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反フラット建築論に抗して | 五十嵐太郎
Agaist Anti-Flat Architecture | Igarashi Taro
掲載『10+1』 No.27 (建築的/アート的) pp.142-153

フラット派批判

昨年末、飯島洋一が「反フラット論──『崩壊』の後で 2」という文章を発表した★一。この論は世界貿易センタービルの破壊に触れて、スーパーフラットの世界には外部がないことや、一部の若手の建築家を「フラット派」と呼び、彼らが内向的であることを批判した。ゆえに、スーパーフラット批判の建築論と言えるだろう。このように彼が若手建築家に言及するのは、これが初めてではない。一年半程前にも飯島の論が話題になっており、今回はその続編にあたるものだ。念のために、議論の流れを説明しておこう。
最初の飯島論文「『崩壊』の後で──ユニット派批判」は、ひとりの名前を突出させるのではなく、ゆるやかな組織をつくり、数人で共同設計を行なう若手建築家を「ユニット派」と命名した★二。しかし、ユニット派は「アンチ・モニュメント」かつ「普通」のデザインを志向しているために、理念がなく、何も生まないと否定的に評価する。彼によれば、一九九五年の阪神大震災と地下鉄サリン事件がトラウマになって、そうした若手の態度をもたらしたという。これは議論が少ない現在の建築界に珍しく大きな反響を呼んだ。
筆者も「ユニット派あるいは非作家性の若手建築家をめぐって」において、飯島論文を受けて、以下の点を指摘した★三。まず、ユニット派の若手建築家が増えていることは、災害のトラウマよりも、一九九〇年代の情報化が大きな要因になっており、世界的な動向であること。ただし、日本の場合、バブル以降の厳しい社会的な状況が、こうした傾向を加速化させ、現在の建築家の行動を導いていること。そして、普通さを求めることと理念や構築に向かうことが、必ずしも矛盾しないことである。
今回の飯島論文は、基本的に前回の延長線上にあり、インパクトは弱くなっている。反響もそれほど大きくない。ただし、乾久美子のコメントは興味深いものだった★四。飯島が「たかだか、革新の代わりに『盲点』とか『隙間』などを求めることがあるのみである」と述べたのに対し、彼女は「革新」と「すきま」を対立する言葉として並べられたことに違和感を表明する[図1]。つまり、デザインは革新にかかわるべきものという飯島の考え方を疑問視しているのだ。そして「これはあまりにも希望的な考えである。過去をふりかえってみても、おそらくデザインの発展というのは『盲点』と『すきま』を探すことによるトライアンドエラーの繰返しで、その中にたまたま革新的な考え方がまじっていることにすぎないのではないだろうか。対立する言葉ではない」と言う。
筆者は、全面的に乾の指摘に同意する。彼女はデザインの立場からと断っているが、建築史から考えても、こうした歴史観は実状に近いように思う。「革新」は当初「すきま」に見えることが少なくない。しかし、後になって重要性が気付かれ、やがて突出して語られるようになるものだ。断絶の強調は、英雄中心の近代建築史が操作したイメージに過ぎない。飯島は、理念と普通さ、あるいは革新と隙間など、素朴な二項対立をもとに議論を組み立てるが、乾が言うように、こうした構図自体を疑うべきではないか。
飯島の「反フラット論」に筆者への明確な反論はない。本文に一切筆者への言及はないし、多くの註をつけながら、筆者の論も参照していない。実際、誰が批判されているのかはっきりしない部分が多い。数人の名前を挙げているものの、「建築界にもこのところ、悪しきエピゴーネンを生みつつあるスーパーフラット」という思わせぶりなもの言いだからだ。千葉学も「スーパーフラットといって槍玉にあげている若手(僕も入っているのかもしれないけれど)」と書かざるをえないように、なんとなく若手の建築家が批判されている★五[図2]。ただ、筆者もスーパーフラット建築論を何度か書いているので、攻撃の対象に入っていると考えるのが自然だろう。文章では無視しているが、筆者の飯島論文へのコメントを知らないとは思えない。今回の飯島論文が、前に筆者が参照したのとまったく同じ一九七七年のある座談会に言及しているのも偶然ではないだろう★六。ともあれ、こうした文章は門外漢に不親切である。現在は暗黙の了解で通じるかもしれないが、将来の建築史家を悩ませるのではないか。
とはいえ、そこから建築界の状況が照らし出されたという意味において、反フラット論は興味深い。ゆえに論点を整理しながら、幾つかの疑問点を挙げ、建築の現在を考察する視点を考えたい。いささか攻撃的な言い回しも使うことになるが、これはあえて流行に逆らおうとする飯島論文の意義を認めているからであって、自分と意見が異なる論を無視すべきではないと考えているからだ(無視こそが他者=外部をつぶすことなのではないか?)。筆者は飯島が誠実に書いていることを高く評価している。
本論は、単純に飯島と正反対のことを言おうとするものではない。いくつかの視点や構図は共有しつつも、筆者の立場を明らかにするために、その評価が分かれる点を描くことが目的となろう。

1──都市の「すきま」に充填された 極薄のバイクボックス池袋 出典=『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』

1──都市の「すきま」に充填された
極薄のバイクボックス池袋
出典=『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』

