Kenneth Frampton, 強·松畑, 想太郎·山本
TOTO出版、2002年1月1日、638ページ
ISBN=9784887062078
[論考]
...ンプトンは一九九五年に出版となる『テクトニック・カルチャー──一九─二〇世紀建築の構法の詩学... ...三を準備する。プルーヴェに関して『テクトニック・カルチャー』においては触れられていないが、建...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.90-97
[現代建築思潮]
...にし、初回はケネス・フランプトン『テクトニック・カルチャー』のミースの章だった。 二〇〇一年、... ...たことがおこっているんでしょう。カルチャーなきサブカルチャーの時代とか、それはそれで憂慮すべ...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[建築家的読書術]
五年前、はじめて大学に研究室を持つことになったとき、研究室の方向性を明確に示すために「難波研必読書二〇」をリストアップすることにした。大学生にはちょっと無理かも...八四)。 九、ケネス・フランプトン『テクトニック・カルチャー』(松畑強+山本想太郎訳、TOTO出版、...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.86-88
[論考]
│1│ 建物概要 《トヨタ夢の住宅PAPI》(以下《PAPI》)は、トヨタ自動車(株)およびトヨタホーム(株)によって、「愛・地球博」に合わせて愛知県長久手町につくられた実験住宅である。東京大学情報学環、坂村健教授を監修に迎えていることからも、同氏の《TRON電脳住宅》(一九八九─一九九三)の流れを汲む情報技術を中心と...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.105-112
[論考]
建築は芸術である、あるいは建築は芸術ではない、というような議論は多分に定義の遊びに陥りがちだが、一般にはやはり「建築」と「アート」は異なった表現形式として認識されている。そして特にその表現価値の考証において、それらはたびたび対照されるものでもある。ここでは、現代アートの表現概念が建築・都市にもたらしうる可能性をひとつの...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.130-131
[制度─都市]
オーギュスト・ペレはその著書『建築理論への寄与』のなかで、建物を美へと結びつける道標として「特質、スタイル、調和」を挙げている。それは構築的なるものの美に関する記述であるが、鉄筋コンクリートという新素材と建築の伝統の意匠様式が融合する地平を切り開いていったペレならではのバランス感覚がそこにはあると思う。同時代の多くのコ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.136-139
[批評]
現代建築の歴史は必然的に多様なものであり、雑多ですらあるだろう──建築そのものから離れた、人間的な環境を形成するための構造の歴史。そしてそれらの構造を統制し方向づけようとする歴史。そうした試行の政策や方法を考案しようとした知識人たちの歴史。完全で明確な言葉へと辿り着くことを断念した、新しい言語についての歴史。これらの歴...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154
[生産─技術]
日本の建築家なら、だれでも一度くらいは地震のある国で設計しなければならないことを恨めしく思ったことがあるのではないだろうか。ル・コルビュジエは近代建築の原則として「自由」を提唱し、新しい技術と思想がもたらす自由は近代建築の基本概念のひとつとなったが、もちろん建築にはまだまだ多くの制約がある。構築物としての建築が地球上で...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.116-119
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について語る時、その技術だけを取り出してきて客観的に記録にすることが目的ではありません。建築家の考えとそれを支える技術のつながりを、きちんと描写しようというのが趣旨です...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87
[建築の解體新書 8]
...chiという接頭語を訳さず、「tecture」つまりはテクトニックの部分だけに対応していた訳語だったという... ...あったり、「生活」であったり、はては「サブカルチャー」であったり、さまざまな他ジャンルを依り...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.14-28