運動によって成立した白い展示壁と、今日のハミルトンの白い壁との違いは、一九二〇年代のモダニズム建築におけるガラスのあり方と、テレンス・ライリーが「ライト・コンストラクション」と呼ぶ一九九〇年代の建築におけるガラスのあり方の違いに相当する。ライリーによれば、モダニズム建築においては、ガラスは光と視線を通過させる透明なものであったのに対し、今日の建築では、ジャン・ヌーヴェルのカルティエ財団の建物のように、二重、三重に張られたガラスの皮膜が光を反射し合い、それ自体が見られるべき半透明なものになっているという★四。アメリカ館のインターナショナルな白い壁もまた見られる対象となり、展示物/展示施設という境界はなくなる。
ジャルディーニとは別に、アルセナーレ地区にも展覧会場が広がっている。「兵器庫」の意味をもつこの地区には、港に沿って天井高が約一六メートルある煉瓦造の倉庫が並んでいる。今回のビエンナーレでは、従来「アペルト」の会場として使われていたコルデリエと呼ばれる建物に加えて、北側の倉庫にも会場が拡張されている。何度も展覧会の会場として使われてきたコルデリエがある程度整えられているのに対し、今回新たに加わった部分は壁が倒れない程度の最低限の改修しかされていない。例えば、屋根が崩れ落ちてなくなっている箇所もそのまま半分屋外のように展示会場として使っているし、倉庫の中に、コンテナなどを残したまま展示会場として使っている箇所もあった[図1・2]。とはいえ、軍事用の倉庫を展示用に転用することはとりたてて新しいことではない。例えば、ニューヨークのアートシーンに嫌気がさし、テキサス州のマーファに移り住んだドナルド・ジャッドのチナティ・ファウンデーションの中心となる建物も兵器庫であった。また、アーティスト・イン・レジデンスなど当時としては新しい試みを行なったデュッセルドルフ郊外のインゼル・ホンブロイヒもかつての軍事施設の敷地であった。ビエンナーレのアルセナーレ地区の倉庫を展示に使うという発想は、明らかにこうした傾向の延長線上にあるものである。
しかし、先程列挙した試みと今回のビエンナーレとの違いは、ひとつには、後者に美術館の空間での展示を断固として拒絶するような姿勢は感じられないことである。美術館を批判し、そこから抜け出すことに大きな意味のあった仮設的なインスタレーションさえも写真で記録され、美術の歴史の中に位置づけられることが共通の認識となった現在において、美術作品を展示するのに最もふさわしい場所として倉庫が用いられているように感じられた。そういえば、アメリカでの最初の近代美術の展覧会と目される一九一三年のアーモリー・ショーが行なわれたのも、その名のとおり、兵器庫ではなかったか。
もうひとつの違いは、展覧会で倉庫を使用することが建物の物理的な保存と結び付いていない点である。日本の建築物の再生や保存は、ともすれば、まったく建築として認められずに放置、あるいは破壊されるか、もしくはいったん歴史的建築物として認定されると、きちんと改修して保存するか、その両極端になりがちである。ところが、ヴェネツィアの場合は、「美術作品」のインスタレーションでも、雨は入り放題、床は砂だらけで、きちんと改修しようという姿勢は見られない。きれいにしてしまうことが逆に美術を殺してしまうことをよく知っている。
確かにこの差は、永続性をもつ美術館と一時的な展覧会の違いにもよるだろうが、今後行なわれるビエンナーレで、この場所が使われてゆくとしても、コルデリエのようにきれいに整備されてしまわないことを期待したい。

1──アルセナーレ地区展示風景 (カチョーのインスタレーション) 筆者撮影

1──アルセナーレ地区展示風景
(カチョーのインスタレーション)
筆者撮影

2──アルセナーレ地区展示風景 (セルジュ・シュピッツァーのインスタレーション) 筆者撮影

2──アルセナーレ地区展示風景
(セルジュ・シュピッツァーのインスタレーション)
筆者撮影


★一──オープニングにて筆者に語った言葉。
★二──今回のフランス館に関しては、次の文献を参照。ホウ・ハンル「パリと移民アーティスト」(『パサージュ』展カタログ、世田谷美術館ほか、一九九九)。
★三──《ゲルマニア》に関しては、次の文献を参照。ピエール・ブルデュー+ハンス・ハーケ『自由─交換』(コリン・コバヤシ訳、藤原書店、一九九六)。原著は一九九四年。
★四──Terence Riley, Light Construction, Museum of Modern Art, New York, 1995.

>鷲田めるろ(ワシダ・メルロ)

1973年生
金沢市21世紀美術館キュレーター。

>『10+1』 No.18

特集=住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在

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