2──千葉学《黒の家》2001 筆者撮影

2──千葉学《黒の家》2001 筆者撮影


反復する一九四五年の廃墟

第一の要点は、飯島が現在の問題の根を一九四五年の敗戦にさかのぼって求めていることだ。焼け野原の原風景である。彼によれば、一九六八年の大学紛争、一九八九年の昭和終焉、一九九五年の震災や地下鉄サリン事件など、大事件が起こるごとに、日本の共同体において崩壊の体験が「反復=フラッシュバック」するという。敗戦のトラウマは内部に潜伏し、後にある衝撃が起きると、人々の心に回帰する。関東大震災やベルリンの廃墟はどうなのか、といった疑問がすぐに思い浮かぶ。だが、それは日本人がしっかりとしたかたちで敗戦を総括していないからだという指摘によって、とりあえずこの設定は受け入れられる。
飯島は、一九四五年に立ち会った磯崎新、六八年をリアルに体験した伊東豊雄坂本一成、そして九五年を過ごした三〇代の若手の建築家が、それぞれの年に対応しているという[図3─5]。
こうして各世代において建築をつくりたくないという態度が繰り返される。磯崎は、廃墟のドローイングにうかがえるような反建築的な姿勢だ。伊東は、《中野本町の家》や《せんだいメディアテーク》など、「表現を消す」ようなデザインを志向する。そして若手建築家の場合は、普通さというかたちで、敗戦のトラウマが出現するわけだ。飯島は、ロマン派的な「ニヒリズム、あるいは虚しさがそのように反復されている」という。
敗戦により、神だったはずの天皇が人間宣言するような価値観の大転換から「懐疑的な感情」が芽生え、磯崎に「アンチ=反」の精神があるという指摘は、おおむね賛同できる。個人的にこんな会話をしたことがある。結局はつぶれてしまったが、二〇〇〇年のヴェネツィア・ビエンナーレの日本展を企画したとき、筆者らがもとのテーマ「Less Aesthetics, More Ethics」をもじって、「More Aesthetics, More Ethics」としたのに対し、磯崎新は「More Aesthetics, Less Ethics」がいいのではないかと語った。すなわち、完全にもとのテーマをひっくり返したのである。
最初の飯島論文が一九九五年の特異性を強調したのに対し、今度の反復という見方は歴史のパースペクティヴを広げており、なるほど興味深い。ただし、後でも触れるが、では一九九五年世代のユニット派だけがなぜ攻撃の対象になるのか、という疑問は残る。筆者は、建築の動向を象徴的な意味でのみ大事件と接続させるのは不十分だと考える。例えば、拙著『終わりの建築/始まりの建築──ポスト・ラディカリズムの建築と言説』の冒頭は、一九六八年のパリの五月革命から始めたが、単に社会的な事件を象徴的にまつりあげるためではない。エコール・デ・ボザールで何が起き、建築の学生にどのような影響を与えたかを具体的に考察したかったからだ。
仮に反復という歴史観に立つとすれば、その差異をもっと考察すべきだと思う。例えば、西洋建築史において、ギリシア、ローマ、ルネサンス、新古典主義など、古典主義の様式は何度も反復した[図6]。ルネ・ホッケやドールスのように、マニエリスムやバロックを、一回性のものではなく、繰り返されるものとして考えることが可能である。しかし、その意味はすべて違う。同じように見えても、それぞれの差異を明らかにするのが、建築の歴史と評論の仕事だ。こうした議論が十分に展開されていれば、飯島がなぜ磯崎を評価し、なぜ六〇年代生まれの若手を評価しないかという点が、より説得力をもつだろう。
飯島によれば、磯崎には未来への懐疑から、「構築することを否定的に眺める姿勢」や「反モニュメント」志向があるという。これは一面において正しい。が、同時に磯崎は非常に構築的な建築家である。それが海外においても磯崎が理解される大きな理由ではないか。ただ神秘的なジャポニスムではなく、論理的な構築性という普遍的な思考の方法ゆえに、彼は広く受容されている。つまり、強烈な反建築でありながら、きわめて建築的でもある両義性、あるいはアイロニーが面白さなのだ。逆に言えば、若手建築家はけっしてアイロニカルではない。むしろ、前向きだ。そして素直さが特徴である。
また一九四五年に戻って、現状を再考すべきという飯島の主張は同意できる。確かに、現在の日本の風景の多くは敗戦の後に形成されたものである。しかし、建築家に対する精神分析的な説明に終始するだけでは不十分ではないか。
例えば、敗戦後にモダニズムが民主主義の担い手とされたこと、大衆化とともに進行した中産階級の個人住宅の増加、いきあたりばったりの急速な都市の復興など、具体的に考慮すべき点が見逃されている。いや、こうした問題をかえって隠蔽してしまう恐れがある。
ちなみに、人為的な建築を否定する非作家的な態度は、ほかにも散見される。例えば、戦前の神社をめぐる言説では、意図的にデザインされた建築というよりも自然の造形であることが高く評価された。一九八〇年代にも、普通さへの言及がなかったわけではない。意外に思われるかもしれないが、鈴木了二は、現在の若手建築家が話題にする非作家性のデザインに近いことを当時すでに語っている★七。「物質試行25」の《本駒込の住宅》(一九八八)では、視覚的に刺激の強いデザインとは違う戦略を立て、より普通でより凡庸なものに近づけることを意識していた[図7]。ほかも、共同作業の強調、空隙や殺風景なものへの関心である。だからと言って、若手建築家と同じというわけではない。鈴木の場合、「『普通』ではなくなる寸前の、ギリギリの『普通』が目標である」と語っているように、『退屈』にはならない緊張感のある美意識が貫いているからだ。そこが絶対的に違う。

3──磯崎新《孵化過程》1962 出典=「磯崎新1960/1990建築展」カタログ

3──磯崎新《孵化過程》1962
出典=「磯崎新1960/1990建築展」カタログ

4──坂本一成《代田の町家》1976 出典=『坂本一成 住宅──日常の詩学』 (ギャラリー・間企画・編集 、TOTO出版、2001)

