RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.49>ARTICLE

>
「批判的工学主義」のミッションとは何ですか?3 歴史・メディア編 | 南後由和
What is the Mission of "Critical Engineering-ism" ? 3: History / Media Edition | Yoshikazu Nango
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.98-99

歴史・メディア編では、一九七〇年代のロバート・ヴェンチューリらの「ラスベガス」、八〇年代のケネス・フランプトンの「批判的地域主義」とリアンヌ・ルフェーヴルの「ダーティ・リアリズム」、九〇年代から二〇〇〇年代のチャールズ・ジェンクスの「アイコニック・ビルディング」をめぐる議論を比較参照しながら、それらと異なる「批判的工学主義」のミッションに言及したい。
第一に、「ラスベガス」との比較。ヴェンチューリらは、空間、構造、プログラムが全体の象徴的形態によって歪められた「あひる」に成り下がった近代建築を否定し、空間と構造のシステムがプログラム上の要請に従ったうえで、それとは無関係にサインが迫り出した「装飾された小屋」を肯定した★一。ただし、シンボルやサインにもとづく視覚的なコミュニケーション・システムの再評価に際して前提とされていたのは、あくまで装飾/構造の二項図式ではなかっただろうか。簡略すれば、装飾と構造を曲がりなりにも一致させようとしてきたのが近代建築であって、逆にそれをずらし、不一致でも構わないとしたのがポストモダニズム建築という理解が透けて見える。
それに対して、批判的工学主義は、装飾/構造という二項図式に与しない。いわば、構造に加えて、法、規範、市場、マスメディアなどを並列的に扱い、それら「深層」を支える規則へと介入するのである。「ラスベガス」に関して言えば、サインのコミュニケーション・システムの複雑性それ自体を再現前あるいは包含しようとするのではなく、その複雑性を成立させている条件や単純な規則の時間的な積み重なりを呈示し、再形式化するということである。
第二に、場所性をめぐる「批判的地域主義」および「ダーティ・リアリズム」との比較。フランプトンは、ヴェンチューリらにみられた表層的な記号に重きを置く視覚優位を批判し、テクトニクスを含めた素材、地勢、体験的な触覚的特徴を強調した★二。しかし、批判的地域主義が想定する、普遍性と個別性の緊張関係から相対的に立ち現われてくる場所性とは、センチメンタリズムにもとづいた偽装ではないにせよ、ハイデガー流の境界づけられた領土という本質主義的な先行条件を仮定するきらいがあり、素材などの部分は寓意的なものとなりがちである。
一方で、ダーティ・リアリズムは、アスファルト地獄、荒廃した街路、産業廃棄物場などの「暗部」を、従来の公/私、内部/外部、美/醜の区分が失効した場所として注目するという点で、ヴェンチューリらの議論を部分的に継承し、そこに挿入される建築物による「異化」を狙った★三。批判的工学主義が目を向けるのも、場所の本質や本物性があるとし、それが失われたとしてキッチュや偽物を非難する「没場所性」★四ではなく、むしろ、「共約不可能性」を帯び、シミュラークルが肯定的に享受される「非─場所」である。しかし、ダーティ・リアリズムが場所をめぐる二分法的な区分の失効を指摘したといえども、あくまで何らかの「明部」から相対的に位置づけられる否定的な性格の場所を対象としていたのに対して、批判的工学主義はその明部/暗部のゆらぎや動的な関係性自体を解明(=リサーチ)し、再形式化(=設計)したうえで、歴史的、地理的発展のプロセスに埋め戻す。例えば、フレドリック・ジェイムソンはダーティ・リアリズムの議論を敷衍するなかで、公/私の対立に代わるものとしてストリートなどの中間地帯ノーマンズランドがあると述べているが★五、むしろ、そのような概念提示ではなく、中間地帯が成立しているコンテクストを明らかにし、新たな方向づけを与えることが重要だと考えるのである。
それゆえ、批判的工学主義は、場所など、建築をめぐる被制約性の社会的条件を明らかにするリサーチと、その社会的条件の再構成と形式化である設計とを不可分なものとして位置づける。そして、ハイデガー流の本質主義を回避しつつ、「相対的空間(時間)」ではなく「関係的空間(時間)」★六において、「非──場所」の固有性を獲得するメディアとしての建築の潜在性を開花させていこうとするものである。
第三に、「アイコニック・ビルディング」との比較。現在もなお超高層への欲望は衰えを知らないが、ジェンクスは、アイコニック・ビルディング膨張の時代は、高さに加えて、中国、ドバイにみられるような“mega-fast-build”によって特徴づけられているという★七。グローバル都市が抱える速度、量、規模の問題は、それへの対処法を身につけてこなかった建築家を飲み込みつつある。たしかに、ヴェンチューリらが「装飾された小屋」の集合からなる都市スプロールを問題視しようとしていたことは「ラスベガスから再び学ぶべきこと」であろうが、自動車に代表される速度への対応としての建築形態論は扱われてはいても、狭義の交通に還元されない速度、量、規模の問題には踏み込めていなかった。
では、アイコニック・ビルディングはどうなのか。アイコニック・ビルディングは、都市スプロールという論点を、建築の規模の大きさに置き換えて対処したと言えよう。しかし、それは、規模の大きさや形態の奇抜さによってもたらされる「異化」にすぎない側面を否めず、ダーティ・リアリズムの文脈の延長線上にとどまるものではないか。
なるほど、場所性に関して言えば、フランク・O・ゲーリーによる《ビルバオ・グッゲンハイム》などのアイコニック・ビルディングは、衰退した地方産業都市という「暗部」を世界的な観光都市にするのに貢献し、建築があるからこそ顕在化される場所性を呈示しているように思われる。しかし、ゲーリー・スタイルと称されるスタイルの反復=ロゴは、市場における卓越化のための記号として適用されるとともに、マスメディアによって切り取られ、周囲の「醜くて平凡」な建物を後景化させてしまうがゆえに、商業的ヴァナキュラーの倒錯にすぎないと言えなくもない。
それに対して、批判的工学主義は、資本の膨張にもとづく建築の規模に直截に同調することはせず、都市空間を編成する速度、量、規模を現前させている背後の不可視のコード──経済原理、法制度など──へと接近し、それら工学を取りまく社会的条件をいかに差配するかに論点をシフトさせていく必要があると考える。それにより、単なるアイコン=巨大な「あひる」および「装飾された小屋」に陥ることなく、都市の統計的、社会的、造形的な側面を統合しうるような媒介行為として建築的思考を拓いていこうとするのである。
この点に関連して、最後に批判的工学主義をめぐる建築ジャーナリズムのあり方に触れておきたい。アイコニック・ビルディングに関して、もはや形態賛美に終始するような作品主義の建築ジャーナリズムのみでは、建築をめぐるグローバル都市のダイナミズムを掬い取ることができないことは言うまでもないだろう。その点、例えば、AMO+C-LAB編集の雑誌『Volume』(Archis)は、批判的工学主義が対象とする「深層」に照準を当てており、建築ジャーナリズム自体がメタモルフォーゼしていくあり方のひとつを指し示していよう。
ここで、唯一の生産者としての建築家と単線的に結びつけられた作品を建築物A、設計、構造、設備、施工、管理からなる建築生産の分野が扱う建築物をA’、竣工後のプロセスや「時のかたち」をともなった集合的作品および政治、経済の網の目に埋め込まれた建築物をA’’とするならば、従来の建築ジャーナリズムは、建築物Aを主に取り上げてきた。それに対して、例えば建築の社会的生産や文化経済に照準を当てるアプローチは、建築物A’’を対象としていると言えよう。むろん、作品主義が全面的に否定されるべきだとは思わない。ただし、建築物A’’を取り上げる建築ジャーナリズムが新たな建築物Aへ可逆的に結晶化していく言説空間が担保されつづけてしかるべきではないだろうか★八。


