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メディアとしての博物館 | 菊池誠
Museum as Media | Kikuchi Makoto
掲載『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること, 2005年04月発行) pp.28-29

前回も少し映画のことを書いたが、一九五〇年代前半生まれの私はジャン=リュック・ゴダールほかのヌーヴェルヴァーグ映画には間に合っていない世代に属する。つまりロードショー時にではなく後年、名画座で『気狂いピエロ』(一九六五)などを観た。ゴダールより年長だったと思うが、文学から映画への転身が遅かったのか、日本への紹介が遅れたのか、パゾリーニの映画にはなんとなく間に合った、という漠とした印象が私にはある。あいまいな記憶のまま続けると、確かパゾリーニ監督の『王女メディア』(一九六九)は私が高校生の時の日本公開。いちおう成人指定映画だったのを知らぬ顔をしてチケットを買って観たような気がする(それともあれは同監督の『テオレマ』の時だったか。いずれにせよ、もう時効である)。
そのメデア(Medea)は、ギリシア神話に出てくる魔法使いの王女で、婚約者が金の羊毛を手に入れるのを助けるために父をあざむき、弟を殺した……。語源的にも関係あると思うが、この名はメディア(media)を連想させずにはおかない(また、映画の邦題中のこの名は既述のとおりメ「ディ」アであったと思う)。
メディアつながりで、話を映画から博物館に戻そう。二〇〇五年の二月初めから五月まで、東京大学総合研究博物館で「メディアとしての建築」というタイトルの展覧会を行なっている。展示ホールひとつを使うだけの小さな展覧会だが、企画から制作までひとわたり携わって私も結構くたくたになり、メデアにあざむかれた父親と殺された弟が合わさったようなひどい精神的・肉体的状態になってしまった。
展覧会を準備しながら、タイトルに掲げる以上は「メディア」という言葉には一応こだわっていろいろと考えた。なかでも、その複数形がmediaならぬmediumsになる「巫女」あるいは「霊媒」というこの語のもうひとつの語義には、上述のパゾリーニの映画の思い出もあって、ちょっと引っかかっている。この語義にもメディアと同じく情報を媒介するもの、伝達するものの意味がはっきり込められている。しかもその語義の古めかしさのために、ニューメディアなどという語のいかがわしさよりもずっと真正のいかがわしさをともなっている。思うにこの古びた語感は博物館にふさわしいのではないか。博物館はメディアである。つまり、霊媒みたいなものとしての施設=制度である、と言い切れるのではないか。博物館が伝えようとしているものは、この施設=制度によってコレクションされたモノたちが担う自然や文明の情報である。それら情報(情報は本質的にコトバの世界に属するだろう)を担うモノ、つまりコトバとは異なる世界に属するものを集め、収蔵し、展示する博物館というのは、コトバとモノを媒介する(実はかなりいかがわしい?)巫女だか霊媒だかの役割を果たしているのではないだろうか……うーむ、どうも話があやしくなってきてしまった。
だが、裏へ入ると、ホルマリンやナフタリンの臭いが鼻をつき、古くてチカチカする蛍光灯に照らされた廊下に鉱物、動植物のありとあらゆる標本があふれ出ているような博物館という場所に身を置いていると、どうしてもそれらモノたちのこと、そしてそれらが担っているはずのコトバたちのことについて想いめぐらさないわけにはいかないのだ。
実を言うと、今回の「メディアとしての建築」の展示デザインにあたって、自然史系の常設展示ギャラリーと建築の企画展のギャラリーとの境界に「博物館の時代は終わった……博覧会の世紀が始まる」という立て看板を立てようかと考えたことがある。たまたま自然史系の展覧会が博物学者カール・ファン・リンネによる自然界の分類体系をテーマにしており、先回この欄に書いた思想史家ミシェル・フーコーの言によるまでもなく、リンネは古典派経済学のアダム・スミスや、言語学のポール・ロワイヤル派と並んで、知の古典主義時代の代表選手である。だから、フーコーばりにその辺と近=現代との間には断絶がある、古典主義時代に確かに知は体系化されたが、そのシステムはもう終わってしまっているのだよ、と言うのも個人的にはありかな、くらいに考えた。だが、これをやると、自然史系の諸先生方のお叱りを受けることは必至である。明治以来、西欧の理系科学に追いつくことを至上目的としていたはずの東京大学においては、アート・ヒストリーよりはナチュラル・ヒストリーの先生のほうが権力に近い……ような気もする。睨まれるとヤバイかも。で、結局、件の立て看板のアイディアは取りやめにした。