4──坂本一成《代田の町家》1976
出典=『坂本一成 住宅──日常の詩学』
(ギャラリー・間企画・編集 、TOTO出版、2001)


5──伊東豊雄《せんだいメディアテーク》 筆者撮影

5──伊東豊雄《せんだいメディアテーク》
筆者撮影

6──シンケル《コンツェルト・ハウス》 筆者撮影

6──シンケル《コンツェルト・ハウス》
筆者撮影


7──鈴木了二《本駒込の住宅》1988 出典=『建築家の住宅論』鹿島出版会、2001

7──鈴木了二《本駒込の住宅》1988
出典=『建築家の住宅論』鹿島出版会、2001


スーパーフラットの内部と外部

第二に、飯島はスーパーフラットが「他者=外部」を徹底的につぶすものと規定する。ゆえに、世界貿易センターに対する自爆テロは、フラット化した社会が「外部」から攻撃を受けた事件だという。そしてアトリエ・ワンみかんぐみなどの若手建築家を「フラット派」とみなし、以下のように述べている。「この自己慰撫的な『内部=フラット』に常にとどまっていて、いっこうに『外部』を見ようとはしない。彼らがリサーチするのは世界についてではなく、身近なコンテクストのみである。彼らがリアリティを感じるのは、そうしたコンテクストの差異の戯れにしかないからだ」、と。つまり、フラットな内部だけを見て、異質な「外部」を見ない態度を批判する。若手が世界ではなく、身近な環境のみを調査しているからだ。スーパーフラットに外部はない、というのは一見正しい。だが、実際はもっとハイブリッドであり、内部と外部がねじれているのではないか。『批評空間』Web CRITIQUEでこれを指摘したときは、飯島の論に引きずられ、やや粗い議論をしたが、少し整理が必要だろう★八。飯島は、マクドナルドで食べ、ディズニーランドで遊ぶ生活が世界のどこでも可能になるような「一元化(アメリカ化)」がスーパーフラットを生みだしたと述べている。だが、もともとスーパーフラットを提唱した村上隆は、これが日本のサブカルチャーにおいて顕著になった現象であり、「日本は世界の未来かもしれない」と宣言していた。つまり、飯島は日本発をアメリカ発と読み替えている。そしてアメリカ化とスーパーフラットを同じものとみなしているのだ。この点は重要である。
日本とアメリカはよく似た資本主義の社会を営んでいるかもしれないが、言うまでもなく、政治、経済、社会、文化のあらゆる側面において大きな違いがある。一九四五年の時点において、両者は敗戦国と戦勝国の対照的な関係だった。戦後の日本は複雑な気持ちでアメリカ化を引き受けながら、独自の復興を遂げる。それは純粋にアメリカ的なものでも、日本的なものでもない。ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて──第二次大戦後の日本人』は、戦後日本モデルとされたものが、実は「日本とアメリカの交配型モデル」だったという★九。またスーパーフラットの理論を立ちあげた東浩紀は、戦後のサブカルチャーが日本の純粋培養ではなく、アメリカ化の洗礼を経由したものだと位置づけている★一〇。現在の風景は「アメリカ産の材料で作られた疑似日本」なのだ。アメリカ化というよりも、日本とアメリカの交配がスーパーフラットなのではないか。
村上隆は日本画を学んだ後、アメリカに渡り、現代美術のアーティストとして開花したが、日本の敗戦を強く意識していると告白している。ゆえに、彼の態度をアメリカ化と同一視する議論は乱暴だ。一九四五年に回帰するアメリカへの屈折した感情が見過ごされてしまう。スーパーフラットは外部の視線にさらされることで芽生えるものであり、オリエンタリズムを逆に利用する戦略ではないか。アトリエ・ワンらの「メイド・イン・トーキョー」のプロジェクトも、そうだ[図8]。以前、筆者はこれを評価しつつも、外部の視線を過剰に意識していることを批判的に言及した★一一。一方、飯島は「メイド・イン・トーキョー」のような態度を単に内向きのものと考え、他者がいないことを問題視する。すなわち、同じプロジェクトに対し、筆者と飯島は正反対の見方をしているのだ。それはおそらく両者の世界観が異なっていることに起因する。
他者は外部だけに存在するのではない。「美術」にとっての他者が、スーパーフラット的な文化であり、「建築」にとっての他者が、「メイド・イン・トーキョー」の建物ではないか。他者は内部にも存在する。筆者が日本の新宗教の建築を研究しているのも、これまでの建築の議論においてまったく無視されていたからだ。だが、日常を離れ、海外の街並みや集落の調査をすることだけが、反フラット的な世界のリサーチだというのであれば、それこそ素朴な外部の存在を期待しすぎていないか。
ポール・ヴィリリオは、一九九三年の世界貿易センターのテロ事件の後、「最初のポスト冷戦の戦争」だと指摘していた★一二。そして「ひとりの人間=総力戦」という思いもよらない等式が成立し、四〇年続いた「恐怖のバランス」の時代が終わり、「アンバランスの時代」に突入すると述べている。内部と外部の対称的な関係は通用しない。ヴィリリオによれば、情報技術の爆発的な進化を伴うグローバリゼーションは、「歴史の終焉」よりも「空間の終焉」をもたらし、内部と外部の差がなくなる★一三。

