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ユビキタス“観測社会”とは何ですか? | 田中浩也
What is the Ubiquitous "Observation Society"? | Hiroya Tanaka
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.142-143

「地図を描く身体」と「都市を測る身体」

ユビキタス・テクノロジーによって生まれる社会のかたちについて、ビッグ・ブラザー論に代表される「監視社会」や、等身大を超えた都市のさまざまな事象・現象がコンピュータを通じて視覚的に把握可能となる「可視社会」等の議論が続けられている★一。そのような状況を受けて、私自身は、小型化・低価格化した民生用IT機器(モバイル/ユビキタス技術)は、「都市にもともと潜在・遍在していた、さまざまな実用的・遊戯的な意味での可能性・可能領域を、身体的に“あぶりだす”」補助ツールとして使われるべきことを提案し、そうしたありように対してのネーミングを求められた際に、「観測社会という呼称を与えたい」と応答してきた★二。モバイル“ギア”を身に纏った私たちは、都市を視覚像として感覚的に「観る」のみならず、常時、それをデジタルな数量に置換して科学的に「測る」移動体でもある★三。「監視」「可視」と「観測」の差異は微妙であり、言葉遊びとの批判もあるかもしれないが、私は都市生活者の継続的な「アクション」★四に価値を置くニュアンスを「観測」という語に込めたいと考えている。また「観る」といった表層的把握の方法から、「測る」といった深層の数理的アルゴリズム解読にまで射程を延ばしたいとの考えもある。

都市の「チャンネル」と「レイヤー」を開く


インフォメーションとは何らかの志向性を持った生物と結び付けられる。この志向性を持った生物とは、栄養濃度を感受して、餌が最も豊かであるスポットに向かって偽足を伸ばして行こうとするアメーバであったり、あるいは木の上の熟した果物を見て、それを取るために手を伸ばしている人間であったりする★五。


生物はそれぞれの環世界に生きており、自らに必要な情報を能動的・選択的に感覚器官から受けとっている。これが「志向性」と呼ばれるものである。環境が発するさまざまな情報に満ち満ちた都市において、人は、否応なくこのプロセスに過剰に引き込まれることになる。しかし、人間は、自ら道具を使い、つくることを通じて、あるいは既存の道具を転用──流用──誤用することを通じて、自らの「観測プロセス自体」にある種の変容(ずらし)を生み出すこともできうる。私はここに「技術」なるものの本来の可能性を見出したいと考えている。あらゆる観測技術は、対象を一旦遠ざけ、また同時に、別の方法で接触・接近するための手段である。都市を知覚するチャンネルや、焦点を結ぶレイヤーを入れ替え、都市の表層から深層へと覗き込み、そこに身体的に分け入るためのサヴァイヴァル・ツールとして、例えばGPSや各種「ギア」★六の価値が存在するのではないか。

GPSに象徴的であるような俯瞰的なデジタル・デヴァイスは、身体のポジショニングに関する認識を助けるものであるが、そこで身体化された主体とは、俯瞰像によって事後的に承認される仮想的なものであり、主体の確実性は所与として受肉化されているといったようなリアリティをなんら保証するものではない。
土屋誠一「写真は東京を記述しうるか──
篠山紀信の『東京』」(『10+1』No.47、一一五頁)


私はこれと異なる感触を持っている。主体の確実性を獲得する/獲得しないは極めてデリケートな問題であることを認めるが、少なくとも私にとって、本誌No.42に述べたGPSを用いた「グラウンディング」という営みは、主体の承認のみなのでも、都市の記述のみなのでもなく、身体と都市環境の間の絶え間ざる物理的“相互作用・相互交渉の連続的な過程”を顕わしただけのものであり、あくまで「終わらない知覚」のための補助線にすぎない。

経験は間断のない観測から成り立つ。その観測は経験世界の内部のみから生じてくる。経験世界内に現れる個物は何であれ、他の個物と関係を持つとき、相手から受ける経験の影響を特定できる限りにおいて、その相手を同定する。しかも相手を同定する、とする観測はこの経験世界の内で絶えることがない。何が何を観測しようとも、その観測は後続する、果てしのない観測を内蔵する。これを内部観測という★七。


