1929年生まれ。建築家。コロンビア大学教授。
(最終更新:2009年3月31日)
[インタヴュー]
...これがLAMoCAの仕事につながります。後にフランク・O・ゲーリーはあのときに会ったんだよと言っていま... ...たですね。この雑誌の瀧口修造さんが編集した号(No.206、一九六二年四月)に僕は初めて原稿を発表し... ...トの『L’Architecture d’Aujourd’hui』。それとジオ・ポンティという建築家の『domus』。アンドレ・ブロッ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[キーワード]
...リアリズム リアンヌ・ルフェーヴルが、フランク・O・ゲーリーやレム・コールハースの建築あるいは映... ...かれた。この展覧会に出展していたのはフランク・O・ゲーリー、ダニエル・リベスキンド、レム・コー...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[現代建築思潮]
...リー・コブ、ピーター・アイゼンマン、フランク・O・ゲーリー、ジェフリー・キプニス、グレッグ・リ... ...ウム》[図7]で実現されます。 これはフランク・O・ゲーリーの《ウォルト・ディズニー・コンサート...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[トーキョー・建築・ライナーノーツ 2]
...大きな建築はペットになれるだろうか。フランク・O・ゲーリーの《グッゲンハイム・ミュージアム・ビ... ...少し試してみようと考えている。 8——フランク・O・ゲーリー 《グッゲンハイム・ミュージアム・ビル...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.32-34
[制度─都市]
...、「make stone stony」★二と形容された初期フランク・O・ゲーリーやジャン・ヌーヴェルの工業材料の使用... ...きあがっていたのである[図2]。 2──フランク・O・ゲーリー《Cabrillo Marine Museum San Pedro California》(197...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.132-135
[生産─技術]
...フランク・O・ゲーリーのこれまでの作品を通じてのいわばターニングポイントとも言える《グッゲンハ... ...クトは一九八八年にコンペで地元建築家であるゲーリーが選出されたのであるが、それから完成にいた...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.128-131
[ポストモダニズムと建築 7]
...コン化しつつあるのではないだろうか。フランク・O・ゲーリーは例の曲面のコンポジションを次々に量... ...に発展がないわけではないがそれらは明らかにゲーリーのアイコンとして流通している。ジャン・ヌー...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.30-31
[インタヴュー]
...で建築を壊したと思っていたのですが、フランク・O・ゲーリーの《レイ&マリア・スタータ・センタ... ...に《情緒障害児施設》にしても、今やっている《Tokyo Apartment》にしてもそう言われてみれば、ルールを...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.94-102
[翻訳]
デザインの意図 テムズ川を横断する歩道橋の主要な目的は、単にA点からB点へと最も効率的に人々を輸送する以上のものであるべきだ。そこでわれわれが提案するのは、社交性が重要かつ実質的な目的となる橋であり、河川両岸及び河川自体の風景とアクティヴィティが複雑なものであるということを慎重に評価することを考慮し、また示唆した構造で...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.119-123
[インタヴュー]
...り危うい存在になりつつあって、例えばフランク・O・ゲーリーやザハ・ハディドのやっていることは消... ... 柄沢──伊東さんはセシルの思想を、彼の著書『informal』の序文において「ル・コルビュジエに匹敵す... ...は正確に理解されているとは言い難いセシルの「informal」というコンセプトの持つ可能性と意味について...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.82-93
[現代建築思潮]
...に過ぎなかったスペインのビルバオが、フランク・O・ゲーリーのグッゲンハイム美術館をきっかけに奇... ...(北京のヘルツォーク&ド・ムーロンやロンドンのfoaなど)。 とはいうものの、多くの外国からの旅行者...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.26-32
[技術と歴史 1]
...りたい。 松村──西海岸の典型的なのはフランク・O・ゲーリーで、彼は今日の文脈でもまったくケース... ...ール・コーニッグがやった《ケーススタディハウスno.22 スタール邸》という非常に有名な住宅とを対で... ...とおっしゃっていました。三年くらい前にNHKで「NPOの時代」という番組を見ていたら、冒頭の映像で突...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[論考]
...か。 なるほど、場所性に関して言えば、フランク・O・ゲーリーによる《ビルバオ・グッゲンハイム》な... ...所性を呈示しているように思われる。しかし、ゲーリー・スタイルと称されるスタイルの反復=ロゴは...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.98-99
[鼎談]
...義郎《下関市地方卸売市場唐戸市場》 ・フランク・O・ゲーリー《グッゲンハイムハイム美術館ビルバオ... ...ラクティヴな関係だと思うんです。その意味ではGoogleは情報のコンシェルジェなんでしょう。インタラ... ...はいない。 極端な対比になりますが、宮脇檀さんはOMAのレム・コールハースのやっていることを見てど...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[翻訳]
...1983 ⒸStadtisches Museum Abteiberg, Monchengladbachフランク・O・ゲーリー&アソシエイツ 《グッゲンハイム美術... ...一九八八年、ニューヨーク現代美術館(MoMA)は、最新の建築潮流としてディコンストラクティヴィスム... ...会を開催した。一九三二年の「近代建築」展以来、MoMAの建築展はすべて重要なサインとして、そこで扱...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191
[対談]
...ャン・ヌーヴェル、ザハ・ハディッド、フランク・O・ゲーリーといったいわゆるスター・アーキテクト... ...われが「批判的」という場合、典型的なものがフランクフルト学派ですが、彼らはアメリカの資本主義...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[自然─環境]
...ヴァー万博オランダ館》(二〇〇〇)、フランク・O・ゲーリー《グッゲンハイム美術館ビルバオ》(二... ...二〇〇〇)、フランク・O・ゲーリー《グッゲンハイム美術館ビルバオ》(二〇〇一)、foa《横浜大さん...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.152-155
[コラム]
...ように思われる。ひとつは、安藤忠雄やフランク・O・ゲーリーといった建築家のブランド化であり、も... ...った現状をシニカルに作品化したのがOne Architecture★三の《Villa Bollen》(エイントホーフェン/オランダ... ...ポルノグラフィ」はこの場合ほとんど同義である。 One Architectureのようなシニシズムにいたる前に、まず...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.150-153
[インタヴュー]
...ない。 僕は自分が一番影響を受けたのはフランク・O・ゲーリーだと思います。ゲーリーはシルエットば... ...ルツォークのプラダ青山にしても、伊東豊雄さんのTOD’S表参道にしても、常識的には理解しがたい坪単... ...分が一番影響を受けたのはフランク・O・ゲーリーだと思います。ゲーリーはシルエットばかりが目立つ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[アメリカ]
...え抜きの巨匠として広く認識されている、フランク・ゲーリーの立場だろう。実のところ、一〇年前に... ...─フランク・ゲーリー 《ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール》©Frank O. Gehry & Associatesゲーリー...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.84-88
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
...おり、ある建物のことが気になった。一九八八年にMoMAが開催した《ディコンストラクティヴィスト・ア... ...り、倒壊を免れていた。 その建物とは、フランク・ゲーリーの《フィッシュダンス》(一九八七)であ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253