8──「メイド・イン・トーキョー」のプロジェクトで発見された 〈スーパー・カー・スクール〉 出典=貝島桃代+黒田潤三+塚本由晴 『メイド・イン・トーキョー』

8──「メイド・イン・トーキョー」のプロジェクトで発見された
〈スーパー・カー・スクール〉
出典=貝島桃代+黒田潤三+塚本由晴
『メイド・イン・トーキョー』


絡み合い、自壊するテロと資本主義

飯島は、世界貿易センタービルを「まさにフラットな建築」だと語る。これが効率性を追求したビルであるのは事実だが、デザインの面において、ミノル・ヤマサキは日本やイスラムの影響を受け、硬直したモダニズムにやわらかさを持ち込もうとしていた[図9]。世界貿易センタービルの頂部と足元にある尖頭アーチ風のモチーフも、その結果である。一方、突撃したテロリストは建築と都市計画を学び、近代的な開発に批判的だった。ヤマサキもテロリストも、単純に正反対の立場ではない。だが、九月一一日のテロは、こうした小さな差異を無効にする圧倒的な暴力だった。いやテロこそが世界をきれいに二分し、両陣営をつくりだしながら、その内部をフラット化する方向に動かしたのではないか。アフガンの空爆後も、ブッシュ大統領は北朝鮮、イラン、イラクを悪の枢軸国と名指しで非難し、関係を修復させかけていた国も態度を硬化させた。
世界はもっと複雑に絡みあう。マクドナルドを襲撃したフランスのラルザックの農民のように、反グローバリズムは、ヨーロッパの内部にも浸透し、一定の支持層を獲得している。だが、テロ以降、世界的なネットワークによる反グローバリズムの運動はきわめてやりにくくなった。イスラム世界にも、トルコ、サウジアラビア、インドネシアなど、アメリカと親密な国が存在するし、逆にアメリカと反目するキリスト教の国家もある。世界貿易センターでは、イスラムの信者を含む、多くの移民労働者が犠牲になった。そもそも冷戦時代にアメリカがビンラディンらを支援したことや、テロリストがアメリカで飛行機の操縦を学んだことはよく知られていよう。チョムスキーは、アメリカこそが最大のテロ国家であり、過激な宗教的原理主義に基づく大衆文化をもつことを指摘している★一四。
向山恭一は、こう述べている★一五。

なにか大きな出来事が起きると、人は必要以上にうろたえ、そこに時代の断絶だけを見出し、歴史の記憶や連続性を見失う傾向にあります。結局のところ、九・一一の事件が起こる起こらないにかかわらず、世界は冷戦後の処理をないがしろにしたまま、貧困や飢餓の問題をなんら解決してこなかった。アフガニスタンの窮状はそれを物語っています。しかし、米国をはじめとする先進国のメディアは、九月一一日をもって世界が変わったと騒ぎ立てている。そこではバーミヤンの仏像破壊と世界貿易センタービルの倒壊が、同じ土俵で語られることはほとんどありません。私はその点に、米国あるいは先進国中心的な世界観の傲慢さがあると考えています。


そもそも資本主義は、イスラムの外部ではない。今や資本主義はイスラム諸国もおおっているのではないか。渡部直己はこう指摘していた★一六。

あれにはアメリカ自身の『自爆』といった面がつきまとうのですが、その点でも、誤認を犯している。イスラムにおける女性の問題にせよ、あれだって男性による端的な異性の搾取と管理を本質にしているわけで、『文化』はその本質を隠すにすぎない。資本が本格的に流入すれば、その搾取や管理はさまざまな側面でそのつど本質的な動揺をきたすわけですね。『文明の衝突』なんて口にした途端に、その局所的で具体的な衝突は見えなくなる。


資本主義は全体化しているのだ。しかし、柄谷行人が言うように、「(一九八九年のベルリンの壁が崩壊した)結果、平べったい世界ができたかというと、そんなことはない。新たな構造が形成されつつある」★一七。
向山は、以下のように、資本主義とテロの意図せざる共犯関係を指摘する。まず、グローバリゼーションの時代において資本は顔の見えない存在である。犯行声明のなかったテロリストにも顔がない。ヴィリリオも、二〇〇一年九月一一日の出来事は「実体のない戦争」と述べている★一八。そして向山は「ここに両者の同時代性というものが表されていると思います。冷戦後、人々は資本主義の勝利(「歴史の終わり」)に酔いしれました。しかし、(…中略…)それは資本主義の敗北の始まりでもあります。なぜなら、世界が一つになったことで資本主義は『危険階級』を外部化する空間を失ったからです。そうした意味で、資本とテロはともに『内破する資本主義』を演出している」と言う。
続いて、向山は、ハートとネグリの帝国論を引用しながら、このような説明も試みている。冷戦後は、アメリカさえも超えた資本の帝国が出現し、内と外を分ける境界線がなくなり、外が消滅した。ゆえに外部をもたず、危機を放出できないために、その帝国は自らのうちに危機を遍在させたシステムになる。「そうすると、テロリストたちが自爆したように、『帝国』もまた『内破する資本主義』のロジックに従って自壊するほかない。ここにもテロと資本の共通性」が見られるというのだ。一方、飯島のモデルは、単純な二項対立として、内部と外部の関係をとらえているように思われる。
すなわち、フラット化した社会が「外部」から攻撃を受けたのではなく、完全にはフラット化しきれない帝国が内部──それは内部化された外部である──から自壊したのではないか。