★一──ロバート・ヴェンチューリほか『ラスベガス』(石井和紘+伊藤公文訳、SD選書、一九七八)参照。
★二──ケネス・フランプトン「批判的地域主義に向けて──抵抗の建築に関する六つの考察」(ハル・フォスター編『反美学──ポストモダンの諸相』室井尚+吉岡洋訳、勁草書房、一九八七)参照。
★三──リアンヌ・ルフェーヴル「ヨーロッパ現代建築のダーティ・リアリズム──メイキング・ザ・ストーン・ストーニー」(岡田哲史訳、『10+1』No.1、INAX出版、一九九四)参照。
★四──エドワード・レルフ『場所の現象学──没場所性を越えて』(高野岳彦ほか訳、ちくま学芸文庫、一九九三)参照。
★五──フレドリック・ジェイムソン『時間の種子──ポストモダンと冷戦以後のユートピア』(松浦俊輔+小野木明恵訳、青土社、一九九八)二〇四頁参照。
★六──デヴィッド・ハーヴェイ「空間というキーワード」(『ネオリベラリズムとは何か』本橋哲也訳、青土社、二〇〇七)参照。
★七──Charles Jencks, The Iconic Building, Rizzoli Inter-national Publications, 2005, p.41. 参照。
★八──批判的工学主義は、ほかにも「参加」のイデオロギーにもとづく「合意形成の工学」の乗り越え、大学の知とシンクタンク・行政の知の越境、アトリエ設計事務所と組織設計事務所の乖離を架橋する設計組織論などへも展開可能だろう。

>南後由和(ナンゴ・ヨシカズ)

1979年生
東京大学大学院。東京大学大学院情報学環助教/社会学、都市・建築論。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>ケネス・フランプトン

1930年 -
建築史。コロンビア大学終身教授。

>批判的地域主義

クリティカル・リージョナリズム(Critical Regionalism)。アメ...

>フレドリック・ジェイムソン

1934年 -
文芸評論家。デューク大学で教える。

>フランク・O・ゲーリー(フランク・オーウェン・ゲーリー)

1929年 -
建築家。コロンビア大学教授。

>岡田哲史(オカダ・サトシ)

1962年 -
建築家。岡田哲史建築設計事務所主宰、千葉大学大学院工学研究科准教授。