だが、どうもやはり、私がイメージするメディア=魔法使いの王女は、多種多様な個物からなる自然の現実をもとにして、そこから分類体系を組み立てて行くアリストテレスの世界に属するものであるよりは、イデアつまり観念の世界が先行し、現実の世界は観念の世界の写しであると見なすプラトン的な考え方のほうに近いのである。博物館は明確にアリストテレスの世界の、つまりモノ、個物優先の世界である。また、上述の建築の展覧会でも主要な題材とした博覧会なるものは産業技術の時代、資本主義の時代のはじまりとともに生まれた物品の交易と情報の流通のための制度であるが、この場合もその情報交換はそこに展示されるモノを通して行なわれた。
そこから、さらに進んで(線形の発展史観を今も押し通してよいかという問題はさておき)、どの辺りからか、モノを媒介せずに情報は情報と直接交換されるような社会になっていった。だから、博覧会はもう古い、というステートメントは、たとえば国威発揚や産業技術の謳歌といったものが、このグローバリズムとテロリズムの時代やあるいは横行する公害と環境重視のテクノロジー・アセスメントの時代にそぐわない、とかいった議論よりもむしろモノを介して情報が行き交うという情報交換モデルが現実に合わなくなっている、といった側面から議論すべきものなのだろう。だが、そうするとこの新しい世界は、私の勝手な文脈に引き付けて言うと、プラトン主義の世界なのだ。やっと、時代がプラトンの思想に追いついた(?)だが、そんなたいそうなお題目を掲げるよりも、ここではもっと身近に、生半可なプラトン主義者は本来その思想において博物館スタッフとして失格である、と認めるべきなのだろう。だから当然の報いとして、小さな展覧会ひとつ企画担当するくらいで、心身ともにくたくたになってしまうのだ。
さらに話は勝手な方向に飛んでいくが、いまや、そこら中の紙面/誌面に氾濫するITという言葉はあやしい。情報技術云々などと言う前に、昔からイットは鬼ごっこの鬼のことだ、また一昔前のピンナップ写真で媚を売るのはイットガールであるから、ITはあやしい。私としても遊びの道具としてのコンピュータはけっして嫌いではないのだが、大上段に喧伝される情報社会なんて信用ならないとずっと思っていた。だが、遅まきながら、ITも結構行けるかも、くらいには思い始めている。
それは、大上段のお題目としてではなく、たとえば『10+1』に原稿を書くときに調べものをするといった現場の問題として、広く情報検索が可能で、実際に役に立つ、ということが見えてきたからだ。何のことはない、検索エンジンのヒット率が高まってきたとか、データ・ベースの作り方に技術的ノウハウがたまってきた、などという地道な話なのである。
だが、こうしたことは、アンドレ・マルローが唱え、書店に流通する美術全集という形で実現されていると言えそうな「空想の美術館」とか、メディア論の始祖マーシャル・マクルーハンがTVのことを呼んだ「壁のないミュージアム」といったものに、確かにつながっていくのだろう、とは思う。
そういう時代にこそ、カビ臭いミュージアムに何が可能か、ということをまじめに考えなければいけないという気もするのだが、メデアの毒気に当てられて、ふらふら歩きの遊歩者の書き物は今回もまた行く先知らずになってしまった。

1──ピエル・パオロ・パゾリーニ監督 『王女メディア』ポスター

1──ピエル・パオロ・パゾリーニ監督
『王女メディア』ポスター

2──「メディアとしての建築」展(東京大学総合研究博物館)展示構成

2──「メディアとしての建築」展(東京大学総合研究博物館)展示構成

>菊池誠(キクチ・マコト)

1953年生
芝浦工業大学システム理工学部環境システム学科教授。建築家。

>『10+1』 No.38

特集=建築と書物──読むこと、書くこと、つくること

>ミシェル・フーコー

1926年 - 1984年
フランスの哲学者。