9──ミノル・ヤマサキ、世界貿易センタービルのアーチ 筆者撮影

9──ミノル・ヤマサキ、世界貿易センタービルのアーチ
筆者撮影


コールハースの評価をめぐって

こうした認識の違いは、レム・コールハースの位置づけにも関わるだろう。飯島によれば、コールハースの資本主義の論理は、「外部」や「ゴツゴツとしたもの」を否定する発想であり、ひたすらあるものを「平坦」に還元する道につながる。ゆえに、「そうした志向性からはコンテクストを批判したり、あるいはコンテクストそのものをつくり変えてしまうような革新的、あるいは歴史的な出来事は芽生えるべくもない」と言う。なるほど、コールハースはユートピアを信じていない。だから、素朴なコンテクスト批判はしないだろう。しかし、彼は、資本主義が臨界点を超えると、コンテクストそのものが壊れていくようなヴィジョンをもっているのではないか。それが彼の魅力である。
例えば、『錯乱のニューヨーク』(一九七八)では、資本主義の欲望のおもむくままに自動生成する摩天楼が、いかに反モダニズムだったかを検証している[図10]。『S, M, L, XL』(一九九五)では、建築の規模が超巨大化すると、古典的な美学やヒューマニズムが無効になる「ビッグネス」の概念を提出した。彼は建築家のしがみついてきたモラルを次々とラディカルに粉砕する。そしてグローバルな資本主義の時代において、建築と都市が変容し、芸術家を気どる英雄的な建築家は時代遅れだと宣言するかのようだ。もはや建築家に未来はないのか? そこで彼自身は、プラダの企業戦略と店舗設計を一括して行なうなど、従来の建築家の枠組みを超える職能を切り開く。徹底してアイロニカルである。
ゆえに、「六〇年代のラディカリズムから毒気を抜き取っただけのレム・コールハース」という飯島の評価は肯定しがたい。コールハースと比較すれば、六〇年代のアーキグラム、スーパースタジオ、ハンス・ホラインらのユートピア的な提案のほうが無邪気に感じられる。現実の世界から遊離した批判にとどまっているからだ。むしろ毒気がないと指摘するならば、コールハースの子供たちのMVRDVや日本の若手建築家に対して行なうべきだろう。彼らの方法論は、確かにコールハースの影響を受けているが、前述したように、基本的な態度に素直さが認められるからだ。したがって、飯島がコールハースと若手建築家を一括りにしたことにも、違和感が残る(これこそ「一元化」ではないか?)。
コールハースは、『MUTATIONS』(二〇〇〇)において、西アフリカのラゴスを分析している★一九。ほとんど知られていない都市を発見し、信じられないような状況を描く。ラゴスには、ビルや高速道路が存在し、近代的に見えるかもしれない。だが、『MUTATIONS』に収録された写真を観察すると、渋滞した高速道路を多くの人間が歩き、風景は混乱状態である[図11]。交通のインフラストラクチャーも未完のままだ。都市が機能不全に陥っているかのようだ。にもかかわらず、ラゴスは機能する。計画者ではなく、使用者の立場から巨大都市が発生しているからだ。例えば、建設が放棄された高架道路のランプは、人々に占拠され、市場や倉庫として有効に使われ、都市を活性化させる。
こうした事例をもとに、コールハースはこう述べる。ラゴスは近代化の途上にあるのではない。アフリカ的な方法ですでに近代化を遂げている、と。しかし、単なるもうひとつの近代でもない。彼は、ラゴスがわれわれに追いつくのではなく、われわれがラゴスを追いかけるのではないかという。計画概念が無効になった極限の都市。近代の資本主義の外部として、ラゴスは存在するのではない。むしろ、その内部にあって、おなじみのシステムは壊れ、都市が突然変異を起こす。フラット化の外部ではなく、資本主義の底が抜け、その内部から「ゴツゴツとしたもの」が頭をもたげているのだ。

10──世界貿易センターの展望室から見るマンハッタンの高層建築群 筆者撮影

10──世界貿易センターの展望室から見るマンハッタンの高層建築群
筆者撮影

11──ラゴスの風景 出典=MUTATIONS, ACTAR, pp.698-699

11──ラゴスの風景
出典=MUTATIONS, ACTAR, pp.698-699

若手建築家の評価をめぐって

飯島は、若手の建築家には「ただ『小論』の中の差異のみが存在するだけである」と述べて、小さな差異を見出すことに批判的である。そんなことではコンテクストを変えることはできないという。確かに、多くの若手は、一九六〇年代の空想的なドローイングのような楽天的な未来都市の提案に懐疑的である。そもそも、国が若かった六〇年代ならともかく、上の世代の層が厚くなった九〇年代に若手がそうした大計画を提案しても、ほとんど相手にされないだろう。バブルの崩壊や巨大開発を嫌うマスメディアの傾向も、大きな影響を与えている。逆に、六〇年代は社会が大きな夢を求めていたのであり、黒川紀章のような建築家は敏感にそれを感じて、壮大なドローイングを描いていた。
飯島の好む表現を借りれば、「『大論』にすがるノスタルジックな『旧世代』」とそれに興味がない「新しい世代」の対立である。しかし、問題はそうした単純な二項対立を疑ってかかることではないか。以前、筆者も、塚本由晴に対し、既存のコンテクストの調査に終始するばかりではなく、新しいコンテクストそのものをつくるような提案もすべきではないかと批判をしたことがある。かつて彼はそのような提案にあまり興味がなかったが、最近は考えが変わったようだ★二〇。現在では新しいコンテクストの提案も視野に入れており、「メイド・イン・トーキョー」や「ペット・アーキテクチャー」などのプロジェクトはその予備調査と位置づけている★二一。彼らも「大論」にまったく関心がないわけではない。