自己言及的で一見無限後退するかのような思考と経験の生起プロセスと、工学的論理に駆動され超加速化する都市の、何重もの繰り込み・畳み込みのようなかたちで、現実の時間は前に進んでゆく。「観測」とは、都市の内部から、自らの変容も含み取りつつ、その過程自体の深層へと漸近してゆく、IT社会における新たな日常のことにほかならない。

Urban Computing/Device Embodiment

さて、冒頭の繰り返しになるが、ここ数年さまざまな媒体において「現在、潜在/遍在しつつあるコンピュータ技術(モバイル/ユビキタス技術)を用いて、もともと都市に潜在/遍在していた多様なポテンシャルや利用可能性をあぶりだす」実践についての紹介を行なってきた。そのような実践は、外在化された諸技術(テクノロジー)を身体的技法(テクニック)を通じてさまざまに組み替え繋ぎ直し、自らの生活のために再編成することから生まれ出る。そして、それらを駆使して、「したたかに環境に触れ合う」方法を模索する、トライ・アンド・エラーから、新たな都市の文化は生まれ出るだろう。英語で言うところの“Street Sense”や“Urban Jungle”という用語が示唆しているように、ITが暴力的なスピードで浸透する都市生活のなかにおいても、「駆使すること」や「したたかさ」のような編集能力・応用能力が、自然環境でサヴァイヴァルする状態からのなめらかな延長として、ありのままの私たちから発現しうるものだということを確認しておきたい★八。

1──《PhotoWalker》 デジタル写真をハイパーリンクさせて都市的なシークエンス体験を再構成するためのソフトウェア。 2001年よりhttp://www.earth-walker.com/ にてダウンロード可能 制作=田中浩也

1──《PhotoWalker》
デジタル写真をハイパーリンクさせて都市的なシークエンス体験を再構成するためのソフトウェア。
2001年よりhttp://www.earth-walker.com/
にてダウンロード可能
制作=田中浩也

2──《GeoWalker》 GPSと万歩計を用いて、都市の生態的/動物的群衆行動を記録・記述するためのソフトウェア。 2007年10月よりhttp://www.earth-walker.com/ にてダウンロード可能 制作=田中浩也+池田秀紀

2──《GeoWalker》
GPSと万歩計を用いて、都市の生態的/動物的群衆行動を記録・記述するためのソフトウェア。
2007年10月よりhttp://www.earth-walker.com/
にてダウンロード可能
制作=田中浩也+池田秀紀

3──《PlantWalker》 植物を持ち歩いて、その生体電位を増幅して測定することにより、温度や湿度などの目に見えない環境変化を微細に検出するためのデヴァイス。現在開発中 制作=田中浩也+慶應義塾大学田中浩也研究室

3──《PlantWalker》
植物を持ち歩いて、その生体電位を増幅して測定することにより、温度や湿度などの目に見えない環境変化を微細に検出するためのデヴァイス。現在開発中
制作=田中浩也+慶應義塾大学田中浩也研究室


★一──『モバイル社会白書2006』(モバイル社会研究所監修、NTT出版、二〇〇六)。
★二──『モバイル社会白書2007』(モバイル社会研究所監修、NTT出版、二〇〇七)。拙論「都市を測る身体」(『InterCommunication』No.61「特集=東京スキャニング」、NTT出版、二〇〇七)。
★三──『10+1』No.42「特集=グラウンディング──地図を描く身体」(INAX出版、二〇〇六)。
★四──Paul Dourish, Where the Action Is: The Foundations of Embodied Interaction, Bradford Books, New Ed., 2004.
★五──ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論──宇宙の意味と表象』(松野孝一郎+高原美規訳、青土社、一九九九)。
★六──★四に同じ。
★七──松野孝一郎『内部観測とは何か』(青土社、二〇〇〇)。
★八──Special Issue on   “Urban Computing’’, IEEE Computer Magazine, Vol.39, No.9, IEEE, 2006.

>田中浩也(タナカ・ヒロヤ)

1975年生
慶応義塾大学環境情報学部准教授、国際メディア研究財団非常勤研究員、tEnt共同主宰。デザインエンジニア。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>アルゴリズム

コンピュータによって問題を解くための計算の手順・算法。建築の分野でも、伊東豊雄な...

>土屋誠一(ツチヤ・セイイチ)

1975年 -
美術批評家。沖縄県立美術大学講師。http://stsuchiya.exblog.jp/。