RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO
>

土屋誠一 (ツチヤ・セイイチ)

1975年生まれ。美術批評家。沖縄県立美術大学講師。http://stsuchiya.exblog.jp/。

(最終更新:2010年12月14日)

> 10+1 DATABASE内「土屋誠一」検索結果 (7件)

[デジタル・イメージ論 2]

潜在性/アーカイヴ | 土屋誠一

Potential and Archive | Tsuchiya Seiichi

先に考察した問題を補足しつつ、論を展開してみたい。前回、アブグレイブ刑務所での拷問事件を例に挙げ、デジタル・イメージが発動させる、無際限な欲望の噴出について述べた。今日いかなる場合であれ、デジタル・イメージを生成する行為は、その結果を公共圏へ露わにすることとまったく同義である。さらにこのことは、次のように言い換えるべき...

『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.35-36

[デジタル・イメージ論 4]

サイバースペースにおける主体の位置 | 土屋誠一

The Position of the Subject in Cyberspace | Tsuchiya Seiichi

現在の、ネットワークに接続された人間の存在様式はどのようなものであるか。大塚英志は、GPS付き携帯電話の普及が監視社会を肯定することに帰結することを述べつつ、そのようなメディア環境下における人間の行動様式を、人間の「端末化」であると、的確に表現している★一。ある世代以降の人間が、携帯電話の所持と不即不離になって以来、人...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.35-37

[デジタル・イメージ論 1]

過剰露出──アブグレイブの拷問 | 土屋誠一

Overexposure: Torture in Abu Ghraib Prison | Tsuchiya Seiichi

デジタル・イメージに関する議論が盛んになりつつある★一。それは、ネットワークに接続された監視カメラのような、コントロール型権力(ドゥルーズ)の顕在化、あるいはスマートモブズ(ラインゴールド)の一般化といった事態への対応を迫られていることを示しているのかもしれない。そのような問題を考察する過程で、避けては通ることのできな...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.35-37

[論考]

写真は東京を記述しうるか──篠山紀信の「東京」 | 土屋誠一

Can Photography Describe Tokyo?: Kishin Shinoyama and Tokyo | Tsuchiya Seiichi

今私の手元に、『東京写真』と題された一冊の書物がある★一。この書物は写真評論家の飯沢耕太郎によって著されたものであるが、この書物で扱われている写真家たちによって撮影された「東京」とは、東京という都市のフラグメントであると言っていい。扱われている写真家は次のとおり。桑原甲子雄、ウィリアム・クライン、内藤正敏、牛腸茂雄、荒...

『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.111-117

[デジタル・イメージ論 3]

イメージ、その欲望する「場所」 | 土屋誠一

Image: The Desiring "Place" | Tsuchiya Seiichi

考えてみれば、「デジタル・イメージ」を、自明のものとして捕らえることは可能なのであろうか。もちろんわれわれは、それを現象としては日常的に体験しているし、そのイメージが指示する対象に、少なからぬリアリティを感じてさえいる。しかし、前回述べたように、デジタル・イメージがサイバースペースの中に、亡霊的に遍在するものであるなら...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.23-25

[論考]

ユビキタス“観測社会”とは何ですか? | 田中浩也

What is the Ubiquitous "Observation Society"? | Hiroya Tanaka

「地図を描く身体」と「都市を測る身体」 ユビキタス・テクノロジーによって生まれる社会のかたちについて、ビッグ・ブラザー論に代表される「監視社会」や、等身大を超え...なリアリティをなんら保証するものではない。 土屋誠一「写真は東京を記述しうるか── 篠山紀信の『...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.142-143