飯島は、塚本由晴と曽我部昌史の対談を挙げて、両者は同じく日常に興味があると結論づける★二二。だが、それは対談の出発点にすぎず、最後に二人は方法論の違いを互いに確認していた。これが無視されている。また飯島は、佐藤光彦、西沢立衛西沢大良らを「普通さ」、「弱さ」、「軽さ」、「フラット」という言葉で一括りにしていた[図12─14]。しかし、佐藤のパズル的な造形や素材の扱い、西沢立衛の普通さにひそむ異様な空間、西沢大良の形式とヴォリュームの関係など、各自の発見的な問題設定は大きく違う。とりわけ、西沢立衛の《ウィークエンド・ハウス》は、建築の根底をなすカメラ・オブスキュラのモデルを破壊する重要な作品であり、一列に論じるべきではない★二三。
西沢らの作品は、ポストモダン建築のように、見た目ですぐにわかる個性的な形態ではない。ポストモダン建築は、素人目にも外観の差異がはっきりしており、社会派の印象批評でも対応できる[図15]。差異の競争において目立つことが求められていた。しかし、西沢兄弟やアトリエ・ワンは、むしろなぜある形態がそうなっているのかという別の次元で問いを立てている。こうも言えるだろう。すなわち、四角はなぜ四角なのか、丸はなぜ丸なのか、あるいは天井の高さは何を意味するのかといったことに興味があるのだ。それは必ずしも奇抜な造形に結びつかない。威勢のいい言葉もない。一方、八〇年代にもてはやされたポストモダンは、四角と丸をどうしたら刺激的な組み合わせになるかを追求していた。どちらが良いのでも悪いのでもない。問題の設定が違うのだ。かといって、それを「表現意欲を放棄してしまったかのような脱力感」で片付けると、重要な問題提起が切り捨てられる。彼らの作品では、かたちの論理を読むことが試されているのではないか。

12──佐藤光彦《西所沢の住宅》 筆者撮影

12──佐藤光彦《西所沢の住宅》
筆者撮影

13──西沢立衛《ウィークエンド・ハウス》 筆者撮影

13──西沢立衛《ウィークエンド・ハウス》
筆者撮影


14──西沢大良《大田のハウス》© Heiner Schilling

14──西沢大良《大田のハウス》© Heiner Schilling

15──北河原温《ライズ》 撮影=原ゆかり

15──北河原温《ライズ》
撮影=原ゆかり

若手の作品は本当に空虚なのか

アトリエ・ワンの《アニ・ハウス》[図16]や《ミニ・ハウス》は、飯島が言うように、ただの銀色の箱であり、社会に対して何も主張しない「空虚な作風」なのだろうか? 微細なデザインは、箱についたつまらない「装飾」に過ぎないという指摘もあるかもしれない★二四。なるほど、安藤忠雄の《住吉の長屋》は、雨が降ると傘をさしてトイレに行かなければならないというわかりやすいキャッチフレーズが建築の構成に直結し、いかにも社会的なメッセージを発している。建築の形式が人間の行動を誘導する計画学的な特徴も指摘できるだろう。しかし、《アニ・ハウス》も「建ち方」を再考しており、十分に社会的かつ建築的な問題を提起している★二五。正直に告白すれば、筆者も最初はその意味がよくわからなかった。おそらく、それまであまりなかったタイプの問題を設定していたからだろう。
人は、ある文化に対してアクチュアルに接していた時期を過ぎると、どれも同じように見えることがある。卑近な例だが、筆者の体験で言えば、九〇年代の初めにあまりロックを聴かないようになると、とたんにその後のロックはどれも同じように感じるようになった。これは必ずしも音楽が実際に画一化したことを意味するのではないだろう。音楽が同じようになったから聴かなくなったのではなく、聴かなくなったから、同じように感じるようになった可能性も検討しなければいけないからだ。それを見極めることが重要である。これは音楽に限らないだろう。最近の美術は……、最近の映画は……、最近の歌謡曲は……、といった新しい世代への否定的な反応は、そもそも古い世代が表明する典型的なものだ。だから、自戒の念を込めて、筆者もこの点を注意したいと思う。デザインの変化は創作者だけの問題ではない。批評側にも、新しい状況を語る言葉の構築を求めている。
念のために、《アニ・ハウス》が設計された手続きを説明しておこう。おおむね以下のようなことが考慮されている。戦後の日本では、住宅の方法論はやり尽くされてきた。しかし、それは住宅内部の構成論であり、敷地にどう配置するかは結構ワン・パターンである。どれか一面を大きく空けて、残りの三面は住宅を境界線にぎりぎり接近させるやり方だ。そこでアトリエ・ワンは「建ち方」という問題を設定し、違うパラダイムによって、初期条件からもう一度住宅を組み立てる。具体的には、敷地のセンターに配置し、十分に引きをとることで、四面ともデッドにならず、使える隙間を生む。しかも、小さい住宅をさらにぎゅっとしぼって、もっと小さいスクエアにする。その結果、各フロアで複数の部屋を組み合わせるという計画学的な配慮が不要となり、ワンルームを積み重ねる形式に落ち着く。さらに各フロアがワンルームだから、四面とも窓をとることが可能になる。
こうした操作は正しく建築的である。配置の方法では、敷地の南側さえ空ければよいという一般的な常識にも挑戦しているといえよう。ワンルームも、空間の間仕切が家族の行動を規定するという押しつけがましい機能主義に対する、積極的な拒否だろう。住み手が好きなように使い、自分の空間にしていけばいい。ただし、それは派手に示されない。したがって、《アニ・ハウス》をただの箱と片付けてしまうのは、知的な怠慢である。住宅地の問題を視野に入れた
 《アニ・ハウス》が、外部に対してコンクリートの壁で閉じる《住吉の長屋》に比べて、内向的とは言えないだろう。むやみに「大きな物語=歴史」の復活に頼るのではなく、重要な建築に対する個別の読みを積み重ねることが、フラット化をつき破る鍵なのではないか。ギーディオンの近代建築史のように、「大きな物語=歴史」は、事件が終わって、後から都合よく捏造されるものだ。しかし、(『踊る大捜査線』ではないが)事件は現場で起きているのであり、そこから歴史はつむぎだされる。

