フランク・O・ゲーリー
美術館|1997年
[インタヴュー]
『解体』の輪郭執筆──六〇年代アートシーンの坩堝から 日埜直彦──今回は『建築の解体』についてうかがいたいと思います。この本は建築における六〇年代の終わりを象徴...これがLAMoCAの仕事につながります。後にフランク・O・ゲーリーはあのときに会ったんだよと言っていま...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[翻訳]
...新館》からフランク・ゲーリーの《グッゲンハイム美術館ビルバオ》にいたるまで、おびただしい数の... ...ク・O・ゲーリー&アソシエイツ 《グッゲンハイム美術館ビルバオ》 ビルバオ、1991─97 ⒸJahres Zeiten Ve...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191
[生産─技術]
...ばターニングポイントとも言える《グッゲンハイム美術館ビルバオ》(一九九七)[図1]と時をラップ... ...るものはいないであろう。 1──《グッゲンハイム美術館ビルバオ》 出典=http://www.guggenheim-bilbao.es/ingles...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.128-131
[自然─環境]
風景としての建築 日本においてランドスケープという言葉が認識されたのはいつ頃からだろうか。今から十数年前、大学院の英語の入試で「Landscape design...〇〇〇)、フランク・O・ゲーリー《グッゲンハイム美術館ビルバオ》(二〇〇一)、foa《横浜大さん橋...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.152-155
[日本]
1962年宮城県生まれ。1988─92年コープ・ヒンメルブラウ勤務後、92年阿部仁史アトリエ設立。東北工業大学助教授。主な作品=《しらさぎ橋》《FA-1》《宮城...程なくして続々と現れるであろう《グッゲンハイム美術館ビルバオ》のエピゴーネンたちを筆頭にして...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.152-153
[翻訳]
デザインの意図 テムズ川を横断する歩道橋の主要な目的は、単にA点からB点へと最も効率的に人々を輸送する以上のものであるべきだ。そこでわれわれが提案するのは、社交性が重要かつ実質的な目的となる橋であり、河川両岸及び河川自体の風景とアクティヴィティが複雑なものであるということを慎重に評価することを考慮し、また示唆した構造で...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.119-123
[インタヴュー]
秩序らしきものの浮上 柄沢祐輔──アルゴリズムとは、建築の文脈でいうと、建築の構成に明示的なルールを与えて、そのルールを積み重ね、ランニングさせて建築を設計する...で建築を壊したと思っていたのですが、フランク・O・ゲーリーの《レイ&マリア・スタータ・センタ...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.94-102
[インタヴュー]
セシル・バルモンドとのコラボレーション 柄沢祐輔──伊東さんはロンドンの《サーペンタイン・ギャラリー・パヴィリオン》などのセシル・バルモンドさんとのコラボレーシ...り危うい存在になりつつあって、例えばフランク・O・ゲーリーやザハ・ハディドのやっていることは消...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.82-93
[現代建築思潮]
オリンピックによる都市改造──インフラ再整備・リノベーション | 今井公太郎 なぜわれわれはオリンピックをテーマにするのか 東京都は二〇一六年のオリンピックを...に過ぎなかったスペインのビルバオが、フランク・O・ゲーリーのグッゲンハイム美術館をきっかけに奇...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.26-32
[対談]
ドバイ的情況 今村創平──まず、話題性のあるドバイから話を始めるのはどうでしょうか。ドバイは、中近東のガルフ(湾岸地域)と呼ばれるエリアのなかにある、UAE(ア...ャン・ヌーヴェル、ザハ・ハディッド、フランク・O・ゲーリーといったいわゆるスター・アーキテクト...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[技術と歴史 1]
はじめに 今日は二〇世紀の「建築生産の工業化」という文脈の中で語られることの多い四つの住宅についてお話したいと思います。個人的な背景として、私自身の研究の主たる...りたい。 松村──西海岸の典型的なのはフランク・O・ゲーリーで、彼は今日の文脈でもまったくケース...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[ポストモダニズムと建築 7]
ローマ帝国の崩壊とともに失われた古典建築の伝統、その廃墟を横目に見ながら建築をゼロから始めたロマネスク期の建築、そんなコントラストが近代建築と現代建築の間にもあ...コン化しつつあるのではないだろうか。フランク・O・ゲーリーは例の曲面のコンポジションを次々に量...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.30-31
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について...義郎《下関市地方卸売市場唐戸市場》 ・フランク・O・ゲーリー《グッゲンハイムハイム美術館ビルバオ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[現代建築思潮]
...リー・コブ、ピーター・アイゼンマン、フランク・O・ゲーリー、ジェフリー・キプニス、グレッグ・リ... ...ウム》[図7]で実現されます。 これはフランク・O・ゲーリーの《ウォルト・ディズニー・コンサート...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[キーワード]
...リアリズム リアンヌ・ルフェーヴルが、フランク・O・ゲーリーやレム・コールハースの建築あるいは映... ...かれた。この展覧会に出展していたのはフランク・O・ゲーリー、ダニエル・リベスキンド、レム・コー...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[制度─都市]
...、「make stone stony」★二と形容された初期フランク・O・ゲーリーやジャン・ヌーヴェルの工業材料の使用... ...きあがっていたのである[図2]。 2──フランク・O・ゲーリー《Cabrillo Marine Museum San Pedro California》(197...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.132-135
[トーキョー・建築・ライナーノーツ 2]
...大きな建築はペットになれるだろうか。フランク・O・ゲーリーの《グッゲンハイム・ミュージアム・ビ... ...少し試してみようと考えている。 8——フランク・O・ゲーリー 《グッゲンハイム・ミュージアム・ビル...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.32-34
[インタヴュー]
表参道の景観の場合 今村創平──ここ数年のことですが、表参道ヒルズや六本木ヒルズ、あるいは汐サイトなどができたことに代表されるように、東京各所の風景が変わってき...ない。 僕は自分が一番影響を受けたのはフランク・O・ゲーリーだと思います。ゲーリーはシルエットば...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[コラム]
動物化するポストモダン 「ポストモダン」について交わされた膨大な量の議論は、厚く沈殿している。それらは総じて良質で、いまでは現代思想随一の層をなしている。しかし...ように思われる。ひとつは、安藤忠雄やフランク・O・ゲーリーといった建築家のブランド化であり、も...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.150-153
[論考]
歴史・メディア編では、一九七〇年代のロバート・ヴェンチューリらの「ラスベガス」、八〇年代のケネス・フランプトンの「批判的地域主義」とリアンヌ・ルフェーヴルの「ダ...か。 なるほど、場所性に関して言えば、フランク・O・ゲーリーによる《ビルバオ・グッゲンハイム》な...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.98-99