近年都市の再生(リストラクチャリング)が、国家政策の観点から重要な項目へと浮上している。しかしそれを巡っては必ずしも従来型の官主導の公共投資を中心とした都市開発ではなく、日本道路公団の民営化に象徴されるような都市の民営化(プライヴァタイゼーション)といった視点から、新たな都市編成が模索されている。その背後には、明らかに都市経済政策における政治的イデオロギーの変容があり、いわゆるネオ・リベラリズム(Neo Liberalism)にもとづく政策への転換がある。いうまでもなくネオ・リベラリズムは一九八○年代、イギリスにおいてはサッチャーが、アメリカにおいてはレーガンが、経済効率を高めるために採用した思想的バックボーンであったが、日本においてはようやくというべきか二○年遅れて導入されつつあるわけだ★一。ネオ・リベラリズムは、基本的に市場の自由を至上命題として政府機能を最小化することによって効率化と最適な分配の実現を志向する。サッチャリズムやレーガノミクスが、それを援用したのはブレトンウッズ体制崩壊後の経済停滞期の、インフレと不況が同時進行するスタグフレーションの克服を目論んでのことだった。当時スタグフレーションのもとでは、ケインズ経済学的な財政出動による景気刺激策が有効に機能せず、かえって財政赤字の増大をまねくだけの結果に終わることが多かった。そこで国家の規制を緩和し、民間の活力を振興させる「小さな政府」が目論まれることになった。これに対して、現在の日本はデフレ下の不況が進行中であり必ずしも八○年代の米英と同一の状況にはないのだが、先進国における唯一の社会主義国家と揶揄されるこの国において、今一度ネオ・リベラリズムに含意される概念的枠組みを検討することは、加速度的に進行するグローバリゼーションのもとでの国家の枠組みを凌駕する市場のみならず、今後の都市の在り方についても示唆を与えるように思われる。