16──アトリエ・ワン《アニ・ハウス》 ©アトリエ・ワン

16──アトリエ・ワン《アニ・ハウス》
©アトリエ・ワン

眼鏡を曇らせるイデオロギー

椹木野衣は、戦後日本という「悪い場所」において、美術が同じ問題を多様に反復していることを指摘していた★二六。「閉ざされた円環」は、うすっぺらで奥行のない、歴史から切り離された「現実」から構成される。こうした仮説は、敗戦のトラウマを反復するという飯島の論にも通じるところがあり興味深い。しかし、二人の態度は違う。飯島はフラットな状況をただシニカルに眺める。彼は、平和な社会で受動的な自由を消費するだけの若手を批判し、「『新しい世代』と呼ばれる集団は、こうした『総括なき戦後』の延長に、ぽっかりとはかなく出現した」と言う。では、都市をリセットする壮大な計画を提案した一九六〇年代のメタボリズムや一九八〇年代のポストモダンも、好景気における「自由」を享受していたのではないか? なぜ「新しい世代」だけが攻撃の対象になるのか? 一方、『日本・現代・美術』の序論において、椹木はこう言う。

[大文字の正史]が書かれるためには、戦前のような意味での「歴史」を回復することが先決などと、新保守主義まがいのことを唱えようとするものではない。(…中略…)わたしは「閉ざされた円環」という暴力を、さらなる暴力によって累乗に否定的に押し開こうとするものではない。そうではなく、この円環それ自体が巨大な暴力であり、それに対するには暴力をもってしても無意味であるということ、そして、この円環のなかにさまざまな抑圧や分裂、錯綜や矛盾が渦巻いているということ、(…中略…)それがどんなに薄っぺらで奥行きを欠いた表象の戯れに見えたとしても、目を凝らせば、そこに無数の矛盾と対立の素顔が書き込まれているということ──そのことを「認識」し、われわれの「現実」を一枚岩の「平和」ではなく、多種多様な生存の様式の複合的な集積として再発見し、そこにおいて新しい生の在り方を「発明」していくための突破口とすること


が課題なのだ、と。
これはフラット化が外からの暴力で傷ついたことを喜ぶようなザマーミロ論ではない。歴史を断絶させるような革命や台風の到来を待望しているのでもない。単純に「大きな物語=歴史」によって現代美術を回収することを主張しているのでもない。一見、フラットな世界が、実はあらかじめ無数の裂け目をもっていることを確認しながら、自らの「生存の様式」を受けとめているのだ。イデオロギーという思い込みは、対象をフラットなものとして理解することを導くが、フラットな現実にはいくつもの層が重なりあっている。
ところで、最近、森達也監督のドキュメント映画『A』と『A2』(二〇〇一)を続けて見る機会を得た★二七。オウムの広報部の荒木浩の日常や教団と地域との紛争を記録した映画である。マスメディアは、小さな差異を塗りつぶし、正義の住民対悪者のオウムの構図を強調するのに対し、森はイデオロギーをはぎとって、人間を出現させる。オウムに打ちとける住民や、悩むオウムの信者など、メディアが紹介しないさまざまな人が登場し、メディアと現実の乖離が明らかになっていく。そして森は「世界はもっと豊かだ」という認識に至る。
これは九月一一日以降に起きている世界の単純な二分化への批判的なメッセージにもなっている。われわれ側か、それともテロリストの側につくか、というブッシュ大統領の声明は、多様だったはずのアメリカの内部を一色で塗りつぶし、他の国にも同じ態度を強制した。アメリカはニューヨークの悲劇だけを誇張し、アフガンにおける惨状を普通に見ることができない。そしてわれわれはオウムを普通に見ることができない。殺人集団と非難することで、同じ人間としてみなさず、思考停止する。安心できるからだ。
意外に、われわれは日常の風景でさえ、普通に見ていないのではないか。しばしば紋切り型の反応をして、感度を失っている。これに関して、たまたま西沢立衛の興味深い発言を見つけた。彼が横浜国大の助教授に就任し、学内誌のアンケートで「キャンパスの印象」に答えているものだ。他の新任教官は、さわやか、緑が多い、素晴らしい人がいる、楽しそうといった美辞麗句を並べている。よくある反応だろう。悪口を言うわけにもいかないから、適当にほめておく。しかし、西沢は一言こう答えている。「建物が白いと思いました」★二八[図17]。むろん、こんなものは社会の作法を知らない小学生の回答だと笑うことは容易い。だが、どちらが対象を真剣に観察しているかと言えば、西沢のほうではないか。少なくとも筆者にとって、さわやかという無意味な感想よりも、建物が白いという当たり前のことに気づくことのほうが、意外性をもち創造的だと思われるのだ。

17──横浜国大のキャンパス 撮影=小松幸夫

17──横浜国大のキャンパス
撮影=小松幸夫

註 
★一──飯島洋一「反フラット論──『崩壊』の後で 2」(『新建築』二〇〇一年一二月号、新建築社)。以下、飯島の文章の引用はこの文献からのものである。
★二──飯島洋一「『崩壊』の後で──ユニット派批判」(『住宅特集』二〇〇〇年八月号、新建築社)。
★三──拙論「ユニット派あるいは非作家性の若手建築家をめぐって」(『終わりの建築/始まりの建築──ポスト・ラディカリズムの建築と言説』INAX出版、二〇〇一)。
★四──乾久美子「月評」(『新建築』二〇〇二年一月号)。
★五──千葉学「月評」(『新建築』二〇〇二年一月号)。
★六──『都市住宅』一九七七年一月号、鹿島出版会。
★七──鈴木了二『建築家の住宅論』(鹿島出版会、二〇〇一)。
★八──拙論「反フラット建築論をどう読むか」(『批評空間』Web CRITIQUE 二〇〇二年一月一八日。URL=http://www.
criticalspace.org/special/igarashi/020118.html)。
★九──ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて──第二次大戦後の日本人』(三浦陽一+高杉忠明+田代泰子訳、岩波書店、二〇〇一)。
★一〇──東浩紀『動物化するポストモダン──オタクから見た日本社会』(講談社現代新書、二〇〇一)。
★一一──拙論「他者が欲望する黒船都市、トーキョー」(『終わりの建築/始まりの建築』)。
★一二──Paul Virilio, 'Delirious New York', in A Landscape of Events, The MIT Press, 2000.
★一三──ポール・ヴィリリオ『情報化爆弾』(丸岡高弘訳、産業図書、一九九九)。
★一四──ノーム・チョムスキー『9.11』(山崎淳訳、文芸春秋、二〇〇一)。
★一五──向山恭一「『内破する資本主義』を演出する資本とテロ」(『図書新聞』二〇〇二年一月二六日)。
★一六──渡部直己「これは『戦争』ではない」(『週刊読書人』二〇〇二年一月二五日)。
★一七──『批評空間』第II期第二号、二〇〇二年。
★一八──『現代思想』「特集=ヴィリリオ──戦争の変容と政治」二〇〇二年一月号、青土社。
★一九──Rem Koolhaas, et.al., MUTATIONS, ACTAR, 2000.
★二〇──ギャラリー・間『空間から状況へ:10 City Profiles from 10 Young Architects』(TOTO出版、二〇〇一)。
★二一──東京工業大学建築学科塚本研究室&アトリエ・ワン『ペット・アーキテクチャー・ガイドブック』(ワールドフォトプレス、二〇〇一)。
★二二──『美術手帖』「特集=二十一世紀建築、スーパーフラット」二〇〇〇年五月号、美術出版社。
★二三──拙論「西沢立衛、あるいはカメラ・オブスキュラを超える建築」(『10+1』No.22、INAX出版、二〇〇一)。
★二四──ウェブにおける匿名の人物からの批判(http://www.hino.nu/)。
★二五──「塚本由晴インタヴュー」(『建築文化』二〇〇一年一二月号、彰国社)。
★二六──椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社、一九九八)。
★二七──森達也『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(角川書店、二〇〇二)も参照されたい。
★二八──「新任教官の紹介」(横浜国立大学広報室『Campus News』七号、二〇〇二)。

*この原稿は加筆訂正を施し、『戦争と建築』として単行本化されています。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>『10+1』 No.27

特集=建築的/アート的

>飯島洋一(イイジマ・ヨウイチ)

1959年 -
建築評論。多摩美術大学美術学部環境デザイン学科教授。

>スーパーフラット

20世紀の終わりから21世紀の始まりにかけて現代美術家の村上隆が提言した、平板で...

>ユニット派

建築批評家・飯島洋一が、世界に対する理念や「作家性」のなさ、日常世界に拘泥する若...

>乾久美子(イヌイ・クミコ)

1969年 -
建築家。乾久美子建築設計事務所主宰。

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>坂本一成(サカモト・カズナリ)

1943年 -
建築家。東京工業大学教授。

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>鈴木了二(スズキ・リョウジ)

1944年 -
建築家。早稲田大学教授(芸術学校校長)。鈴木了二建築計画事務所主宰。

>アトリエ・ワン

1991年 -
建築設計事務所。

>みかんぐみ(ミカングミ)

1995年 -
建築設計事務所。

>東浩紀(アズマ ヒロキ)

1971年 -
哲学者、批評家/現代思想、表象文化論、情報社会論。

>グローバリゼーション

社会的、文化的、商業的、経済的活動の世界化または世界規模化。経済的観点から、地球...

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>錯乱のニューヨーク

1995年10月1日

>アーキグラム

イギリスの建築家集団。

>黒川紀章(クロカワ・キショウ)

1934年 - 2007年
建築家。黒川紀章建築都市設計事務所。

>塚本由晴(ツカモト・ヨシハル)

1965年 -
建築家。アトリエ・ワン共同主宰、東京工業大学大学院准教授、UCLA客員准教授。

>曽我部昌史(ソガベ・マサシ)

1962年 -
建築家。みかんぐみ共同主宰、神奈川大学工学部建築学科教授。

>西沢立衛(ニシザワ・リュウエ)

1966年 -
建築家。西沢立衛建築設計事務所主宰。SANAA共同主宰。横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA准教授。

>西沢大良(ニシザワ・タイラ)

1964年 -
建築家。西沢大良建築設計事務所主宰、東京芸術大学非常勤講師、東京理科大学非常勤講師。

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>アニ・ハウス

神奈川県茅ケ崎市 住宅 1998年

>ミニ・ハウス

東京都練馬区 住宅 1999年

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>椹木野衣(サワラギ・ノイ)

1962年 -
美術評論。多摩美術大学美術学部准教授。

>メタボリズム

「新陳代謝(metabolism)」を理念として1960年代に展開された建築運動...

>戦争と建築

2003年8月20日